2015年5月31日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…栄ゆ(3:まとめ) 最後に新しいブログ立上げのお知らせがあります。

「栄ゆ」の最終回は,これまで出てこなかった「栄ゆ」が読み込まれている和歌について,万葉集を見ていきます。
今回の最初は,海犬養岡麻呂(あまのいぬかひのをかまろ)が宮廷で聖武(しやうむ)天皇から命じられ詠んだとされる短歌です。

御民我れ生ける験あり天地の栄ゆる時にあへらく思へば(6-669)
みたみわれいけるしるしあり あめつちのさかゆるときに あへらくおもへば
<<陛下の民である私は生きている有難さを感じています。天地が栄える時に偶然生まれ合わせたと思うので>>

「今の社会の繁栄は天皇のおかげ,そんな時に生まれて本当に幸せです」といった天皇礼賛(=よいしょ)の典型のような短歌でしょうか。
聖武天皇は,奈良の大仏殿や各地の国分寺国分尼寺を始めする寺院の建設,恭仁(くに)京難波(なには)京への遷都(結果は頓挫)などの公共事業を積極的に推進したようです。
政権の財政を逼迫させるような浪費にも見えますが,その結果,諸産業が活性化し,多くの人が職に就け,天平文化が開花し,栄えたとも言えそうです。
さて,次は天皇礼賛ではなく,大伴氏礼賛の短歌(この短歌はすでに何度かこのブログで紹介)です。

靫懸くる伴の男広き大伴に国栄えむと月は照るらし(7-1086)
ゆきかくるとものをひろき おほともにくにさかえむと つきはてるらし
<<矢筒を背負い朝廷に仕える丈夫の大伴氏によって国はいよいよ栄えゆく証しとして,月もさやかに照るっているようだ>>

国の繁栄は大伴氏の武勇によるものだと言いたいのでしょう。ただ,この短歌が詠まれた平城京の時代では武勇は過去のもので,昔を懐かしんで詠まれたのかもしれません。
最後は,雨乞いをしていたら,雨が降ってきて良かったという大伴家持が天平感宝元(749)年6月4日に越中で詠んだ短歌です。

我が欲りし雨は降り来ぬかくしあらば言挙げせずとも年は栄えむ(18-4124)
わがほりしあめはふりきぬ かくしあらばことあげせずとも としはさかえむ
<<我らが欲しいと願った雨はとうとう降ってきたので,もうあれこれ心配ごとを言わなくても豊作の年となるでしょう>>

実は天平感宝という元号は,この年の4月に天平21年から改元され,同じく7月には天平勝宝元年に改元されたということで,わずか3ヶ月ほどの短命な元号ということになります。
その3ヶ月間の出来事を表す時だけ使う元号となるため,一般の歴史書にはほとんど表れない元号となっているようです。
しかし,この短歌の前にある同じく家持が詠んだ雨乞いの長歌の題詞には,「天平感寶元年」とあるとのことで,正確に元号が記されていることに私は万葉集全体の内容に関する信頼性を感じます。
この長歌では,この年の5月に長く雨が降らないため(空梅雨),稲の葉が萎んでいく姿を見て,雨が降ってほしいと必死な雨乞いの気持ちを詠んでいます。
越中守の家持の下には,農家からは窮状を訴える陳情が多く寄せられていたのだと思います。
当時は海水の淡水化装置がある訳ではありませんから,こればかりは天に祈るしかなかったのでしょう。そして,6月についに雨が降ってきて,この短歌のように安堵する家持がそこにいるのです。
越中の平和で栄え豊かな生活を維持するという重い責任を負わされた家持の人間らしい側面がこの短歌には,またにじみ出いるように私には感じます。
これで,「栄ゆ」は終わります。

実は,万葉集に関する新しいブログを立ち上げました。
ブログの名称は,ブログ「万葉集に関するクイズです」です。
http://quiz-mannyou.blogspot.jp/
タイトルの通り,万葉集をテーマとしたクイズを次々と出していくブログです。
そちらも楽しんでください。なお,このブログも継続して投稿していきますよ。
このブログの次のテーマは動詞「参ゐる」を見ていく予定です。
動きの詞(ことば)シリーズ…参ゐる(1)に続く。

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