2012年10月11日木曜日

今もあるシリーズ「糸(いと)」

万葉時代,針があったことが万葉集からわかります。針があれば当然縫うための糸が必要となります。万葉集には9首の短歌で糸が出てきます。それらを見ると糸がどのように作られ,どんな色の糸があったかを知ることができます。

我が持てる三相に搓れる糸もちて付けてましもの今ぞ悔しき(4-516)
わがもてる みつあひによれるいともちて つけてましものいまぞくやしき
<<私が持っている三重によりをかけた糸で縫いつけておけば良かったのを今となってはそうしなかったのが悔しい>>

この短歌は阿部女郎(あべのいらつめ)が中臣東人(なかとみのあづまびと)に贈った短歌です。
当時は切れにくい三つよりの強い糸があったことを示します。

河内女の手染めの糸を繰り返し片糸にあれど絶えむと思へや(7-1316)
かふちめのてそめのいとを くりかへしかたいとにあれど たえむとおもへや
<<河内女が手染めの糸を繰り返し片撚りの糸を縒り合わせる作業は,片縒りの糸が無くならないように絶えることがないと思う>>

<万葉時代の糸の製造工場>
この詠み人知らずの短歌から,今の大阪の河内地方では糸を縒り合わせる女性たちが多く住んでいたことが想像できます。もしかしたら,河内には大きな建物にその女性たちが集まって糸を縒る工場のような場所があったのかもしれませんね。そして,河内女が縒った糸というブランドがあり,奈良の都では高級品として売られていたかもしれません。
糸の製造技術により,片糸(1本の糸)を縒り合わせて,強い糸や,またいろいろな色に染めた糸を混ぜて縒り合わせることで,遠くから見たとき単色の糸では出せない色の糸が各種作られていたのではないかと私は考えます。
さて,糸の材料ですが,木綿,麻,動物の毛,人間の髪の毛などが使われていたのではないかと私は想像します。しかし,何と言っても糸の材料としてもっともきれいで光沢のあるのは絹ではないでしょうか。万葉集に絹の糸を詠んだ歌はありませんが,絹の布や蚕を詠んだ和歌が出てきます。
<鬼怒沼ハイキング>
ところで,絹(きぬ)といえば,今週の月曜日(体育の日)に栃木県にある鬼怒川の源流と言われる鬼怒沼(きぬぬま)の湿原を散策しました。
鬼怒沼は湿原で有名な尾瀬ケ原より標高が600mも高い標高2,000mを超える場所にあり,まさに天空の湿原と言われています。社会人になった頃から一度行ってみたいと考えていた場所ですが,うん十年たってようやく実現しました。
ただし,鬼怒沼までの登山道は8月に富士山八合目まで登ったときと同じくらいつらい登り下りでしたが,幸運にも,秋晴れに恵まれ,高い山の上なのに微風で,沼の周囲では紅葉がはじまり,湿原の草は一面暖かそうな枯草模様が見られ,本当に快適な湿原の散策ができました。
その写真を紹介します。
まず,秋の雲が沼の上に映った写真です。


次は,まさに天空の湿原を思わせる風景です。


最後は沼に映った鬼怒沼山です。


そのほかにも写真をたくさん撮ってきましたが,また機会があれば紹介することにします。
さて,糸と言えば,糸で縫製する対象の布があります。次回は「布」を取り上げます。
今もあるシリーズ「布(ぬの)」に続く。

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