2010年7月2日金曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…染む(3:まとめ)

前回触れた壱岐の麦焼酎「天の川」を先週土曜の昼頃インターネットで注文したら,何と翌日曜の夜に届きました。本当に便利な時代になりましたね。
天の川君が寝ている間に,早速口を開けて,私が普通焼酎を飲むときの飲み方(ロック)で飲みました。
非常にまろやかで,芳醇さを感じる焼酎です。天の川君の性格と正反対かな。
ちょっと,今まで飲んだ麦焼酎とは違う,奥深い味わいで,買って良かったと思います。
後日,水割り,お湯割り,ストレートでも味わいました。
それぞれ異なる良い味わいを感じましたが,やはり私にはロックが一番合いました。
さて,「染む」の最終回として,万葉集から次の短歌を紹介します。

浅緑染め懸けたりと見るまでに春の柳は萌えにけるかも(10-1847)
あさみどり そめかけたりと みるまでに はるのやなぎは もえにけるかも
<<浅緑に染めた糸を掛けたように春の柳が芽吹いています>>


      
この詠み人知らずの短歌は,ネコヤナギの花穂の毛を見て詠んだのではないかと私は思います。
猫の毛を思わせる花穂の毛の色はまさに薄緑に染めた糸でできたように見えたのではないでしょうか。

         出典:草花写真館(本館)のWebページ
「染む」は「初む」と同じ発音でもあり,何かの変化が始まる初期段階のイメージを持つかもしれません。
ただ,虜になるという強い完結した表現にも使われます。
さまざまな「染む」を詠みこんだ和歌が万葉集にあることを見ると,当時の染色は同じ色でも濃く染めたり,薄く染めたりする技術が当然のように確立され,さらに濃淡をアレンジして現代でいう「グラデーション」を表す染色技術もあったとさえ想像できます。
当時の染色技術者は,自然界の色の美しさや繊細さを染めものに表現しようと必死になって試行錯誤(研究)を繰り返していたのではないでしょうか。
また,万葉歌人の中には,色彩に関する豊かな感性を十分持っていた人々がいたと私には思えてなりません。
<現代人は割と画一的?>
いっぽう現代人はいろんな考えや価値観の情報,周りの人の行動などに影響されて(振り回されて),結局は割と画一的な考えに染まっているのではないでしょうか。
もう少し,自然の変化を意識して見て,その変化と日常生活との共通点を生活のリズムに取り入れてみたらどうかなと私は思います。
たとえば,今梅雨の真っ只中ですが,雷が鳴るようになったのでそろそろ梅雨も末期かもしれないと考えてみる。そうすると梅雨は結構早く明けるかもしれず,酷暑の可能性さえある。今のうちにエアコンを買うなど暑さ対策を早めにしよう。早めに夏山登山計画でもしようとか考えるのも面白いかもしれません。
<事前の変化にもう少し敏感になっては?>
私の近所の幹線道路には街路樹として百日紅(サルスベリ)が一定間隔で植えられています。今年も一部の木から咲き始めました。
これから赤,紫,白の百日紅の花が次々と咲いて,街路を美しく染めていくことを想像すると,本格的な夏を待ち遠しく感じてしまいます。
また,近所の裏道の道沿いで割と日陰になりやすい箇所には,ドクダミの小さな群生地があります。可愛らしい白い花が緑の(葉の)布地iにあちこち白く染め抜かれたように咲いています。

天の川君,我が家の初鰹(この夏初めて食べる)のタタキでも肴に焼酎「天の川」を一緒に呑もうか。

天の川 「ZZZ…Z」

あ~!!。半分以上残してあったボトルを天の川に全部呑まれてしまった。天の川のヤツ,も~許さん! 争ふ(1)に続く。

2010年6月26日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…染む(2)

「染む」には影響するとか感化するといった意味もあります。
この場合の読みは「そむ」だけでなく「しむ」と読む場合があります。英語の同義語ではinfectが近いかもしれません。
1986年(昭和61年)にテレサ・テン(鄧麗君)が唄って大ヒットした「時の流れに身をまかせ」の歌詞(作詞:三木たかし)の中に

♪時の流れに身をまかせ あなたの色に染められ

というフレーズがあります。この「色に染められ」に私は日本語の奥深さを感じます。
「染められ」のイメージは穏やかな感じですが,よく考えると実は「大好きなあなたの虜(とりこ)になって」というくらいの強い感じさえ与えます。
さらに,「色」を「心」の反対語として「からだ」の意味にするともっときわどい意味を感じさせてしまいそうですね。

