2011年11月12日土曜日

対語シリーズ「貸と借」‥人の命は借りモノ?

<お金の貸し借り>
人は一時的に金品が不足した場合,友人等から不足した金品を貸してもらえないかとお願いすることがあります。
その依頼を受けた側(貸し手)は,依頼者が信頼のおける人(返してくれる人)であり,一時的に貸せる金品があれば貸し与えます。
貸し与えられた側(借り手)は,しばらくして金品の不足が無くなった(必要なくなった)とき,金品を貸し手に返却します。その時,おカネの場合利息にあたる何らかのお礼を追加することがあります。
<万葉時代では?>
万葉集の和歌が詠まれた時代は「和同開珎(わどうかいちん)」という通貨が大量に流通し始めた頃とされています。しかし,少なくとも万葉集では通貨を表す「銭(ぜに)」を詠んだものはありません。
万葉集を文学とみれば,貨幣が流通していてもそれほど貨幣のことが出てこないことに違和感を感じる人は少ないかもしれません。
ただ,万葉集を当時の時代を後世に残す記録として見ると「銭」が出てこないのは「和同開珎」などの通貨がそれほど流通しておらず,物々交換がまだ主流だったのではないと私は想像します。
そのため,万葉集に出てくる「貸」「借」は,金銭ではなく品物が主流となります。なお,すべて動詞「貸す」「借る」の活用形で出てきます。
万葉集に出てくる「貸す」「借る」の対象(品物)は「衣(ころも)」「舟」「宿(やど)」がほとんどですが,最後の例のように「命」というのがあります。
まず,宿を「貸す」「借る」の両方を詠んだ詠み人しらずの短歌を紹介します。

あしひきの山行き暮らし宿借らば妹立ち待ちてやど貸さむかも(7-1242)
あしひきの やまゆきぐらし やどからば いもたちまちて やどかさむかも
<<山路を旅行く途中で日が暮れて今宵の宿をどうしようかと考えてたいたら,かわいい女の子が門に立って待っていて宿を誘ってくれるかもしれない>>

この短歌は「古集に出ず」とある羈旅(きりょ)を詠んだ歌群の1首です。
この短歌が万葉時代でさえ「古集」にあるということは,奈良時代以前から街道の峠などには宿泊施設(宿場)が整備されていて,旅行く人に宿を提供していたことが想像できます。おそらく,街道が整備され,日本各地の産品が行き交うようになってきたころなのでしょう。
中には泊まった時に若い女の子が世話をしてくれるような宿もあったのかもしれません。
あの宿場にはかわいい子がいっぱいいるぞという噂が旅人の間に流れていて,旅人たちは期待をもちつつ宿場へ向かうこともあったのでしょう。
そんな旅人の気持ちを詠んだ歌なのかもしれませんが,期待は外れる(宿を貸す側が求める対価と借りる側が求めるサービスの差が大きい)ことも多かっただろうと私は想像します。
この短歌から結局「宿を貸す」とは,商売(宿賃は銀など?)として泊まる場所や宿泊者へのサービスを提供することを意味します。困った旅人に慈善で泊まらせてあげるのとは意味が違います。
次に商売で貸し借りをする例ではなく,「衣」を夫に妻が「貸す」短歌を紹介します。

宇治間山朝風寒し旅にして衣貸すべき妹もあらなくに(1-75)
うぢまやまあさかぜさむし たびにしてころもかすべき いももあらなくに
<<宇治間山の朝の風はことに冷たい。今は旅をしているので衣を貸してくれるはずの妻もいないから>>

この1首は長屋王(ながやのおほきみ)が奈良の吉野付近にあるとされる宇治間山麓を旅の途中に通過したとき詠んだとされている短歌です。
旅先ではいくら朝の風が冷たかろうと衣を貸してくれる妻はいない。妻が恋しいなあという気持ちが伝わってくる1首です。
万葉時代は今までこのブログで何度も述べていますが,結婚後の生活は妻問い婚なのです。夫は妻の家で一夜を過ごして朝妻の家を出ます。
その時,朝の寒さが強いと夫が寒がらないように妻は衣を夫に貸します。
妻は夫が衣を返しにまた来てくれるのを心待ちにします。夫も借りた衣を返すという名目で再びやってくる口実を作るという習慣があったのかもしれないと私は思います。
最後に「命を借りる」という少し哲学的な詠み人知らず短歌(作者は女性)を紹介します。

月草の借れる命にある人をいかに知りてか後も逢はむと言ふ(11-2756)
つきくさのかれるいのちにあるひとを いかにしりてかのちもあはむといふ
<<この世に生命を借りて生まれてきた人間です。その命はいつ終わるともしれないはかないものなのにどうして「後で逢おうね」と簡単におっしゃるのですか?>>

私はこの作者は仏教の知識があったのだろうと想像します。
日本に伝わる仏教のいくつかの経典には「自分の生命が人間として生まれること,そして,たとえ人間として生まれても正しい生き方を全うすることの困難さ」を説いているものがあります。
人は皆,本当に偶然に生命を借りて生まれてきたのだから,今の一瞬を大切にしたい,大切にして欲しい。そんな思いを相手(男性)に伝えたいのかも知れませんね。
モノでさえ,カネでさえ,命でさえ,借りたものは大切に扱うようにしたいものですね。
対語シリーズ「遠と近」に続く。

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