2018年5月10日木曜日

続難読漢字シリーズ(22)…標(しめ)

今回は「標(しめ)」について万葉集をみていきます。標縄を「しめなわ」と読める人には,難読漢字に入らないかも知れませんね。
意味は,「記憶,記録,区別のために何らかの印しを残しておいたもの」というような意味です。
最初に紹介するのは,「標」について詠んだ万葉集の和歌の中で一番有名だと言っても良い額田王(ぬかだのおほきみ)が大海人皇子(後の天武天皇)に向けて詠んだものです。このブログでも何度か紹介しています。

あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(1-20)
<あかねさす むらさきのゆきしめのゆき のもりはみずやきみがそでふる>
<<薬草園に行ったときも猟地に行ったときも番人が見ているにも関わらず貴方がお袖をお振りになる>>

ここに出てくる「標野」は,後続の猟場であることを柵や溝などで区切ってあり,それで区切られた中の野のことだと思われます。
このように何らかの意味を持たせた区切りを示すものも「標」と呼んだことが想定できます。
次に紹介するのは山部赤人が春の野に出て春菜を摘みに出ようとしたときに詠んだ短歌です。

明日よりは春菜摘まむと標し野に昨日も今日も雪は降りつつ(8-1427)
<あすよりははるなつまむと しめしのにきのふもけふも ゆきはふりつつ>
<<季節は春になったので,明日あたりから春菜を摘もうと,自分用の野に出ようとしているが,昨日も今日も雪が降り続いている>>

ワラビ,ゼンマイ,ツクシ,フキノトウ,タケノコ,ウド,フキ,カタクリ,ヨモギ,セリ,ワサビ,タラの芽などの春菜は,万葉時代どこまでどんな料理方法で食べられていたか分かりませんが,春を恵みをいただくという意味で,待ち遠しいのは今と変わらない気がします。
ところが,季節が冬に逆戻りして,雪が降ってしまい,春菜を摘みに出られない赤人の残念な気持ちが表れています。
この短歌で「標し野」とあるように,どこで春菜を摘んでも良いというわけではなく,自分用に所有または借用している区画があったことが分かります。
最後に紹介するのは,大伴家持が越中で平城京の人を懐かしんで詠んだ短歌です。

あをによし奈良人見むと我が背子が標けむ紅葉地に落ちめやも(19-4223)
<あをによしならひとみむと わがせこがしめけむもみち つちにおちめやも>
<<奈良の人に見せようと我が友が標を結った黄葉です。地に散って落ちて朽ち果てることなどないですよ>>

富山の黄葉は見事だったのでしょう。それを奈良にいる人に見せたい。友人にここの黄葉の木が最高だよと標を付けてもらった。
きっと,毎年見事な黄葉を見せてくれるに違いないという家持の感動を詠んだものと私は解釈します。
(続難読漢字シリーズ(23)につづく)

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