2014年1月1日水曜日

年末年始スペシャル「馬を詠んだ和歌(1)」

2014年新春のお慶びを申し上げます。本年も『万葉集をリバースエンジニアリングする』のブログアップをよろしくお願いします。
おかげさまで,昨年の閲覧数は2012年に比べて約1.8倍に増えました。とりわけ,2011年7月に投稿しました『天の川特集(2)‥憶良・家持は「七夕」通? 』と昨年元旦に投稿しました『年末年始スペシャル「万葉集:新春の和歌(1)」』には非常に多くの閲覧をしていただきました。
見たけれど期待外れの内容だっと感じられた方も多かったかもしれませんが,万葉集に関し,多くの方が関心のあるキーワードを含んだ内容に少しはできているのではないかと感じています。
これからも意欲的に取り組む気持ちを保持できているのも閲覧数が励みになっていることも事実です。
さて,今年は午年(うまとし)ですね。万葉集の中で正月の和歌ではありませんが,馬や駒を詠んだ和歌について何回かに分けて投稿します。
まず,お正月ですので,縁起の良い「龍の馬」を詠んだ大伴旅人の短歌から紹介します。

龍の馬も今も得てしかあをによし奈良の都に行きて来むため(5-806)
たつのまもいまもえてしか あをによしならのみやこに ゆきてこむため
<<龍の馬を今こそほしいものです。奈良の京に行って帰ってくるために>>

当時,陸路で一番速かった移動手段は馬に乗って移動することだったのだろうと私は思います。しかし,旅人はそのスピードでは満足できず,龍のように空を駆けるようなスピードの馬が欲しかったのでしょう。そうすれば,九州の大宰府にいても,仕事の少し空いた時間に平城京にいる会いたい人と会って,すぐまた戻ってこれる。
そんな夢ような馬(龍の馬)があれば良いのになあという願望がストレートにこの短歌には表れていると私は感じます。
今でも,新幹線の更なるスピードアップ,リニア新幹線の開業に向けたインフラ整備,飛行場へのアクセスの利便性向上など,短時間で目的の場所に移動できることへの欲求は無くなりません。
次は馬に乗って旅をしている途中の出来事を詠んだ詠み人知らずの短歌です。

住吉の名児の浜辺に馬立てて玉拾ひしく常忘らえず(7-1153)
すみのえのなごのはまへに うまたててたまひりひしく つねわすらえず
<<住吉の名児の浜辺で馬をとめて玉を拾ったことがいつまでも忘れることができない>>

住吉名児の浜辺は,大阪市の南部の海岸線だったのかもしれません。「すみのえ」と仮名を当てますが,万葉仮名は「住吉」です。
当時そこは風光明媚で,冬は温暖で,夏は海風で涼しく,新鮮な魚も食べられ,住みやすそうな場所だったのでしょう。海が無い盆地の平城京の人たちにとって,名児の浜辺は今で言う湘南海岸や葉山のような海浜高級別荘地のイメージだったのだろうと私は想像します。
馬に乗った(仕事の)旅の途中でその美しい海岸を通ったとき,馬から降りて,海岸で家に残してきた家族や実家近くの恋人のために綺麗な貝がらを拾ったことが嬉しくて忘れられない記憶となったのでしょう。
当時馬を手に入れる価格は,今で言えば高級車並みだったとすると,この旅人は中産階級以上ということになり,住吉はあこがれの地だったのかもしれませんね。
さて,馬が高級車とするとガソリンに当たる餌が必要になります。当時のそういった様子を伺うことができる旋頭歌(柿本人麻呂歌集より万葉集に転載)を次に紹介します。

この岡に草刈るわらはなしか刈りそねありつつも君が来まさば御馬草にせむ(7-1291)
このをかにくさかるわらはなしかかりそね ありつつもきみがきまさむみまくさにせむ
<<この岡で草を刈っている童よ,そんなに刈らないでおくれ。このままにしておけば彼が来たときのお馬にあげる草にできるから>>

今年は天の川君も馬を見習って馬力をかけてほしいものですね。

天の川 「たびとはん。頑張ってほしかったらなあ,正月の酒にもうちょっと上等なんにして~な。今からでも遅~ないで。」

今年も相変わらず憎まれ口だけは達者で期待はできない天の川君に邪魔をされないよう,本ブログは上品にいきたいものですが,さてどうでしょう。
年末年始スペシャル「馬を詠んだ和歌(2)」に続く。

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