万葉集にも虜になるという意味で「染む」が使われている有名な短歌があります。

なかなかに人とあらずは酒壷になりにてしかも酒に染みなむ(3-343)
なかなかに ひととあらずは さかつぼに なりにてしかも さけにしみなむ
<<いっそのこと人間ではなく酒壷なってしまいたい。そうすればいつも酒と一緒に居られるから>>

これは大伴旅人の酒を讃(ほ)める歌13首のなかの1首です。
酒が好きで酒の虜になっていた旅人の気持ちを思い切った表現で書いています。
当時,公の場での飲酒を禁ずる令が何度も出されていたそうです。
でも,好きな酒とはいつも一緒にいたい旅人は,大宰府の長官という立場を超えて「いっそ酒壷になりたい」という大胆な表現を使い詠んでいることに私は愛着を感じてしまいます。

私自身,さほど多く飲みませんが,酒(アルコール飲料)は嫌いな方ではありません。
以前は割とビール派でした。でも最近は出された料理やそのときの季節や飲み仲間に応じて何でも嗜むようになりました。
日本酒,ビール系,ワイン,ウィスキー,焼酎,老酒,白酒(バイチュウ),カクテルなどです。

天の川 「たびとは~ん。壱岐にある天の川酒造の麦焼酎『天の川』が飲みたいなあ~。今度壱岐に連れってくれへんか?」

天の川君,交通費が大変だよ。また,道中,しゃべってばかりで君はやかましいからね。今インターネットで注文したよ。次回は君ではなく焼酎「天の川」を飲んだ感想でも書きますか。
染む(3;まとめ)に続く。

2010年6月20日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…染む(1)

今回から「染む」について万葉集を見ていきます。
万葉集では「染める」という意味の「染む」とその名詞形などが出てくる和歌は20首余りあります。
当時,朝鮮半島などから高度な染色技術が次々導入され,また国内でも染色技術が高度化していったと私は思います。その結果,万葉時代の都人が着る衣服がどんどんカラフルになっていったのだろうと想像できます。
これら20首余りの和歌には,染める色が何種類か出てきます。(くれない),(むらさき),(ふじ)色,(もも)色,浅緑(あさみどり),(き)色などです。
その中でも紅が一番多く,好んで詠まれていたようです。
紅とはベニバナから取れる染料で染めた色を指し,当時はベニバナで紅に染めた衣服を身につけることがもっともファッショナブルだったのかもしれません。
人々は色に対する感性が洗練され,次の短歌のように紅の染め色の濃さ,薄さまでもファッションの一要素だったようです。

紅の濃染めの衣を下に着ば人の見らくににほひ出でむかも(11-2828)
<くれなゐの こそめのきぬを したにきば ひとのみらくに にほひいでむかも
<<色濃く染めた紅の衣を下着として着たが、他人が見て紅色が透けて見えはしないだろうか>>

この詠み人知らずの短歌は,相手に対する気持ちの強さを紅の染め色の濃さに譬えています。他人に気づかれないように相手への思いを隠そうとするが,濃く染めた下着の色が上着から透けて見えそうになるように,表に出て気づかれてしまうかもしれない。相手に対して,恋する思いがそれほど強いことを伝えようとしている短歌だと私は思います。

紅の薄染め衣浅らかに相見し人に恋ふるころかも (12-2966)
くれなゐの うすそめころも あさらかに あひみしひとに こふるころかも
<<これまで薄く染めた紅の衣のようにそれほどあなたを意識せず見ていたのですが,今はあなたに恋してしまったようです>>

