2017年4月16日日曜日

序詞再発見シリーズ(13) ‥ その他の地名と序詞

序詞の中に地名が出てくる万葉集の和歌の紹介を今回で終わりにします。
今まで紹介してこなかった地名が序詞の中に出で来る短歌を見ていきますが,最初は百人一首の歌にも出てくる「大江山」です。

丹波道の大江の山のさな葛絶えむの心我が思はなくに(12-3071)
たにはぢの おほえのやまのさなかづら たえむのこころわがおもはなくに
<<丹波街道の大江山にきれいな葛が絶えず伸びつづけるように,あなたと慕う気持ちが絶えるなどと私が思うでしょうか>>

丹波道(街道)は,今の京都から亀岡(明治初期までは亀山と呼んでいた),今の園部を通って北上し,日本海に抜け,西(山陰地方)に向かう街道です。大江山を過ぎると日本海の海岸まであと少しです。不安な旅人も気持ちとして大分楽に感じるようによったでしょう。
大江山のふもとでは,夏になると(カズラ:つる草の総称)がすごい勢いで伸びでいたのだと思います。
行きは早春で林野は見通しが良く,広々としたいたのが,何カ月後の帰りには,うっそうとつる草が生い茂り,蔓は木を取り巻くだけでなく,木の上まで伸びていたと想像できます。
景色がガラッと変わってしまうくらい伸び続ける葛の勢いと同じくらいあなたのことを思っているという短歌ですが,京人にとっては大江山の葛の繁茂の早さはすでに有名だったのかも知れませんね。
さて,次は今の滋賀県(近江地方)の川の名前を序詞に入れた短歌です。

高湍なる能登瀬の川の後も逢はむ妹には我れは今にあらずとも(12-3018)
たかせなのとせのかはの のちもあはむいもにはわれは いまにあらずとも
<<急流である能登瀬川の名のように後の世に逢おう。彼女と私が逢うことは今は叶わないが>>

この能登瀬川は,同じ名前川は今の地図上残っていません。しかし,滋賀県米原市にある天野川の旧称が能登瀬川とのこと殺目山らしく,この短歌に出てくるのが天野川だとされているようです。
もし,そうだとしたら,同じ名が万葉集に出てくる以上は,安易に名前を変えないでほしいなあと私は思います。
そのほか,滋賀県では少し似た能登川という地名があります。この地名は川があったからではなく名付けられたようで,地域も平野で小さく,とても早瀬をもつ川とは無縁だと考えられそうです。
能登(のと)と後(のち)の発音が似ていたということ。また,瀬(せ)と世(せ)が同じ音読みだということが当時一般に知られていたら,「後は」の意味がより限定されたものになると私は考えます。
最期は,三重県の伊勢を序詞に詠んだ短歌を紹介します。

伊勢の海人の朝な夕なに潜くといふ鰒の貝の片思にして(11-2798)
いせのあまのあさなゆふなにかづくといふ あはびのかひのかたもひにして
<<伊勢の海人が朝夕に潜って獲るというアワビの貝の殻が片側にしかないと同じように私は片思いをしている>>

天の川 「なんや。この短歌,序詞ばっかりえろ~長くて,言いたいことは『俺,片思いしてんねん』だけやんか」

天の川君の感想はもっともだと思うよ。万葉集が質の高い名歌を集めた歌集なら,こんな短歌が入っている訳がないよね。
<万葉集を文学と見るから苦しい>
万葉集を文学として高く評価する批評家さんたちは苦し紛れに「万葉集は名もない庶民が詠んだ素朴な和歌も載っている」などと説明しているけれど,万葉集を文学作品オンリーと見るから説明が苦しくなるだけだと私は思うね。
万葉集には文学的に優れた和歌もないわけではないが,情報提供(何らかの広報)を目的としたものであれば,話は全然別になるよね。情報提供が目的ならば,作者の感情の表現がうまいか下手かは無関係。その短歌がもつ情報の量や質が優劣を評価する基準になる。
<天の川君よろしく!>
天の川 「そんなら,この短歌は『伊勢では若くて可愛いピチビチの大勢の海女さんたちが,朝から夕方まで濡れたらスケスケの衣を着て潜り,身のほうは煮ても焼いてもおいしいし,乾燥させたら日持ちがして,水に戻せばそれはそれでおいしい,そして貝殻の裏はきれいに輝いて首飾りの材料にもなるアワビをたくさん獲っているから,みんなで伊勢へおいでやす』というような情報があるということやな」

おいおい,天の川君,そんな「ピチピチ,スケスケ」まではこの短歌は書いてないぞ。ただ,スケベな平城京のオジさんたちはそんな妄想をしたかもしれないね。

天の川 「なんやて! 俺がスケベオヤジやと言ってんのと同じやんか!」

天の川君,おっと,悪い悪い。
さて,これで,地名を入れた序詞がある和歌の紹介を終わり,次回からは植物をテーマとして序詞に入れた巻11,巻12の短歌を見ていきます。
(序詞再発見シリーズ(14)に続く)

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