2009年10月18日日曜日

万葉集で難読漢字を紐解く(な~)

難読漢字シリーズ前回一回お休でしたが,再開し「な」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除きます)。

乍ら(ながら)…そのまま~として。~のままで。~つつ。
水葱(なぎ)…ミズアオイの古名。
和ぐ(なぐ)…穏やかになる。風や波が静まる。
余波(なごり)…風がおさまってもなおしばらく波の立っていること。波が退いた後に残る泡や海藻。
夏麻(なつそ)…夏,麻畑から取った麻。
泥む(なづむ)…行き悩む。離れずからみつく。悩み苦しむ。
棗(なつめ)…ナツメの木,その実。
莫告藻、神馬藻(なのりそ)…ホンダワラの古称。
靡く(なびく)…風・水などに押されて横に伏す。他人の威力・意志などに従う。魅力にひかれて心を移す。従わせる。
鱠(なます)…魚貝、獣などの肉を細かく切ったもの。
均す、平す(ならす)…平らにする。
生業(なりはひ)…五穀が生るように務める業。農作。生産の業。作物。

梨棗黍に粟つぎ延ふ葛の後も逢はむと葵花咲く(16-3834)
なしなつめ きみにあはつぎ はふくずの のちもあはむと あふひはなさく
<<梨・棗・黍(君)に粟(逢)いたい。は(逢)う葛の蔓のように また後で葵(逢)えると花が咲くようだ>>

この詠み人知らずの和歌は,キビを君,アワを逢う,述ふを逢う,アオイを逢うと掛けてコミカルに自分の逢いたい気持ちを表していると私は感じました。
私は,この和歌を始めて見たとき,往年の映画スターで歌手の小林旭が1964年(東京オリンピックの年)に歌った「自動車ショー歌」を思い浮かべました。これは,日本語に外車,日本車の車名,メーカー名を当てはめ男女の仲をコミカルに歌ったものです。
例えば,彼女に「日参(ニッサン)する」,「肘鉄食らう(クラウン)」,「ケロッ(キャロル)と忘れる」,「大好き(オースチン)」,「昼間(ヒルマン)から」などです。

天の川『たびとはん。ようこんな古い歌謡曲知ってはんな~。』

天の川君,興味あれば「YouTube」などで全部を聞いてくれたまえ。

さて,この「自動車ショー歌」の替え歌やカクテル版などパロディーものがその後何曲か出ています。
この詠み人知らずの和歌も,その後に植物の名前の別バージョン,動物や人の名前の替え歌などを後世の人は詠ったのかも知れませんね。
この他にもこういうさまざまな名称が盛り込まれた和歌が万葉集にはあります。万葉集がなかったら,後世消えて無くなってしまうか,意味不詳となった言葉がたくさん出たのではないかと思います。
<デジタル技術の急速な発展と万葉集>
ところで,現代ではデジタル技術の急速な発展によって,膨大な情報をすべて記録に残すことが容易にできるようになりました。例えば,今1テラ(兆)バイト(半角英数字1字)のハードディスクが1万円前後で手に入ります。後2~3年で4テラバイトまたは8テラバイトのハードディスクが数万円で手に入るのは間違いないでしょう。8テラバイトというデータ容量は,全世界の人口を仮に100億人とすると,全世界すべての人の名前,性別,生年月日,血液型,住所,連絡先,学歴,職業などの情報を十分格納できる容量です。
しかし,誰にとっても価値ない情報,使われない情報,有害な情報はいくら記録として残しても意味はありません。記録に残すことが容易になった現在一体何を将来に残すのか。万葉集にそのヒントが含まれているように考えるのは私だけでしょうか。

万葉集の編者が,奈良時代にどんな価値観で万葉集に残す和歌を選んだのか。これまでに何度かここで書いていますが,これは万葉集に対する私のもっとも興味を持つテーマです。
たとえば,万葉集の編者が残したかったのはいわゆる優れた和歌という価値観だけではなく,実はここで示した和歌のように,やまと言葉を残したいという価値観も強くあったのではないか。この仮説を検証することもそのテーマに含まれます。 (「に」で始まる難読漢字に続く)

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