これも詠み人知らずの短歌ですが,最初の短歌に比べて分かりやすい内容かもしれません。ただ,ぱっと見気づかないけれどよく見ると紅の染色が薄く施されているような繊細な染色技術が当時すでに確立されていたことがこの短歌から見て取れます。この2首からは,恋する気持ちを詠んでいるようですが,最新ファッションを着ている自分を自慢しているようにも思えます。
<最新半導体工場の見学談>
さて,数年前私は仕事の関係で当時最新の半導体工場の内部見学が許されるという貴重な機会を得ました。
半導体とはコンピュータなど電子機器の制御をするマイクロコンピュータやUSBメモリなどのデジタルデータの記憶装置に使われる素子です。非常に精密な半導体の製造(1ミリの十万分の一の精度で加工が必要)は,高レベルのクリーンな空気の中で行う必要があります。まさに「塵ひとつない」との例えのような空気清浄を高度に施した環境(クリーンルーム)です。
塵の大きさは1ミリの十万分の一の大きさよりもずっと大きく,そんな塵が邪魔をするようでは精密な加工は到底できないわけです。見学のとき,私は特殊な防塵服と手袋を身にまとい,エアー洗浄を受けて中に入りました。花粉症の私にとっては中は結構快適な環境に思えましたが,空気以外にも特殊な作業環境があり,そこで作業をする人たちにとってはいろいろ苦労があるようです。
たとえば,ある製造工程では紫外線の影響を完全に排除する必要があり,紫外線を一切出さない照明の下で作業します。人は紫外線をまったく浴びないと気分が高揚しなくなる傾向があるようで,作業者の健康管理に気を使う必要があるとのことでした。
紫外線は目に見えない色(?)ですが,それでも人に影響があるくらいですから,目に見える衣の色での濃い・薄いの差が,敏感な人に与える影響は決して少なくないのかもしれませんね。
染む(2)に続く。

2010年6月13日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…添ふ(3:まとめ)

28歳になった大伴家持は越中に赴任します。
歌心のあった家持は美しく豊かな越中の地で自然,人情,美味しい食べ物を満喫し,多くの和歌を万葉集に残しました。
家持は,越中時代取り分け鷹狩りに熱中したようです。
鷹狩りは,野外で身体を使う高度な知的で人気のスポーツだったのでしょう。
鷹との相性,獲物の習性やいる場所の推測,獲物に悟られない俊敏な行動,競争相手との駆け引きなど,家持のような知的官僚が熱中しそうな要素が多々ありそうです。
そのため,越中の家持は一番お気に入りの大黒と名付けた矢形尾を持つ鷹がいなくなってしまったときの嘆きと鷹に帰ってきてほしい気持ちを詠った長歌を万葉集に残しています。

照る鏡 倭文に取り添へ 祈ひ祷みて 我が待つ時に 娘子らが 夢に告ぐらく 汝が恋ふる その秀つ鷹は 松田江の 浜行き暮らし ~(17-4011)
<~てるかがみ しつにとりそへ こひのみて あがまつときに をとめらが いめにつぐらく ながこふる そのほつたかは まつだえの はまゆきくらし~ >
<<~美しい鏡を高級な綾布に添えて鷹の帰りを神に祈って私が待つと,若い乙女たちが夢の中で私に告げた。「あなたが待ち焦がれているその優れた鷹は松田江の浜に行って暮していますよ」~>>

結局,最高の布に最高の鏡を添えて,鷹が無事帰ってくるようにと家持の願いもむなしく鷹は帰ってこなかったようです。
実は,この鷹を山田君麻呂という年配の人物が家持と一番気があっている鷹を勝手に狩に出し,逃げられてしまった。家持はこの長歌の中ほどで山田翁に対し「狂れたる 醜つ翁の」というくらい怒りをぶつけています。
また,その後の短歌で次のように山田爺の実名を挙げて,さらに一撃を加えています。

松反りしひにてあれかもさ山田の翁がその日に求めあはずけむ(17-4014)
まつがへり しひにてあれかも さやまだの をぢがそのひに もとめあはずけむ
<<ボケてしも~たか? 山田の爺さん「その日に探したけどおらん」と言っているそうだが>>

もちろん,家持は山田爺を懲らしめたりはしなかったでしょう。
家持は自分の残念な気持ちを和歌に表わすことで,気持ちの整理や切り替えをするきっかけにしたのではないでしょうか。
逆に,実名を短歌に入れるほど,山田爺と家持の関係が鷹狩りの場で気の置けない関係だろうと私は推測しています。
<また,中国出張の話>
ところで,5月下旬の中国遼寧省に出張に行った際の話をまたします。現地パートナー社員と話をしている中で,中国も少子化が進み,将来日本以上に高齢化が進むことに対する危惧を国全体が感じているようだという話が出ました。
そのためか,中国の一人っ子政策は少し緩和されているそうです。たとえば,夫婦ともに一人っ子の場合は2人まで子どもを持つことができるとか,また,小数民族は一人っ子でなくてもよいとか。
遼寧省は朝鮮族出身者も多く,私が初めて会った若手パートナー社員に朝鮮族出身者がいましたが,朝鮮族は中国では少数民族に分類されるので,一人っ子政策対象外とのことでした。
<少子高齢化で個々が分断?>
さて,今の日本では,少子化に歯止めがかからず,少ない子供に対して早いうちから子供部屋を宛がう家も多いようです。このような状況で育った人は,個人でいることを好み,いろいろな人と寄り添って(協力して)人生を生きようとしなくなる傾向にあるのかも知れません。
私は,人の心と心がもっと添いあえ,気軽に何でもお互いが言いあえる社会になるために何が必要か考え続けています。しかし,残念ながら明確な道筋に沿った良い案がなかなか思い浮かびません。
染む(1)に続く。

