<濃密な1泊2日>
昨日は,毎年恒例になった奈良明日香村の農園でのミカン狩りに行ってきました。
一昨日の土曜日は埼玉の自宅からいつものように早朝自家用車で出発し,圏央道,中央道,東名道,名神道の関ヶ原ICで一般道に入り,木之本から琵琶湖の最北端を回って近江舞子の施設にいる母を訪ねました。90歳近い母ですが元気な様子で一安心しました。
そこから奈良県大和郡山市のホテルまで,一般道を使って移動し,夕方ホテルに到着しました。いつもは,JR奈良駅前のホテルに一泊するのですが,残念ながら満室で予約が取れず,大和郡山の同系列ホテルとなった次第です。
場所が駅前で無く,周りが比較的閑散としていることを除けば,ホテル内部の設備(天然温泉有り)やサービスはほとんど同じでくつろげました。
翌日は穏やかな天気に恵まれ,明日香村は晩秋の風情に包まれていました。本当に良いところです。
今年は天候不良や木の場所の関係もあり,あまりミカンの出来はイマイチでしが,それでも20キロくらい入る大きな段ボール箱2箱以上の収穫がありました。また,現地での抽選会では最高賞の飛鳥米5キロ(2,500円相当)が当たりました(昨年は同2キロ当選でした)。
<本シリーズひとまず最終回>
さて,今回で心が動いた詞(ことば)シリーズはひとまず終わりとなります。
最後が「憎し」ではなく,もう少し良い言葉にしないの?と感じられる方もいるかもしれませんが,万葉集で「憎し」は反語的な用法として,正反対の意味を相手に伝えるときに使われています。
もっとも有名なのが大海人皇子(後の天武天皇)が,当時天智天皇の妻であった額田王に詠んだ次の短歌でしょうか。
紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に我れ恋ひめやも(1-21)
<むらさきのにほへるいもをにくくあらば ひとづまゆゑにわれこひめやも>
<<紫がお似合いのあなたを憎いと思っていたら,人妻であるにも関わらず恋しく思うことがあるのでしょうか。憎くない(大好き)なのですよ>>
次は,「憎くあらなくに」という反語的表現を使った詠み人知らずの短歌を紹介します。
若草の新手枕をまきそめて夜をや隔てむ憎くあらなくに(11-2542)
<わかくさのにひたまくらを まきそめてよをやへだてむ にくくあらなくに>
<<新妻の手枕をし始めてから一夜も隔てず共寝を止められようか。憎くはない(可愛くてしょうがない)のだから>>
万葉集には,このほか「憎くあらなくに」を詠んだ短歌が同じ巻11に4首出てきます。
その中で,「憎し」が二つも使われている詠み人知らずの女性が詠んだと思われる短歌を紹介します。
争へば神も憎ますよしゑやしよそふる君が憎くあらなくに(11-2659)
<あらそへばかみもにくます よしゑやしよそふるきみが にくくあらなくに>
<<人と争うと神がお嫌いになるということだが,それも良しとするか。僕と関係あることが知れている君は憎くないのだから>>
ここで紹介した3首とも「憎くない」という言葉を使い,相手に対する恋慕や好意の強さを強調する手法だと私は感じます。「憎くあらなくに」という言葉が当時流行っていた言い回しだったのかもしれませんね。
さて,今回で心が動いた詞(ことば)シリーズは一先ず終わりにします。次回から数回投稿300回記念スペシャルを投稿して,新しいシリーズをお届けします。
投稿300回記念特集(1)に続く。
2013年11月18日月曜日
2013年11月10日日曜日
心が動いた詞(ことば)シリーズ「愛(うつく)し」
現代日本語では「うつくしい」は「美しい」と書きますが,万葉集では「うつくしい」は「愛らしい」「かわいい」「いとおしい」という意味で使われることが多く「愛しい」と書く方が意味が通じやすくなります。
次は大伴旅人が亡き妻を偲んで詠った短歌です。
愛しき人のまきてし敷栲の我が手枕をまく人あらめや(3-438)
<うつくしきひとのまきてし しきたへのわがたまくらを まくひとあらめや>
<<いとおしい人が手枕とした私のかいなを再び枕とする人はいるのか。いやもういない>>
大伴旅人は生涯に渡って,日本の各地の国府の長官などを務めた経歴をもっているといいます。
恐らく,最愛の妻とは京に帰ったときに妻問するのではなく,赴任地へ子供たちとともに同伴させたことも多かったと思われます。
最後の赴任地の九州大宰府には妻と家持ら子供も同行させたのだろうと考えられます。
そして,本当にいとおしかった妻に大宰府の地で先立たれた旅人の気持ちは察するに余りあるものがあります。
次は,つい手を出したくなる男の心理を詠んだ詠み人知らずの短歌です。
愛しと我が思ふ妹を人皆の行くごと見めや手にまかずして(12-2843)
<うつくしとあがおもふいもを ひとみなのゆくごとみめや てにまかずして>
<<可愛いと僕が思う彼女を,道ですれ違った人は皆振り返って見たりしている。だけど僕は彼女の肩を手で抱かずに,見るだけなんて我慢できないよ>>
公衆の面前で彼女の肩を抱くことは,今では全く抵抗はないと思いますが,私が若いころ(昭和後期)はまだ恥ずかしいという意識が女性にはあったのではないかと思います。
万葉時代そのような行為は,みだらな行為とみなされ,もっと抵抗があったと私は想像します。この短歌の作者はそれほどまで彼女ことを可愛いと言いたいのでしょうか。
最後は,「愛くし」が出てくる防人の妻服部呰女(はとりべのあさめ)が詠んだ短歌を紹介します。
我が背なを筑紫へ遣りて愛しみ帯は解かななあやにかも寝も(20-4422)
<わがせなをつくしへやりて うつくしみおびはとかなな あやにかもねも>
<<夫を筑紫に送り出して,いない夫の愛おしさのあまり帯を解かず,ああどうして寝らましょうか>>
帯を解いて寝るとは夫が来ることを待って寝ることを意味します。防人制度に肯定的な考えを持つ人間が万葉集を編集していたとすれば,こんな短歌を残すことはしないと私は思います。
防人という制度で多くの家庭が壊されていくことを万葉集の編者が悲しい気持ちで見ているからこそ,この妻が詠んだ短歌を選んで残そうとした。そんな気がしてなりません。
どんなに年をとっても人から愛される(必要とされる,いなくなったら悲しい)人は「愛(うつ)しい」人なのでしょう。
秋の夜長にふとそんなことを今回のブログを書いていて感じました。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「憎(にく)し」に続く。
次は大伴旅人が亡き妻を偲んで詠った短歌です。
愛しき人のまきてし敷栲の我が手枕をまく人あらめや(3-438)
<うつくしきひとのまきてし しきたへのわがたまくらを まくひとあらめや>
<<いとおしい人が手枕とした私のかいなを再び枕とする人はいるのか。いやもういない>>
大伴旅人は生涯に渡って,日本の各地の国府の長官などを務めた経歴をもっているといいます。
恐らく,最愛の妻とは京に帰ったときに妻問するのではなく,赴任地へ子供たちとともに同伴させたことも多かったと思われます。
最後の赴任地の九州大宰府には妻と家持ら子供も同行させたのだろうと考えられます。
そして,本当にいとおしかった妻に大宰府の地で先立たれた旅人の気持ちは察するに余りあるものがあります。
次は,つい手を出したくなる男の心理を詠んだ詠み人知らずの短歌です。
愛しと我が思ふ妹を人皆の行くごと見めや手にまかずして(12-2843)
<うつくしとあがおもふいもを ひとみなのゆくごとみめや てにまかずして>
<<可愛いと僕が思う彼女を,道ですれ違った人は皆振り返って見たりしている。だけど僕は彼女の肩を手で抱かずに,見るだけなんて我慢できないよ>>
公衆の面前で彼女の肩を抱くことは,今では全く抵抗はないと思いますが,私が若いころ(昭和後期)はまだ恥ずかしいという意識が女性にはあったのではないかと思います。
万葉時代そのような行為は,みだらな行為とみなされ,もっと抵抗があったと私は想像します。この短歌の作者はそれほどまで彼女ことを可愛いと言いたいのでしょうか。
最後は,「愛くし」が出てくる防人の妻服部呰女(はとりべのあさめ)が詠んだ短歌を紹介します。
我が背なを筑紫へ遣りて愛しみ帯は解かななあやにかも寝も(20-4422)
<わがせなをつくしへやりて うつくしみおびはとかなな あやにかもねも>
<<夫を筑紫に送り出して,いない夫の愛おしさのあまり帯を解かず,ああどうして寝らましょうか>>
帯を解いて寝るとは夫が来ることを待って寝ることを意味します。防人制度に肯定的な考えを持つ人間が万葉集を編集していたとすれば,こんな短歌を残すことはしないと私は思います。
防人という制度で多くの家庭が壊されていくことを万葉集の編者が悲しい気持ちで見ているからこそ,この妻が詠んだ短歌を選んで残そうとした。そんな気がしてなりません。
どんなに年をとっても人から愛される(必要とされる,いなくなったら悲しい)人は「愛(うつ)しい」人なのでしょう。
秋の夜長にふとそんなことを今回のブログを書いていて感じました。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「憎(にく)し」に続く。
2013年11月3日日曜日
心が動いた詞(ことば)シリーズ「惜(を)し」
以前2010年8月から9月にかけて「動きの詞シリーズ」で万葉集の「惜しむ」を取り上げましたが,今回はその形容詞形です。「惜し」は,現代では「惜しい」という言い方をします。ただ,万葉時代の「惜し」の意味は現代の「惜しい」とは少し異なるかもしれません。
次は2012年2月6日の当ブログで紹介した大伴家持の短歌ですが,そこに「惜し」が出てきます。
大宮の内にも外にもめづらしく降れる大雪な踏みそね惜し(19-4285)
<おほみやのうちにもとにも めづらしくふれるおほゆき なふみそねをし>
<<宮中の内にも外にもめずらしく大雪が降った。この白雪をどうか踏み荒らさないで頂きたいものだ。(きれいな雪景色が荒らされるのが)惜しいから>>
私も中学校の頃,京都も年に数回雪が降り,教室から見る校庭がきれいだなと思っていたら,一部生徒が雪だるまを作るために雪の塊を転がしたあとが地面が見えて汚くなるのを惜しいと感じたことがありました。でも,親が子供に雪だるまを作らせるのは結果的に除雪ができるからだという都市伝説を聞いてからは,私は妙に納得しています。
さて,次も2012年9月23日の当ブログで紹介した詠み人知らずの短歌です。
白栲の袖の別れは惜しけども思ひ乱れて許しつるかも(12-3182)
<しろたへのそでのわかれはをしけども おもひみだれてゆるしつるかも>
<<袖が分かれているようにあなたとの別れはつらいけど,私の心が乱れてしまい結局あなたと別れることにしたの>>
ここでの「惜し」は「つらい」とか「残念だ」という感情が近いかもしれません。
最後は「自分の命さえも惜しくない」といった使い方の例として車持娘子(くるまもちのいらつめ)が詠んだとされる短歌(長歌の反歌2首の内の1首)を紹介します。
我が命は惜しくもあらずさ丹つらふ君によりてぞ長く欲りせし(16-3813)
<わがいのちはをしくもあらず さにつらふきみによりてぞ ながくほりせし>
<<私の命は惜しくはありませんが,あなたに寄り添えていられれば長く生きたいと願うのです>>
この歌(長歌+反歌2首)の左注には,娘子が夫との恋に疲れ,傷心のあまり病に伏し,痩せ衰えて臨終が間近になり,使者が夫を呼び,夫が駆け付けたとき,娘子がこの歌を詠んで息を引き取ったという言い伝えがあると書かれているようです。
言い伝えとあるため,この歌や車持娘子は実在しないフィクションの可能性がありますが,こういった歌物語の言い伝えが,当時の妻問いをベースとした夫婦関係を幸せなものにするための教訓の意味合いがあったのかもしれません。
万葉集で「惜し」は,このほか多くの長短歌で詠まれていますが,今回はこのくらいにします。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「愛(うつく)し」に続く。
次は2012年2月6日の当ブログで紹介した大伴家持の短歌ですが,そこに「惜し」が出てきます。
大宮の内にも外にもめづらしく降れる大雪な踏みそね惜し(19-4285)
<おほみやのうちにもとにも めづらしくふれるおほゆき なふみそねをし>
<<宮中の内にも外にもめずらしく大雪が降った。この白雪をどうか踏み荒らさないで頂きたいものだ。(きれいな雪景色が荒らされるのが)惜しいから>>
私も中学校の頃,京都も年に数回雪が降り,教室から見る校庭がきれいだなと思っていたら,一部生徒が雪だるまを作るために雪の塊を転がしたあとが地面が見えて汚くなるのを惜しいと感じたことがありました。でも,親が子供に雪だるまを作らせるのは結果的に除雪ができるからだという都市伝説を聞いてからは,私は妙に納得しています。
さて,次も2012年9月23日の当ブログで紹介した詠み人知らずの短歌です。
白栲の袖の別れは惜しけども思ひ乱れて許しつるかも(12-3182)
