2013年7月20日土曜日

心が動いた詞(ことば)シリーズ「なつかし」

私のように年齢を重ねると最近次のような経験で「懐かしい」と感じることが多くあります。
・ BSで放送された「二十四の瞳」を久しぶりに観た。
・ 10何年以上前,勤務先近くで頻繁に通っていたが事業所が変わりその後行かなくなった飲み屋に久しぶりに行ってみた。
・ 名神高速道路(一部)が最初に開通して50年という記事を読み,58年10月京都市山科区(当時京都市東山区山科)蚊ヶ瀬で行われた起工式に,会場のすぐそばまでちっちゃな自転車に乗って見物に行ったことを思い出した。

さて,本題の万葉集ですが,「なつかし」を詠んだ和歌が18首ほどでてきます。その中で「なつかし」の対象となるものは,次のようにいろいろあります。

秋の山辺,秋山の色,梅の花,君,木の葉,妻,妻の子,鳥の鳴き声,鳥の初声,野原, 藤波の花,山,我妹。

万葉集で出てくる「なつかし」の意味は,現代のようにかなり遠い過去の「思い出」と強く結びつく言葉だけではなかったようです。例を見てみましょう。

さ夜更けて暁月に影見えて鳴く霍公鳥聞けばなつかし(19-4181)
さよふけてあかときつきに かげみえてなくほととぎす きけばなつかし
<<夜が更けて夜明け前の月に姿を見せて鳴くほととぎすの鳴き声を聞くと心がを癒される>>

この短歌は大伴家持越中で詠んだ1首です。家持は前の晩からストレスか悩みで眠れなかったのでしょうか。でも,夜明け前に「キキョ,キキョ」とホトトギスの鳴き声で心静かになったようです。ここの「なつかし」は「心が和む」「心が癒される」といった意味になりそうです。
次の1首は柿本人麻呂歌集から万葉集に転載したという詠み人知らずの短歌です。

見れど飽かぬ人国山の木の葉をし我が心からなつかしみ思ふ(7-1305)
みれどあかぬひとくにやまの このはをしわがこころから なつかしみおもふ
<<ずっと見ていたい人国山(故郷)の木の葉(人たち)のことを心から慕わしく思っています>>

ここでの「なつかし」は「人を慕う」という意味かと思います。次は,大伴家持が越中赴任後1年ほどした天平19年,平城京に一時的に帰って状況を報告するため,越中を出発する前,盟友の大伴池主が家持に贈った長歌の反歌です。

玉桙の道の神たち賄はせむ我が思ふ君をなつかしみせよ(17-4009)
たまほこのみちのかみたち まひはせむあがおもふきみを なつかしみせよ
<<道の神たちよ,賽物(さいもつ)を捧げましょう。私が慕っている家持殿を親しみをもって迎えてください>>

この「なつかし」も,その前の2首とはニュアンスが少し異なっいると私は感じます。最後は,大宰府大伴旅人がホストとなり,大勢のゲストを集めた梅見の宴(天平2年春開催)でゲストのひとりの小野氏淡理(をののうぢのたもり,小野田守)が詠んだ短歌です。

霞立つ長き春日をかざせれどいやなつかしき梅の花かも(5-846)
かすみたつながきはるひを かざせれどいやなつかしき うめのはなかも
<<霞立つ長い春の日をかざしていても,(飽きることなく)ますます心がひかれる梅の花ですね>>

梅が咲くころ,日照時間が冬至の頃と比べて長くなってきます。そんな柔らかい春の日がずっと当たっていても,梅の花はどうしてこんなに魅力的なのかという気持ちを詠いあげています。このとき「なつかし」という形容詞がこの短歌における表現のキーワードになっていると私は感じます。
この年,旅人は6年間務めた大宰府長官の任を解かれ,「懐かしい」平城京に戻るのです。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「まく欲し」に続く。

0 件のコメント:

コメントを投稿