2016年4月26日火曜日

改めて枕詞シリーズ…うつせみの(2) ずっと一緒にいたい気持ちは世の中が許さない?

仕事の期初の忙しさやソフトウェア保守関連の所属学会の活動が忙しく,アップがしばらく滞ってしまいました。
<世の中の変化に無頓着な人>
最近の話ですが,世の中の大きな変化に気づかず,自分の考え方が世の中の実態から大きく遊離してしまっていることにまったく無頓着な人がまだまだいることを改めて知る事態に遭遇しました。
そういう人たちは世の中に何か絶対的なモノがあることを期待し,それを信じて生きたいと思う人なのかもしれません。しかし,今の激変の世の中では,サーフィン(波乗り)のようにさまざまな世の中の変化を予測し柔軟に対応できる柔らかい頭と能力が必要なのだと私は思うのです。
頭の固く,気が付いた時には変化の影響をまともに受け,苦労している人が多いのが本当に残念です。何とか気づかせてあげたいと考えるのですが,ご本人の高いプライドがそれを許さないようでなかなかうまく行きません。
<本題>
さて,枕詞「うつせみの」の2回目です。
前回の最後の短歌は大伴家持の側室が亡くなったことを悲しむものでしたが,今回の最初は家持の正室となる坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)が家持に贈った短歌からです。

玉ならば手にも巻かむをうつせみの世の人なれば手に巻きかたし(4-729)
たまならばてにもまかむを うつせみのよのひとなれば てにまきかたし
<<玉だったら手に巻いてもいいけど,でもこの世の人だとね,(うるさく詮索するので)手に巻く(あなたのことを言う)わけにもいかない>>

この「うつせみの」は「世の人」に掛かると考えられます。
<万葉時代は情報戦の時代?>
「世の人」は何を見ていて,何を言うか分からない。意外と万葉時代は情報が大きな価値を持つ時代だったのかもしれません。
男女関係も含め,他人より早く,誰も知らない情報を入手し,しかるべき人に伝えて手柄を得ることができたのは,今とあまり変わらないように思います。
実は,情報というものは隠せば隠すほど,その価値は上がる。逆に,多くの人に知られれば知られるほど情報の価値は下がる。世の中が平和で無用な競争社会ではないと情報は隠されません。
江戸時代,旅の旅籠の部屋は襖(ふすま)で仕切られただけでした(鍵もありません)。
また,襖の上にある欄間(らんま)は通気性をよくするために彫で開けられ,欄間から隣の部屋の音や寝息がよく聞こえる状態でした。
こんな状態では安心して寝ることもできなかったかというとそうでもないようで,隣の部屋の人が危害を加えたり,強盗をしたりすることがないという安心感が双方にあれば何の問題もなかったのかもしれません。
山小屋のような雑魚寝よりはマシだったのでしょう。
次は家持が大嬢に返した短歌です。

うつせみの世やも二行く何すとか妹に逢はずて我がひとり寝む(4-733)
うつせみのよやもふたゆく なにすとかいもにあはずて わがひとりねむ
<<この世は再びということはあるのだろうか? どうしてあなたに逢わずに一人寝られましょう>>

この世に再び生まれてくることはできない。だから,すぐにでも逢いたいという気持ち表れでしょうね。大嬢はこの短歌を受取って,どう思ったのでしょうか。結果は,二人はめでたく結ばれるのです。
次は詠み人知らずの女性が蝦夷征伐に出陣する夫との別れを詠んだ短歌です。

うつせみの命を長くありこそと留まれる我れは斎ひて待たむ(13-3292)
うつせみのいのちをながく ありこそととまれるわれは いはひてまたむ
<<あなたの命が長くあってほしいと京に留まる私は神に祈ってあなたの無事な帰りを待っております>>

京から辺鄙な蝦夷に出兵して帰ってこなかった人の噂もたくさんあったのでしょう。何もできない妻としては,ただただ祈るしかないのです。
<今も変わらない派遣自衛隊員の家族の祈り>
さて,日本の今の自衛隊も国際貢献という名のもとに海外派遣がこれから多くなるとともに,その任務もますます危険と隣り合わせなものになる可能性があります。
それが日本の国を間接的に守ることになることは分かっていても,派遣される隊員の奥さんの気持ちにはこの短歌と似たものがあるのかもしれません。
どんなに危険レベルの情報とそれを防ぐ情報(手立て)が整備されても,どのようにも対応のしようがない人(家族など)がいます。
ひたすら無事を祈り続ける行為は,たとえ世の中が「うつせみ」(無常)ではなくなり,非常に確定した状態となったとしても,不要とはならないのだろうと私は思います。
改めて枕詞シリーズ…うつせみの(3:まとめ)に続く。

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