<しろたへのそでのわかれはをしけども おもひみだれてゆるしつるかも>
<<袖が分かれているようにあなたとの別れはつらいけど,私の心が乱れてしまい結局あなたと別れることにしたの>>
ここでの「惜し」は「つらい」とか「残念だ」という感情が近いかもしれません。
最後は「自分の命さえも惜しくない」といった使い方の例として車持娘子(くるまもちのいらつめ)が詠んだとされる短歌(長歌の反歌2首の内の1首)を紹介します。
我が命は惜しくもあらずさ丹つらふ君によりてぞ長く欲りせし(16-3813)
<わがいのちはをしくもあらず さにつらふきみによりてぞ ながくほりせし>
<<私の命は惜しくはありませんが,あなたに寄り添えていられれば長く生きたいと願うのです>>
この歌(長歌+反歌2首)の左注には,娘子が夫との恋に疲れ,傷心のあまり病に伏し,痩せ衰えて臨終が間近になり,使者が夫を呼び,夫が駆け付けたとき,娘子がこの歌を詠んで息を引き取ったという言い伝えがあると書かれているようです。
言い伝えとあるため,この歌や車持娘子は実在しないフィクションの可能性がありますが,こういった歌物語の言い伝えが,当時の妻問いをベースとした夫婦関係を幸せなものにするための教訓の意味合いがあったのかもしれません。
万葉集で「惜し」は,このほか多くの長短歌で詠まれていますが,今回はこのくらいにします。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「愛(うつく)し」に続く。
2013年10月24日木曜日
心が動いた詞(ことば)シリーズ「寂(さぶ)し」
今回は「寂しい」という意味の「寂(さぶ)し」が万葉集でどう詠まれているか見ていきます。
人が一般的に「寂しい」と感じるのはどんな時でしょうか。やはり「自分は一人ぼっちだと孤独感を感じるとき」ではないでしょうか。
「人と一緒にいるのは疲れる」「他人に干渉されたくない」「静かに一人になりたい」という人が今の都会生活者に多いのかもしれません。でも,そういった他人との接触に煩わしさを感じている人でもいつまでも一人でいたいわけではないと私は思います。
素敵な異性と一緒に居たいとか,気の合う仲間とたまにはじっくりおしゃべりしたいとか,バーのカウンター越しに経験豊かなバーテンダーとさまざな薀蓄を語り合いたいとか,ストレスを感じない形で自分以外のヒトと接触を望むような気持ちは多かれ少なかれ持っている人は多いと思います。
その望む気持ちが満たされない時,「寂しい」というという感情が出てくるのかもしれません。
万葉集でも恋人と一緒の時間を過ごせないので「寂し」と詠んでいる和歌は少なくありません。
たとえば,次の詠み人知らずの相聞歌です。
秋萩を散り過ぎぬべみ手折り持ち見れども寂し君にしあらねば(10-2290)
<あきはぎをちりすぎぬべみ たをりもちみれどもさぶし きみにしあらねば>
<<秋萩の花が散っていってしまうのが惜しくて,手折り持ち眺めてみたが心寂しい。それはあなたではないから>>
相聞歌の相手の女性は秋萩のように可憐な女性なのかもしれません。秋萩が相手の女性のように可愛くて,手に取ってはみたけれど,花は花でしかない。そんな寂しい気持ちでしょうか。
次は,大伴家持が若いころお熱を上げた年上の女性「紀女郎」が家持宛てに詠んだ意味深長な短歌です。
神さぶといなにはあらずはたやはたかくして後に寂しけむかも(4-762)
<かむさぶといなにはあらず はたやはたかくしてのちに さぶしけむかも>
<<(あなた様より年老いていますから)もう先に死んじゃう身です。もしかしたら(私と一緒になると)後で寂しく思うことになるかもしれませんよ>>
家持が先を見越して真剣かつ冷静に考えているのか,それとも若気の至りで一時的にお熱を上げているだけか,「私が先に逝って寂しいと感じるかもしれないけど大丈夫?」と試しているように私には思えます。この家持と紀女郎とのやり取りについては,2010年1月4日の記事で少し詳しく書いていますので割愛します。
さて,次は山上憶良が筑紫で詠んだ短歌です。
荒雄らが行きにし日より志賀の海人の大浦田沼は寂しくもあるか(16-3863)
<あらをらがゆきにしひより しかのあまのおほうらたぬは さぶしくもあるか >
<<荒雄たちが出て行った日から志賀の漁師たちが住む大浦田沼は寂しげであるようです>>
この短歌は,筑紫から対馬に荷物を運ぶ際に遭難して帰らぬ人となった荒雄という人物の妻になり代わって詠んだとされています。このあたりについては,2010年6月6日のブログに少し詳しく書いていますので,興味のある方は見てください。
家族はいつも顔を合わしていて,時には煩わしい存在だと思うことがありますが,いなくなってみると寂しさが襲い,そのありがたさを痛切に感じることがあります。家族や友人の関係は大切に保持していくことが,結果として豊かな人生(寂しいと感じることが少ない人生)を送るうえで重要と考えるのは私だけでしょうか。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「惜(を)し」に続く。
人が一般的に「寂しい」と感じるのはどんな時でしょうか。やはり「自分は一人ぼっちだと孤独感を感じるとき」ではないでしょうか。
「人と一緒にいるのは疲れる」「他人に干渉されたくない」「静かに一人になりたい」という人が今の都会生活者に多いのかもしれません。でも,そういった他人との接触に煩わしさを感じている人でもいつまでも一人でいたいわけではないと私は思います。
素敵な異性と一緒に居たいとか,気の合う仲間とたまにはじっくりおしゃべりしたいとか,バーのカウンター越しに経験豊かなバーテンダーとさまざな薀蓄を語り合いたいとか,ストレスを感じない形で自分以外のヒトと接触を望むような気持ちは多かれ少なかれ持っている人は多いと思います。
その望む気持ちが満たされない時,「寂しい」というという感情が出てくるのかもしれません。
万葉集でも恋人と一緒の時間を過ごせないので「寂し」と詠んでいる和歌は少なくありません。
たとえば,次の詠み人知らずの相聞歌です。
秋萩を散り過ぎぬべみ手折り持ち見れども寂し君にしあらねば(10-2290)
<あきはぎをちりすぎぬべみ たをりもちみれどもさぶし きみにしあらねば>
<<秋萩の花が散っていってしまうのが惜しくて,手折り持ち眺めてみたが心寂しい。それはあなたではないから>>
相聞歌の相手の女性は秋萩のように可憐な女性なのかもしれません。秋萩が相手の女性のように可愛くて,手に取ってはみたけれど,花は花でしかない。そんな寂しい気持ちでしょうか。
次は,大伴家持が若いころお熱を上げた年上の女性「紀女郎」が家持宛てに詠んだ意味深長な短歌です。
神さぶといなにはあらずはたやはたかくして後に寂しけむかも(4-762)
<かむさぶといなにはあらず はたやはたかくしてのちに さぶしけむかも>
<<(あなた様より年老いていますから)もう先に死んじゃう身です。もしかしたら(私と一緒になると)後で寂しく思うことになるかもしれませんよ>>
家持が先を見越して真剣かつ冷静に考えているのか,それとも若気の至りで一時的にお熱を上げているだけか,「私が先に逝って寂しいと感じるかもしれないけど大丈夫?」と試しているように私には思えます。この家持と紀女郎とのやり取りについては,2010年1月4日の記事で少し詳しく書いていますので割愛します。
さて,次は山上憶良が筑紫で詠んだ短歌です。
荒雄らが行きにし日より志賀の海人の大浦田沼は寂しくもあるか(16-3863)
<あらをらがゆきにしひより しかのあまのおほうらたぬは さぶしくもあるか >
<<荒雄たちが出て行った日から志賀の漁師たちが住む大浦田沼は寂しげであるようです>>
この短歌は,筑紫から対馬に荷物を運ぶ際に遭難して帰らぬ人となった荒雄という人物の妻になり代わって詠んだとされています。このあたりについては,2010年6月6日のブログに少し詳しく書いていますので,興味のある方は見てください。
家族はいつも顔を合わしていて,時には煩わしい存在だと思うことがありますが,いなくなってみると寂しさが襲い,そのありがたさを痛切に感じることがあります。家族や友人の関係は大切に保持していくことが,結果として豊かな人生(寂しいと感じることが少ない人生)を送るうえで重要と考えるのは私だけでしょうか。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「惜(を)し」に続く。
2013年10月19日土曜日
心が動いた詞(ことば)シリーズ「楽し」
<私の三大楽しいこと>
私にとって三大「楽しい」ことは,①仕事をすること,②万葉集をリバースエンジニアリングすること,③さまざまな会に参加することでしょうか。
①の私の仕事はソフトウェアの保守開発(既存の修正)ですが,単純な開発に比べ技術的に確立されておらず,個人のスキルや能力に依存するところが多い分野です。そのため,一つ一つ(対応の品質,コスト,納期,顧客満足度などに対し)最適なプロセスを都度適用しながらの作業となります。結局,一つ一つの仕事に(規模,緊急度,重要度,困難度,他への影響度など)多様性があり,生来飽きっぽい私にとっては,やっていて面白みを感じます。
②の万葉集は面白くなければこのブログを続けられていませんので,説明の必要はないでしょう。
③のさまざまな会は,単なる飲み会,懇親会,目的が決まった会議,同好会,学会,歓送迎会などです。これは,老若男女を問わずさまざまな考えを持った人と話を聞いたり,議論をすることが好きだからです。
これらを総合すると私が楽しいと感ずるのは,多様なものやヒトに接っしているときと言っても良いかもしれませんね。
<今回の本題>
さて,万葉集では「楽し」を詠んだ和歌が15首ほど出てきます。
まずは誰もが楽しいと感ずる遊びについて詠んだ遊行女婦(うかれめ)土師(はにし)作の短歌から紹介します。
垂姫の浦を漕ぎつつ今日の日は楽しく遊べ言ひ継ぎにせむ(18-4047)
<たるひめのうらをこぎつつ けふのひはたのしくあそべ いひつぎにせむ>
<<垂姫の浦を漕ぎ巡りながら今日は楽しくお遊びください。後々までこの楽しく過ごされた時間を言い伝えましょう>>
この遊びが行われたのは大伴家持が越中にいたころ,現在の富山県氷見市の海岸にあったという「垂姫の浦」を家持らが遊覧船で漕ぎ巡るという遊びをしたときです。現在でも遊覧船にはガイドが乗っていることもあるように,当時名所をガイドしたり,船で提供する酒や肴を講釈したり,名所への移動中に参加者にゲームを楽しませたりする女性乗務員(ガイド)を「遊行女婦」と呼んだのかもしれません。この作者の土師という遊行女婦は,当時おそらく最も優秀なガイドの一人であり,即興で和歌を詠み,参加者を楽しませたのでしょう。
この短歌は,越中国府の長官である家持をはじめ,国府のトップクラスが楽しまれたことを,後日この船で遊覧する人すべてに語り継ぎましょうということです。私たちも旅行に行くと,この船には超有名人の誰々が乗ったとガイドが伝えると「お~。そうなんだ」と得した気分になります。
紹介された家持たちも自分たちが乗ったことで,船の価値が大きく上がることを知らされるとすごく良い気分になります。土師恐るべしですね。
次は,珍しい季節の変化を見て「楽し」を詠んだ柿本人麻呂の短歌です。
矢釣山木立も見えず降りまがふ雪に騒ける朝楽しも(3-262)
<やつりやまこだちもみえず ふりまがふゆきにさわける あしたたのしも>
<<矢釣山の木立も見えないほど降り乱れる雪の朝はその騒がしさも楽しいことです>>
この短歌は,新田部皇子(にひたべのみこ)を讃えた長歌の反歌です。飛鳥にあったといわれる矢釣山の立ちも見えないほど激しく雪が降っている朝は,その騒がしさ(恐らく木などに積もった雪が落ちる音による)もまた楽しいと詠んでいます。
最後は,有名な大伴旅人の賛酒歌の中から「楽し」を詠んだ3首連続の短歌を紹介します(内1首は2011年8月13日の投稿で紹介しています)。
世間の遊びの道に楽しきは酔ひ泣きするにあるべくあるらし(3-347)
<よのなかのあそびのみちに たのしきはゑひなきするに あるべくあるらし>
<<世の中の遊び道で一番楽しいことは,酔って泣くことにあるようだ>>
この世にし楽しくあらば来む世には虫に鳥にも我れはなりなむ(3-348)
<このよにしたのしくあらば こむよにはむしにとりにも われはなりなむ>
<<現世が楽しいならば,来世には虫だろうと鳥だろうと私はなってしまっても構わないよ>>
生ける者遂にも死ぬるものにあればこの世なる間は楽しくをあらな(3-349)
<いけるものつひにもしぬる ものにあればこのよなるまは たのしくをあらな>
<<生きているものは最後は死ぬのだから,生きている間は楽しまないとね>>
特に解説をしません。皆さんはどう感じられますか?
今さえ楽しければ後はどうでも良いという身勝手な考えと感じますか?
それとも,今遊びも仕事も趣味も交友もしっかり楽しむことが理想だという考えと感じますか?
