2014年6月28日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…引く(2)  心も体も引かれていきます

「引く」の2回目は,自分の体の一部や心を引くことについて,万葉集を見ていくことにしましょう。
最初は彼女が眉を引く(描く)姿が忘れられないという詠み人知らずの短歌です。

我妹子が笑まひ眉引き面影にかかりてもとな思ほゆるかも(12-2900)
わぎもこがゑまひまよびき おもかげにかかりてもとな おもほゆるかも
<<彼女が微笑みながら眉を引いていた。その面影は幻としてしきりに浮んできて気掛りに思われることだなあ>>

彼女がお化粧をしているところを見たのでしょうか。作者にとって非常に魅力的に感じたのかもしれません。それが頭によぎって,彼女のことばかり考えている自分が居ることに気づき,この短歌を詠んだのだろうと私は考えたくなります。
次は,自分黒髪を引き解くことを詠んだ女性作と思われる短歌です。

ぬばたまの我が黒髪を引きぬらし乱れてさらに恋ひわたるかも(11-2610)
ぬばたまのわがくろかみを ひきぬらしみだれてさらに こひわたるかも
<<私の黒髪を引き解いても心乱れて,あなたをさらに恋い慕い続けています>>

結った黒髪を引き解くということは女性がメークを落とすような時間帯なのでしょうか。一日のやるべきことを終えて(奈良時代では女性は家で機織や家事が主な仕事),仕事をやるうえで邪魔になるため結っていた髪を引き解いたときは,1日の終わりでようやくリラックスできる時間だったのかもしれません。そのときでも,彼を恋い慕う気持ちで心が乱れてしまう,そんな心情を表現したものだと私は思いたい短歌です。
今回の最後の和歌は,心を引くを詠んだ東歌(女性作)を紹介します。

赤駒を打ちてさ緒引き心引きいかなる背なか我がり来むと言ふ(14-3536)
あかごまをうちてさをびき こころひきいかなるせなか わがりこむといふ
<<赤駒を鞭打って緒を引き立てるように,私の心を引き立てるどのような殿方が私のところに来るというのでしょう(あなたしかいませんよ)>>

この東歌もなかなかの表現力をもった短歌だと私は思います。この女性は東国の野原で育ち,きっと馬にも乗れる活発な女性ではないかと私は想像します。そんな女性がこんな短歌を詠むということを知った京の男性はどう思ったでしょうか。親が家から出さず,気軽に逢うこともままならない京の女性とは違った,あこがれに似た強い魅力を感じたのかもしれません。
東歌を集めた大伴家持東国の魅力を京人にアピールしたかったのではないかと,私は常々考えています。東国の物産の京での消費(引き)を増やし,東国が繁栄することで,当時の平城京を含む日本全体が豊かになると家持は考え,東歌を万葉集に入れたと仮説するのは論理が飛躍しすぎているのでしょうか。
動きの詞(ことば)シリーズ…引く(3)に続く。

2014年6月22日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…引く(1) 植物は無闇に採ってはいけません

<私の引き際>
私の同年輩の人たちには,そろそろ現役を引退する人が増えています。「人間引き際が肝心」とか「引退しても悠々自適」とか「顧問として引く手あまた」とか,「引退」に関して世間ではいろいろと言われることがありますね。
私自身は「引き際を忘れて,往生際が悪く,仕事にしがみついて,一向に現役から引く気配を見せない」といったところでしょうか。理由は表向き「引き取り手がないので」ということにしていますが,本当は今の仕事(ソフトウェア保守開発の現場)は私には向いているし,好きだからです。
<本題>
さて,今回からしばらくは動詞「引く」を万葉集で見ていくことにします。実は,2012年7月8日の当ブログで,対語シリーズ「押すと引く」というテーマで「引く」を少し取り上げています。しかし,「引く」を国語辞典で(それこそ)引くとたくさんの説明が出てきます。
広い意味を持つ言葉のためか,状況や「引く」対象によって意味が異なる場合,次のように当てる漢字を別のものにすることがあります。

