2009年10月12日月曜日

投稿50回記念-社会システムの激変・万葉時代と今の時代

今年2月にこのブログを始めて以来,今回で50回目の投稿です。何とか,目標の週1回以上のペースで投稿でき,内容はともかく,満足をしています。
今回は,50回の節目として万葉集から万葉時代にあった社会システムの激変を想像し,今の社会システムの激変について私なりに考えて見てみました。

1.万葉時代の急速な社会システムの変革
日本初の女性天皇推古天皇の時代(6世紀末~7世紀初め),当時の諸外国に負けない近代的な国家にするため,中国の律令制導入を国家として本格的に検討し始めたようです。中国からさまざまな制度や思想を学びとるため,遣隋使が何度か派遣されました。また,多くの渡来人も移住してきて,それまでの島国にはない新しい技術・文化・言葉(外来語)・宗教・思想・慣習などが急速に入ってきたようです。その成果は聖徳太子(厩戸皇子らによってまとめられたと言われています。
その後,遣唐使の継続的な派遣,いわゆる大化の改新天智天皇近江令壬申の乱を経て天武天皇が推進した飛鳥浄御原令,そして平城京遷都の少し前(701年)に完成した大宝律令で日本の律令制度は頂点に達したと私は想像します。
飛鳥時代から天平時代に至る万葉時代は,当時としては近代的な律令制度が整備され,その強力な実施によって,それまでの日本の仕組みが大きく変わった時代だったと私は考えます。実は,この間約100年ですが,当時の時の流れや伝達の速度が今に比べ何倍もゆったりだったのを考えれば,律令制度導入は非常に急激な変革だったのです。
こういった新しい社会システムを急速に導入するには,従来の社会システムによって長年培われてきた仕組み(地方の豪族がそれぞれの地域を守っていた非中央集権国家)を破壊することが最初に求められます。
従来の社会システムのメリット(良い面)の中に無くなってしまうものが多数出てきます。
一方,新しい社会システムの効果(工業技術や商業の発展,農業の効率化などによるマクロ経済の拡大を経て,富の再配分による民衆の豊かさの実感など)が現れてくるのに一定のタイムラグが必要です。また,その効果は現れても極一部の人たちだけのものである状態が長く続きます。そのため,庶民を中心とした多くの人たちが長い間新しい社会システム導入の影の部分にに戸惑い,苦しむのです。
権力闘争,身分社会,富の集中,貧富の格差拡大,規則に縛られた不自由な社会,重課税負担,徴兵などで大半の人々は塗炭の苦しみを味わった。万葉集の時代はまさにそんな時代だったと私は考えます。

2.現代の急速な社会システムの変革
現代は地球規模で,今までの歴史の中でもっとも急激に社会システムが変わろうとしていると私は感じます。その激変をもたらしている要因はいわゆるIT化です。コンピュータによる今までにない超効率的な社会を目指して,各国や各企業は血眼になってIT化を推進(研究開発)しています。しかし,それができるのは極限られた国(一応日本も含まれますが)だけです。多くの国はIT化に後れをとっています。IT化が進んでいる国とそうでない国との国力の格差は開く一方なのです。
例えば,IT化先進国のファンド会社は,巨額の年金資金(今まで儲けてきたお金)を原資にIT(金融工学)を駆使した金融商品の取引きでさらに巨額の利益を上げようとしました。その利益(①)はいったいどこからくるのでしょう。それは国(国債)や企業(社債,株式,その他証券)の信用からです。信用とは将来一定の利益(②)を産み出すだろうという予測です。金融商品の取引はその信用を先取りして利益(①)を得る行為です。当然,利益(②)は思惑通りに得られるとは限りません。昨年のサブプライムローン破たんのように利益ではなく大きな損失を被ることがあり得ます。
実は利益の①と②はまったく性質の異なるものです。②はモノ(農作物,製造物,ソフトウェア等)を作るときや価値を付加するときの売価とコストの差です。金融商品は,生産現場で②の利益が将来出ることを見越して投資します。投資された側(経営者)は,より利益を出して投資家に株式の配当,分割,さらなる信用増大による株の値上がりで還元し,次の投資を呼び込もうとします。
しかし,その利益は,途上国の貧困貧富の格差によりもたらされる部分が少なくないと私は感じています。貧しい国や人がいることによって,極めて低賃金や劣悪環境で生産が使え,コストが抑えられる。そのコスト低減で利益が出て,金を持っているが何も生産しない人に利益を還元していることになります。
端的にいうと金融商品で中長期に大きな利益が出せるのは,貧しい生活を強いられている人たちの存在によって成り立っていると私は考えるのです。
今サブプライムローンで信用力を失った企業は,さらにコストを下げるために社内のリストラを行い,そしてさらにはより貧しい国での生産や価格が低い輸入を模索しています。

