2015年2月22日日曜日

当ブログ7年目突入スペシャル(1)‥万葉集が記録した地名

<石和温泉でくつろぐ>
2009年2月下旬から始めたこのブログも7年目に入ろうとしています。
昨日今日と私は石和温泉駅から北東へ徒歩10分ほどの比較的小さな温泉旅館に来ています。
昨年12月から私は新しい職場に転職し,ようやく対象システムの全貌,初期開発当時の状況,その後何年にも続いた保守開発対応の経緯の詳細が見えてきました。
以前からときどき仕事の疲れを少し癒すため,都心から近いことが便利なこの温泉地を今回も選びました。旅館到着後,すぐに温泉風呂に入り,リラックスしてから,このブログを書き始めています。
今回宿泊の旅館は,初めて来た場所ですが,お風呂も泉質の異なる2種類の温泉(旅館直下で涌く温泉と,いわゆる石和温泉と呼ばれる温泉)が楽しめ,料理もなかなかしっかりしたボリュームと内容で申し分ありませんでした。写真は,お風呂(左の浴槽が温めの自噴温泉で右の浴槽が熱めの石和温泉)と夕食の料理(一部)です。


<万葉集の雑多さで万葉集の評価を下げる評論には反対>
今回のスペシャルは「万葉集が我々に残した情報は何か?」について,3回に分けて私の考えを示したいと思います。万葉集には,一見無秩序と思われるくらい,多様で多くの(飛鳥時代から奈良時代に掛けての)情報が盛り込まれています。
万葉集の解説本に「『万葉集は一人の人が編纂したのではなく,何回かに分けて編纂された歌集を集めたものである』といった学説が有力だ」という解説をよく見かけます。しかし,私はそんな解説にほとんど興味を感じません。一部がいつだれがその部分を編纂したかはどうでもよいと私は思います。
<最終編者の意図こそが万葉集の評価を決める>
最終的に20巻の万葉集として編集した人が万葉集を編纂したのです。それがたとえ寄せ集めでも,統一されていなくても,下手くそな和歌が数多く残っていたとしてもまったく問題はありません。不統一であるとか,寄せ集めであるからとか,どうでもいいような和歌がたくさんあるとかで,万葉集自体や最終編集者の評価を下げるような解説に対し「それがどうしたの?」と私は言いたくなるだけです。
<万葉集の価値はその情報量にある?>
万葉集の価値は,そこに納められた情報量の多さにこそ大きなものがあると感じます。ここで私が言う情報量とは,重複を排除(一つにして)して残ったものです。情報処理技術の分野でいうと情報のユニーク(一意)性を高めた処理後の情報の量です。それは多様性が高いほど,私の言う情報量が多いことを示しているのです。
いわゆる「優れた(?)和歌を集めた万葉集の解説本」の多さには,私は正直辟易します。『優れた』という非常にあいまい,かつ選んだ人の個人的な価値観(例えば,○○博士が選んだから優れているとか)を勝手に押し付けたものでしかないからです。
<原点に戻る>
さて,このブログを始めた時にも書きましたが,私が万葉集から収集した用語集(約6千語)があります。それを見ていくと,まず地名の多さが目立ちます。万葉集での地名と思われる用語の数は,少なくとも800以上あると私は考えます。もちろん,その数は何度も出てくる有名な地名も1として数えています(延べ数ではありせん)。
これだけ,さまざまな地名が出てくる歌集であることは,編者が当時の日本という国(本州,四国,九州)の地名を多くの人に知らしめたいといってもおかしくありません。万葉集の和歌を見た,まは聞いた人は,その地名に行ってみたいと感じる人は多かったのではないでしょうか。
特に,地名にまつわる伝説を詠んだ次の短歌などは,その伝説の地に行ってみたいと特に感じるさせる効果は高かったと私は想像します。

香具山と耳成山と闘ひし時立ちて見に来し印南国原(1-14):中大兄皇子
かぐやまとみみなしやまと あひしときたちて みにこし いなみくにはら
<<香具山と耳梨山とが争った時に出雲の神が立ち上がって見に来たという,ここが印南国原なのだ>>

音に聞き目にはいまだ見ず佐用姫が領巾振りきとふ君松浦山(5-883):三嶋王
おとにききめにはいまだみず さよひめ ひれふりきとふ きみまつらやま
<<人づてには聞いているがまだ行ったことの無いのだ(行ってみたい)。肥前の唐津にあるという佐用姫が恋人との別れを惜しみいつまでも袖を振り,帰りを待ったいう言い伝えがある松浦山に>>

人皆の言は絶ゆとも埴科の石井の手児が言な絶えそね(14-3398):東歌
ひとみなのことはたゆとも はにしなのいしゐのてごが ことなたえそね
<<人の言い伝えがすべて忘れ去られても埴科(長野県北部の郡)にある石井の手児の伝説だけは絶えさせないでほしい>>

さらに,たとえば次の詠み人知らずの短歌のように,どういったことでその地名が有名かが分かる序詞や枕詞を持つ和歌も多く出てきます。

もののふの八十宇治川の早き瀬に立ちえぬ恋も我れはするかも(11-2714)
もののふのやそうぢがはの はやきせにたちえぬこひも あれはするかも
<<大勢の武士たちの勢いと素早さで移動するような宇治川の早い瀬に立っているのが非常につらいの同じほど,あなたとの恋は苦しいものとなっているようです>>

「この最初の部分は『立ちえぬ』を導く序詞(枕詞)ですから,特に意味を意識する必要ははありません。この短歌は苦しい恋をしていると言いたいだけの単純なものです。」と解説したり,現代訳したりする人に万葉集の良さを語ってほしくないというのが,私の正直な感想です。
<序詞から多くの情報が得られる>
この短歌の情報として,宇治川は勢いよく流れる早い瀬があることが分かります。しかし,宇治は交通の要所であり,その川を渡る必要があるのです。それがどれだけ大変なのかが,当時の人々の評判になっていたのだろうという確かな情報が得られるのです。また,そのつらさの情報から「憂(う)し川」⇒「宇治(うぢ)川」と呼ばれるようになったのかも知れないという推測情報が演繹可能となります。
万葉集の編者は,地名を知らしめることと,そこへ旅をする人が増えることを願ったのかもしれません。具体的には,平城京,飛鳥京,大津京,近江周辺,吉野宮,藤原京,難波宮,恭仁京,山背地域(京都府南部),瀬戸内海の島々や沿岸地域,九州北部,山陰地方,北陸地方,伊勢,東海地方,関東甲信越地域,東北南部地域などの地名が出てくること自体に,情報量としての価値を私は強く感じるのです。
万葉集に出てくる地名を見るたびに出かけたくなる,今温泉三昧中の私「たびと」でした。
当ブログ7年目突入スペシャル(2)に続く。

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