弾く,惹く,曳く,牽く,轢く,退く,挽く
万葉集に出てくる「引く」の対象も,次のようにさまざまです。

麻,網,石,板,馬,枝,帯,楫(かぢ),梶(かぢ),葛(くず),黒髪,心,琴,自分,裾(すそ),弦(つる),蔓(つる),幣(ぬさ),根,花,人,舟,眉,都(みやこ),藻(も),弓,緒(を)
今回は,その中で植物のさまざまな部分を「引く」動作を詠んだ和歌を見ていきましょう。
最初は梅の枝に関したものです。

引き攀ぢて折らば散るべみ梅の花袖に扱入れつ染まば染むとも(8-1644)
ひきよぢてをらばちるべみ うめのはなそでにこきいれつ しまばしむとも
<<枝を引き寄せて折ったら梅の花が散ってしまいそう。花だけをしごいて袖に入れよう。花の色が袖に染まっても>>

この短歌は,大伴旅人の従者であった三野石守(みののいそもり)が詠んだとされる1首です。大伴旅人は大宰府長官としての赴任中,梅の花の美しさを愛でる和歌を従者とともに多く残しています。その影響なのかはわかりませんが,太宰府天満宮周辺には6,000本もの梅の木が植えられているそうです。
次は,夏になってものすごい勢いで伸びる葛を引く(駆除する)作業をしている乙女たちを詠んだ詠み人知らずの短歌です。

霍公鳥鳴く声聞くや卯の花の咲き散る岡に葛引く娘女(10-1942)
ほととぎすなくこゑきくや うのはなのさきちるをかに くずひくをとめ
<<ほととぎすの鳴く声をもう聞いたかい? 卯の花が見事に咲いて,地面にも花弁が散っている丘で伸びた葛のつたを引いている早乙女たちよ>>

ほととぎすと卯の花から次の歌詞で始まる「夏は来ぬ」という唱歌を私は思い出しました。

卯の花の におう垣根に ほととぎす 早やも来啼(な)きて 忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ

この唱歌の作詞者を改めて調べてみました。すると,何と歌人で国文学者の佐々木信綱(1872~1963)ではないですか。今までこの唱歌の作詞者について私は全く意識していませんでした。佐々木信綱は万葉集にも造詣が深く,万葉集に関する本をたくさん出しています。もしかしたら佐々木信綱先生「夏は来ぬ」の作詞をするとき,この短歌も参考にしたのでは?と私は勝手な想像をしています。
最後はの花を引っ張る東歌です。

小里なる花橘を引き攀ぢて折らむとすれどうら若みこそ(14-3574)
をさとなるはなたちばなを ひきよぢてをらむとすれど うらわかみこそ
<<小さな里にある橘の花を引き寄せて折ろうとするが、まだ若々しく柔らかいので(折ることができないよ)>>

ここでの橘の花は目当ての女性を指していそうですね。この短歌の作者がお目当ての相手はまだ幼い少女で,なかなかうまく靡いてこないことを嘆いているようにも私には思えます。
実は万葉集の東歌には,このように女性の譬えとして花などを詠った優れた譬喩歌が何首も残されています。
動きの詞(ことば)シリーズ…引く(2)に続く。

2014年6月14日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…焼く(3:まとめ)  胸が焼き焦げるほど一緒に暮らしたいよ~

<秋田訪問報告>
9日~11日の秋田出張では,ナマハゲがいろんなところで出迎えてくれました。


秋田の地酒や美味しいもの(刺身,ハタハタ塩焼き,ブリコ,生ガキ,稲庭うどん,いぶりがっこ,きりたんぽ,比内地鶏の親子丼やつくね,ババヘラ,などなど)を堪能できました。





また,少し時間の調整ができたので,大仙市角間川町を訪問しました。突然の訪問にも関わらず,非常に手厚く対応頂いたのを見て,秋田の人々の人情の厚さに触れることもできました。





新幹線の帰りの日の朝には,夕方帰る私には特に影響はありませんが,田沢湖線で新幹線がクマをはねたというニュースが入りました。やはり旅では非日常的なニュースに遭遇し,楽しいものです。
<「焼く」の最終回>
さて,「焼く」の最後の回となりました。占いのために骨を焼いて,その割れ具合で吉兆を占ったという風習があったことを示す長歌から見ていきます。この長歌は,遣新羅使六人部鯖麻呂(むとべのさばまろ)が同行の雪宅麻呂(ゆきのやかまろ)の死を悼んで詠んだ中の1首です。