2010年6月6日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…添ふ(2)

「添ふ」には,人が「寄添う」という意味のほかに,モノを「添える」という意味で詠まれた万葉集の和歌があります。
次の短歌は,詠み人知らずの秋の花に寄せる相聞歌です。

秋津野の尾花刈り添へ秋萩の花を葺かさね君が仮廬に(10-2292)
<あきづのの をばなかりそへ あきはぎの はなをふかさね きみがかりほに>
<<吉野の秋津野のススキを刈って,添えた秋萩の花を葺いてさしあげましょう,あなたのお住まいに>>

恋人の家の屋根に葺かれたカヤなどが傷んでいるのを,綺麗なススキを刈って,さらに秋萩の花を添えて葺いてあげましょうと詠んだのでしょう。
もちろん,これは比喩表現で,私には「好きなあなたの心を明るく(秋萩の花),幸せに(ススキの束)してあげたいと思っていますよ」という意味と解釈します。
とても分かりやすい相聞歌かもしれませんね。
もう一つの短歌は,山上憶良が筑紫で詠んだまたは編集したと伝えられる短歌です。

大船に小舟引き添へ潜くとも志賀の荒雄に潜き逢はめやも(16-3869)
<おほぶねに をぶねひきそへ かづくとも しかのあらをに かづきあはめやも>
<<大きい船に小舟を引き添えて海に出て,地元の海人が潜ってみても,志賀島の漁師荒雄に海中で会えることができるだろうか>>

この短歌は,志賀島の漁師である荒雄という人物が対馬の防人に物資を運ぶ役目の途中,遭難して帰らぬ人になったことに対する鎮魂の短歌10首の最後に出てくる歌です。
この10首のうち7首に,この短歌のように荒雄という漁師個人の名前が出てきます。
ただ,この短歌以外の6首は「荒雄ら」となっていて,荒雄とその船員を指しているようですが,この短歌だけは荒雄個人を意味しているようです。
荒雄を捜索するのに,小舟だけで玄界灘に出るのは危険が伴うため,大船の船体に太縄で繋ぎ添わせて海原に出て,遭難したと思われる地点で小舟に海人が乗り移り,潜って捜索を試みたのかも知れません。
大船だけ出したのでは,海人が海に潜った後,摑まるところがなかったり,大船の甲板と水面を行き来するだけで体力を消耗してしまいます。

この2首に出てくる「添ふ」は,ともにあるモノに付加価値(前の短歌は「秋萩の花」,後の短歌は「小舟」)を加え(添え)ることによって,元の一つのモノでは効果が限られているものをカバーする意味を示していると思います。

ヒトは何かの課題に直面したとき,ただ一つの解決策のみを見つけようとしがちではないでしょうか。
しかし,一つの解決策のみでは,メリットのほかデメリットも出てくる可能性があります。
いくつかの解決策を組み合わせることによって,それぞれのデメリットをカバーし,またメリットを相乗させることができる可能性があります。

たとえば,ウィスキーはいくつかの樽や製法の原酒をプレンドの達人と呼ばれる人がブレンドすることで,比較的まろやかで多くの人に受け入れられる味わいの製品ができるとのことです。
いっぽう,英国スコットランドアイラ島で製造されるシングルモルトウィスキーのように非常に個性的な味わいのものも作られ販売されていますが,日常的に水割りやハイボールとして飲む一般的なウィスキーの風味と大きく異なります。

別の例の話をします。
何かの目標に向かって進むチームやグループのリーダーは,同じ経験,考え,能力の人だけによる構成の方が管理が楽と思うようです。そのため,同じような人ばかり集めるか,各メンバーに同じ考え方や能力を発揮することを強制しがちです。
ただ,その場合,人数分の成果を達成するのが最大効果だが,異なる経験,考え方,能力を持つ人が加わっていると,結果として大きな相乗効果を発揮する場合があるといわれています。
本当に優秀なリーダーは,異なる経験,考え方,能力のメンバーの適材適所を考え,チームやグループとしてさらに大きな能力を発揮できるメンバー配置の能力に長けていると私は思います。ウィスキーのブレンドの達人のように。

