2009年10月5日月曜日

万葉集で難読漢字を紐解く(と~)

引き続き,「と」で始まる難読漢字を万葉集に出てくることばで拾ってみました(地名は除きます)。

栂(とが)…ツガ(植物)と同意。
咎む(とがむ)…取り立てて言う。責める。非難する。
非時香菓(ときじくのかくのこのみ)…橘(タチバナ)の古称。
常磐(ときは)…常に変わらない岩。永久不変なこと。常緑であること。
鳥座(とぐら)…鳥のねぐら。
常滑(とこなめ)…岩にいつも生えている水苔。水苔でいつも滑らかな岩床。
常処女(とこをとめ)…とこしえに若い女。いつも変らぬ若々しい少女。
刀自(とじ)…家事をつかさどる女性。
離宮(とつのみや)…離宮(りきゅう)、外宮(げくう)。
舎人(とねり)…下級官人。
侍宿,宿直(とのゐ)…宮中・役所などに泊まり込みで勤務・警戒すること。
鳥総(とぶさ)…きこりが木を切った時、伐った梢をその株に立てて山神を祭ったもの。
跡見(とみ)…鳥獣が通った跡を見て獲物の居場所を考えること。
尋む(とむ)…たずねる。たずね求める。
艫(とも)…船の最後尾。
鞆(とも)…弓を射る時に,左手内側につけ,弦が釧などに触れるのを防ぐ丸い皮製の具。
乏し、羨し(ともし)…めずらしくて心が引かれる。
響む(とよむ)…鳴り響く、鳴り渡る。
撓らふ(とよらふ)…揺れ動く。揺れる。

この中から,非時香菓(ときじくのかくのこのみ),常磐(ときは)が出てくる大伴家持が越中で詠んだ長歌(18-4111)を紹介します。
長歌は長いので,ストーリとこの言葉が引用されている前後を紹介することにとどめます。
<長歌ストーリ>
天皇が神であった時代,田道間守(たぢまもり)という人が,常世の国に渡り,いつも芳しい香りがする木の実(橘)をお持ち帰られ,日本の国狭しと生え栄えている。
春には新芽が萌え,花が咲く夏にはその花を娘たちにプレゼントし,娘たちは花が枯れるまでその香りを満喫する。こぼれ落ちた若い実は玉として紐を通して手首に巻いても飽きない。秋の冷たい時雨の時にも黄色に熟した橘の実は明るく見える。冬になっても,葉は枯れず緑のままで盛んに繁っている。そのため,橘のことをいつも芳しい香りがする木の実と名付けなさったに違いない。
<言葉の引用箇所>

八桙持ち参ゐ出来し時 非時香菓を 畏くも残したまへれ
<~やほこもちまゐでこしとき ときじくのかくのこのみを かしこくものこしたまへれ~>
<<~多くの矛持って天皇に参上なさった時,いつも芳しい香がする実がなる木(橘)をお遺しになったので~>>

霜置けどもその葉も枯れず 常磐なすいや栄生えに
<~しもおけどそのはもかれず ときはなすいやさかはえに~>
<<~霜が降りてもその葉は枯れることはなく,常に緑で何と盛んに生えている状態で~>>

この橘を 非時香菓と 名付けけらしも
<~このたちばなを ときじくのかくのこのみと なづけけらしも
<<~この橘の実を「いつも芳しい香りのする木の実」とお名づけになったに違いない>>

この長歌の後,家持は次の短歌を詠んでいます。

橘は花にも実にも見つれども いや時じくになほし見が欲し(18-4412)
たちばなははなにもみにもみつれども いやときじくになほしみがほし
<<橘は花も実も見ているが、いよいよいつまでも見ていたいものだ>>

天皇家の親族である葛城王が母の縣犬養三千代の姓(元明天皇から授かった)である橘氏を名乗り(天平8年:736年),葛城王自身も橘諸兄と改名しました。ここから奈良時代から平安中期まで名家といわれた橘氏が始まったようです(諸兄は後に正一位,左大臣まで昇進)。
家持が詠んだこの和歌二首は,親交が厚かったといわれている橘諸兄に橘氏の名乗りを受け「橘の和歌」と題して送ったのかも知れません。
この和歌のどこにも明確には書いていませんが「橘氏と末永くこれまで以上にお付き合いをしたい」というメッセージが込められているようにも取れそうです。
藤原氏の権力集中を思わしく考えていなかった家持が諸兄に接近するのは当然なのですが,その接近が後に藤原氏仲麻呂)の標的になったかもしれません(諸兄の息子が起こした橘奈良麻呂の乱で関係の深い大伴池主が連座)。

しかし,そういった生臭い政争の歴史を背景にこの和歌を解釈するのではなく,純粋に和歌として解釈するとまた違った見方ができるのではないでしょうか。
すなわち,この和歌は橘を丁寧に解説しているという見方です。
この和歌から当時の橘について分かることは,「非時香菓」という古称がある,他国から持ち込まれという言い伝えがある,日本のあちこちに繁茂している,花は可憐で香が良く娘たちに人気がある,小さな実は瑞々しい緑から鮮やかな黄色に熟する,いつも青々とした常緑樹,いつ見ても飽きない風情があるなど。
まるで橘の苗を売っている業者のパンフレットのような和歌ですね。

私は,このブログ開始にあたって「万葉集が大和ことばの用例提示や解説を目的で編纂されたのかも知れない」と書いたのは,この和歌のようにさまざまなことば(動植物の名前,地名,一般名詞,冠位,動詞,形容詞,感嘆詞など)の使い方や解説を含んだ和歌がたくさん出てくるからなのです。
家持が越中赴任時にこの和歌を作った当時の目的は政治的なものも含まれていたかもしれません。しかし,家持が晩年万葉集を編纂する際にこの和歌を選んだ理由は別(橘という木はどんなものかの紹介?)だったと私は思うのです。(次回難読シリーズは休み。投稿50回記念特集の予定)

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