わたつみの畏き道を 安けくもなく悩み来て 今だにも喪なく行かむと 壱岐の海人のほつての占部を 肩焼きて行かむとするに 夢のごと道の空路に 別れする君(15-3694)
わたつみのかしこきみちを やすけくもなくなやみきて いまだにももなくゆかむと ゆきのあまのほつてのうらへを かたやきてゆかむとするに いめのごとみちのそらぢに わかれするきみ
<<海神がいる恐ろしい道を安らかな思いもなく,つらい思いで来て,今からは禍なく行こうと壱岐の海人部の名高い占いで肩骨を焼いて進もうとする矢先,夢のように空へ旅立つ別れをする君よ>>

旅の安全を占うために,鹿の肩骨を焼き,吉凶を占う有名な占い師が壱岐の海人(漁師というより水先案内人のような人たち?)の中にいたようです。ただ,その占いは吉と出たが,同行の雪宅麻呂が何の病気なのか分かりませんが突然逝ってしまったのです。それを悼んで3人が挽歌を詠んでいます。鯖麻呂はその一人です。
次は同じく,占いで肩骨を焼くことを詠んだ東歌(詠み人知らずの短歌)です。

武蔵野に占部肩焼きまさでにも告らぬ君が名占に出にけり(14-3374)
むざしのにうらへかたやき まさでにものらぬきみがな うらにでにけり
<<武蔵野で鹿の肩骨を焼いて占ってもらったら,どこにもまったく打ちあけていないのに,あなた様を恋い慕っていることが占いの結果に出てしまいました>>

この短歌は昨年5月5日のブログでも取り上げています。女性作のようですが,なかなか優れた表現の短歌ではないかと私は思います。自分が相手の男性を恋い慕っていて,他の男性には目もくれず,一筋であること。それを占いの結果として伝えることで,相手にさりげなく(変なプレッシャーを与えることなく)分かってもらうようにしている点を私は評価します。もしかしたら,東国とはいえ,けっこう教養の高い家の娘で,母親などが和歌を詠む方法を指南したかもしれませんね。
「焼く」の最後として「胸を焼く」という表現を見ます。
次は大伴家持が後に自身の正妻になる坂上大嬢に贈った短歌です。

夜のほどろ出でつつ来らくたび数多くなれば我が胸断ち焼くごとし(4-755)
よのほどろいでつつくらく たびまねくなればあがむね たちやくごとし
<<夜明けに君の家から帰ることがたび重なり,僕の胸はもう切り裂かれて焼かれるようだ>>

家持はこのころ(20歳代半ば)には大嬢と一緒に暮らしたいと心から思っていたように私には思えます。今の結婚観では夫婦が一緒に暮らすのは当たり前です。しかし,万葉時代の上流階級の結婚観は妻問婚が一般的のようでしたから,一緒に暮らすことは簡単ではありませんでした。
当時夫婦が一生添い遂げるといったことは必須ではなく,同居していない夫が子供の育児にかかわることもほとんどなかったようです。
また,家持は京から離れた場所への赴任が多いため,さらに一緒に暮らすことや妻問を定期的にすること自体が難しくなります。父の大伴旅人が赴任先の大宰府に妻を呼んだように,妻との同居や叔母の坂上郎女(さかのうへのいらつめ)の積極的な男性へのアプローチなどを見て,妻問婚ではなく,夫婦が一緒に暮らすことに家持はあまり抵抗はなかったのかもしれません。夫婦がお互いの愛を確かめるうえで,また自分の子ともを愛するうえで,必要な行為だと家持は年を重ね考えるようになったのでは?と私は感じます。
最近,私自身は,それぞれいろいろな事情があるにせよ,夫婦や子供を含めた家族が一緒に暮らすことのメリットをもっと評価し,一緒に暮らすためにお互いが(公平に)自制し合うことに,大きな価値を多くの人がもっと感じてほしいと,万葉集を愛している影響なのか,そう願うことが多くなっています。
動きの詞(ことば)シリーズ…引く(1)に続く。

