2010年7月10日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…争ふ(1)

最近,奈良市内と明日香を訪れる機会がありました。
奈良のあちこちに奈良遷都1300年記念の垂れ幕や旗が掲げられています。
明日香では,本当に久しぶりに甘樫の丘に登り,展望台から改めて大和三山香具山 畝傍山耳成山)を一望しました。
つかの間の梅雨の晴れ間で,雨の水分を根からも葉からたっぷり吸った眼下の木々の緑が目に痛いほど鮮やかでした。
家々や送電線などの人工物を除いた風景イメージを想像すると,昔も同じ風景が丘の上から望めたのだろう。
そして,万葉集を少し嗜んでいた学生時代に,この展望台に立ったときの記憶が鮮やかに蘇ってきました。
さて,この大和三山を詠んだ万葉集の和歌に,中大兄皇子(後の天智天皇)が詠んだとされる次の有名な長歌があります。

香具山は畝傍ををしと 耳成と相争ひき 神代よりかくにあるらし 古もしかにあれこそ うつせみも妻を争ふらしき (1-13)
かぐやまは うねびををしと みみなしと あひあらそひき かむよより かくにあるらし いにしへも しかにあれこそ うつせみも つまを あらそふらしき
<<香具山は畝傍山を愛し,同じく畝傍山を愛している耳梨山と争ったそうだよ。神代から争っていたらしいよ。昔からずっとそうだった。だから,今の人も妻にしようと争うこともあるんだって>>

畝傍山が女性で,香具山と耳成山が畝傍山を妻にすべく争ったふたりの男性というのが通説のようです。
この長歌は本当に中大兄皇子が詠んだのかという疑問は残りますが,今昔にかかわらず異性をめぐる三角関係で争いが起こるのは常だったように感じさせる簡潔な長歌です。
人間も生物である以上,強い遺伝子を残すため,異性をめぐって争う傾向が本能として備わっていても不思議ではありません。
実は,この背景に中大兄皇子と大海人皇子(後の天武天皇)は額田王をどちらの妻とするかで争ったのではないかという逸話があるといいます。
この大和三山の歌は,額田王をめぐって両兄弟の争いを心配した周囲に対して,中大兄皇子が詠んだ歌としたのかも知れません。
「そんな争いは昔からあり,珍しいことではないよ」と。

香具山と耳成山とあひし時立ちて見に来し印南国原(1-14)
かぐやまと みみなしやまと あひしとき たちてみにこし いなみくにはら
<<香具山と耳成山が争ったとき,(出雲の阿菩大神が)仲裁のために見に来たのが印南国原という地だ>>

印南国原は今の兵庫県の旧印南郡とされ,加古川流域の平野を指しているようです。
中大兄皇子がこの長歌と反歌を詠んでいると設定されている場所は,印南国原付近の港なのでしょう。
香具山と耳成山との争いは仲裁のために阿菩大神出雲から明日香に行く途中(印南国原)で争いがなくなったとの報を聞き,ここで帰ってしまったという言い伝えがあったそうです。
中大兄皇子は大海人皇子の不仲を気にする周囲に対して,逸話を例えに「そんなことを気にするな!これから領土平定・拡大への船出だ!」と鼓舞したかったのかもしれませんね。

万葉集は,いわゆる「大化の改新」,そして後の「壬申の乱」など,次々起こる権力闘争を背景とし,その中で起こる異性をめぐる争いを隠喩的(メタフォリカル)に表現した和歌が結構あるように感じます。
争ふ(2)に続く。

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