私はもちろんアグレッシブに,プレッシャーに負けず後者でありたいと考えます(実際楽しめているかかどうかはあまり気にしません)。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「寂(さぶ)し」に続く。
私にとって三大「楽しい」ことは,①仕事をすること,②万葉集をリバースエンジニアリングすること,③さまざまな会に参加することでしょうか。
①の私の仕事はソフトウェアの保守開発(既存の修正)ですが,単純な開発に比べ技術的に確立されておらず,個人のスキルや能力に依存するところが多い分野です。そのため,一つ一つ(対応の品質,コスト,納期,顧客満足度などに対し)最適なプロセスを都度適用しながらの作業となります。結局,一つ一つの仕事に(規模,緊急度,重要度,困難度,他への影響度など)多様性があり,生来飽きっぽい私にとっては,やっていて面白みを感じます。
②の万葉集は面白くなければこのブログを続けられていませんので,説明の必要はないでしょう。
③のさまざまな会は,単なる飲み会,懇親会,目的が決まった会議,同好会,学会,歓送迎会などです。これは,老若男女を問わずさまざまな考えを持った人と話を聞いたり,議論をすることが好きだからです。
これらを総合すると私が楽しいと感ずるのは,多様なものやヒトに接っしているときと言っても良いかもしれませんね。
<今回の本題>
さて,万葉集では「楽し」を詠んだ和歌が15首ほど出てきます。
まずは誰もが楽しいと感ずる遊びについて詠んだ遊行女婦(うかれめ)土師(はにし)作の短歌から紹介します。
垂姫の浦を漕ぎつつ今日の日は楽しく遊べ言ひ継ぎにせむ(18-4047)
<たるひめのうらをこぎつつ けふのひはたのしくあそべ いひつぎにせむ>
<<垂姫の浦を漕ぎ巡りながら今日は楽しくお遊びください。後々までこの楽しく過ごされた時間を言い伝えましょう>>
この遊びが行われたのは大伴家持が越中にいたころ,現在の富山県氷見市の海岸にあったという「垂姫の浦」を家持らが遊覧船で漕ぎ巡るという遊びをしたときです。現在でも遊覧船にはガイドが乗っていることもあるように,当時名所をガイドしたり,船で提供する酒や肴を講釈したり,名所への移動中に参加者にゲームを楽しませたりする女性乗務員(ガイド)を「遊行女婦」と呼んだのかもしれません。この作者の土師という遊行女婦は,当時おそらく最も優秀なガイドの一人であり,即興で和歌を詠み,参加者を楽しませたのでしょう。
この短歌は,越中国府の長官である家持をはじめ,国府のトップクラスが楽しまれたことを,後日この船で遊覧する人すべてに語り継ぎましょうということです。私たちも旅行に行くと,この船には超有名人の誰々が乗ったとガイドが伝えると「お~。そうなんだ」と得した気分になります。
紹介された家持たちも自分たちが乗ったことで,船の価値が大きく上がることを知らされるとすごく良い気分になります。土師恐るべしですね。
次は,珍しい季節の変化を見て「楽し」を詠んだ柿本人麻呂の短歌です。
矢釣山木立も見えず降りまがふ雪に騒ける朝楽しも(3-262)
<やつりやまこだちもみえず ふりまがふゆきにさわける あしたたのしも>
<<矢釣山の木立も見えないほど降り乱れる雪の朝はその騒がしさも楽しいことです>>
この短歌は,新田部皇子(にひたべのみこ)を讃えた長歌の反歌です。飛鳥にあったといわれる矢釣山の立ちも見えないほど激しく雪が降っている朝は,その騒がしさ(恐らく木などに積もった雪が落ちる音による)もまた楽しいと詠んでいます。
最後は,有名な大伴旅人の賛酒歌の中から「楽し」を詠んだ3首連続の短歌を紹介します(内1首は2011年8月13日の投稿で紹介しています)。
世間の遊びの道に楽しきは酔ひ泣きするにあるべくあるらし(3-347)
<よのなかのあそびのみちに たのしきはゑひなきするに あるべくあるらし>
<<世の中の遊び道で一番楽しいことは,酔って泣くことにあるようだ>>
この世にし楽しくあらば来む世には虫に鳥にも我れはなりなむ(3-348)
<このよにしたのしくあらば こむよにはむしにとりにも われはなりなむ>
<<現世が楽しいならば,来世には虫だろうと鳥だろうと私はなってしまっても構わないよ>>
生ける者遂にも死ぬるものにあればこの世なる間は楽しくをあらな(3-349)
<いけるものつひにもしぬる ものにあればこのよなるまは たのしくをあらな>
<<生きているものは最後は死ぬのだから,生きている間は楽しまないとね>>
特に解説をしません。皆さんはどう感じられますか?
今さえ楽しければ後はどうでも良いという身勝手な考えと感じますか?
それとも,今遊びも仕事も趣味も交友もしっかり楽しむことが理想だという考えと感じますか?
私はもちろんアグレッシブに,プレッシャーに負けず後者でありたいと考えます(実際楽しめているかかどうかはあまり気にしません)。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「寂(さぶ)し」に続く。
2013年10月14日月曜日
心が動いた詞(ことば)シリーズ「悔(くや)し」
<萬葉学会の研究大会に参加>
この土日,東京大学で行われた萬葉学会全国大会に初めて参加しました。最新の万葉集研究動向を見ておくことも重要かなとの思いで参加したのですが,残念ながら私が期待した万葉集はどんな目的で編まれたかの発表はありませんでした。
万葉仮名の詳細な分析,国文法や漢字の使用分析,日本書紀・古事記の歌謡(記紀歌謡)と対比,公的に詠んだ/私的に詠んだの違い,周辺の上代文学の研究など,さすがに専門家の研究はきめ細かく,時間をかけていることが分かりました。
万葉集を見る時間があまり取れない自分を正直悔しく感じた次第です。ただ,限られた時間のなかで可能な最大パフォーマンスを(それが結果として中途半端なものであっても)だすしかない。それが,それぞれに与えられた人生だと私は思います。私のようなアマチュアは結果をすぐに求めず,あせらず少しずつ万葉集を見ていくしかないという考えは変わりませんでした。
<今回の本題>
さて,今回のテーマの「悔し」という言葉は万葉集で20首以上に出てきます。偶然ですが,今回の萬葉学会全国大会でも「今ぞ悔しき」という言葉に触れた発表がありました。「悔し」は古事記にも出てくる古い言葉ですが,今「悔しい」という意味とほぼ同じ意味だったと考えてよいようです。
「悔し」が単独で出てくることもありますが,このように「今」とセットで使われている表現が多く出てきます。たとえば,「今ぞ悔しき」のほか「今し悔しき」などがあります。この場合短歌の最後に使われることが多いようです。
次は,柿本人麻呂が吉備津采女(きびのつのうねめ)が亡くなったときに詠んだ挽歌です。
そら数ふ大津の子が逢ひし日におほに見しかば今ぞ悔しき(2-219)
<そらかぞふおほつのこが あひしひにおほにみしかば いまぞくやしき>
<<無数の人がいた大津でお逢いしした日に,しかっりお顔を見ておかなかったことが,今となっては悔やまれてならない>>
一方,短歌の先頭の位置に使われる場合は,「悔し」は単独で使用されています。
次は山上憶良が神龜5(729)年7月21日に筑紫で大伴旅人の妻が亡くなったとき,詠んだとされている長歌+短歌5首の中の1首です。
悔しかもかく知らませばあをによし国内ことごと見せましものを(5-797)
<くやしかもかくしらませば あをによしくぬちことごと みせましものを>
<<悔しいです。こうなることが予め知っていたなら,国中をことごとくお見せしたものを>>
これらは惜しい人を亡くした悔しさを詠んでいますが,相聞歌でも相手との関係がなかなかうまくいかない時に「悔し」が出てくることがあります。
次は平群女郎(へぐりのいらつめ)が越中の大伴家持に贈った12首の中の1首です。
里近く君がなりなば恋ひめやともとな思ひし我れぞ悔しき(17-3939)
<さとちかくきみがなりなば こひめやともとなおもひし あれぞくやしき>
<<私の住む里近くへあなたがお出でくださることになれば,恋しいあなたと逢えると,わけもなく予想をしていた自分の愚さが悔しくてなりません>>
家持は越中から奈良に一時的に帰ったのですが,平群女郎のところには寄らなかったようです。
家持と女郎は家持が越中に行く前は,相当な関係だったのかもしれませんね。
最後に,悔しい思いが晴れた詠み人知らずの短歌を紹介し,今回の投稿を閉めます。
我が宿の花橘は散りにけり悔しき時に逢へる君かも(10-1969)
<わがやどのはなたちばなは ちりにけりくやしきときに あへるきみかも>
<<我が家の庭にある花橘の花は散ってしまいました。一緒に我が家の花橘を見ようとと約束してくださったのにと悔しい思いをしていましたが,ようやくあなたと逢えました>>
心が動いた詞(ことば)シリーズ「楽し」に続く。
この土日,東京大学で行われた萬葉学会全国大会に初めて参加しました。最新の万葉集研究動向を見ておくことも重要かなとの思いで参加したのですが,残念ながら私が期待した万葉集はどんな目的で編まれたかの発表はありませんでした。
万葉仮名の詳細な分析,国文法や漢字の使用分析,日本書紀・古事記の歌謡(記紀歌謡)と対比,公的に詠んだ/私的に詠んだの違い,周辺の上代文学の研究など,さすがに専門家の研究はきめ細かく,時間をかけていることが分かりました。
万葉集を見る時間があまり取れない自分を正直悔しく感じた次第です。ただ,限られた時間のなかで可能な最大パフォーマンスを(それが結果として中途半端なものであっても)だすしかない。それが,それぞれに与えられた人生だと私は思います。私のようなアマチュアは結果をすぐに求めず,あせらず少しずつ万葉集を見ていくしかないという考えは変わりませんでした。
<今回の本題>
さて,今回のテーマの「悔し」という言葉は万葉集で20首以上に出てきます。偶然ですが,今回の萬葉学会全国大会でも「今ぞ悔しき」という言葉に触れた発表がありました。「悔し」は古事記にも出てくる古い言葉ですが,今「悔しい」という意味とほぼ同じ意味だったと考えてよいようです。
「悔し」が単独で出てくることもありますが,このように「今」とセットで使われている表現が多く出てきます。たとえば,「今ぞ悔しき」のほか「今し悔しき」などがあります。この場合短歌の最後に使われることが多いようです。
次は,柿本人麻呂が吉備津采女(きびのつのうねめ)が亡くなったときに詠んだ挽歌です。
そら数ふ大津の子が逢ひし日におほに見しかば今ぞ悔しき(2-219)
<そらかぞふおほつのこが あひしひにおほにみしかば いまぞくやしき>
<<無数の人がいた大津でお逢いしした日に,しかっりお顔を見ておかなかったことが,今となっては悔やまれてならない>>
一方,短歌の先頭の位置に使われる場合は,「悔し」は単独で使用されています。
次は山上憶良が神龜5(729)年7月21日に筑紫で大伴旅人の妻が亡くなったとき,詠んだとされている長歌+短歌5首の中の1首です。
悔しかもかく知らませばあをによし国内ことごと見せましものを(5-797)
<くやしかもかくしらませば あをによしくぬちことごと みせましものを>
<<悔しいです。こうなることが予め知っていたなら,国中をことごとくお見せしたものを>>
これらは惜しい人を亡くした悔しさを詠んでいますが,相聞歌でも相手との関係がなかなかうまくいかない時に「悔し」が出てくることがあります。
次は平群女郎(へぐりのいらつめ)が越中の大伴家持に贈った12首の中の1首です。
里近く君がなりなば恋ひめやともとな思ひし我れぞ悔しき(17-3939)
<さとちかくきみがなりなば こひめやともとなおもひし あれぞくやしき>
<<私の住む里近くへあなたがお出でくださることになれば,恋しいあなたと逢えると,わけもなく予想をしていた自分の愚さが悔しくてなりません>>
家持は越中から奈良に一時的に帰ったのですが,平群女郎のところには寄らなかったようです。
家持と女郎は家持が越中に行く前は,相当な関係だったのかもしれませんね。
最後に,悔しい思いが晴れた詠み人知らずの短歌を紹介し,今回の投稿を閉めます。
我が宿の花橘は散りにけり悔しき時に逢へる君かも(10-1969)
<わがやどのはなたちばなは ちりにけりくやしきときに あへるきみかも>
<<我が家の庭にある花橘の花は散ってしまいました。一緒に我が家の花橘を見ようとと約束してくださったのにと悔しい思いをしていましたが,ようやくあなたと逢えました>>
心が動いた詞(ことば)シリーズ「楽し」に続く。
2013年9月29日日曜日
心が動いた詞(ことば)シリーズ「さやけし」
暑い夏も終わり,ようやく爽やかな秋空を満喫できる季節になりましたね。