2014年6月9日月曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…焼く(2) 枯草はパチパチ燃え,焼きもちは膨らんでは萎む

<学会参加に秋田へ向かう>
今回の投稿は,今日から秋田市で開かれるソフトウェア関連の学会に参加するため移動中の秋田新幹線のきれいな最新型「こまち」の中からアップしています。飛行機での移動も考えたのですが,開催場所が秋田駅のすぐ近くで,自宅から大宮経由で新幹線で行く時間と飛行機を使った時間はほとんど変わらず,さらにパソコンが自由に使える新幹線にしました。
それにしても,盛岡から秋田までは車両は新幹線のままですが,ローカル線をガタンゴトンと,のどかに走る列車旅ですね。


さて,「焼く」の2回目は「焼く」対象を前回で示した「塩」「太刀」以外のものを万葉集で見ていくことにします。
まず,最初は現在でも「野焼き」という言葉あるように,「野を焼く」とを詠んだ長歌(一部)です。この長歌,笠金村作といわれ,志貴皇子が亡くなったことに関連して詠んだとされています。

立ち向ふ高円山に 春野焼く野火と見るまで 燃ゆる火を何かと問へば 玉鉾の道来る人の 泣く涙こさめに降れば 白栲の衣ひづちて 立ち留まり我れに語らく なにしかももとなとぶらふ~(2-230)
<~たちむかふたかまとやまに はるのやくのびとみるまで もゆるひをなにかととへば たまほこのみちくるひとの なくなみたこさめにふれば しろたへのころもひづちて たちとまりわれにかたらく なにしかももとなとぶらふ~>
<<~向こうに見える高円山に,春野を焼く野火かと見えるほどの火を,『何の火ですか』と尋ねると,道をやって来る人が泣く涙は雨のように流れ,衣も濡れて,立ち止まりわたしに言うのは,『どうしてそんなこと聞くのか?』~ >>

高円山の春野を焼く野火に見えたのは,実際は野火ではなく志貴皇子が亡くなった葬式の行列の松明(たいまつ)の火だったのです。隊列をなして松明の火が遠くから見ると野を焼く火が一列になって燃え進んでいく様子と似ていたと感じた作者だが,少し様子が違うので,「何の火か?」と尋ねた。そうしたら,来る人はみんな涙に濡れていて,「志貴皇子のお葬式の隊列の火であることを知らないのか?」という返事が返ってくるというストーリーの挽歌なのです。
もう1首「野を焼く」が出てくる詠み人知らずの短歌を紹介します。

冬こもり春の大野を焼く人は焼き足らねかも我が心焼く(7-1336)
ふゆこもりはるのおほのを やくひとはやきたらねかも わがこころやく
<<春,広い野を焼く人は,野を焼くだけでは足りず,私の心まで焼いてしまう>>

春の野焼きを見ていた作者は,枯草がパチパチと音を立てて燃えるさまが,恋の炎で燃える自分の心と同じイメージができ上がったのかもしれません。
心が焼けるとは,恋の苦しさの喩えなのか,それとも相手に対する深い情念を表しているのか,焼きもちを焼いている(嫉妬心に燃えている)ことか,いや過去の恋の清算を表しているのか,この短歌は見た人のさまざまな恋の経験からいろいろな想像をさせてくれます。
結局「野焼き」は譬えであり,この短歌での焼く対象は「自分の心」ということになります。
では,次は「自分の心を焼く」を突き詰めた詠み人知らずの長歌と反歌を紹介します。

さし焼かむ小屋の醜屋に かき棄てむ破れ薦を敷きて 打ち折らむ醜の醜手を さし交へて寝らむ君ゆゑ あかねさす昼はしみらに ぬばたまの夜はすがらに この床のひしと鳴るまで 嘆きつるかも(13-3270)
さしやかむこやのしこやに かきうてむやれごもをしきて うちをらむしこのしこてを さしかへてぬらむきみゆゑ あかねさすひるはしみらに ぬばたまのよるはすがらに このとこのひしとなるまで なげきつるかも
<<焼いてしまいたいような醜い小屋,すぐ棄ててしまいたいような破れた薦を敷いた床で,へし折ってしまいたいような醜い手を絡めて他の女と寝ているあなた。それを想像すると,昼も夜も通して私が寝ている床はヒシヒシと音がするほどに嫉妬に暮れているのです>>

