2014年4月6日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…問ふ(2) いっぱいお聞きしたいので待っています

万葉集で「問ふ」の表現や意味を見ていますが,「待ち問ふ」という慣用的な表現が何首かに出てきます。今回はそれが詠み込まれている万葉集の和歌を見ていきます。
最初は,神社老麻呂(かみこそのおゆまろ)という人物が今の生駒山の西側にあったらしい草香山で詠んだという短歌です。

難波潟潮干のなごりよく見てむ家なる妹が待ち問はむため(6-976)
なにはがたしほひのなごり よくみてむいへなるいもが まちとはむため
<<難波潟で潮がひいた後の様子をしっかり見ておきましょう。家にいる妻が土産話を聞きたくて待っているから>>

この場合の「待ち問ふ」は家で夫が旅から帰るのを待っている妻が,家に戻ると「旅路はどうだった?」といろいろ聞きたくて待っている状態を表していると私は思います。生駒山の麓の西側の高台から西方の難波の干潟は一面に広がり,西日に照らされ,鏡のように見えたのかもしれません。
平城京にいたのではそんな光景は見られません。そんな珍しく,美しい光景を家からあまり遠くに行けない妻の質問に答えられるようにしっかり見ておこうというやさしい夫の気持ちが伝わっています。現在では,信貴生駒スカイラインの各展望台から見える大阪の素晴らしい夕景や夜景をしっかり見て,その美しさを妻に伝えようとしているようなものでしょうか。
次は,和歌山の若の浦付近にあったという玉津島に旅をした旅人に贈った詠み人知らずの短歌です。

玉津島よく見ていませあをによし奈良なる人の待ち問はばいかに(7-1215)
たまつしまよくみていませ あをによしならなるひとの まちとはばいかに
<<玉津島をよく見てきてくださいませ。奈良の都にいる人があなたの帰りを待って(玉津島はどんなところだったと)質問したらどうします?>>

この旅人も平城京に住む人なのでしょう。平城京にいる「待ち問ふ」人のために,しっかり見ておきましょうというのは,最初の短歌と同じです。京に住む人たちは,珍しい情報に飢えているようです。旅から帰ってきた人には,いっぱい質問して知らない情報を得ようとしている人が多かったのでしょう。
これらの2首を見た平城京の人は,実際に「待ち問ふ」ことができるような旅から帰った人はいないけれど,難波潟も玉津島も素晴らしく景色の良い場所だろうと想像します。そして,当然の成り行きとして,そこへ行きたくなるはずです。
万葉時代の交通の便の悪さは今と比べ物にならないとはいえ,両方とも頑張れば,1日で歩ける距離です。年配の人が2~3泊の小旅行の行き先としては手頃ではないでしょうか。万葉集の和歌には旅行ガイドブック的なものが多いと以前にも書きましたが,「待ち問ふ」を意識した観光地の誘い方もあるのだなと私は感じました。
さて,最後は大伴家持が弟の書持(ふみもち)の訃報を越中で聞いて詠んだ悲しみの長歌の一部です。

~ 恋しけく日長きものを 見まく欲り思ふ間に 玉梓の使の来れば 嬉しみと我が待ち問ふに およづれのたはこととかも はしきよし汝弟の命 なにしかも時しはあらむを ~(17-3957)
<~ こひしけくけながきものを みまくほりおもふあひだに たまづさのつかひのければ うれしみとあがまちとふに およづれのたはこととかも はしきよしなおとのみこと なにしかもときしはあらむを ~>
<<~ 恋しく思う日々は長くなり,会いたいと思ううちに京から使が来たので,嬉しい気持ちで待ち様子を問うと,譫言であってほしい,いとしいわが弟は,何ということか,別の時でもよいものを ~>>

家持が京から到着した使者に京の様子や弟の様子を聞こうと待っていて,部屋に来た使者の言葉から弟の訃報を聞かされた家持はいかばかりだったのか,この長歌はその気持ちを十分表していると私は感じます。
こうしてみると「待ち問ふ」は遠くの状況や様子を知りたい,聞きたいと待っている気持ちを表した一つの言葉だと私は思うのですが,なぜか古い日本語も掲載している辞書には「待ち問ふ」という見出しはあまり載っていないようなのです。私にとって,少し不思議で残念な感もあります。
動きの詞(ことば)シリーズ…問ふ(3)に続く。

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