2012年12月9日日曜日

今もあるシリーズ「稲(いね)」

<日本のコメの消費量>
総務省の家計調査によれば2011年世帯員が2人以上いる世帯において,コメの購入額が平均27,425円なのに対して,パンの購入額が28,321円となって,初めて逆転したという結果が出たということです。日本の家庭における洋食化が進んでいるということを速断するのは早いと思いますが,着実に家庭でのコメ離れが進んでいるといえるのかもしれません。
パンに比べてコメは炊く手間が掛かり,食べ終わった後や残ったものの処理が楽ではないなど,家庭での料理の手間を省きたい人にはどうしても手軽なパン食になるのかも知れまんね。ただ,外食やコンビニでは和定食,丼,チャーハン,おにぎりなど,ご飯が主体のメニューの消費は減っていないようで,日本人がコメを嫌いになったわけではなさそうです。
蘖(ひこばえ)>
さて,今回はご飯の話は済んでいますので,ご飯のもとになる稲を取り上げます。
私はここ数年11月に車で関西に行き帰りしています。同じ時期なので,自然の風景は同じ場所では毎年それほど変わりませんが,ひとつ気になることがあります。稲刈りをした後に再生したように緑色に生え出す蘖(ひこばえ)の穭(ひつじ)田を多く見ます。昨年と同じ場所を見ると稲の蘖が心なしか大きくなっているように思うのです。

天の川 「はびとはん? 最初は「何とか省の何とか調査」なんて偉そうな資料を出したくせに,これはほんまに大雑把な話やな~。ちゃんと稲の高さを定規で長さを測らんとアカンがな」

天の川君,高速道路を走っている最中,降りて測れるわけないでしょ。それから,ちょっとした直感もけっこう当たることもあるからね。簡単に温暖化の影響かもしれないというのは良くないことかもしれませんが,やはり少し気になっています。
<コメの保管も大変>
ところで,刈り取った稲を脱穀してコメとして保管するのは,今でも結構コストがかかっています。
私の妻の親戚に埼玉県北部でおコメを作っている兼業農家があります。作っているのは80歳近いおじいさんで,息子や嫁は会社務めです。ときどきコメを分けてもらうのですが,玄米を10℃台に維持した冷蔵倉庫に保管しているそうです。妻の親戚のおじいさんが言うには「春夏に外気温と同じ温度で保管するとコメはすぐに味が落ちる」とのことでした。
もちろん,そんな冷蔵倉庫のない万葉時代,稲の保管についてこんな短歌が万葉集で詠まれています。

あらき田の鹿猪田の稲を倉に上げてあなひねひねし我が恋ふらくは(16-3848)
あらきたのししだのいねを くらにあげてあなひねひねし あがこふらくは
<<新しく開墾したがシカやイノシシが荒らす田の稲を倉に収納したが,月日が経ってしまったので陳(ひ)ねてしまった。私の恋と同じように>>

新しく開墾した田は土が痩せていて,シカやイノシシが植えた稲を食べたり,土を掘ったりして,稲を育てるに苦労します。ようやく収穫できたコメを倉庫に入れたが,管理が悪いまま長く置いておいたので,陳ねて味が悪くなってしまったのを嘆いています。
しかし,この短歌の稲の話は作者の恋人の譬えです。若い女性を早くから自分の恋人にしようと努力(シカやイノシシは恋敵)して,ようやく自分恋人にできた。ところが,この短歌の作者である忌部黒麻呂(いむべのくろまろ)は少し手紙のやり取りをおろそかにしただけで,その恋人との関係は冷えてしまったということらしいですね。
ただ,いずれにしても稲穂が熟して刈り取り(稲刈り)のときは,恋人をゲットできた時のように収穫の喜びで年間で一番楽しいひと時だったのでしょう。
万葉集にもこんな短歌があります。

秋の田の穂田の刈りばかか寄りあはばそこもか人の我を言成さむ(4-512)
あきのたのほたのかりばか かよりあはばそこもかひとの わをことなさむ
<<秋の田での稲刈りで刈る場所の担当が隣同士になったりするだけでも私たちのことをあれこれ噂をするのかな>>

この短歌,草嬢(くさのをとめ)が詠んだと題詞に書かれています。どんな女性かわかりませんが,稲刈りのとき地主に臨時に雇われた女性かもしれません。
今で言えば,たとえば税務申告時期に臨時で役所に派遣されてた女性と職員の男性が密かに良い仲になり,申告書類の分類作業で長机の隣同士になったときの会話などの雰囲気からそれを周りに悟られるのを心配している様子と似ているように思います。
小学校の頃,学校の掃除の担当(ゴミ捨て,窓ふき,雑巾がけ,机移動など)が好きな女の子と一緒になったときのことを思い出しました。
太安万侶の墓を訪れる
さて,日本のことを「瑞穂(みづほ)の国」(みずみずしい稲穂が実る国)といったり,古事記日本書紀で天孫降臨の場所が高千穂(高く多くの稲穂のある場所)であるように,日本の成り立ちと稲作は密接に関係しているのだろうと私は考えます。少なくとも,古事記や日本書紀が編纂された平城京時代では,そう考えられていたのだといえそうです。

写真は,先月訪れたときに撮った古事記(今年は編纂1,300年)の編者太安万侶(おほのやすまろ)の墓とされる場所とそこから見下ろす茶畑や里山の風景です。下の田は穭田となっていて緑色に染まっています。こんな閑静で眺めの良いところに墓があるのは羨ましい限りだと私は思いました。
次回ととは稲や他の植物の「苗」ついて,万葉集を見ていくことにします。
今もあるシリーズ「苗(なへ)」に続く。

0 件のコメント:

コメントを投稿