我が心焼くも我れなりはしきやし君に恋ふるも我が心から(13-3271)
わがこころやくもわれなり はしきやしきみにこふるも わがこころから
<<私の心を嫉妬心で焼くのも私の心がしていること。すべてそれほどあなたのことを恋している私の心のせいなのです>>

私は,この2首は女性の立場になって男性が詠んだか,女性でもあっても結構年配の女性が,若い男子に「複雑な女性の気持ちをちゃんと理解しなさい。女性は怖いのよ」と諭している和歌のようにも感じます。

天の川 「あ~あッ。ちょっと待って~な。たびとはん。」

おッ。雨が降り続いていて,ずっと寝床にいて,蒲団がカビ臭くなってきたのか,しばらくぶりに起きてきたな天の川君。

天の川 「いくら何でも,この2首は過激やあらへんか? それに,こんな喩えで若い男連中が女の気持ち分かるんか?」

私にはよく理解できるような気がするけどね。

天の川 「なるほどな。たびとはんは,よっぽと,怖い目に遭うてきはったんやな。」

余計なことを言うな! 天の川君。寝床に引っ込んでいなさい。
動きの詞(ことば)シリーズ…焼く(3:まとめ)に続く。

2014年5月30日金曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…焼く(1) ブランド好みいつの世も

今回から動詞「焼く」について,万葉集を見ていくことにします。
今の季節,紫外線が結構強い時期ですので,肌を焼く場合,無理に焼きすぎないように気を付けたいものですね。そのほか,現代で「焼く」対象といえば,肉,魚介類,野菜,栗,芋,せんべい,小麦粉やトウモロコシを水で溶いたものなど食用のための焼く,有田焼,清水焼,九谷焼,信楽焼,瀬戸焼,益子焼などの陶芸品を焼くなどがすぐ出てくるかもしれません。また,「お節介を焼く」,「世話を焼く」,「手を焼く」などの慣用句も結構使われるのではないでしょうか。
さて,万葉集では「焼く」という動きの対象は結構多岐にわたっていますので,順番に見ていくことにしましょう。
万葉集で一番多く出てくる「焼く」対象は,「塩」を焼くという表現です。

須磨人の海辺常去らず焼く塩の辛き恋をも我れはするかも(17-3932)
すまひとのうみへつねさらず やくしほのからきこひをも あれはするかも
<<須磨の人がいつも海辺で焼いている塩が辛いように私は辛い恋をしています>>

この短歌は平群氏女郎(へぐりうぢのいらつめ)が越中赴任中の大伴家持宛に詠んだ12首のなかの1首です。この短歌から,塩は須磨産のものが有名であり,海水を濃くして最後は火で焼いて作ること,須磨産の塩は辛さが強いことなどが想像できます。
この短歌の最初の五七五(いわゆる上の句)は典型的な序詞です。結局言いたいことは下の句の「辛き恋をも我れはするかも」です。文学として見た場合,あまり高評価な短歌ではないかもしれません。でも,このような「序詞」を使った和歌が,当時多くの人に知られていたことや社会の動きを知るうえで貴重な情報源だと私は評価すべきと考えます。
他に塩を焼く場所として万葉集に出てくるのは,志賀の海(今の福岡市志賀島),縄の浦(今の兵庫県相生市),手結が浦(今の福井県敦賀市),松帆の浦(今の兵庫県淡路市),藤井の浦(今の兵庫県明石市)です。これらの塩の産地が当時有名だったとすると,瀬戸内海の波が穏やかで比較的少雨の場所に多くあり,遠く離れていても平城京に船で運びやすい場所(次の長歌の一部に出てくる敦賀は琵琶湖水運を利用)であるなどの傾向が私には伺えます。