これから紅葉が落ち,森林の中が明るくなる12月中旬頃まで,私の気持ちも爽やかになることが多い季節です。また,空気も比較的澄んで月の明るさも夏より強く鮮明に感じられます。
今回取り上げる万葉集における「さやけし」は,まさに中秋の名月のようにクリアな輝きやクリアに感じる音に使う言葉のようです。
「さやけし」が詠まれている万葉集の中で,なんといっても有名なのは中大兄皇子(後の天智天皇)が詠んだ次の短歌でしょうか。
海神の豊旗雲に入日さし今夜の月夜さやけくありこそ(1-15)
<わたつみのとよはたくもに いりひさしこよひのつくよ さやけくありこそ>
<<海神を護衛するような豊旗雲に入日がさしています。今夜の月はさやかであってほしいものだ>>
この短歌は,有名な大和三山を詠んだ皇子の長歌に続く反歌2首の内の後の方の1首です。前の方の1首は長歌との関係がしっかりあるのですが,この反歌はまったく無関係に感じられます。実は,この短歌の左注にも無関係な内容だと書かれています。
入日がさしているため,西方は雲がないことを意味します。暦や時に興味を持っていたといわれる天智天皇は天気は西から変わることも知っていたのかもしれません。だとすると,雲が無く月が「さやか」であることを期待している皇子にとってその予兆を探したところ,日の入りの光がさしていることがその予兆だと詠んだのかもしれません。また,月がさやかであると船の航行もでき,旅が進むことも考えられます。
万葉集で「さやけし」の対象としてこの「月夜」のほかに「磯波」「海岸」「川」「川音」「川瀬」「鹿の声」「瀬音」「月」「波音」「山川」「小川」などが出てきます。これを見ると,水に関する者が大半を占めています。それも,見るだけでなく,聞くことも対象になっています。日本人は昔から川や海の水は切っても切れない関係であるだけでなく,美しい水の動きや水の音と接することで心さわやかに感じるのが自然のようだと私は思います。
さて,次は海岸の美しさを「さやけし」と舎人娘子(とねりのをとめ)という女官が持統天皇の伊勢行幸のとき詠んだ短歌です。
大丈夫のさつ矢手挟み立ち向ひ射る圓方は見るにさやけし(1-61)
<ますらをのさつやたばさみ たちむかひいるまとかたは みるにさやけし>
<<勇士がさつ矢を手に挟み立ち向かい射抜く的(まと)。その円(まと)方の浜は目にも鮮やかに美しい>>
この海岸は伊勢国にあった弓矢の的のように整った円形をした海岸があり,それが非常に美しかったと感じたのでしょうか。
次は別の対象に対して大伴家持が「さやけし」を詠んだ短歌です。
剣太刀いよよ磨ぐべし古ゆさやけく負ひて来にしその名ぞ(20-4467)
<つるぎたちいよよとぐべし いにしへゆさやけくおひて きにしそのなぞ>
<<ますます磨ぎ澄ませてください。(あなたの姓は)遥か昔から清らかに責任を果たしてきたまさにその氏名(うじな)なのですよ>>
この短歌はこのブログで2010年9月25日の投稿でも紹介したものです。
この短歌の左注には,淡海真人三船(あふみのまひとみふね)の讒言(ざんげん)によって、出雲守(いづものかみ)大伴古慈斐宿禰(おほとものこじひのすくね)宿禰が任を解かれる。この事実を知って家持この歌を作る(天平勝宝8(756)年6月17日作)とあります。家持は古慈斐に対して,今まで順調に昇進してきたが,今回の解任に対してやけにならずに栄光ある大伴氏の名を汚さないよう,自分を磨いて,自制した行動をしてほしいと思ったのかもしれません。
その後の古慈斐は家持のこの短歌により,苦しい状況でも我慢して慎重な行動をとったためか,光仁天皇時代には従三位まで行き,公家の仲間入りを果たした記録されています。
組織の中で自分を陥れるようなことをされたとき,「倍返しをしてやるぞ」と戦うのも一つのやり方かもしれません。ただ,組織人として努力した行動を冷静に継続し,じっくりとチャンスを待つのも正しい行動様式だとこの短歌から私は思うのです。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「悔(くや)し」に続く。
これから紅葉が落ち,森林の中が明るくなる12月中旬頃まで,私の気持ちも爽やかになることが多い季節です。また,空気も比較的澄んで月の明るさも夏より強く鮮明に感じられます。
今回取り上げる万葉集における「さやけし」は,まさに中秋の名月のようにクリアな輝きやクリアに感じる音に使う言葉のようです。
「さやけし」が詠まれている万葉集の中で,なんといっても有名なのは中大兄皇子(後の天智天皇)が詠んだ次の短歌でしょうか。
海神の豊旗雲に入日さし今夜の月夜さやけくありこそ(1-15)
<わたつみのとよはたくもに いりひさしこよひのつくよ さやけくありこそ>
<<海神を護衛するような豊旗雲に入日がさしています。今夜の月はさやかであってほしいものだ>>
この短歌は,有名な大和三山を詠んだ皇子の長歌に続く反歌2首の内の後の方の1首です。前の方の1首は長歌との関係がしっかりあるのですが,この反歌はまったく無関係に感じられます。実は,この短歌の左注にも無関係な内容だと書かれています。
入日がさしているため,西方は雲がないことを意味します。暦や時に興味を持っていたといわれる天智天皇は天気は西から変わることも知っていたのかもしれません。だとすると,雲が無く月が「さやか」であることを期待している皇子にとってその予兆を探したところ,日の入りの光がさしていることがその予兆だと詠んだのかもしれません。また,月がさやかであると船の航行もでき,旅が進むことも考えられます。
万葉集で「さやけし」の対象としてこの「月夜」のほかに「磯波」「海岸」「川」「川音」「川瀬」「鹿の声」「瀬音」「月」「波音」「山川」「小川」などが出てきます。これを見ると,水に関する者が大半を占めています。それも,見るだけでなく,聞くことも対象になっています。日本人は昔から川や海の水は切っても切れない関係であるだけでなく,美しい水の動きや水の音と接することで心さわやかに感じるのが自然のようだと私は思います。
さて,次は海岸の美しさを「さやけし」と舎人娘子(とねりのをとめ)という女官が持統天皇の伊勢行幸のとき詠んだ短歌です。
大丈夫のさつ矢手挟み立ち向ひ射る圓方は見るにさやけし(1-61)
<ますらをのさつやたばさみ たちむかひいるまとかたは みるにさやけし>
<<勇士がさつ矢を手に挟み立ち向かい射抜く的(まと)。その円(まと)方の浜は目にも鮮やかに美しい>>
この海岸は伊勢国にあった弓矢の的のように整った円形をした海岸があり,それが非常に美しかったと感じたのでしょうか。
次は別の対象に対して大伴家持が「さやけし」を詠んだ短歌です。
剣太刀いよよ磨ぐべし古ゆさやけく負ひて来にしその名ぞ(20-4467)
<つるぎたちいよよとぐべし いにしへゆさやけくおひて きにしそのなぞ>
<<ますます磨ぎ澄ませてください。(あなたの姓は)遥か昔から清らかに責任を果たしてきたまさにその氏名(うじな)なのですよ>>
この短歌はこのブログで2010年9月25日の投稿でも紹介したものです。
この短歌の左注には,淡海真人三船(あふみのまひとみふね)の讒言(ざんげん)によって、出雲守(いづものかみ)大伴古慈斐宿禰(おほとものこじひのすくね)宿禰が任を解かれる。この事実を知って家持この歌を作る(天平勝宝8(756)年6月17日作)とあります。家持は古慈斐に対して,今まで順調に昇進してきたが,今回の解任に対してやけにならずに栄光ある大伴氏の名を汚さないよう,自分を磨いて,自制した行動をしてほしいと思ったのかもしれません。
その後の古慈斐は家持のこの短歌により,苦しい状況でも我慢して慎重な行動をとったためか,光仁天皇時代には従三位まで行き,公家の仲間入りを果たした記録されています。
組織の中で自分を陥れるようなことをされたとき,「倍返しをしてやるぞ」と戦うのも一つのやり方かもしれません。ただ,組織人として努力した行動を冷静に継続し,じっくりとチャンスを待つのも正しい行動様式だとこの短歌から私は思うのです。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「悔(くや)し」に続く。
2013年9月22日日曜日
心が動いた詞(ことば)シリーズ「嬉し」
前の日曜(15日),私が学んだ大学で新しい教育棟が完成した記念に,卒業生も順次見学ができるということで,八王子まで行ってきました。
日本列島上陸間違いなしとの予報された台風が近づいてきていて,風雨が心配でしたが,私が行った昼過ぎは朝方の強い雨もやみ,少し青空がのぞくまで回復していました。
新しい教育棟はまるでホテルのような概容(12階建)で,中に入ると3階分くらいの吹き抜けの大きなエントランスホールがあり,エレベータだけでなく4階まではエスカレータが設置されていました。エスカレータで4Fまでいくと,ベランダには植物が植えられた広いカフェテリアがありました。
私が学生の頃は,50人ほどが入ると満杯になる「ロンドン」という名前の小さな喫茶室があっただけです。
15日は,昔懐かしい同期のOB・OGもたくさん来学していて,お互い年齢を重ねたことを感じながらも,再会できた幸せ感に満たされました。
また,当時の万葉集研究クラブの顧問をしてくださったN先生も新しい教育棟に研究室が移られたとのことで,同期のクラブメイトと一緒に新研究室にお邪魔をさせていただきました。N先生の研究室は11階にあり,エレベータを降りて結構長い廊下を進んでようやくたどり着けました。研究室は,まだ引っ越して直後のご様子で書籍などの整理が完全に終わっておられない状態が,逆に真新しい感じをさらに強くしました。
夜は八王子駅近辺で行ったクラブメイトとの懇談会にN先生もいらっしゃって,今回のテーマと同じ「嬉し」さが倍化しました。
さて,万葉集で「嬉し」を詠んだ和歌は12首ほどあります。まず,今の季節を詠んだ詠み人知らずの短歌から紹介ます。
何すとか君をいとはむ秋萩のその初花の嬉しきものを(10-2273)
<なにすとかきみをいとはむ あきはぎのそのはつはなの うれしきものを>
<<どうしてあなた様のことを嫌だと思うことがあるでしょうか。秋萩の初花を見るようにお目に掛かれば嬉しくてしかたないのに>>
桜の開花宣言を聞くと「春になったなあ」とか「花見ができるぞ」といったように嬉しい気持ちになりますね。
万葉時代は萩の花を見ることが楽しみだったようで(140首以上に登場),今年初めて萩の花が開花すると嬉しい気持ちになったようですね。
また,暑い夏が終わり,萩の咲いている道や庭を散策するのに良い季節となったこともあるのかもしれません。
恋人,そして妻や夫(当時は一緒に暮らさず)と逢える時の嬉しさは格別です。万葉集にも,当然そんな気持ちを詠んだ和歌が出てきます。
玉釧まき寝る妹もあらばこそ夜の長けくも嬉しくあるべき(12-2865)
<たまくしろまきぬるいもも あらばこそよのながけくも うれしくあるべき>
<<玉釧(きれいな腕輪)を巻いた腕枕で一緒に寝られるおまえがいるからこそ,いくら夜長でも嬉しいんだよ>>
この詠み人知らずの短歌も詠んだ時期は今頃でしょうか。太陽の沈む時間も夏に比べたら格段に速くなり,秋の夜長を感じる頃です。
夫の家に帰る時刻が同じであれば,夏の妻問よりも時間がたっぷりとれます。
もちろん,最愛の夫婦間では,その方が嬉しいに決まっています。
最後は,大宮仕えができる嬉しさについて,大納言巨勢奈弖麻呂(こせのなでまろ)が詠んだ短歌です。
天地と相栄えむと大宮を仕へまつれば貴く嬉しき(19-4273)
<あめつちとあひさかえむと おほみやをつかへまつれば たふとくうれしき>
<<天地と共にご盛栄されるようにと大宮にご奉仕できることで貴くも嬉しい気持ちがいっぱいです>>
この短歌は東大寺大仏開眼が終わった秋の新嘗祭の宴席で当時80歳を過ぎていた作者が詠んだものです。
当時の80歳以上の人口比率が今の100歳以上の人口比率より少なかったとすると,長寿でここまで来れた嬉しさも含んでいたのかもしれませんね。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「さやけし」に続く。
日本列島上陸間違いなしとの予報された台風が近づいてきていて,風雨が心配でしたが,私が行った昼過ぎは朝方の強い雨もやみ,少し青空がのぞくまで回復していました。
新しい教育棟はまるでホテルのような概容(12階建)で,中に入ると3階分くらいの吹き抜けの大きなエントランスホールがあり,エレベータだけでなく4階まではエスカレータが設置されていました。エスカレータで4Fまでいくと,ベランダには植物が植えられた広いカフェテリアがありました。
