2009年6月10日水曜日

枕詞は記憶のための道具か?-その3

5.難しい枕詞「ひさかたの」に挑戦
万葉集の枕詞の中で,私が特に興味を持つものに「ひさかた(久方)の」があります。万葉集に50首ほど出てきます。枕詞の中では,メジャーなもののひとつです。私の「枕詞は和歌を記憶しておくためにある」という仮説が正しいとすると,「久方」は当時ポピュラーな言葉でないといけません。
「久方の」に続く言葉は,万葉集では天,雨がほとんどです。少しですが,月,夜,都を従えている例もあります。
余り若い人は使わないかもしれませんが,「久方ぶりにお会いしましたね」という用例は,現代でも普通に使われています。
「久方の」(ように)と「ように」を補足すると「久方」は長い時間,すなわちいつまでもという意味に取れます。
当時は,「久方」は,このような長い時を意味する言葉として普通に使われていたのではないかと想像します。
天,雨,月は昔から(長くいつも)天上にあるという意味で,連想するイメージ(枕詞)として「久方の」は何とか説明が付きそうです。
また,都は国の最上位に位置する都市です。そして,夜は「天の一姿」と考えると「久方の」は,それらを連想させる枕詞としてふさわしいのかも知れません。
その後,古今和歌集などにも枕詞として使われつづけました。広辞苑よると万葉集での使われ方以外に,「雪」「雲」「霞」「星」「桂」「鏡」「光」にかかるとあります。万葉集より後に詠まれた和歌でも,よく使われた枕詞のようです。

次は紀友則の百人一首(古今和歌集巻二)に出てくる有名な短歌です。

久方のひかりのどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ
<<光が穏やかにふりそそぐ春の日に どうして落ち着ついた心を失って花は散ってしまうのかな(そんなに急いで散らないでほしい)>>

6.枕詞のまとめ
ここまで述べてきたように,枕詞を和歌の特殊で技巧に走った修飾語とは私は思いません。
枕詞を何か特別な信仰を背景したものとか,神秘的な意味を持つ言葉と捉えるのではなく,文字のない世界では記憶に留めやすいことが最も優先されたと考えるべきだと思います。
その有効な方法として枕詞が活用されたのです。
平安時代かな文字が利用されるようになってから詠まれた和歌(古今集,新古今集,伊勢物語,源氏物語などに現れる和歌)は,書き残せ,いつでも読み返せることを前提に作られました。
その結果,無理に人の記憶に頼る必要性がなくなり,それにつれて枕詞は徐々に廃れ,枕詞の代わりにより多くの情報を短歌の中に入れるようになったのではないでしょうか。

7.余談
私はちょっと前に考えていた内容をすっかり忘れてまったり,モノをどこに置いたか後から思い出せないことが,最近少し多くなってきたようです。
でも,そんなときは焦らず,それを考えていた時間の少し前に何を考えていたか思い出そうとします。それが思い出せたら,その次何を考えようとしたかその動機を思い出します。そうこうしているうちに「あっそうだ!○○のことを考えいたんだ!」と思いだせることがよくあります。枕詞に続く言葉が出てくるようにですね。
また,モノをどこに置いたか思い出せないときは,まずどこをどう歩いたかを思い出します。そして,その通り歩いてみると,その目の方向に置いていたことが分かることが大半です。
そんなことをして何とか思い出せると,自分の記憶力はまだ大丈夫だろうと少し安心できます。すなわち,すぐ思い出せないだけで,忘れてしまった訳ではないからです。
といっても,自分に都合の悪いことはすぐ忘れてしまうと周りによく言われる忘れやすさは一向に直りませんね。(枕詞シリーズ終り)

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