~ 喘きつつ我が漕ぎ行けば ますらをの手結が浦に 海女娘子塩焼く煙 草枕旅にしあれば ひとりして見る験なみ ~(3-366)
<~ あへきつつわがこぎゆけば ますらをのたゆひがうらに あまをとめしほやくけぶり くさまくらたびにしあれば ひとりしてみるしるしなみ ~>
<<~ 喘ぎながら私が乗る船が漕ぎ進むと,手結が浦に若い海女乙女たちが塩を焼く煙が見える。ただ,旅の途中ひとりで見てもつまらない ~>>

この長歌は,笠金村(かさのかねむら)が越前を旅していて,一人旅の寂しさを詠んだもののようです。
さて,次に「焼く」対象として出てくるのが「太刀」です。万葉時代の「剣(つるぎ)」は戦争の武器としてポピュラーにものだったと考えられます。その切れ味や相手との勝負を有利にするために大型化,軽量化,そして強度を増すことが求められていたと考えられます。そのため,比較的加工しやすい軟鉄で刀の形に加工し,良い形ができた時点で,焼き入れをして,鋼鉄に変えることで,切れ味を増し,丈夫になります。
万葉集では「焼き太刀の」または「焼き太刀を」という表現が出てきます。これらは「利(と)」や「辺(へ)」に掛かる枕詞であるという説が一般的のようです。

焼太刀を砺波の関に明日よりは守部遣り添へ君を留めむ(18-4085)
やきたちをとなみのせきに あすよりはもりへやりそへ きみをとどめむ
<<砺波の関所に明日にはもっと多くの番兵を差し向けて,あなたがお帰りになられるのを引き留めましょう>>

この短歌は大伴家持が天平感宝元年5月5日に東大寺から越中に来た僧たちが京に戻るとき設けられた宴の席で僧たちに贈ったといわれる1首です。「焼き太刀を」は砺波(となみ)の「と」に掛かる枕詞であろうとして使用されている例です。
ただ,次の湯原王(ゆはらのおほきみ)が詠んだとされる短歌にでてくる「焼き太刀の」は,枕詞としてではない使用例のようです。

焼太刀のかど打ち放ち大夫の寿く豊御酒に我れ酔ひにけり(6-989)
やきたちのかどうちはなち ますらをのほくとよみきに われゑひにけり
<<焼き太刀の鋭い刃で石を打って出た火を使い,屈強な男性がしっかり仕込んで醸造したという上等な酒に私は酔ってしまったなあ>>

私はこの短歌から万葉時代の貴族など比較的裕福な人たちに対し,酒の作成過程を提示して高級な製品(他製品との差別化製品)であることを示していたことが伺えます。
今でも「天然水仕立て」「合成添加物無添加」「○○産自然塩使用」「手搾り感覚果実入り缶チューハイ」などのキャッチコピーで宣伝し,高品質を訴求している製品が溢れていますね。
万葉時代には酒の醸造技術も進化し,それまでに比べて格段に高品質な酒が出回るようになったのは間違いないでしょう。ただ,鋭い焼き太刀から出る火花の火で火を起こし,その火で米を蒸すとうまい酒ができるという根拠は薄いと私は思いますので,このキャッチコピーは単なるイメージ戦略かもしれませんね。
次回は,別の「焼く」対象について見ていきます。
動きの詞(ことば)シリーズ…焼く(2)に続く。

2014年5月23日金曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…置く(4:まとめ)  放って置かないで!

<長浜城に寄る>
この前の土日は今年もみかんの木の年間オーナーになって,「今年の木」の抽選会に出るために奈良の明日香村に行きました。行きの土曜日は,途中,長浜城に寄り,長浜城の天守から晴天の琵琶湖を眺めることができました。

また,長浜城の近くのお蕎麦屋さんで,昼食に「にしんそば」ではなく,おそらく日本海産のサバが主役の「サバそうめん」定食を食べました。サバの甘露煮がボリューム満点で満足な昼食でした。

<明日香ミカン農園に着く>
みかん農園から見た明日香村方面も晴天で遠くの方まで見ることができました。畝傍山と二上山がはっきりと見えました。

<本題>
さて,「置く」の最終回は今まで出てきた用法以外の「置く」について見ていきます。
「置く」には置く対象があるはずですね。万葉集で「置く」の対象を見ていきますと,まず「幣(ぬさ)」がみつかります。「幣」とは神前に折りたたんで供える布,紙を指します。万葉集では旅の安全を祈るため,各地場の神々に幣を供えることが出てきます。