天の川 「たびとはん。僕がたびとはんに添うことで相乗効果は抜群やろ?」

そのうち,天の川君にブレンドも失敗することが多々あることを教えないとね。 添ふ(3:まとめ)に続く。

2010年5月30日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…添ふ(1)

今回から「添ふ」について万葉集を見ていきます。
側近くに寄る,夫婦として共に暮らすという意味の「添ふ」は,万葉集ではかなり定型的な表現で使われているようです。
その表現とは「身に添ふ」,またはその修飾表現です(例:「身に取り添ふ」「身に佩(は)き添ふ」)。また,次の東歌のように「剣大刀」という枕詞が前に付く定型表現もいくつか使われています。

剣大刀身に添ふ妹を取り見がね音をぞ泣きつる手児にあらなくに(14-3485)
つるぎたち みにそふいもを とりみがね ねをぞなきつる てごにあらなくに
<<いつも一緒だったおめえを俺のものにできなくてよ~,俺は大声を出して泣いちまったぜ。小っちぇ~餓鬼っちょでもないのによ~>>

ちょっと雰囲気を出しすぎて標準的な訳でなくなったかも知れませんが,東歌ということでご容赦ください。

天の川 「たびとはん。この短歌を次の訳にしたらどうやろ?」
<<いつも一緒やったあんたをわてのものにでけへんかったさかい大声できつ~泣けよった。小っこい坊主ちゃうのになあ~>>

天の川君,悪いけどこれでは完全に(関東の)東歌の雰囲気は壊れてしまうね。変な突っ込みは無視して話を続けます。
剣や大刀の本体(刃の部分)は「鞘(さや)」や「柄(つか)」に対して「身」と呼ぶことから「剣太刀」は「身」などに掛かる枕詞と考えられているようです。
また,剣や大刀は腰に直接着ける(差す)ため,「剣大刀」の枕詞が付いた「身に添ふ」は本当に近くに寄添う状況をイメージしているのだと私は想像します。
この東歌は「身に添ふ妹」と夫婦になれなかった悔しさを見事に表現していると私は捉えています。
<私の中国出張の経験>
ところで,私は先週5日間ほど会社の出張で中国遼寧省へ行ってきました。
中国のパートナー会社と新規IT関連プロジェクトの打合せのためです。
今まで過去4回ほどそれぞれのプロジェクト連携で訪問しているのですが,今回4年ぶりの訪問で以前一緒にプロジェクトをやった技術者との久しぶりの再会を喜びあうことができました。
再会した人たちは,前回訪問時以降一往に昇進し,中には前回以降結婚し子供ができた人もいました。もちろん初めて連携プロジェクト参加する数多くの初対面の技術者とも仲良くなれたことも収穫の一つです。
訪問時の挨拶では,私はいつも「1千数百年以上前から私たち日本人は中国からものすごくたくさんのことを教えて頂いてきた。今回のプロジェクトは困難なプロジェクトだけれども,お互いの強みや特徴ある知恵を出し合って見事乗り切ろう」との内容を入れることにしています。
<お互い寄り添って考える>
プロジェクトの重要成功要因は,メンバーが如何に近い(添う)気持ちで何でも言える関係になれるかが一つのポイントだと私は考えています。今回の訪問ではパートナー企業の担当者から新たな連携内容について質問が大小100以上出ることを目標にして,何でもフランクに話しができ,ディスカッションできるよう,いわゆるファシリテーションにも力を入れました。
さらに,彼等自身の課題について一緒に解決策を導き出すことにしました(現場が長かったので同じような経験を多数していましたから)。「そんな問題は君たちが考える話だ!」というような突き放した言い方は一切せずにです。
「そんなことをすると相手企業を甘やかすことになる」と私のやり方に異議を唱える日本の技術者がいることも知っています。
<補完関係で品質確保>
ただ,今回もプロジェクト全体遂行の難しさを具体的に伝え「私たちも難しい問題をいっぱい抱えている。こちらの問題解決にも一緒に協力してほしい」と伝えました。
結果,相手担当者は簡単な一部のみの対応を期待されているのではないことを感じ,さまざまな課題の対応策を必死で考え出そうとしてくれるようになった手応えを得たのです。
特に「品質保証に対する強い意識。品質確保には十分なコミュニケーションが必要。一方通行では品質は確保できない」という思いを共有できたことは大きな収穫でした。
お互いが「剣大刀身に添う」ように近い関係のパートナーとして互恵関係を築くことこそがグローバルな連携の柱だと私は改めて感じることができたのです。
それと同時に,このような密接な国際連携ができる今日の日中友好関係を先陣を切って築かれた先達の英知と努力に心より尊敬と感謝の念も重ねて強く感じられた今回の出張でした。
「添ふ(2)」に続く。

