2009年6月4日木曜日

枕詞は記憶のための道具か?-その2

3.人間は連想記憶で思い出す?
2世代ほど前,人工知能(AI)というキーワードが流行りました。
その基礎理論の一つとしてニューラルネットワークというとてつもなく難しい名前の理論がもてはやされたのです。
基本原理は人間の神経回路を模したモデルのようです。私はIT系技術者といっても,その道の専門家ではないので言葉が合っているかどうか不安ですが,その理論の中で確か「連想記憶」というキーワードが出てきます。
また,以前テレビ等で,訓練により超人的な記憶力を持った人が何度か紹介されたことがありました。
その人たちの記憶術の多くは,言葉の出てくる順序を自分がいつでもイメージできるものを想定し,そのイメージの自然な流れに従い対応付ける。言葉を取りだす時はイメージのある部分を「連想」することで対応付けた言葉を,正確な順序で導き出す(思い出す)といったことを頭の中で行っていると聞いたことがあります。
人間の脳の記憶は,コンピュータのメモリ(消去されると元に戻らない)とは異なり,いったん忘れても,関連した情報から「連想」により思い出せる(取りだせる)能力を持っているようです。

4.枕詞は連想記憶のイメージ
さて,長い間横道にそれていましたが,ようやく本題の万葉集にける枕詞に戻ります。
枕詞は,その後に続く言葉を連想しやすいように考えられた修飾語だと私は思います。
そのため,当時誰でもイメージしやすい単語やその組み合わせが枕詞に選ばれたのでしょう。

例えば,「なつくづ(夏葛)の」は「絶えぬ」を導きます。
蔦類である葛は,夏季の成長が手をつけられないほど早く,農地や果樹を荒らす害のある植物と言われたほど成長力がたくましい植物です。今は,葛の木を見つけるのが簡単ではありませんが,万葉時代はどこにでもある非常にポピュラーな植物だったと思われます。まさに「絶えまなく」を導く言葉として「夏葛の」はふさわしい枕詞かも知れないですね。

動詞形の枕詞の例では「ふせやた(伏屋焚)き」は「すす」を導きます。
平屋の粗末な家で薪を焚くとすぐ天井や梁などあちこちにすすが溜まる。これも当時としては常識だったのだと思います。

面白いと感じる枕詞に「にはたづみ(潦)」があります。
これは,「川」「流る」「行方も知らず」にかかる枕詞です。路上や庭にたまった水を意味します。雨の多い日本においては,日常的な風景です。これを見て,この水はどこへ流れるのか,どの川に入って流れていくのか,当時の人は気になったのだろうと思います。また,地中にしみ込んだり,乾燥してなくなって行く水溜りの姿を見て,「行方も知らず」を連想させるのかも知れません。

このように,枕詞はイメージを頭の中に描かせ,そのイメージから連想する言葉を記憶させるという手法で,和歌を忘れ難くする効果があったのでないかと私は推測します。
すなわち,<枕詞+「ような」+連想する言葉> をセットにしてイメージとして覚えるのです。このように,間に「ような」を入れるとより効果が分かりやすいのではないでしょうか。
特に,長歌において枕詞が多用されるのは,枕詞と組み合わせた7文字の言葉をこのセットにして次々と思い起すことができる。その結果,非常に長い長歌でも間違いなく同じ内容を記憶から取り出せるようなったと推察します。
その後,文字文化が花ひらくとともに枕詞に頼る長歌が廃れる要因なったのかもしれません。
さて,
  寅さんの(ような)⇒四角い顔を
  御老侯の(ような)⇒ワンパターンで
  生き返る(ような)⇒涼風が吹き
など,現代語でもこの「寅さんの」「御老侯の」「生き返る」は枕詞のような使い方なのかもしれませんね。
それにしても,この例は若い人に分かるかどうか心配です。御老候は水戸光圀のドラマを連想します。最後はお決まりのパターンですよね。
おっと,これを読んでるあなた。無理に分からないような素振りをしなくても良いですよ。(その3に続く)

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