山科の石田の杜に幣置かばけだし我妹に直に逢はむかも(9-1731)
やましなのいはたのもりに ぬさおかばけだしわぎもに ただにあはむかも
<<山科の石田の社に幣を捧げて祈ったらすぐ妻に逢えないだろうか>>

この短歌は2012年8月11日の本ブログにも紹介している藤原宇合(ふじはらのうまかひ)が詠んだというものです。
私が育った京都市山科にある石田(いわた)神社は奈良の京から逢坂山を通って近江東国へ行く無事を祈って幣を供える(手向ける)ことが流行っていたのだろうと私は想像します。
スムーズに旅が進むよう加護される霊験が大きいといわれている石田神社に幣を手向ければ(置けば),待っている妻とすぐ逢えると考えこの短歌を宇合は詠んだのかもしれませんね。
次は馬酔木の花を「置く」場所について詠んだ短歌です。

かはづ鳴く吉野の川の滝の上の馬酔木の花ぞはしに置くなゆめ(10-1868)
かはづなくよしののかはの たきのうへのあしびのはなぞ はしにおくなゆめ
<<カエルが鳴いている清らかな吉野川の滝の上に咲いていた馬酔木の花ですぞ。隅の方に置いてはなりません>>

この場合のカエルはカジカガエルなのでしょうね。そんな清らかな場所のさらに滝の上の採りにくい場所に咲いていた馬酔木の花をなのだから粗末に扱わず,ちゃんとした場所に飾るようにこの短歌は促しています。
ここでいう「置く」は飾るという意味に近いように感じます。
次も植物を置くことを詠んだ詠み人知らずの短歌(東歌)ですが,その植物は別のものの譬えです。

あしひきの山かづらかげましばにも得がたきかげを置きや枯らさむ(14-3573)
あしひきのやまかづらかげ ましばにもえがたきかげを おきやからさむ
<<山に生えている珍しいヒカゲノカズラ。これは滅多に得られないもの。置いたままにして枯らすようなことは決してすまいぞ>>

「山かづら」は,この短歌の作者が恋している彼女のことを譬えていると考えても良いでしょう。
やっと最高の恋人ができた。絶対離したくない。放っておかない。そんな思いがこの短歌から見えます。
最後もそのままにするという意味の「置く」を詠んだ詠み人知らずの女性が詠んだ,または女性の立場で詠んだと思われる短歌です。

あしひきの山桜戸を開け置きて我が待つ君を誰れか留むる(11-2617)
あしひきのやまさくらとを あけおきてわがまつきみを たれかとどむる
<<山桜戸を開けたまま,私が待っているあの人を,誰が引き留めているのでしょう>>

私はいつでもOKなのに,なかなか来てくれない彼。もしかしたら誰かが私のところに行けないように引き留めているのではないかと思いたくなるくらい待ち遠しい。「いつでもOK」という気持ちを「山桜戸を開け置きて」という美しい表現を使っているこの短歌を見て,この作者に同情する私がいます。
そして,藤原定家が恋人が来るのを待つ少女の立場で詠んだ百人一首の短歌を思い出しました。

来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ(97番)

ここまで多様な「置く」の表現を万葉集で見てきました。次回からはこの百人一首の短歌にも出てくる「焼く」を万葉集で見ていくことにします。
動きの詞(ことば)シリーズ…焼く(1)に続く。

2014年5月10日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…置く(3) 水蒸気は気温で変化し,人間に和歌を詠ませる?

