2011年3月19日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…靡く(2)

今回は「靡く」の前に強調の「うち」を付けた「うち靡く」について,万葉集の用例を見てみます。
このシリーズでは万葉集で使われている動詞に着目していますが,「うち靡く」は動詞ではなく,主に枕詞として分類され,掛かる言葉は「春」「黒髪」「玉藻」「草」「心」があるようです。いくつか万葉集での用例を見て行きましょう。

ありつつも君をば待たむうち靡く我が黒髪に霜の置くまでに(2-87)
ありつつも きみをばまたむ うちなびく わがくろかみに しものおくまでに
<<生きながらえてあなたを待っていましょう。長く靡くこの黒髪に霜が置くように(白髪に)なるまででも>>

この短歌は磐姫皇后(いはのひめのおほきさき)が作ったとされるもので,仁徳天皇の帰りを待つ相聞歌4首の内の1首です。
話は少し逸れますが,万葉集の巻1は「雑歌」に分類された和歌が収録されています。巻2は「相聞」に分類された和歌,続いて「挽歌」に分類された和歌で構成されています。
この短歌を含む磐姫皇后の4首は巻2の冒頭にあり,相聞歌という分類の冒頭を飾っていることになります。
相聞歌の最初に男性が詠んだ和歌ではなく,愛する夫の帰りをひたすら待つ女性の気持ちを詠った和歌が来ていることに,私は編集者が何らかの意図(例えば,まず女性が待つ気持ちを理解させようといった意図)を感じます。
当時,女性の武器は「うち靡く(長い)黒髪」だったのです。

葛飾の真間の入江にうち靡く玉藻刈りけむ手児名し思ほゆ(3-433)
かつしかの ままのいりえに うちなびく たまもかりけむ てごなしおもほゆ
<<かつて葛飾の真間の入江で海草を刈っていたという真間の手児名のことが偲ばれる>>

この短歌は,山部赤人が東国(今の千葉県市川市付近)で真間の手児名の伝説(自分をめぐる男達の果てない争いを悲しみ真間の入江に入水自殺したとい逸話)をモチーフに詠ったといわれる長歌の反歌です。
玉藻(海藻)は波にゆらゆら靡いていることから「うち靡く」が「玉藻刈る(海産物を採取して暮らしている)」の枕詞にもなったのだろうと私は思います。

あしひきの 山にも野にも 霍公鳥 鳴きし響めば うち靡く 心もしのに そこをしも うら恋しみと ~(17-3993)
<~ あしひきの やまにものにも ほととぎす なきしとよめば うちなびく こころもしのに そこをしも うらごひしみと ~>
<<~山にも野にもホトトギスの鳴き声が鳴き響けば私の心がしみじみなり,その愛おしさで心の中で恋ひしいと思う~>>

これは,大伴家持とかなり親しい関係にあった大伴池主が,家持と越中にあった「布勢の海」という淡水湖(現在の富山県氷見市付近だが湖は消失)に船を浮かべて遊覧したとき,その自然の素晴らしさを詠んだ長歌の一部です。
「うち靡く」が枕詞となるのは,心というものが時の経過とともに揺れ動くことから来ているのではないでしょうか。
現代でいえば,まさにポリグラフ(呼吸・脈拍・血圧など複数の生理現象を、電気的または物理的なシグナルとして同時に計測・記録する装置)の波形などは,「うち靡く」心の揺れを表すのにぴったりかも知れませんね。

うち靡く春を近みかぬばたまの今夜の月夜霞みたるらむ(20-4489)
うちなびく はるをちかみか ぬばたまの こよひのつくよ かすみたるらむ
<<春が近づいて来たのか,今宵の月夜は霞んでいるようだ>>

この短歌は,天平宝字元(757)年12月,大監物三形王宅での宴で大蔵大輔の甘南備真人伊香(かんなびのまひといかご)が,家主である三形王や家持とともに詠ったものです。新春をもう少しで迎える時期であり,月が真冬のようにクリアではなく,少し霞んで見えるようになったという春の気配を感じつつ,心待ちにしている気持ちが伝わってきます。
万葉集では,枕詞「うち靡く」の後に春が続く形式がもっとも多く出てきます。「うち靡く」は,万葉時代は穏やかではあるが力強い躍動を秘めたイメージを連想させる言葉だったのではないかと私は考えます。
今,東北関東大震災で多くの方が避難生活や孤立状態にあると報道されています。
でも,春はすぐ近くまで来ています。希望を捨てず,厳しい状態でしょうが,何とか凌いで「うち靡く春」を迎えてほしいと心から願っています。
靡く(3:まとめ)に続く。

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