2017年7月17日月曜日

序詞再発見シリーズ(22) … 荒波の音でも心は落ち着く?

今回からは「波」を序詞に詠んだ万葉集の短歌を紹介します。
最初は,勢いよく岩にぶつかり,しぶきが岩を越えるような波を序詞に詠んだ短歌です。

荒礒越し外行く波の外心我れは思はじ恋ひて死ぬとも(11-2434)
ありそこしほかゆくなみの ほかごころ われはおもはじこひてしぬとも
<<荒波の流れが岩を越えて行くように私の心はただ一筋に貴女を慕っていますたとえ恋に死ぬとしても>>

荒磯にそそり立つ大岩を越えて,大岩の向こうまで勢いよく行ってしまう波の激しさを自分が相手を恋しく思う強さとして表現しています。そして,自分が死んでもその激しさは変わらないとも。
そんな大波が来る磯とはいったいどこなのか?と,この短歌を聞いた人は思ってしまうでしょう。
次は,波で有名な地名を序詞に詠んだ短歌です。

沖つ波辺波の来寄る佐太の浦のこのさだ過ぎて後恋ひむかも(11-2732)
おきつなみへなみのきよるさだのうらの このさだすぎてのちこひむかも
<<沖に立つ波だけでなく波が海岸にも打ち寄せる佐太の浦,そのさだ(恋の最盛期)が過ぎた後も恋しい身持ちが残っている>>

佐太の浦がどこにあるか不明ですが,万葉時代「さだ」と発する名前が頭に付いた岬,浦,海,山があったことは事実のようです。漢字は佐太以外に,佐田,佐多などの字が当てられています。
また,万葉時代には「時」のことを「さだ」と呼んでいたようです。後の源氏物語には「さだ過ぎ人」=「盛りの時を過ぎた人」としての用例があるようです(広辞苑)。
序詞は当時の用語の用例や用例での用語の意味合いを明確にすることに貢献していると私は感じます。
最後は,激しい風で波も荒れている姿を序詞に詠んだ短歌です。

風をいたみいたぶる波の間なく我が思ふ妹は相思ふらむか(11-2736)
かぜをいたみいたぶるなみのあひだなく あがおもふいもはあひおもふらむか
<<風が激しいので,荒波が絶え間なく寄せている。そのように絶え間なく私が恋している彼女も私のことを恋しいと思っているのだろうか>>

これから,台風の季節に入りますが,そういった暴風が吹き荒れると波も大きく繰り返し打ち寄せてきます。
そのような強い荒波が繰り返し続くほど強く恋しているのに,相手はそれに反応してくれない(手応えがない)という寂しい作者の気持ちがこの短歌には表れている気がします。
こういった落ち込んだ心理状態を解消するために,実際に海の荒磯に行ってうち寄せる波をしばらく見続けると心理的に落ち着くことが万葉時代に知られていたとします。
そうなら,序詞には「憔悴を癒す海辺の旅」キャンペーンの効果があったかもしれないという推測が可能かもしれませんね。
(序詞再発見シリーズ(23)に続く)

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