東京ウォーキングフェスタに2度目の参加
今年も東京ウォーキングフェスタ(5月3日・4日東京都立小金井公園がスタートゴール)に参加しました。

昨年は2日間とも30㎞コースだったので,当然今年も2日間とも30㎞コースを歩きました。少し暑かったですが,途中の公園,道路端,川原,民家の庭先に咲く多くの草花や新緑の木々を楽しむことができました。
写真は,新緑と花を歩きながら楽しめたスナップです。




<本題>
「置く」の3回目ですが,雪,露,霜などを「置く」という表現が多数万葉集に出てきますので,取り上げてみます。露と霜については,今年3月のブログでも紹介していますが,「置く」という動詞を視点に見ていきます。
さてまず,今の季節とは異なりますが雪から見ます。雪について「降り置く」という表現が多く使われています。

真木の上に降り置ける雪のしくしくも思ほゆるかもさ夜問へ我が背(8-1659)
まきのうへにふりおけるゆきの しくしくもおもほゆるかも さよとへわがせ
<<真木の上に降り積もっている雪のように,幾重にもあなたのことが思われます。夜に来て下さいね,私のあなた>>

完全な逆ナンパの短歌ですね。この短歌の作者は他田廣津娘子(をさだのひろつのをとめ)という女性です。雪は大きな木の上にたっぷりと積もっていたのでしょう。男(夫)からすれば,「雪が積もる(降り置かれた)ような寒い夜に妻問に行けるわけないよ」という気持ちかもしれませんが,雪明りの夜は道も良く見え,音も静かでなかなか雰囲気が良いですよとでも娘子はいいたげですね。
次は,「降り置く」の表現は使っていませんが,積もった雪はすぐ消える惜しさを詠んだ坂上郎女(さかのうへのいらつめ)の短歌です。

松蔭の浅茅の上の白雪を消たずて置かむことはかもなき(8-1654)
まつかげのあさぢのうへの しらゆきをけたずておかむ ことはかもなき
<<松の木蔭に低く生えた茅(ちがや)の上に積もった雪を積もったまま消えないようにするおまじないはないものかしら>>

茅のような低木の上に積もった雪は地熱の影響を受けず,また松の木の陰で直接太陽にも当たらない関係で,他の場所より長く雪が消えずに積もっ(置いた)たままになるのだろうと私は想像します。それでも,いつかは消える美しくもはかない雪。郎女自身の身体的な若さが徐々になくなっていく寂しさを譬えているのかもと私は思いたくなります。
次は「霜を置く」の例を見ます。

秋田刈る仮廬もいまだ壊たねば雁が音寒し霜も置きぬがに(8-1556)
あきたかるかりいほもいまだ こほたねばかりがねさむし しももおきぬがに
<<秋稲刈をするための小屋もまだ壊さない(稲刈りが終わっていない)時期にもう雁が寒そうに鳴いている。もう霜が降りしてしまうのか>>

この短歌は忌部黒麻呂(いみべのくろまろ)という人物が詠んだとされています。当時,稲刈りの時期には,自分の田の近くに仮廬(小屋)を作って,そこに稲刈りの道具や刈った稲を一時的に置いたりしたのかもしれません。
作者は農民の稲刈りの様子を眺めて,霜が置く(降りる)時期が早まることを心配してこの短歌を詠んだののだろうと私は思います。忌部氏は朝廷の祭事を担当していた氏族で,天候により豊作や凶作,農民の作業の進捗に関心があったのかもしれません。
最後は「露を置く」の例として,「霜を置く」の例で出した短歌と似ている詠み人知らずの短歌を紹介します。

秋田刈る仮廬を作り我が居れば衣手寒く露ぞ置きにける(10-2174)
あきたかるかりいほをつくり わがをればころもでさむく つゆぞおきにける
<<秋の田の稲刈りのために小屋を作ってそこにいると,袖が寒いなと思ったら,何と露に濡れていた>>

この作者は農民の立場か,稲泥棒や稲田を荒らす野生の動物(猪や鹿)を監視し,追い払う役目の人の立場で詠んでいそうです。監視作業は,秋が深まり,露に濡れるほど夜は冷えるツライ仕事であったのでしょう。ただ,実際に詠ったのは収穫が終わった後の祭りのときかもしれませんね。
「雪を置く」「霜を置く」「露を置く」を使った万葉集の和歌を見ると,それらの言葉が気候(湿度の高い日本の気候)の変化をとらえて恋,風景,仕事などの状況を詠む道具として使われていたように私は感じます。
動きの詞(ことば)シリーズ…置く(4:まとめ)に続く。