私が学生の頃は,50人ほどが入ると満杯になる「ロンドン」という名前の小さな喫茶室があっただけです。
15日は,昔懐かしい同期のOB・OGもたくさん来学していて,お互い年齢を重ねたことを感じながらも,再会できた幸せ感に満たされました。
また,当時の万葉集研究クラブの顧問をしてくださったN先生も新しい教育棟に研究室が移られたとのことで,同期のクラブメイトと一緒に新研究室にお邪魔をさせていただきました。N先生の研究室は11階にあり,エレベータを降りて結構長い廊下を進んでようやくたどり着けました。研究室は,まだ引っ越して直後のご様子で書籍などの整理が完全に終わっておられない状態が,逆に真新しい感じをさらに強くしました。
夜は八王子駅近辺で行ったクラブメイトとの懇談会にN先生もいらっしゃって,今回のテーマと同じ「嬉し」さが倍化しました。
さて,万葉集で「嬉し」を詠んだ和歌は12首ほどあります。まず,今の季節を詠んだ詠み人知らずの短歌から紹介ます。
何すとか君をいとはむ秋萩のその初花の嬉しきものを(10-2273)
<なにすとかきみをいとはむ あきはぎのそのはつはなの うれしきものを>
<<どうしてあなた様のことを嫌だと思うことがあるでしょうか。秋萩の初花を見るようにお目に掛かれば嬉しくてしかたないのに>>
桜の開花宣言を聞くと「春になったなあ」とか「花見ができるぞ」といったように嬉しい気持ちになりますね。
万葉時代は萩の花を見ることが楽しみだったようで(140首以上に登場),今年初めて萩の花が開花すると嬉しい気持ちになったようですね。
また,暑い夏が終わり,萩の咲いている道や庭を散策するのに良い季節となったこともあるのかもしれません。
恋人,そして妻や夫(当時は一緒に暮らさず)と逢える時の嬉しさは格別です。万葉集にも,当然そんな気持ちを詠んだ和歌が出てきます。
玉釧まき寝る妹もあらばこそ夜の長けくも嬉しくあるべき(12-2865)
<たまくしろまきぬるいもも あらばこそよのながけくも うれしくあるべき>
<<玉釧(きれいな腕輪)を巻いた腕枕で一緒に寝られるおまえがいるからこそ,いくら夜長でも嬉しいんだよ>>
この詠み人知らずの短歌も詠んだ時期は今頃でしょうか。太陽の沈む時間も夏に比べたら格段に速くなり,秋の夜長を感じる頃です。
夫の家に帰る時刻が同じであれば,夏の妻問よりも時間がたっぷりとれます。
もちろん,最愛の夫婦間では,その方が嬉しいに決まっています。
最後は,大宮仕えができる嬉しさについて,大納言巨勢奈弖麻呂(こせのなでまろ)が詠んだ短歌です。
天地と相栄えむと大宮を仕へまつれば貴く嬉しき(19-4273)
<あめつちとあひさかえむと おほみやをつかへまつれば たふとくうれしき>
<<天地と共にご盛栄されるようにと大宮にご奉仕できることで貴くも嬉しい気持ちがいっぱいです>>
この短歌は東大寺大仏開眼が終わった秋の新嘗祭の宴席で当時80歳を過ぎていた作者が詠んだものです。
当時の80歳以上の人口比率が今の100歳以上の人口比率より少なかったとすると,長寿でここまで来れた嬉しさも含んでいたのかもしれませんね。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「さやけし」に続く。
2013年9月15日日曜日
心が動いた詞(ことば)シリーズ「こちたし」
いろいろイベントがあって,先週のアップができませんでした。さて,結構長く続いた「2013夏休みスペシャル」が終了し,久しぶりに万葉集の「心が動いたシリーズ」に戻ります。
「こちたし」は漢字を当てはめると「言痛し」と書くようです。「人の噂が多くて煩わしい。うるさい。」いったネガティブな心の動きを表現する言葉です。
人の噂で体表的なのは「恋の噂」かもしれません。現代でも有名芸能人の熱愛報道が女性誌の販売数やテレビのワイドショー番組の視聴率に大きく影響するようです。また,職場の給湯室でも,社内恋愛の噂で話の花が咲くこともままあると聞きます。あくまでも噂ですが。
当の恋人同士は,噂をされることでお互いの愛がもっと深まることもあれば,噂に翻弄されお互いの気持ちが冷えてしまうことも考えられます。
さて,万葉集にもそんな噂で恋人同士の本人たちが困っている状況は出てきます。
人言を繁み言痛み逢はずありき心あるごとな思ひ我が背子(4-538)
<ひとごとをしげみこちたみ あはずありきこころあるごと なおもひわがせこ>
<<人の噂が気になりお逢いしなかったのです。あなた様を思う気持ちがないなんて思わないでください。私のあなた様>>
この短歌は,正四位下まで昇進した高安王(たかやすのおほきみ)の娘の高田女王(たかだのおほきみ)が今城王(いまきのおほきみ)に贈った6首の中の1首です。
今城王の父は同じ高安王という説もあり,仮に二人が異母兄妹の関係であれば,まさに「許されない恋」となります。二人は必死になって恋人関係を他人に分からないようにしたのかもしれません。でも,二人のちょっとしたしぐさで噂は立つモノです。それが抑えられないほどいろいろな人に伝わり「人言を繁み」となり,「言痛み」となったと考えられます。
次の詠み人知らずの短歌はうるさい人の噂に対して開き直った形のものです。
言痛くはかもかもせむを岩代の野辺の下草我れし刈りてば(7-1343)
<こちたくはかもかもせむを いはしろののへのしたくさ われしかりてば >
<<煩わしい人の噂はどうなるのか?岩白の野辺に生えた草を私が刈つてしまうた後は>>
「草を刈る」というのは「恋を成し遂げる」すなわち「恋人宣言をする」ことを意味するのだと私は思います。このように恋人関係をオープンにすれば,とやかく言う人も気にならなくなるという意味かもしれません。
しかし,オープンにしたらしたで,いろいろ面倒なことが発生することを愛し合っているふたりに想像できるわけではなさそうです。
オープンにした後も次のような詠み人知らずの短歌が生まれます。
おほろかの心は思はじ我がゆゑに人に言痛く言はれしものを(11-2535)
<おほろかのこころはおもはじ わがゆゑにひとにこちたく いはれしものを>
<<いい加減に思っているなんてことはないよ。君には僕のために人にとやかく言われ辛い思いをさせているのに>>
噂を立てられ,仕方なく公表したら,今度は相手の自宅までゴシップ記者が押し掛ける騒ぎになってしまった有名タレントが恋人に贈るときに使えそうな短歌ですね。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「嬉(うれ)し」に続く。
「こちたし」は漢字を当てはめると「言痛し」と書くようです。「人の噂が多くて煩わしい。うるさい。」いったネガティブな心の動きを表現する言葉です。
人の噂で体表的なのは「恋の噂」かもしれません。現代でも有名芸能人の熱愛報道が女性誌の販売数やテレビのワイドショー番組の視聴率に大きく影響するようです。また,職場の給湯室でも,社内恋愛の噂で話の花が咲くこともままあると聞きます。あくまでも噂ですが。
当の恋人同士は,噂をされることでお互いの愛がもっと深まることもあれば,噂に翻弄されお互いの気持ちが冷えてしまうことも考えられます。
さて,万葉集にもそんな噂で恋人同士の本人たちが困っている状況は出てきます。
人言を繁み言痛み逢はずありき心あるごとな思ひ我が背子(4-538)
<ひとごとをしげみこちたみ あはずありきこころあるごと なおもひわがせこ>
<<人の噂が気になりお逢いしなかったのです。あなた様を思う気持ちがないなんて思わないでください。私のあなた様>>
この短歌は,正四位下まで昇進した高安王(たかやすのおほきみ)の娘の高田女王(たかだのおほきみ)が今城王(いまきのおほきみ)に贈った6首の中の1首です。
今城王の父は同じ高安王という説もあり,仮に二人が異母兄妹の関係であれば,まさに「許されない恋」となります。二人は必死になって恋人関係を他人に分からないようにしたのかもしれません。でも,二人のちょっとしたしぐさで噂は立つモノです。それが抑えられないほどいろいろな人に伝わり「人言を繁み」となり,「言痛み」となったと考えられます。
次の詠み人知らずの短歌はうるさい人の噂に対して開き直った形のものです。
言痛くはかもかもせむを岩代の野辺の下草我れし刈りてば(7-1343)
<こちたくはかもかもせむを いはしろののへのしたくさ われしかりてば >
<<煩わしい人の噂はどうなるのか?岩白の野辺に生えた草を私が刈つてしまうた後は>>
「草を刈る」というのは「恋を成し遂げる」すなわち「恋人宣言をする」ことを意味するのだと私は思います。このように恋人関係をオープンにすれば,とやかく言う人も気にならなくなるという意味かもしれません。
しかし,オープンにしたらしたで,いろいろ面倒なことが発生することを愛し合っているふたりに想像できるわけではなさそうです。
オープンにした後も次のような詠み人知らずの短歌が生まれます。
おほろかの心は思はじ我がゆゑに人に言痛く言はれしものを(11-2535)
<おほろかのこころはおもはじ わがゆゑにひとにこちたく いはれしものを>
<<いい加減に思っているなんてことはないよ。君には僕のために人にとやかく言われ辛い思いをさせているのに>>
噂を立てられ,仕方なく公表したら,今度は相手の自宅までゴシップ記者が押し掛ける騒ぎになってしまった有名タレントが恋人に贈るときに使えそうな短歌ですね。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「嬉(うれ)し」に続く。
2013年7月27日土曜日
心が動いた詞(ことば)シリーズ「まく欲し」
今回は現代の日常会話ではほとんどまず使わないだろう「まく欲し」について,万葉集を見ていきます。「まく欲し」は「強く~したい」という願望の形容詞です。万葉集では「見まく欲し」(見たい)という使い方が何首か出てきます。
次は山部赤人が旅の途中に詠んだとされる長歌です。
御食向ふ 淡路の島に 直向ふ 敏馬の浦の 沖辺には 深海松採り 浦廻には なのりそ刈る 深海松の 見まく欲しけど なのりその おのが名惜しみ 間使も 遣らずて我れは 生けりともなし(6/946)
<みけむかふあはぢのしまに ただむかふみぬめのうらの おきへにはふかみるとり うらみにはなのりそかる ふかみるのみまくほしけど なのりそのおのがなをしみ まつかひもやらずてわれは いけりともなし>
<<淡路の島に直ぐ向う敏馬の浦の沖あたりでは,深い海底にある海松(みる)を採り,浦辺ではなのりそを刈る。海松のように君の顔を見たいと思うけれど,そんなことをするとつ(なのりそ)のように自分の名の評判が下がるのではないかと思い,使いも遣ることができず,私は生きた気がしない>>
赤人は瀬戸内海の淡路島の直面する駿馬の浦では,海藻の採取が盛んであることを知ります。
その海藻には海松とかなのりそという名付けられたものがあることを知り,妻への想いが蘇り,これを詠んだのだろうと私は考えます。この長歌の吟詠を聞いた京人は,そんな面白い名前の海藻を見てみたい,現地に行ってみたい,採れたての海藻を食べてみたいと思ったに違いないと私は思います。
次の「まく欲し」の形容として出てくるのが,「懸けまく欲し」というものてす。これは,「言葉に出して言いたい」といった意味です。
栲領巾の懸けまく欲しき妹が名をこの背の山に懸けばいかにあらむ(3-285)
<たくひれ かけまくほしき いもがなをこのせのやまに かけばいかにあらむ >
<<声をかけたい妻の名をこの背の山になぞらえてみたらどうだろう>>
この短歌は丹比笠麻呂(たぢひのかさまろ)という羈旅の歌を5首ほど万葉集に残す官吏が紀伊の国(和歌山)を旅したときに詠んだものです。背は夫という意味があるようです。背の山を自分に懸けて,妻の名を懸ける(声を出して呼ぶ)ことを欲する気持ち(まく欲し)を詠んだと私は解釈します。
最後は「守らまく欲し」という用例の短歌(詠み人知らず)を紹介します。
うつたへに鳥は食まねど縄延へて守らまく欲しき梅の花かも(10-1585)
<うつたへにとりははまねど なははへてもらまくほしき うめのはなかも>
<<全部鳥が食べてしまうようなことはないと思いますが,しめ縄を一面に張ってしっかり守りたいほど見事な梅の花です>>
ここまで万葉集に出てくる「まく欲し」を見てきましたが,読者の皆さんが「見まく欲し」といつも感じて頂けるような内容のブログに,これからもして「行かまく欲し」と考えています。
さて,次回から「心が動いた詞(ことば)シリーズ」はお休みにして少し早いですが,夏休みスペシャルに入ります。
夏休みスペシャル「長尾街道を歩く」に続く。
次は山部赤人が旅の途中に詠んだとされる長歌です。
