2013年8月25日日曜日

2013夏休みスペシャル‥「貧窮問答歌を経済の視点で見る」

<経済格差は今もある>
今年は立秋から半月以上が過ぎても猛暑が続きます。そのためか,ルームエアコン,扇風機,冷蔵庫,掃除機など家電製品の売れ行きが良いようです。また,さまざなの経済政策に対し,猛暑効果もあり,少しは景気が上向いているという報道も出ています。
しかし,別の報道では高い電気料金が負担で,やむなくエアコンを入れるのを我慢し,熱中症で死亡または病院に搬送される人がいる。定職に就きたいが,なかなか正社員の求人がなく,やむなく(ほぼ最低賃金の)アルバイトやパートタイムでしのいでいる人がいる。家賃を払えずホームレスとなっている人がいる。病気や障害で仕事に就けず生活保護を受けている人が多くいる。子供を養うお金がなくて育児放棄をしてしまった人がいる。
こうような不本意に見える生活を送っているような人の数は大幅に減っているのでしょうか?
私にはそんな報道に接して,大きく改善しているという実感がまだ湧きません。
<貧窮問答歌から貧困とは何かを考える>
今回万葉集山上憶良が詠んだ貧窮問答歌を取り上げるのは,「それでも憶良が詠んだ時代よりましだ」とか「憶良の内容と同じ状況だ」と書きたいためではありません。貧困とは何かについて改めて貧窮問答歌を通して考えてみようということです。
富や財産に興味が無くなり,貧困でも構わないと思っている人は世の中にほとんどいないだろうと私は思います。ただ,貧窮問答歌に登場する人物のように貧困状態から脱することが難しいと考えている人や貧困状態から脱する方法が分からない人はいるかもしれません。
貧窮問答歌の前半では,決して豊かではないと感じている憶良らしい人物が問いかけます。

風交り雨降る夜の 雨交り雪降る夜は すべもなく寒くしあれば 堅塩をとりつづしろひ 糟湯酒 ちすすろひて しはぶかひ鼻びしびしに しかとあらぬひげ掻き撫でて 我れをおきて人はあらじと 誇ろへど寒くしあれば 麻衾引き被り 布肩衣ありのことごと 着襲へども寒き夜すらを 我れよりも貧しき人の 父母は飢ゑ凍ゆらむ 妻子どもは乞ふ乞ふ泣くらむ この時はいかにしつつか 汝が世は渡る(5-892前半)
かぜまじりあめふるよの あめまじりゆきふるよは すべもなくさむくしあれば かたしほをとりつづしろひ かすゆざけうちすすろひて しはぶかひはなびしびしに しかとあらぬひげかきなでて あれをおきてひとはあらじと ほころへどさむくしあれば あさぶすまひきかがふり ぬのかたきぬありのことごと きそへどもさむきよすらを われよりもまづしきひとの ちちはははうゑこゆらむ めこどもはこふこふなくらむ このときはいかにしつつか ながよはわたる
<風雨やみぞれも降る夜はどうしようもなく寒い。堅塩をなめては糟湯酒をすする。咳が出て鼻水をすすり上げる。たいして生えていないい髭を撫でて,自分より優れた人はそうはいないと自惚れているが,寒いから麻でつくった夜具をひっかぶり,麻布の半袖をありったけ重ね着をしても寒い。こんな寒い夜には,私よりももっと貧しい人の親は飢えてこごえ,その妻子は力のない声で泣くいてるかもしれない。こういう時,そういった君はどうやって生活しているのか?>>