2010年5月22日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…頼む(3:まとめ)

「頼む」相手は,まさに信頼できる「頼もしい」(頼むの形容詞形)相手,そして「頼れる」相手であることが前提となります。

大伴の名に負ふ靫帯びて万代に頼みし心いづくか寄せむ (3-480)
おほともの なにおふゆきおびて よろづよに たのみしこころ いづくかよせむ
<<大伴の名を伝える靫を着け、万代まであなたを頼りにしたかった私の心は、何を頼りにすればよいのでしょう>>

この短歌,万葉集題詞によると天平16年大伴家持が26歳のとき,17歳の安積皇子(あさかのみこ)が急死したことに対して詠んだ一連の挽歌の最後の一首です。
安積皇子は難波宮(なにはのみや)への行幸(みゆき)の途中脚気(かっけ)で危篤になり,恭仁京(くにのみやこ)に戻ってすぐに亡くなったようです。
この急死は,当時聖武天皇(しやむてんわう)の下で政権を掌握していた橘諸兄(たちぱなのもろえ)を引きずり降ろそうとしていた藤原仲麻呂(ふぢはらのなかまろ)による毒殺という説もあります。そのくらい,当時の権力争い(どの氏の血縁が天皇になるか)が本当に激しかったのだろうと私は想像しています。
当時,聖武天皇には歴史に名をとどめる夫人が2人いたようです。安積皇子はその夫人2人の内で,橘諸兄と縁の深い県犬養広刀自(あがたのいぬかひのひろとじ)という夫人の子でした。
もう1人の夫人は藤原仲麻呂の叔母にあたる光明皇后(くわうみやうくわうごう)です。
安積皇子は聖武天皇の第2皇子です。ただ,光明皇后が生んだ皇太子(第一皇子)はすでに亡くなっていたため,次の天皇へと期待が高まっていたのです。この急死は橘諸兄派にとって大きなショックだったのだろうと想像します。家持のこの短歌で安積皇子の将来に対する期待(頼りにしていたこと)が崩れた悲しみと不安を家持は表現していると感じます。
藤原仲麻呂は,この後聖武天皇がやむなく娘の孝謙天皇(かうけんてんわう)に譲位した後,政権を恣(ほしいまま)にしようとします。
<藤原仲麻呂の野望と家持の苦節>
橘諸兄側を頼りにしていたと考えられる大伴家のプリンス家持の不安は的中し,藤原仲麻呂台頭とともに家持は徐々に不遇の扱いを受け,出世を妨げられていくのです。
家持がこの挽歌を詠った15年ほど後,頼みにしていた橘諸兄も没し,因幡の国(鳥取県)に左遷された家持は万葉集最後の短歌を詠んでいます。

新しき年の始めの初春の今日降る雪のいや重げ吉事(10-4516)
あたらしきとしのはじめのはつはるのきょうふるゆきのいやしけよごと
<<新たな年(春)の始まりに降った雪が降り積もっていくように本当に良いことが重なってほしいことよ>>

頼れる人達の影が次々といなくなっていく不安を40歳を過ぎた家持は神仏を頼りにしたいような気持でこの短歌を詠ったのかもしれません。
家持は,その後は和歌の収集や記録を止めて,大伴氏存続のためにさまざまな努力をしていったのだと私は思います。
しかし,そのような家持の我慢も5年ほどで終わることになります。藤原仲麻呂のクーデターが失敗し,その後家持は復活を遂げるのです。
<苦節に立ち向かう自分は変革のチャンス>
さて,現在の私たちも頼みにする人が亡くなったり,離れて行ったとき,不安になったり,悲嘆に暮れたりすることがあるかもしれません。
ただ,その状態は自分自身が頼みにされる側(より強い自分)に変革する大きなチャンスではないでしょうか。
その変革とは,他人に頼るだけの(逃げの)自分から,その逆境に自らが立ち向かう勇気と(自立した)気持ちに切り替えることだと私は思うのです。
そのチャンスを生かし自分をより精神的に強い人間に変えることができた人の中には,時としてある歌人や詩人が詠んだ詩歌に接し,その感動が変換点になった人も多かったのだろうと私は想像します。
「添ふ(1)」に続く。