2010年4月11日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…偲ふ(3:まとめ)


ここまで「偲ふ」の言葉自体の話よりも,万葉集でそれが使われた一つの和歌に関する歴史的背景に重きをおいて述べてきたのかも知れません。
「偲ふ」のまとめとなる今回も,また違った「偲ふ」による短歌を紹介し,その時代的意味について想像を巡らせてみたいと思います。

佐保川に鳴くなる千鳥何しかも川原を偲ひいや川上る(7-1251)
さほがはに なくなるちどり なにしかも かはらをしのひ いやかはのぼる
<<佐保川で鳴いている千鳥よ。どうして川原をいつも好んでそんなに川をさかのぼっていくのか>>

人こそばおほにも言はめ我がここだ偲ふ川原を標結ふなゆめ(7-1252)
ひとこそば おほにもいはめ わがここだ しのふかはらを しめゆふなゆめ
<<人間にとっては平凡な風景かも知れないが,おれたち千鳥にとってはここは本当に好きな川原だ。「ここは人間の場所だ」というような標識を立てたりするなよ>>

この2首は,1首目で人間がチドリに問いかけ,2首目でチドリがそれに答えている短歌です。
すなわち,佐保川を「偲ふ(好きである,愛している)」ことについて人間とチドリの問答歌なのです。
人間はチドリが他の川原と特に変わるところがないのにどうして佐保川に好き好んで多く集まってくるのか不思議でならないと問います。
チドリは人間に佐保川の良さを「偲ふ」気持ちを分かるはずがないと応酬します。そして,人間の横暴を許しません。
<自然との調和を考慮しない「環境に優しく」は自分勝手?
さて,今の世の中,ますます豊さを求めて自然を人間にとって便利なように変えていこうとしています。
「環境に優しく」ということが決まり文句のようになっていますが,あくまでも人間の目線や価値観による「偲ふ」で考えたエコでしかないように見えます。
人類という種が衰退する方向で環境優先を考えることは論外であり,所詮人類の拡大や繁栄をどこまで制限(我慢)できるかの発想でしかないように思えます。
この2首は,人間の欲望と自然との調和という永遠の課題を「偲ふ」といいう言葉をキーワードとして使い表現しているように私は感じます。
結局,万葉集の「偲ふ」を見ていくと,現在「偲ぶ」で使われる意味よりももっと広い意味だったのは間違いないようです。
ところで,最近私は「偲ふ」人と逢うことができた夢を見ました。
その女性は,逢っていても,離れていてもまさに「偲ふ」という言葉がやはりぴたりと当てはまる人なのです。
また,そんな夢がまた見られたらと思いつつ「偲ふ」の話題を終り,次は万葉集を通して「笑む」について考えたいと思います。

天の川 「ね~,たびとは~ん。僕のことも偲んでいやはるんやろ?」

お~!気持ち悪。 笑む(1)に続く。

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