3.万葉時代と現代の類似点
万葉時代は,律令制度側が,その立場を盤石にするため,貧しい人たちにさらに追い打ちを掛けるように重税を課した(天平文化はそのおかげで開花?)。また,朝鮮半島や蝦夷地からの防衛のため,やみくもに軍事費に莫大な金を掛け,多くの農民を強制的に防人として九州に,蝦夷征伐にとして東国に兵力を配置したと私は考えます。
一方,現代は地球全体規模で,(IT化による)新しい社会システムの変革が行われようとしています。その変革によって,大きく勢力を伸ばしている国々の主導権争いが,今後ますます激しくなるでしょう。ちょうど,飛鳥時代から天平時代にかけての氏間の権力争いのようにです。また,IT化の主導権争いによって,IT化に取り残された人たち(国)の中に翻弄され,犠牲になる国や人々がこれから地球規模でもっと起こるような気がします。
歴史の大きな変化(流れ)を逆廻りさせることはできません。もしかしたら,今の激変の流れは地球規模の中央集権化が達成されるまで続くのかも知れません。かといって,大きな流れを推進する側の視点だけの記録しか残らないとすると,犠牲になった人たちは救われません。

4.万葉集の独自性
こんな時代だからこそ,私は万葉集を編纂した人たちに共感を感じます。万葉集が当時の最大権力者(藤原氏)にとって反逆書として扱われ,編纂者が処罰を受けるかもしれないという相当なリスク覚悟で編纂されたのだろうと私は想像します。
新しい社会システムを導入する側は,その影の部分を隠そうとするだけでなく,歴史書(日本書紀,古事記等)の記述も自らの正当化のため偏らせることも考えられます。本当は,苦しめられる側の歴史書があって公平性が保たれるはずですが,そういう苦しい立場の人たちは歴史書を編纂するお金も能力も持ち合わせていません。どうしても記録書として歴史に残るものには,当時の為政者側(勝ち組)を正当化する偏った資料になってしまうと私は考えます。
ところが,万葉集の防人の歌東歌の中に「敵(朝鮮半島,蝦夷)が攻めてきたら撃退してやるぞ!」という勇ましいものはありません。為政者側が自分たちを正当化するのであれば「国のために頑張るぞ!」という歌がもう少し選ばれてもよさそうです。
もちろん万葉集には為政者の象徴である天皇礼賛の和歌は確かに多くあります。ただ,律令制度の推進者としてではないように思います。逆に,律令制度が導入される前,地方豪族の長としての天皇中心でもっと平和だった(権力闘争による犠牲者はこんなにひどくなかった)という懐かしみを込めた視点と私には感じられるのです。

5.このブログのこれから
さて,一市民である私は,この時代の変革の流れに対して,具体的に何もできないかもしれません。ただ,IT業界にいるものの一人として,これからこのブログで万葉集を通しつつも,今の新しい社会システムの変革がもたらすデメリットの部分についても積極的に発信し,記録に残していこうと考えています。

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