2015年1月17日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…隠る(1) 隠した雲が憎らしい

<自宅にったこの正月>
2015年正月もあっという間に過ぎ,この前の3連休は鏡開きの餅をたくさん食べ,正月休みにジムへ通って下げた体重が元に戻ってしまいました。というのも,2月中旬にソフトウェア保守に関する丸一日コースのセミナー講師を担当する予定で,その資料作成に3連休はほぼ潰れ,身体を動かすことがあまりできなかったのです。
このブログも3連休中にはまったく書けず,今書いている状況です。いろいろやり過ぎ感はありますが,元気な証拠だと自分を納得させています。
さて,今回からは動詞「隠(かく)る」「隠(こも)る」「隠(なま)る」を取りあげ,万葉集を見ていきましょう。
現代用語としても「隠れる」「隠す」といった言葉がしっかり残っいます。
<情報は隠されるから価値が出る>
情報化時代の昨今,個人情報,企業秘密情報,先端技術情報,そして,今年制度が動き出すマイナンバー制度(社会保障・税番号制度)の個人に紐づく番号など容易に他人に知られないように隠さなければならない情報がたくさんあります。
これから,善人悪人とってどうかはさておき,情報の価値がますます高くなっていきます。お金,貴金属,宝飾品,高級ブランド品などのように金庫などに保管することで財産が守られます。しかし,価値ある情報は「他人に知られないこと=盗まれない」ということになります。
即ち,情報を隠すことが,その価値を維持する唯一の手段ということになるのです。
一方,情報は価値を生むところで使う(または売る)ことで初めて価値を生みます。ところが,情報を使う,または売る行為は,その情報が無関係の他人に知られてしまうリスクをはらみます。
情報をうまく隠しつつ,使う,売るといったスキル,ノウハウが今後ますます重要になってきます。
秘密にすることを悪に感じる人がいます。また,知らされていないことで疎外感を感じる(仲間外れにされたと感じる)人もいます。さらに,何でも人にじゃべりたがる人がいますが,近い将来主婦同士の井戸端会議も活性化されなくなるかもしれません(それで,主婦のストレスはますます高まる?)。

天の川 「あんたの奥さん,最近機嫌悪いやんか。たびとはん? なんか奥さんにぎょ~さん隠し事してるのとちゃうか」

そうそう,バレると機嫌悪くなるようなヤバイ隠し事がいっぱい... ある訳ないでしょ!
でっ,でっ,では,はじめに万葉集で使われている「隠る」が入った熟語(枕詞も含む)を見てみます。

雨隠(あまごも)る‥雨に降りこめられる
磐隠(いはがく)る‥逝去する
浦隠(うらがく)る‥入江の中に隠れる
面隠(おもかく)す‥恥ずかしくて顔を隠す
雲隠る‥雲が隠す,雲に隠れる,逝去する
木の下(このした)隠る‥木の下に隠れる
島隠(しまかく)る‥島のかげに退避する
妻隠(つまごも)る‥屋,矢,小佐保にかかる枕詞

このように,隠す対象が何かによって「隠る」の意味が微妙に変化していることが分かるような気がします。
では,万葉集の和歌の中で最初は超有名な額田王(ぬかだのおほきみ)が詠んだとされる長歌とその反歌を見ていきましょう。

味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際に い隠るまで 道の隈 い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 心なく 雲の 隠さふべしや(1-17)
うまさけみわのやま あをによしならのやまの やまのまにいかくるまで みちのくまいつもるまでに つばらにもみつつゆかむを しばしばもみさけむやまを こころなくくもの かくさふべしや
<<三輪の山は奈良の山々の向こうに隠れるまで,道の曲り目が幾重にも重なるまで,ずっと見ながら行きたい山,目を離すことなく見続けたい山なのに,無情にも雲が隠すなんてことがあってよいものだろうか>>

三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや(1-18)
みわやまをしかもかくすか くもだにもこころあらなも かくさふべしや
<<三輪山をそんなに隠すのか。せめて雲にも情けがあるなら,隠すなんてことがあってよいだろうか>>

飛鳥宮(あすかのみや)から北に向かうと右手に三輪山が見えてきます。その姿は,何かしら荘厳で,穏やかで,心静まるものを当時の人たちは感じたのかもしれません。それを見ながら,北へ(例えば近江の大津宮へ)旅する人たちは,それを眺めながら楽しく向かいたいのだが,残念なことに雲が隠して見えない。この長短歌は,そんな情景を詠んだのかもしれませんね。
次は柿本人麻呂が詠んだとされる短歌です。

大君は神にしませば雲隠る雷山に宮敷きいます(3-235)
おほきみはかみにしませば くもがくるいかづちやまに みやしきいます
<<大君は神であらせられるため,雷の丘に雲に隠れるほど高く,立派な宮をお造りになっておられる>>

この短歌は,同じ番号が振られている次の短歌の異本に出ていおり,忍壁皇子に贈ったとの伝説があると題詞にあります。

大君は神にしませば天雲の雷の上に廬りせるかも(3-235)
おほきみはかみにしませば あまくものいかづちのうへに いほりせるかも
<<大君は神にあらせられるため,雷の丘の上に天雲にとどくほど高く立派な別荘を造られたなあ>>

明日香村に伝わっている雷の丘は非常に低い山です。そこで,この短歌について,あまりにも「よいしょ」した天皇賛美の歌で,人麻呂らしくない和歌だと評価する人もいるようです。私は,無理筋と云われるかもしれませんが,「天雲」「雲隠る」は「宮」または「庵」に係るとして訳しました。
そうすると,実際に山が低いとか高いとかはどうでも良くなり,「天皇は最高の神であり,まさに雷の神さえ従えているのです」と人麻呂はこの短歌で言いたかったのかもしれません。また,当時としてはよほど荘厳な建物が完成したのでしょうね。
今回は,隠す対象が「山」で,隠す側が「雲」を中心に見ていきました。
動きの詞(ことば)シリーズ…隠る(2)に続く。

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