御食向ふ 淡路の島に 直向ふ 敏馬の浦の 沖辺には 深海松採り 浦廻には なのりそ刈る 深海松の 見まく欲しけど なのりその おのが名惜しみ 間使も 遣らずて我れは 生けりともなし(6/946)
<みけむかふあはぢのしまに ただむかふみぬめのうらの おきへにはふかみるとり うらみにはなのりそかる ふかみるのみまくほしけど なのりそのおのがなをしみ まつかひもやらずてわれは いけりともなし>
<<淡路の島に直ぐ向う敏馬の浦の沖あたりでは,深い海底にある海松(みる)を採り,浦辺ではなのりそを刈る。海松のように君の顔を見たいと思うけれど,そんなことをするとつ(なのりそ)のように自分の名の評判が下がるのではないかと思い,使いも遣ることができず,私は生きた気がしない>>
赤人は瀬戸内海の淡路島の直面する駿馬の浦では,海藻の採取が盛んであることを知ります。
その海藻には海松とかなのりそという名付けられたものがあることを知り,妻への想いが蘇り,これを詠んだのだろうと私は考えます。この長歌の吟詠を聞いた京人は,そんな面白い名前の海藻を見てみたい,現地に行ってみたい,採れたての海藻を食べてみたいと思ったに違いないと私は思います。
次の「まく欲し」の形容として出てくるのが,「懸けまく欲し」というものてす。これは,「言葉に出して言いたい」といった意味です。
栲領巾の懸けまく欲しき妹が名をこの背の山に懸けばいかにあらむ(3-285)
<たくひれ かけまくほしき いもがなをこのせのやまに かけばいかにあらむ >
<<声をかけたい妻の名をこの背の山になぞらえてみたらどうだろう>>
この短歌は丹比笠麻呂(たぢひのかさまろ)という羈旅の歌を5首ほど万葉集に残す官吏が紀伊の国(和歌山)を旅したときに詠んだものです。背は夫という意味があるようです。背の山を自分に懸けて,妻の名を懸ける(声を出して呼ぶ)ことを欲する気持ち(まく欲し)を詠んだと私は解釈します。
最後は「守らまく欲し」という用例の短歌(詠み人知らず)を紹介します。
うつたへに鳥は食まねど縄延へて守らまく欲しき梅の花かも(10-1585)
<うつたへにとりははまねど なははへてもらまくほしき うめのはなかも>
<<全部鳥が食べてしまうようなことはないと思いますが,しめ縄を一面に張ってしっかり守りたいほど見事な梅の花です>>
ここまで万葉集に出てくる「まく欲し」を見てきましたが,読者の皆さんが「見まく欲し」といつも感じて頂けるような内容のブログに,これからもして「行かまく欲し」と考えています。
さて,次回から「心が動いた詞(ことば)シリーズ」はお休みにして少し早いですが,夏休みスペシャルに入ります。
夏休みスペシャル「長尾街道を歩く」に続く。
2013年7月20日土曜日
心が動いた詞(ことば)シリーズ「なつかし」
私のように年齢を重ねると最近次のような経験で「懐かしい」と感じることが多くあります。
・ BSで放送された「二十四の瞳」を久しぶりに観た。
・ 10何年以上前,勤務先近くで頻繁に通っていたが事業所が変わりその後行かなくなった飲み屋に久しぶりに行ってみた。
・ 名神高速道路(一部)が最初に開通して50年という記事を読み,58年10月京都市山科区(当時京都市東山区山科)蚊ヶ瀬で行われた起工式に,会場のすぐそばまでちっちゃな自転車に乗って見物に行ったことを思い出した。
さて,本題の万葉集ですが,「なつかし」を詠んだ和歌が18首ほどでてきます。その中で「なつかし」の対象となるものは,次のようにいろいろあります。
秋の山辺,秋山の色,梅の花,君,木の葉,妻,妻の子,鳥の鳴き声,鳥の初声,野原, 藤波の花,山,我妹。
万葉集で出てくる「なつかし」の意味は,現代のようにかなり遠い過去の「思い出」と強く結びつく言葉だけではなかったようです。例を見てみましょう。
さ夜更けて暁月に影見えて鳴く霍公鳥聞けばなつかし(19-4181)
<さよふけてあかときつきに かげみえてなくほととぎす きけばなつかし>
<<夜が更けて夜明け前の月に姿を見せて鳴くほととぎすの鳴き声を聞くと心がを癒される>>
この短歌は大伴家持が越中で詠んだ1首です。家持は前の晩からストレスか悩みで眠れなかったのでしょうか。でも,夜明け前に「キキョ,キキョ」とホトトギスの鳴き声で心静かになったようです。ここの「なつかし」は「心が和む」「心が癒される」といった意味になりそうです。
次の1首は柿本人麻呂歌集から万葉集に転載したという詠み人知らずの短歌です。
見れど飽かぬ人国山の木の葉をし我が心からなつかしみ思ふ(7-1305)
<みれどあかぬひとくにやまの このはをしわがこころから なつかしみおもふ>
<<ずっと見ていたい人国山(故郷)の木の葉(人たち)のことを心から慕わしく思っています>>
ここでの「なつかし」は「人を慕う」という意味かと思います。次は,大伴家持が越中赴任後1年ほどした天平19年,平城京に一時的に帰って状況を報告するため,越中を出発する前,盟友の大伴池主が家持に贈った長歌の反歌です。
玉桙の道の神たち賄はせむ我が思ふ君をなつかしみせよ(17-4009)
<たまほこのみちのかみたち まひはせむあがおもふきみを なつかしみせよ>
<<道の神たちよ,賽物(さいもつ)を捧げましょう。私が慕っている家持殿を親しみをもって迎えてください>>
この「なつかし」も,その前の2首とはニュアンスが少し異なっいると私は感じます。最後は,大宰府で大伴旅人がホストとなり,大勢のゲストを集めた梅見の宴(天平2年春開催)でゲストのひとりの小野氏淡理(をののうぢのたもり,小野田守)が詠んだ短歌です。
霞立つ長き春日をかざせれどいやなつかしき梅の花かも(5-846)
<かすみたつながきはるひを かざせれどいやなつかしき うめのはなかも>
<<霞立つ長い春の日をかざしていても,(飽きることなく)ますます心がひかれる梅の花ですね>>
梅が咲くころ,日照時間が冬至の頃と比べて長くなってきます。そんな柔らかい春の日がずっと当たっていても,梅の花はどうしてこんなに魅力的なのかという気持ちを詠いあげています。このとき「なつかし」という形容詞がこの短歌における表現のキーワードになっていると私は感じます。
この年,旅人は6年間務めた大宰府長官の任を解かれ,「懐かしい」平城京に戻るのです。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「まく欲し」に続く。
・ BSで放送された「二十四の瞳」を久しぶりに観た。
・ 10何年以上前,勤務先近くで頻繁に通っていたが事業所が変わりその後行かなくなった飲み屋に久しぶりに行ってみた。
・ 名神高速道路(一部)が最初に開通して50年という記事を読み,58年10月京都市山科区(当時京都市東山区山科)蚊ヶ瀬で行われた起工式に,会場のすぐそばまでちっちゃな自転車に乗って見物に行ったことを思い出した。
さて,本題の万葉集ですが,「なつかし」を詠んだ和歌が18首ほどでてきます。その中で「なつかし」の対象となるものは,次のようにいろいろあります。
秋の山辺,秋山の色,梅の花,君,木の葉,妻,妻の子,鳥の鳴き声,鳥の初声,野原, 藤波の花,山,我妹。
万葉集で出てくる「なつかし」の意味は,現代のようにかなり遠い過去の「思い出」と強く結びつく言葉だけではなかったようです。例を見てみましょう。
さ夜更けて暁月に影見えて鳴く霍公鳥聞けばなつかし(19-4181)
<さよふけてあかときつきに かげみえてなくほととぎす きけばなつかし>
<<夜が更けて夜明け前の月に姿を見せて鳴くほととぎすの鳴き声を聞くと心がを癒される>>
この短歌は大伴家持が越中で詠んだ1首です。家持は前の晩からストレスか悩みで眠れなかったのでしょうか。でも,夜明け前に「キキョ,キキョ」とホトトギスの鳴き声で心静かになったようです。ここの「なつかし」は「心が和む」「心が癒される」といった意味になりそうです。
次の1首は柿本人麻呂歌集から万葉集に転載したという詠み人知らずの短歌です。
見れど飽かぬ人国山の木の葉をし我が心からなつかしみ思ふ(7-1305)
<みれどあかぬひとくにやまの このはをしわがこころから なつかしみおもふ>
<<ずっと見ていたい人国山(故郷)の木の葉(人たち)のことを心から慕わしく思っています>>
ここでの「なつかし」は「人を慕う」という意味かと思います。次は,大伴家持が越中赴任後1年ほどした天平19年,平城京に一時的に帰って状況を報告するため,越中を出発する前,盟友の大伴池主が家持に贈った長歌の反歌です。
玉桙の道の神たち賄はせむ我が思ふ君をなつかしみせよ(17-4009)
<たまほこのみちのかみたち まひはせむあがおもふきみを なつかしみせよ>
<<道の神たちよ,賽物(さいもつ)を捧げましょう。私が慕っている家持殿を親しみをもって迎えてください>>
この「なつかし」も,その前の2首とはニュアンスが少し異なっいると私は感じます。最後は,大宰府で大伴旅人がホストとなり,大勢のゲストを集めた梅見の宴(天平2年春開催)でゲストのひとりの小野氏淡理(をののうぢのたもり,小野田守)が詠んだ短歌です。
霞立つ長き春日をかざせれどいやなつかしき梅の花かも(5-846)
<かすみたつながきはるひを かざせれどいやなつかしき うめのはなかも>
<<霞立つ長い春の日をかざしていても,(飽きることなく)ますます心がひかれる梅の花ですね>>
梅が咲くころ,日照時間が冬至の頃と比べて長くなってきます。そんな柔らかい春の日がずっと当たっていても,梅の花はどうしてこんなに魅力的なのかという気持ちを詠いあげています。このとき「なつかし」という形容詞がこの短歌における表現のキーワードになっていると私は感じます。
この年,旅人は6年間務めた大宰府長官の任を解かれ,「懐かしい」平城京に戻るのです。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「まく欲し」に続く。
2013年7月14日日曜日
心が動いた詞(ことば)シリーズ「ゆゆし」
<郡上八幡への訪問>
この前の月曜日から水曜日まで,コンピュータソフトウェアに関する学会のシンポジウムに参加するため,岐阜市に行ってきました。岐阜市は35度以上の猛暑が続いていましたが,会場や宿泊先のホテルで冷房が効いていて快適に過ごせました。
そのシンポジウムは毎年場所を代えて開催されているのですが,私は本当に久しぶりの参加でした。学会の幹事の方や大学の先生方と久しぶり再会できた人も多く,懇親会では初めて名刺を交換した人だけでなく,そういった方々とも楽しくソフトウェア工学の研究動向についてお話ができました。
また,岐阜市に行ったついでに親しい参加者数人と車で郡上八幡を訪れました。
郡上おどりはまだ始まっていませんでしたが,天気に恵まれ,静かな郡上八幡の城下町,清流だけど水量豊かな吉田川,八幡城から眺めた街並みや青々とした山並みは本当に素晴らしいと感じました。
郡上八幡は,食品サンプル(レストランの入り口横に飾ってある料理のイミテーション)の創始者とも称される岩崎瀧三の出身地で,食品サンプルを作る産業が盛んだそうです。郡上八幡で作られた食品サンプルの全国シェアは60%もあるらしく,時間の関係でちら見しかできませんでしたが,街には食品サンプルを売る店やサンプル作成の体験ができる工房もありす。
昼食で食べた郡上八幡城下町エリアのお店の「うな重」は最高でした。ここのウナギはミネラル分豊かな郡上八幡の湧水で何日も過ごしてからさばかれているのかもしれませんね。
天の川 「たびとはん。わいに黙って,自分だけウナギを食べたんか! えろ~,ゆゆしいこっちゃ!」
天の川君,ちょうど今回のテーマの「ゆゆし」を使ってくれてありがとう。素晴らしい連携プレイだね。
天の川 「褒めてごまかしてもアカンで。わいにもウナギ,ウナギや,ちゅうねん!」
<本題>
無視して本題に移りましょう。「ゆゆし」は,天の川君が「うとましい」「いやだ」という意味で言ったように,現在でも「ゆゆしい」として使われています。
しかし,広辞苑には「神聖また不浄なものを触れてはならないものとして強く畏怖する気持ちを表すのが原義」とあります。
万葉集では,当然ですがその原義に近い意味で使われている和歌がでてきます。
かけまくもあやに畏し 言はまくもゆゆしきかも 我が大君皇子の命 万代に見したまはまし 大日本久邇の都は うち靡く春さりぬれば 山辺には花咲きををり 川瀬には鮎子さ走り いや日異に栄ゆる時に およづれのたはこととかも 白栲に舎人よそひて 和束山御輿立たして ひさかたの天知らしぬれ 臥いまろびひづち泣けども 為むすべもなし(3-475)
