2017年5月4日木曜日

序詞再発見シリーズ(15) … 秘境に松はよく似合う?

今年のゴールデンウィークは,カレンダーとおりの仕事で,私にとって昨日から始まった感じです。
まったく,昨日は結局あまり計画したことができず,日ごろの疲れをいやす感じでした。
今日は,午前から夜にかけて,横浜,新宿,池袋など,久しぶりに繁華街を満喫する予定です。
さて,「序詞再発見シリーズ」は植物と万葉集の序詞を見始めていますが,2回目の今回は「松」を序詞に入れた巻11,12の短歌を紹介します。
最初は,荒波が打ち寄せる磯に生える松(荒磯松)を詠んだ短歌です。

あぢの住む渚沙の入江の荒礒松我を待つ子らはただ独りのみ(11-2751)
あぢのすむすさのいりえのありそまつ あをまつこらはただひとりのみ
<<アジガモが生息している渚沙の入江にある荒磯松(ありそまつ),(あをまつ)私を待っていてくれる妻はただひとりだけ>>

この短歌の序詞には,地名(渚沙の入江),動物(あぢ),植物()が詠み込まれています。
「渚沙の入江」は「スサノヲノミコト(須佐之男命)」の「須佐」との関係から,各地で「須佐」のつく地名や神社のある場所がありえるようです。いずれにしても,この入り江は海のない奈良地方の京からは離れた場所であることは間違いなさそうですね。
「あぢ」は「アジガモ」のことで,当時食用にしていたので「あぢ(味)」と呼ばれていたとの説もあります。
結局,アジガモがたくさん飛んでいて,荒波で洗われた絶壁に這いつくように生えている松が美しい風光明媚な「渚沙の入江」の情景が,私には絵のように見えてきます。万葉時代に「渚沙の入江」は,京人が行きたいあこがれの地だったのかもしれません。
次は,同じく磯の岩に小さく生えている「松」を取り上げた短歌です。

礒の上に生ふる小松の名を惜しみ人に知らえず恋ひわたるかも(12-2861)
いそのうへにおふるこまつの なををしみ ひとにしらえずこひわたるかも
<<人が容易に行けない磯の上に人知れず小さく生えている松、人知れずひそかに恋いしい思いが続いている>>

この短歌の作者は,人々がなかなか行けない秘境のおそらく非常に厳しい環境に耐えながら,必死に生きている小松を想像して,この短歌を詠んだと私は理解します。今でも根強くある秘境ブーム。万葉時代には,全国各地の秘境の珍しい風景の情報が風土記などの編纂で京人につぎつぎと入ってきて,秘境への誘い効果があったのかもしれません。
最後は,松の一部を序詞に詠んだ短歌です。

奈良山の小松が末のうれむぞは我が思ふ妹に逢はずやみなむ(11-2487)
ならやまのこまつがうれの うれむぞはあがおもふいもに あはずやみなむ
<<奈良山の小松が末(うれ)のように,うれむぞ(結局)は,私がぞっこんの彼女には逢わずに恋は終わることになるだろう>>

この短歌に出てくる「うれむぞ」は万葉集のみに見える言葉らしいです。万葉集でも「うれむぞ」の用例がこの短歌を含め2例しかないのです。元の万葉仮名もまったく違う漢字であり,どこまで当時使われていた言葉か微妙な感じがします。もしかしたら,ごく限られた人しか使わない当時のスラングだったのかもしれません。
松の葉先はとがって先が細くなっています。先細りしかない我が恋が切ないのはいつの時代も同じなのでしょうか。
(序詞再発見シリーズ(16)に続く)

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