2011年4月17日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…散る(1)


東京周辺では足早に多くの桜(ソメイヨシノ)が散ってしまいました。私は,この土日で春を再び満喫したいと考え,万葉集ゆかりの地越中(富山県)を車で周遊しています。
本文も高岡市内のビジネスホテルから投稿しています。来る途中寄った山峡の白川郷は梅がようやく咲き始めたところで,五箇山はまだ雪の中といった感じでしたが(右上の写真),高岡市の古城公園はちょうど桜が見ごろです(右下の写真)。

2日目の今日は,砺波平野の散居村やチューリップ畑を見て,飛騨高山信州松本のさまざまな春を訪ねながら帰路の予定です。
さて,今回からゴールデンウィークスペシャルまでの3回は「散る」を万葉集で見て行くことにします。
万葉集では「散る」を詠んだ和歌が200首ほど出てきます。なかなかの数ですね。
その中でも今回は受験シーズンではなかなか書く勇気がでない「花が散る」について取り上げてみます。
万葉集ではさまざまな花(萩,梅,桜,卯の花,橘,馬酔木,藤,撫子,女郎花,山吹,楝<あふち>)が散る対象として詠まれています。
また,花が散る姿を万葉歌人は自分や知人,恋人の庭や園に植えてた花を対象として詠んだものも少なくありません。
まず,桜から。

やどにある桜の花は今もかも松風早み地に散るらむ(8-1458)
やどにあるさくらのはなは いまもかもまつかぜはやみつちにちるらむ
<<貴女のお庭の桜の花は今頃松風が強いので散っているでしょうね>>

これは,厚見王(あつみのおほきみ)が久米女郎(くめのいらつめ)に贈った短歌です。
貴女にはいろんな男性からのアプローチ(松風にたとえている)が多くあるから,私への気持ち(桜の花にたとえている)が薄くなっているのでは?という探りを入れているように私は思います。
それに対して,久米女郎は次のように返しています。

世間も常にしあらねばやどにある桜の花の散れるころかも(8-1459)
よのなかもつねにしあらねば やどにあるさくらのはなのちれるころかも
<<世の中は無常ですから,私の庭にある桜も散る頃かもしれませんわよ>>

「勝負あり。久米女郎の方の勝ち~。」といったところでしょうか。「このまま放っておくと我慢強い私も今にも心変りをしますわよ」と厚見王へのカウンターパンチです。
さて,万葉集では萩や梅が散る和歌ももちろんたくさんありますが,次は橘を見てみましょう。

我が宿の花橘はいたづらに散りか過ぐらむ見る人なしに(15-3779)
わがやどのはなたちばなは いたづらにちりかすぐらむ みるひとなしに
<<私の家の庭の花橘は、ただむなしく散ってしまったことでしょう。だれも見る人がいなくて>>

この短歌は中臣宅守(なかとみのやかもり)が越中国に流罪されるとき(天平12年<740>。大伴家持が越中に赴任する6年前),妻の狭野茅上娘子(さののちがみおとめ)との間で別れを悲しんで贈答し合った中で宅守が詠んだ1首です。
美しい橘の花をふたり一緒に見られず散ってしまうことがどんなに寂しいことか,また橘は実をつける花なのでふたりの間に子ができる機会がなくなることの悲しみがこの短歌から伺えます。
でも,万葉集では花が散ることをそんなにネガティブにとらえていないように私は感じます。
花が散るためには咲く花が必要です。散ることを意識させる花は,その花が美しく,爛漫だからです。花がしっかり咲かなければ散ることもできません。
見事な花が咲くからこそ,その花が散るときも美しく散ることができるのです。
花が散るのを見て「いつまでも咲いていてほしいなあ」という残念な思いはあるのだけれども「よく立派に咲いてくれた。来年も美しく咲いてくれよ」という花に対するねぎらいの気持ちも万葉集から感じるのです。
次回は,さらにその他の花が散る和歌を見て行くことにします。
散る(2)に続く。

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