2015年3月7日土曜日

当ブログ7年目突入スペシャル(3:まとめ)‥万葉集は文学作品か,単なる情報の寄せ集めか?

7年目突入スペシャルの最後は,前回出した1)~4)の内,残った2)について,見ていくことにします。3)と4)は別の機会に取っておきます。
<律令制度の夜明け
2)の律令制ですが,日本の律令制の確立は,私が高校の日本史で習った頃の話ですが,大化2(646)年の「大化の改新」によるものだと教科書に書かれていたようです。ちなみに,高校生の時,日本史にまったく興味の無かった私は寝る時間か内職(他の授業の宿題をやる)の時間でしたので,日本史の先生がどんなふうに教えていたか記憶にはありません。
近年は「大化の改新」は日本書紀を編纂者が大袈裟に書いただけで,実際は大宝元(701)年に発布された大宝律令で日本の律令制は本格的に行政されたという説が有力のようです。
万葉集に採録された和歌は,まさに大宝律令前の律令制黎明期からその後の律令制本格期に詠まれたと考えられる和歌が多くあります。
律令制の用語を使った万葉集の和歌はそう多くはありませんが,次のような制度を茶化したものがあります。

このころの我が恋力記し集め功に申さば五位の冠(16-3858)
このころの あがこひぢから しるしあつめ くうにまをさば ごゐのかがふり
<<近の私の恋に対する努力と苦労を記録してその功績を申請すれば五位の称号に値するほどだよ>>

この短歌は,以前にも紹介したものです。ここでの五位(ごゐ)は律令制の位階制度のかなり上の階級で,五位以上は貴族に属し,昇殿も許されたといいます。

壇越やしかもな言ひそ里長が課役徴らば汝も泣かむ(16-3847)
だにをちやしかもないひそ さとをさがえだちはたらば いましもなかむ
<<檀家さん,そんなことを言わないくださいな。あなたの里の長が労役を出せと言ってきたら,あなたも泣きますよ>>

これも,何度が本ブログで紹介した短歌です。里長(さとをさ),課役(えだち)も律令制で使われるようになった用語だと考えられます。

住吉の小田を刈らす子奴かもなき奴あれど妹がみためと私田刈る(7-1275)
すみのえのをだをからすこ やつこかもなき やつこあれどいもがみためと わたくしだかる
<<住吉の小さな田んぼで稲を一人忙しそうに刈っている若者よ。下人はいないのかい? 私がその下人でさあ。妻のために自分の田の稲をせっせと刈っているんですよ>>

律令制では,原則すべての田は公田(くでん)で,私田は許されなかったようですが,区画として登録できないような小さな田や自分で開墾した田は,耕作意欲を高めるため,例外として私田が許されるようになったらしいのです。公田を貸与されたのは,貴族や国郷里の長などの金持で,多くの下人を使って耕作を行うのが一般的だったのかもしれません。

この旋頭歌では,妻との生活をより豊かにするために,私田をやっとゲットでき,農作業をするには少し上等な服を着て作業している若者の誇らしげな気持ちが伝わってきます。一人で起こしたベンチャー企業の社長さんが,背広姿でオフィスの入口前の通路を掃除しているような感じに見えたのかもしれませんね。
<有名歌人が詠んだ和歌が万葉集の代表例か?>
さて,ここまで3回にわたって万葉集が1300年後の私たちに残してくれた情報の多様さや多さの一端を見てきました。この3回でいわゆる有名歌人と呼ばれる人が詠んだ和歌はあまり出てこなかったのを皆さんはどう思われますか?
万葉集の編集者が優れた文学作品の集大成として万葉集を編纂したのか,当時の日本の多様な社会,経済,文化,生活,習慣,技術を知らしめようとしただけなのかで,万葉集の評価も大きく変わると私は見ています。
<「最も好きな歌人は?」と聞かれるのが最もツライ>
私は,常々,私が万葉集に興味があることを知った人から万葉集の「どの和歌が好きか?」とか「好きな歌人は誰?」とか「この和歌の解釈は分かれているがどちらが正しいか?」と聞かれるのが,一番つらいのです。
私は,万葉集全体が好きで,名も知らない歌人も含むすべての歌人が好きなのです。解釈が分かれた和歌があるのは,その和歌に書かれている情報が現代の我々が持つ情報からでは一定の理解ができないということに過ぎないのです。万葉集を(多少不正確なものも含む)情報の集まりとしてみるなら,万葉学者の先生方には申し訳ありませんが,あまり細かいことにこだわってもしょうがないと私は考えています。
結局,万葉集の編者が文学作品としてではなく,当時日本の姿をできるだけ多角的に残そうとして編纂したのではないか,それが私の万葉集に対する現状の見方なのです。
動きの詞(ことば)シリーズ…申す(1)に続く。

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