<かけまくもあやにかしこし いはまくもゆゆしきかも わがおほきみみこのみこと よろづよにめしたまはまし おほやまとくにのみやこは うちなびくはるさりぬれば やまへにははなさきををり かはせにはあゆこさばしり いやひけにさかゆるときに およづれのたはこととかも しろたへにとねりよそひて わづかやまみこしたたして ひさかたのあめしらしぬれ こいまろびひづちなけども せむすべもなし>
<<言葉をかけるのもたいへん畏れ多く、言ってみるのもはばかれることだが,私が仕へる天子(聖武天皇)の皇子(安積親王)が永遠にお治めなさるべき恭仁の都は,春が來ると山の辺には枝もたわわに花が咲き,川の瀬にはアユの子が走るように泳いでいる。日に日に段々と隆盛していく中、悪い噂の呪いの言葉とも思はれるような評判が聞こえてきた。それは御身に使える舍人達が白い栲の着物に着替えて、和束山をば輿に乗って出発され,天を治めにお登りなされた(お亡くなりになった)ので、舍人達は倒れころげて,絶え間ない涙に濡れて泣いている。何とも仕方がないことだ>>
この長歌は,大伴家持が恭仁(くに)京の造営に携わっていた天平16年,聖武(しやうむ)天皇の第二皇子である安積親王(あさかしんわう)が若くして亡くなったことを悼んで詠んだものです。
ここに出てくる「ゆゆしきかも」は「神聖であるからお名前も言ってはいけないほど」といった意味でしょうか。
さて,次は少し違う意味の「ゆゆし」を詠んだ詠み人知らずの女性の短歌です。
朝去にて夕は来ます君ゆゑにゆゆしくも我は嘆きつるかも(12-2893)
<あしたいにてゆふへはきます きみゆゑにゆゆしくもわは なげきつるかも>
<<朝にお帰りになって,夕方またお見えになるあなた様だから,いらっしゃらない昼は,うとましいほど私は嘆いてしまうことでしょう>>
「あなたとずっといたいのよ」というこの短歌を見た男性は,早めに女性宅に来るようになったでしょうか。
さて,次は高級官僚である中臣東人(なかとみのあづまひと)が阿倍女郎(あべのいらつめ)に贈った相聞歌です。
ひとり寝て絶えにし紐をゆゆしみと為むすべ知らに音のみしぞ泣く(4-515)
<ひとりねてたえにしひもを ゆゆしみとせむすべしらに ねのみしぞなく>
<<ひとりで寢ていたら,あなたが結んでくれた紐が切れた。それは不吉な兆しというけれど,どうすけばよいのか分からず泣くばかりなのです>>
これに対して,阿倍女郎は次のように返歌しています。
我が持てる三相に搓れる糸もちて付けてましもの今ぞ悔しき(4-516)
<わがもてるみつあひによれる いともちてつけてましもの いまぞくやしき>
<<私が持っている三本に縒った丈夫な糸で紐を縫いつけてあげればよかった。今では悔いています>>
さて,東人が「ゆゆし」といった不吉な前兆を女郎はどう解釈したのでしょうか。
東人さんは,もう二人は別れなければならないので泣いているのか? それとも,何としても別れたくないので泣いているのか? 女郎にとってはそこを見極めなければならいでしょう。
そこで,女郎は返歌では悔いていることを別れとは無関係の紐をつなぐ糸に絞って詠い,相手の反応を見ようとしたのではないかと私は思います。
これに対する東人の返歌は万葉集に残っていないようです。二人はこの相聞をもって別れてしまったのでしょうか。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「なつかし」に続く。
この前の月曜日から水曜日まで,コンピュータソフトウェアに関する学会のシンポジウムに参加するため,岐阜市に行ってきました。岐阜市は35度以上の猛暑が続いていましたが,会場や宿泊先のホテルで冷房が効いていて快適に過ごせました。
そのシンポジウムは毎年場所を代えて開催されているのですが,私は本当に久しぶりの参加でした。学会の幹事の方や大学の先生方と久しぶり再会できた人も多く,懇親会では初めて名刺を交換した人だけでなく,そういった方々とも楽しくソフトウェア工学の研究動向についてお話ができました。
また,岐阜市に行ったついでに親しい参加者数人と車で郡上八幡を訪れました。
郡上おどりはまだ始まっていませんでしたが,天気に恵まれ,静かな郡上八幡の城下町,清流だけど水量豊かな吉田川,八幡城から眺めた街並みや青々とした山並みは本当に素晴らしいと感じました。
郡上八幡は,食品サンプル(レストランの入り口横に飾ってある料理のイミテーション)の創始者とも称される岩崎瀧三の出身地で,食品サンプルを作る産業が盛んだそうです。郡上八幡で作られた食品サンプルの全国シェアは60%もあるらしく,時間の関係でちら見しかできませんでしたが,街には食品サンプルを売る店やサンプル作成の体験ができる工房もありす。
昼食で食べた郡上八幡城下町エリアのお店の「うな重」は最高でした。ここのウナギはミネラル分豊かな郡上八幡の湧水で何日も過ごしてからさばかれているのかもしれませんね。
天の川 「たびとはん。わいに黙って,自分だけウナギを食べたんか! えろ~,ゆゆしいこっちゃ!」
天の川君,ちょうど今回のテーマの「ゆゆし」を使ってくれてありがとう。素晴らしい連携プレイだね。
天の川 「褒めてごまかしてもアカンで。わいにもウナギ,ウナギや,ちゅうねん!」
<本題>
無視して本題に移りましょう。「ゆゆし」は,天の川君が「うとましい」「いやだ」という意味で言ったように,現在でも「ゆゆしい」として使われています。
しかし,広辞苑には「神聖また不浄なものを触れてはならないものとして強く畏怖する気持ちを表すのが原義」とあります。
万葉集では,当然ですがその原義に近い意味で使われている和歌がでてきます。
かけまくもあやに畏し 言はまくもゆゆしきかも 我が大君皇子の命 万代に見したまはまし 大日本久邇の都は うち靡く春さりぬれば 山辺には花咲きををり 川瀬には鮎子さ走り いや日異に栄ゆる時に およづれのたはこととかも 白栲に舎人よそひて 和束山御輿立たして ひさかたの天知らしぬれ 臥いまろびひづち泣けども 為むすべもなし(3-475)
<かけまくもあやにかしこし いはまくもゆゆしきかも わがおほきみみこのみこと よろづよにめしたまはまし おほやまとくにのみやこは うちなびくはるさりぬれば やまへにははなさきををり かはせにはあゆこさばしり いやひけにさかゆるときに およづれのたはこととかも しろたへにとねりよそひて わづかやまみこしたたして ひさかたのあめしらしぬれ こいまろびひづちなけども せむすべもなし>
<<言葉をかけるのもたいへん畏れ多く、言ってみるのもはばかれることだが,私が仕へる天子(聖武天皇)の皇子(安積親王)が永遠にお治めなさるべき恭仁の都は,春が來ると山の辺には枝もたわわに花が咲き,川の瀬にはアユの子が走るように泳いでいる。日に日に段々と隆盛していく中、悪い噂の呪いの言葉とも思はれるような評判が聞こえてきた。それは御身に使える舍人達が白い栲の着物に着替えて、和束山をば輿に乗って出発され,天を治めにお登りなされた(お亡くなりになった)ので、舍人達は倒れころげて,絶え間ない涙に濡れて泣いている。何とも仕方がないことだ>>
この長歌は,大伴家持が恭仁(くに)京の造営に携わっていた天平16年,聖武(しやうむ)天皇の第二皇子である安積親王(あさかしんわう)が若くして亡くなったことを悼んで詠んだものです。
ここに出てくる「ゆゆしきかも」は「神聖であるからお名前も言ってはいけないほど」といった意味でしょうか。
さて,次は少し違う意味の「ゆゆし」を詠んだ詠み人知らずの女性の短歌です。
朝去にて夕は来ます君ゆゑにゆゆしくも我は嘆きつるかも(12-2893)
<あしたいにてゆふへはきます きみゆゑにゆゆしくもわは なげきつるかも>
<<朝にお帰りになって,夕方またお見えになるあなた様だから,いらっしゃらない昼は,うとましいほど私は嘆いてしまうことでしょう>>
「あなたとずっといたいのよ」というこの短歌を見た男性は,早めに女性宅に来るようになったでしょうか。
さて,次は高級官僚である中臣東人(なかとみのあづまひと)が阿倍女郎(あべのいらつめ)に贈った相聞歌です。
ひとり寝て絶えにし紐をゆゆしみと為むすべ知らに音のみしぞ泣く(4-515)
<ひとりねてたえにしひもを ゆゆしみとせむすべしらに ねのみしぞなく>
<<ひとりで寢ていたら,あなたが結んでくれた紐が切れた。それは不吉な兆しというけれど,どうすけばよいのか分からず泣くばかりなのです>>
これに対して,阿倍女郎は次のように返歌しています。
我が持てる三相に搓れる糸もちて付けてましもの今ぞ悔しき(4-516)
<わがもてるみつあひによれる いともちてつけてましもの いまぞくやしき>
<<私が持っている三本に縒った丈夫な糸で紐を縫いつけてあげればよかった。今では悔いています>>
さて,東人が「ゆゆし」といった不吉な前兆を女郎はどう解釈したのでしょうか。
東人さんは,もう二人は別れなければならないので泣いているのか? それとも,何としても別れたくないので泣いているのか? 女郎にとってはそこを見極めなければならいでしょう。
そこで,女郎は返歌では悔いていることを別れとは無関係の紐をつなぐ糸に絞って詠い,相手の反応を見ようとしたのではないかと私は思います。
これに対する東人の返歌は万葉集に残っていないようです。二人はこの相聞をもって別れてしまったのでしょうか。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「なつかし」に続く。
2013年7月6日土曜日
心が動いた詞(ことば)シリーズ「ともし」
気象庁によりますと関東甲信越地方がいつもより早めに梅雨明けをしたとみられるそうです。明日は七夕です。短冊に願いを書いて笹に結び付けた幼いころを思い出します。
このブログも七夕を扱った投稿がいくつかあり,それらの閲覧数はおかげさまで例年以上にうなぎのぼりです。
さて,今回は「ともし」について万葉集を見ていきたいと思います。「ともし」は漢字で「乏し」または「羨し」と書きます。一見,「物足らない」とか「劣っている」という印象を持つ漢字ですが,万葉集に出てくる意味は少し違います。何回か前に経済学の話を書きましたが,まさに稀少性を絵にかいたような言葉で,「珍しくて心が引かれる」という意味です。
実際に万葉集で詠まれているものをみていきましょう。
夕月夜影立ち寄り合ひ天の川漕ぐ舟人を見るが羨しさ(15-3658)
<ゆふづくよかげたちよりあひ あまのがはこぐふなびとを みるがともしさ>
<<夕月が出ている夜に身を寄せ合って天の川を漕いで渡る舟人を見るのが珍しく羨ましい>>
夕日も見える美しい天の川をふたりだけで舟に乗って,肩を寄せ合って舟を漕ぐのは,本当にロマンチックなんだろうなと作者は感じて詠ったのかもしれませんね。この短歌は天平8(736)年の七夕に,遣新羅使のひとりが詠んだものとされています。
次も七夕詠んだ,柿本人麻呂歌集に出ていたという詠み人知らずの短歌です。
恋ひしくは日長きものを今だにもともしむべしや逢ふべき夜だに(10-2017)
<こひしくはけながきものを いまだにもともしむべしや あふべきよだに>
<<恋い慕いながら長い日々を過ごしてきたのです。今だけでも貴重な時間を過ごさせてほしいのです。逢うはずのこの夜だけでも>>
「ともし」を貴重な時間の修飾語と訳してみました。
妻問婚はなかなか大変です。気軽に「今晩は」といって妻宅に入れてもらえるものではありません。何度も手紙や使いの者を出してもなかなか許されないことも多かったようです。その間,夫は妻問いが許される日を待ち続けます。それが,年に1回しか逢えない牽牛と織姫の物語とオーバラップしてしまうのは容易に想像できます。そして,ようやく妻問いが許されたら,労いの言葉や癒しの言葉をかけてほしいと願う気持ちはわかる気が私にはします。
次は,妻問を待つ女性側の立場て詠んだ短歌です。
己夫にともしき子らは泊てむ津の荒礒巻きて寝む君待ちかてに(10-2004)
<おのづまにともしきこらは はてむつのありそまきてねむ きみまちかてに>
<<自分夫となかなか逢えない私は舟泊りして港の荒磯をめぐりながら寝ます。あなたを待ちきれずに>>
「ともし」をなかなか逢えない形容として訳しました。
夫は牽牛,自分は織姫になぞらえています。夫がなかなか逢いに来ないので,私は天の川の港にある舟に乗って,舟を港の周りをくるくるさせながら待ちきれず寝てしまいますよという意味と私は解釈しました。
明日の七夕なのでデートをするカップルが待ち合わせるのは,東京スカイツリーでしょうか? 東京ディズニーリゾートでしょうか? ホークスタウン(福岡)でしょうか? ユニバーサルスタジオジャパン(大阪)でしょうか? 東京ドームシティーアトラクションズでしょうか? 八景島シーパラダイス(横浜)でしょうか?
