2011年10月22日土曜日

対語シリーズ「表・面と裏」‥ら・ら・ら

万葉時代「おもて」というと漢字で「面」と書き「顔」のことでした。そして,「顔」は「おもて」だけでなく「おも」とも発音していました。「外側」という意味の「表」が使われるようになったのは平安時代以降のようです。
「面(おもて)」を詠んだ万葉集に出てくる山上憶良の長歌の一部を紹介します。

~ 時の盛りを 留みかね 過ぐしやりつれ 蜷の腸 か黒き髪に いつの間か 霜の降りけむ 紅の面の上に いづくゆか 皺が来りし ~(4-804)
<~ ときのさかりを とどみかね すぐしやりつれ みなのわた かぐろきかみに いつのまか しものふりけむ くれなゐの おもてのうへに いづくゆか しわがきたりし  ~>
<<~ 青春の盛りは留められず,やがて盛りの時期が過ぎ去ってしまうと,髪にいつの間に霜が降りたのか,顔の上にどこから皺がついて来たのか ~>>

「紅の面」は若い頃の顔色のつややかで顔色の良い状態を指しているのでしょう。
憶良は,「人は皆老人になり,思うように動けなくなる。また,若いときのような活躍もできなくなることを事実として受け入れなければならないときがくる」ことをこの長歌で詠っています。
特に,面(顔)は昔から第三者がその人の年齢を判断するのに重要な役割を示します。
例えば,たばこ自動販売機で購入者の顔の形状をコンピュータが読み取って成人かの判定をする仕組み(成人識別装置)が付いているものがあるようです。
私はたばこを吸わないので実際にやったことはありませんが,かなりの確度で識別できるようです。
次に「面隠し(おもかくし)」という言葉を使った詠み人知らずの短歌を2首(最初の作者は女性,後は男性)を紹介します。

相見ては面隠さゆるものからに継ぎて見まくの欲しき君かも(11-2554)
あひみては おもかくさゆるものからに つぎてみまくのほしききみかも
<<お目にかかれば恥ずかしくて顔を隠したくなるのですが,あなたには何度もお目にかかりたいのです>>

玉かつま逢はむと言ふは誰れなるか逢へる時さへ面隠しする(12-2916)
たまかつま あはむといふはたれなるか あへるときさへおもかくしする
<<あれほど逢いたいと言っていたのはどこの誰ですか? せっかく逢えても恥ずかしいからって両手で顔を隠しているのはなぜ?>>

女性が恥ずかしいからといって顔を隠すという行為は,女性は無闇に家族以外に顔を見せてはいけないという慣習からきているのかもしれませんね。今とは比べ物にならないほど治安の悪かった昔は,若い女性がいることが分かるだけで,男が女性を奪いに来たりして家族にも危険が及ぶことがあったためでしょうか。
日本だけでなく,イスラム教の世界でも女性が顔や身体を隠すための服装(アバヤ,ブルカ,ニカーブなど)がありますが,起源は自身と家族の安全を守るためではないかと思います。
今の日本で若い女性が恥ずかしさで顔を隠すという言葉が薄れているのは,それなりに注意をすれば女性一人暮らしができ,社会で男性と同じように活躍できる平和な社会となったことが大きな要因の一つではないかと私は考えます。
それはそれでもちろん大いに結構なことだと思うのですが,11-2554と12-2916の短歌の味わいを無くしてほしくないと思うのは私の年齢のせいでしょうか。

さて,「おもて」ばかりの話で長くなってしまいましたが,「うら」の話に移りましょう。
「裏」といったとたんに大衆紙や週刊誌の活字から「裏社会」「裏取引」「裏ビデオ」「裏帳簿」のような極端に悪いイメージの言葉を思い浮かばせる方も多いかもしれません。
万葉時代「うら」は「外側」に対して「内部」や「奥」という意味が強く,「表が正しく,裏がその反対」というイメージはそれほどなかったようです。
私の勝手な考え方ですが,当時「心(こころ)」のことを「うら」と呼んでいたので,顔である面と反対の意味として心や内部という意味が「うら」となったのではないかと考えています。
ただ,「心」は移ろい(心変りし)やすいためか,こんな詠み人知らずの短歌もありますよ。

橡の袷の衣裏にせば我れ強ひめやも君が来まさぬ(12-2965)
つるはみの あはせのころも うらにせば われしひめやも きみがきまさぬ
<< ツルバミで染めた袷(あはせ)の着物を裏返すような仕打ちをなさるなら,私は無理に来てとは言いません。あなたが来ないことに対して>>

大黒摩季の「ら・ら・ら」という歌の歌詞に「♪人の心 裏の裏は ただの表だったりして~」というのがあるのを思い出しました。
対語シリーズ「明日と昨日」に続く。

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