2015年7月25日土曜日

2015 盛夏スペシャル(2) … 三重県名張に着いたぞ!

<名張に1泊>
今日も暑いですね。まさに盛夏です。私は午後自宅を出て,新幹線,近鉄線特急で三重県の名張に到着し,今晩泊まるホテルに入りました。

事前に何も調べていなかったので,名張駅に着くと浴衣姿の若い女性が沢山いました。どうも,花火大会があるようです。
駅から,宿泊先のビジネスホテル(昔の街道沿いの民家を改築したもので,オーナーは老夫婦。のどかな感じが良い)までの途中,さっそく初瀬街道の街並みを見ながらで雰囲気のある町であることが分かりました。ビジネスホテルの裏はこんな感じです。そして,花火は良い場所で見ることができました。






なぜ,名張に来たかというと,毎年この時期,奈良明日香村にある農園のみかんの木1本のオーナーになっていて,摘果(育ちの良くない実を取り去る)のために明日香村を訪れます。
今年は,明日早朝,名張から初瀬街道を歩いて,桜井市,そして明日香村に入る予定です。
初瀬街道は,万葉時代から明日香と伊勢を結ぶ街道の一つとして人々の往来があったようです。
もちろん,今の街道は当時と違い舗装されていたり,周辺の家は現代風のものにななっていますので,当時の面影はないでしょう。
ただ,山の形や川の流れ方はあまり変わっていないかもしれないので,今年はこの道をあることにしました。
初瀬街道の報告は次回にして,名張が万葉集に何首か詠われているため,今回は名張について万葉集を見ていきます。
最初は,當麻真人麻呂妻(たきまがまひとまめろのめ)が詠んだとされる短歌です。

我が背子はいづく行くらむ沖つ藻の名張の山を今日か越ゆらむ(1-43,4-511)
わがせこはいづくゆくらむ おきつものなばりのやまを けふかこゆらむ
<<私の愛しい人はどこを旅しているのだろう。名張の山を今日あたり越えるのだろうか>>

夫である當麻真人麻呂が持統天皇が伊勢に行幸したとき,お供として同行したようです。
そのとき,奈良の都で留守を守った妻が詠んだとされています。名張の山は結構厳しい峠道だったのでしょう。名張の市内は街道という感じですが,明日の山中が楽しみです。
次は,長皇子(ながのみこ)が持統天皇の伊勢行幸に同行した妻を偲んで京で詠んだとされる短歌です。

宵に逢ひて朝面無み名張にか日長く妹が廬りせりけむ(1-60)
よひにあひてあしたおもなみ なばりにかけながくいもが いほりせりけむ
<<夜に逢って翌朝恥ずかしくて顔を隠(なば)るその名張で幾日も妻は庵(行宮)に籠っているのか>>

このように,名張で詠んだのではなく,名張(もともと隠れるという意味)という場所へ行くには,大変で,それを心配して詠んだのが,この2首です。
さて,最後は,2番目の短歌のパロディーとして縁達帥(えんだちのはふし)という人物が詠んだ思われる短歌です。

宵に逢ひて朝面なみ名張野の萩は散りにき黄葉早継げ(8-1536)
よひにあひてあしたおもなみ なばりののはぎはちりにき もみちはやつげ
<<夜に逢って翌朝恥ずかしくて顔を隠(なば)るその名張野の萩は散っても次なる黄葉よ早く継いで色づいてくれ>>

この短歌を詠んだ時期は不明ですが,恐らく巻八の時期(平城京初期)で,名張には観光や商取引で行き来が活発になった頃,黄葉がきれいだという評判が出てきたのかもしれませんね。
2015 盛夏スペシャル(3)に続く。

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