それを受けて後半ではもっと貧困状態だという人がその悲惨な状況を詠います。

天地は広しといへど 我がためは狭くやなりぬる 日月は明しといへど 我がためは照りやたまはぬ 人皆か我のみやしかる わくらばに人とはあるを 人並に我れも作るを 綿もなき布肩衣の 海松のごとわわけさがれる かかふのみ肩にうち掛け 伏廬の曲廬の内に 直土に藁解き敷きて 父母は枕の方に 妻子どもは足の方に 囲み居て憂へさまよひ かまどには火気吹き立てず 甑には蜘蛛の巣かきて 飯炊くことも忘れて ぬえ鳥ののどよひ居るに いとのきて短き物を 端切ると いへるがごとく しもと取る里長が声は 寝屋処まで来立ち呼ばひぬ かくばかりすべなきものか 世間の道(5-892後半)
あめつちはひろしといへど あがためはさくやなりぬる ひつきはあかしといへど あがためはてりやたまはぬ ひとみなかあのみやしかる わくらばにひととはあるを ひとなみにあれもつくるを わたもなきぬのかたぎぬの みるのごとわわけさがれる かかふのみかたにうちかけ ふせいほのまげいほのうちに ひたつちにわらときしきて ちちはははまくらのかたに めこどもはあとのかたに かくみゐてうれへさまよひ かまどにはほけふきたてず こしきにはくものすかきて いひかしくこともわすれて ぬえどりののどよひをるに いとのきてみじかきものを はしきるといへるがごとく しもととるさとをさがこゑは ねやどまできたちよばひぬ かくばかりすべなきものか よのなかのみち
<<世の中は広いというが私には狭いのか。太陽や月は明るく照り輝いて恩恵を与えるというが,私には照ってくれないのか。他の人も皆そうなのか。それとも私だけなのか。たまたま人間として生まれ人並みに働いているのに,綿も入っていない麻の袖なしの,しかも裂けて破れて垂れ下がり、ボロボロのものばかりを肩にかけているだけ。低くつぶれかけ,曲がって傾いた家では地べたに藁を敷き,父母は枕の方に,妻子は足の方に,自分を囲むようにして,悲しんだりうめいたりしている。かまどには火の気はなく,甑には蜘蛛の巣がはって,いつ飯を炊いたか思い出せない。かぼそい力のない声でお願いしているのに「短いものの端を切る」ということわざと同じように,鞭を持った里長の呼ぶ声が寝室にまで聞こえてくる。世間を生きてゆくということはこれほどどうしようもないものなのだろうか?>>

ここで,貧窮問答歌は経済に関する事実をいくつか教えているように私には思えます。
・貧困に陥った人が貧困から脱出するのは,個人の努力だけでは困難な部分がある。
・貧しい/豊だという感じ方は相対的なものであり,他人の状況との比較の結果感じる部分が少なくない。
・ヒトは,貧しくともプライド(ヒトとして意味をもった生き方を求める気持ち)を持って生きている。たとえば,家族の絆は貧困より優先する。仕事をして社会に貢献して生きていきたい。など。
・貧困からの脱出し,豊かになるには社会の仕組み,生まれた家柄,ごくまれな幸運に依存する部分が多いと感じている。
<今の日本に当てはめると>
ところで,今の日本経済を見ると,自由な市場主義経済を前提としていると言えそうです。ということは,勝者もいれば敗者もいることになります。勝者は多くの富を得て,勝ち組状態を維持するため,他社が競争を仕掛けにくいようにします。
勝者は他者の参入を防ぐための知的財産の確保や企業秘密の非公開など参入障壁を築き,競争相手を増やさない戦略をとります。これは,自由競争の中である程度許されている行為です。
ただし,それを放置すると勝者はさらに強くなり,敗者はさらに勝てなくなり,勝者同士の戦いで最後に勝った最強勝者は永遠に最強で居続けることが可能となります。
こうなると売価を売り手が勝手に決めることができ,もう自由競争とは言えません。そこで,日本などの国では独占禁止法反トラスト法を制定し,供給側も消費側も含めた自由な市場経済を維持しようとしています。でも,これは勝ちすぎた一部の独占企業を排除する法律であり,敗者を無くすものではありません。
実は敗者を無くす経済学の考え方に共産主義経済という思想があります。ただ,今の多くの国はやはり自由な競争をベースとした市場主義経済を採っています。
自由な競争があることで,競争者同士に緊張感が生まれます。勝つためにそれぞれがさまざまな創意工夫を行い,その結果勝ち負けに係らず新しい技術や産業が自然に生まれやすくなります。それが自由主義経済の大きなメリットだと私は思います。
ただ,何度も書きますが,何の制御もしなければ貧富の格差がどんどん広がる(経済格差が増える)可能性が高いのです。それに歯止めをかけるために,セーフティネットの拡充や負の所得税といった政策の必要性を主張する人がいますが,自由競争や国の財政とのバランスが難しい政策課題だと私は感じます。
さて,貧窮問答歌を再度見ると,最後に所得のない人にも税金を取り立てている様子が出てきています。万葉時代には,累進課税制度といったものが考えられていなかったのでしょうか。

世間を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば(5-893)
よのなかをうしとやさしと おもへどもとびたちかねつ とりにしあらねば
<<今の世の中が憂鬱だとか生きていることが恥ずかしいとか感じても,そこから飛び立って離れて行くことはできない。鳥ではないのだから>>

憶良は,貧窮問答歌に併せたこの短歌で,重税にあえぐ貧しい庶民が自分の努力だけで何とかできるものではなく,当時の為政者に対し,間違った税制度(貧しい人をより貧しくする)を是正すべきと暗に示したかったのかもしれないと,私は思うのです。
2013夏休みスペシャル‥「夜遅く大洗の宿に駆け込む」に続く。

0 件のコメント:

コメントを投稿