みなさま,Goodな七夕をお過ごしください。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「ゆゆし」に続く。
このブログも七夕を扱った投稿がいくつかあり,それらの閲覧数はおかげさまで例年以上にうなぎのぼりです。
さて,今回は「ともし」について万葉集を見ていきたいと思います。「ともし」は漢字で「乏し」または「羨し」と書きます。一見,「物足らない」とか「劣っている」という印象を持つ漢字ですが,万葉集に出てくる意味は少し違います。何回か前に経済学の話を書きましたが,まさに稀少性を絵にかいたような言葉で,「珍しくて心が引かれる」という意味です。
実際に万葉集で詠まれているものをみていきましょう。
夕月夜影立ち寄り合ひ天の川漕ぐ舟人を見るが羨しさ(15-3658)
<ゆふづくよかげたちよりあひ あまのがはこぐふなびとを みるがともしさ>
<<夕月が出ている夜に身を寄せ合って天の川を漕いで渡る舟人を見るのが珍しく羨ましい>>
夕日も見える美しい天の川をふたりだけで舟に乗って,肩を寄せ合って舟を漕ぐのは,本当にロマンチックなんだろうなと作者は感じて詠ったのかもしれませんね。この短歌は天平8(736)年の七夕に,遣新羅使のひとりが詠んだものとされています。
次も七夕詠んだ,柿本人麻呂歌集に出ていたという詠み人知らずの短歌です。
恋ひしくは日長きものを今だにもともしむべしや逢ふべき夜だに(10-2017)
<こひしくはけながきものを いまだにもともしむべしや あふべきよだに>
<<恋い慕いながら長い日々を過ごしてきたのです。今だけでも貴重な時間を過ごさせてほしいのです。逢うはずのこの夜だけでも>>
「ともし」を貴重な時間の修飾語と訳してみました。
妻問婚はなかなか大変です。気軽に「今晩は」といって妻宅に入れてもらえるものではありません。何度も手紙や使いの者を出してもなかなか許されないことも多かったようです。その間,夫は妻問いが許される日を待ち続けます。それが,年に1回しか逢えない牽牛と織姫の物語とオーバラップしてしまうのは容易に想像できます。そして,ようやく妻問いが許されたら,労いの言葉や癒しの言葉をかけてほしいと願う気持ちはわかる気が私にはします。
次は,妻問を待つ女性側の立場て詠んだ短歌です。
己夫にともしき子らは泊てむ津の荒礒巻きて寝む君待ちかてに(10-2004)
<おのづまにともしきこらは はてむつのありそまきてねむ きみまちかてに>
<<自分夫となかなか逢えない私は舟泊りして港の荒磯をめぐりながら寝ます。あなたを待ちきれずに>>
「ともし」をなかなか逢えない形容として訳しました。
夫は牽牛,自分は織姫になぞらえています。夫がなかなか逢いに来ないので,私は天の川の港にある舟に乗って,舟を港の周りをくるくるさせながら待ちきれず寝てしまいますよという意味と私は解釈しました。
明日の七夕なのでデートをするカップルが待ち合わせるのは,東京スカイツリーでしょうか? 東京ディズニーリゾートでしょうか? ホークスタウン(福岡)でしょうか? ユニバーサルスタジオジャパン(大阪)でしょうか? 東京ドームシティーアトラクションズでしょうか? 八景島シーパラダイス(横浜)でしょうか?
みなさま,Goodな七夕をお過ごしください。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「ゆゆし」に続く。
2013年6月30日日曜日
心が動いた詞(ことば)シリーズ「すべなし」
明日から7月です。もう少ししたら,今年の大相撲名古屋場所が始まります。先場所(五月場所)では「多くの力士が,横綱白鵬に対し,なすすべもなく敗れた」というような対戦が多かったようです。名古屋場所は白鵬と対戦する力士の奮戦を期待したいものですね。
さて,ここで言う「なすすべもない」は「手の施しようがない」とか「有効な方策がない」といった意味となりそうです。
今回の「すべなし」は,万葉集では,約50首の和歌で出てきます。七夕が近づいている時期なので,七夕歌の中で「すべなし」がどのように使われているが見てみましょう。
たぶてにも投げ越しつべき天の川隔てればかもあまたすべなき(8-1522)
<たぶてにもなげこしつべき あまのがはへだてればかも あまたすべなき>
<<小石でも投げれば向こう岸に届きそうな天の川だが,川が隔てているため、いろいろ逢う手立を考えるのがすべてだめだなあ>>
この短歌は筑紫で山上憶良が七夕を詠んだ長歌の反歌2首の内の1首です。相手はすぐ近くに住んでいるようです。しかし,1年1度逢えるかどうか分からない牽牛と織姫以上に逢うのは難しいようです。憶良は遣唐使で中国文化を吸収してきた関係で,日本独特の妻問い婚の面倒くささを,七夕を引き合いに出して暗に批判しているようにも私は感じます。
袖振らば見も交しつべく近けども渡るすべなし秋にしあらねば(8-1525)
<そでふらば みもかはしつべく ちかけども わたるすべなし あきにしあらねば>
<<袖を振れば,お互い見交わすこともできるほど近いけれども,天の川を渡ることができない。七夕の秋でないので>>
これも憶良が七夕を詠んだ短歌の1首です。本当は毎晩でも逢いたいのに,天の川が邪魔をして,逢えないことを嘆いているようです。
久方の天の川原にぬえ鳥のうら歎げましつすべなきまでに(10-1997)
<ひさかたのあまのかはらに ぬえどりのうらなげましつ すべなきまでに>
<<天の川の河原にぬえ鳥のように織女は嘆いていていた。何もできないほど>>
この短歌は柿本人麻呂歌集から転載した詠み人知らずの1首です。「ぬえ(鵺)鳥」は「トラツグミ」のことらしいです。トラツグミは夜悲しそうに「ひい~いっ」と鳴く鳥のようです。実際の鳴き声はYouTubeに何件かアップされています。この短歌の作者は,牽牛と逢えない織姫の嘆きの深さを表現する手段として「ぬえ」の鳴き声を引き合いに出すのはなかなかの詠み手だと私は思います。
<テレビ番組での感想>
ところで,昨晩NHKの総合テレビで放送された「NHKスペシャル/シリーズ日本新生"観光革命"がニッポンを変える 」を視聴しました。私はTwitterをやらないので,このブログで少し意見を述べてみます。
日本の多様な文化や自然をもっと海外に紹介し,もっと多くの観光客に海外からきてもらうべきだという番組の意図に私は大いに賛同します。番組に出席した日本各地,海外各国のコメンテータからさまざまな意見が出て,新たな刺激を受けました。
私は多様な日本の文化,慣習,伝統工芸,産業,自然の原点を知るには,やはり万葉集が超一級の資料だと思います。そして,私が更に特筆すべきと考えることは,万葉集に出てくるそれらの原点さえも,実は万葉集の中ですでに多種多様なのです。
<日本人の宗教観>
私の考えでは,日本人は一つのものだけでは長い時間満足できない民族だといってもよいかもしれません。宗教観を例にすると,日本人は一神教のような宗教より,伊勢神宮などが祀る天照大神(あまてらすおほみかみ),各地の天満宮が祀る天神(てんじん:菅原道真のこと),東京都台東区入谷真源寺のような日蓮宗系の寺院に祀られることがある鬼子母神(きしもじん),成田山新勝寺や高幡山明王院金剛寺(高幡不動)など真言宗系の寺院に祀られることがある不動明王(ふどうみやうわう),鶴岡八幡宮(鎌倉)や石清水八幡宮(京都)など八幡宮で祀られる八幡神(やはたのかみ),東京の浅草寺や滋賀県の石山寺に祀られる観音菩薩(くわんおんぼさつ),東京都豊島区巣鴨にある高岩寺(とげぬき地蔵)や奈良市にある帯解寺などに祀られている地蔵菩薩,各地の稲荷神社で祀られるキツネ信仰などなど,日本人の多くは,それぞれお得意のご利益にあずかろうと,せっせとお参りをします。
さらに札所めぐりや七福神めぐりなどという神社仏閣をハシゴしてめぐるコースも各地にたくさんあります。そのような行動をとる日本人の中には,クリスマスには教会のミサに参加する人もいたりします。
敬虔なキリスト教徒やイスラム教徒の方々から見ると「日本人の宗教観はどうしょうもない(すべない)」と見えるかもしれませんね。
<なぜ日本人は何でも受け入れてしまうのか?>
さて,日本の文化が多様性を持ち,何でも受け入れてしまうように見えるのは,日本が島国でかつ山で囲まれた地方が多く,自分たちだけの地域の特性に合った文化,風習での生活を比較的長い年月続けられ,それらが各地でしっかりと定着できる期間が日本にはあったからだと私は思います。
ところが,ある時突然にどうしても他の地方の文化や外国の文化が急激に入ってこざるを得ない時が訪れます(古墳時代や奈良時代,室町時代,戦国時代,明治時代,第二次世界大戦後など)。そんなとき,日本人は多少の摩擦や葛藤の発生を我慢して,異国の文化をそれまでの文化とうまく融合させる努力を惜しまず行う。その結果,より日本文化の多様性が進んむようになったのではないかと私は考えるのです。
<万葉時代は外国文化が洪水のように入ってきた?>
外国の文化などが急激に入ってきた最初の時代が古墳時代・奈良時代で,中国大陸や朝鮮半島から仏教や儒教,大陸の文化,風習,技能,そして律令制度や国の管理制度が導入され,それまでの日本という国に対して大きな変革が行われた時代だと私は思います。万葉集の和歌はそのような時代背景の中で生まれたのです。変革のデメリットさえも多く詠まれています。
私は,観光客に万葉集を読めとか理解しろといっているわけではありません。そんなことは,短い時間しかない観光客には受け入れられないでしょう。ただ,万葉集に出てくるイベントを再現し,それに参加して,体験してもらうようなツアーなら可能でしょう。
<万葉集に出てくる行事の体験ツアー>
たとえば,万葉集に詠まれた七夕行事を追体験する(参加者の男女が七夕の衣装を着て,川の対岸で手を振り,男性が舟で渡り,男女が手をつないで旅館へ直行),全国各地で万葉集に出てくる「宴(うたげ)」の再現に参加,「行幸(みゆき)」の再現に参加,万葉時代の食べられていたヘルシーな料理を再現し食べる,当時の機織,裁縫,陶芸を再現し実際に体験する,当時の衣装,装飾品,携帯品を再現,貸出し記念撮影する,万葉集に出くる花の名所を整理し,季節ごとのツアー客に紹介するなどが考えられます。
この中には,地方の高齢者でも対応できる(観光客を迎えたり,案内したりできる)ものもあると思います。安定した観光立国ニッポンにするには,世界に類を見ない日本の文化を日本人自身がより知ること,古い日本の情報を安易に否定しないこと,日常生活の中にあるそういったものを大切にすることが重要だと私は思うのですが,どうでしょうか。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「ともし」に続く。
さて,ここで言う「なすすべもない」は「手の施しようがない」とか「有効な方策がない」といった意味となりそうです。
今回の「すべなし」は,万葉集では,約50首の和歌で出てきます。七夕が近づいている時期なので,七夕歌の中で「すべなし」がどのように使われているが見てみましょう。
たぶてにも投げ越しつべき天の川隔てればかもあまたすべなき(8-1522)
<たぶてにもなげこしつべき あまのがはへだてればかも あまたすべなき>
<<小石でも投げれば向こう岸に届きそうな天の川だが,川が隔てているため、いろいろ逢う手立を考えるのがすべてだめだなあ>>
この短歌は筑紫で山上憶良が七夕を詠んだ長歌の反歌2首の内の1首です。相手はすぐ近くに住んでいるようです。しかし,1年1度逢えるかどうか分からない牽牛と織姫以上に逢うのは難しいようです。憶良は遣唐使で中国文化を吸収してきた関係で,日本独特の妻問い婚の面倒くささを,七夕を引き合いに出して暗に批判しているようにも私は感じます。
袖振らば見も交しつべく近けども渡るすべなし秋にしあらねば(8-1525)
<そでふらば みもかはしつべく ちかけども わたるすべなし あきにしあらねば>
<<袖を振れば,お互い見交わすこともできるほど近いけれども,天の川を渡ることができない。七夕の秋でないので>>
これも憶良が七夕を詠んだ短歌の1首です。本当は毎晩でも逢いたいのに,天の川が邪魔をして,逢えないことを嘆いているようです。
久方の天の川原にぬえ鳥のうら歎げましつすべなきまでに(10-1997)
<ひさかたのあまのかはらに ぬえどりのうらなげましつ すべなきまでに>
<<天の川の河原にぬえ鳥のように織女は嘆いていていた。何もできないほど>>
この短歌は柿本人麻呂歌集から転載した詠み人知らずの1首です。「ぬえ(鵺)鳥」は「トラツグミ」のことらしいです。トラツグミは夜悲しそうに「ひい~いっ」と鳴く鳥のようです。実際の鳴き声はYouTubeに何件かアップされています。この短歌の作者は,牽牛と逢えない織姫の嘆きの深さを表現する手段として「ぬえ」の鳴き声を引き合いに出すのはなかなかの詠み手だと私は思います。
<テレビ番組での感想>
ところで,昨晩NHKの総合テレビで放送された「NHKスペシャル/シリーズ日本新生"観光革命"がニッポンを変える 」を視聴しました。私はTwitterをやらないので,このブログで少し意見を述べてみます。
日本の多様な文化や自然をもっと海外に紹介し,もっと多くの観光客に海外からきてもらうべきだという番組の意図に私は大いに賛同します。番組に出席した日本各地,海外各国のコメンテータからさまざまな意見が出て,新たな刺激を受けました。
私は多様な日本の文化,慣習,伝統工芸,産業,自然の原点を知るには,やはり万葉集が超一級の資料だと思います。そして,私が更に特筆すべきと考えることは,万葉集に出てくるそれらの原点さえも,実は万葉集の中ですでに多種多様なのです。
<日本人の宗教観>
私の考えでは,日本人は一つのものだけでは長い時間満足できない民族だといってもよいかもしれません。宗教観を例にすると,日本人は一神教のような宗教より,伊勢神宮などが祀る天照大神(あまてらすおほみかみ),各地の天満宮が祀る天神(てんじん:菅原道真のこと),東京都台東区入谷真源寺のような日蓮宗系の寺院に祀られることがある鬼子母神(きしもじん),成田山新勝寺や高幡山明王院金剛寺(高幡不動)など真言宗系の寺院に祀られることがある不動明王(ふどうみやうわう),鶴岡八幡宮(鎌倉)や石清水八幡宮(京都)など八幡宮で祀られる八幡神(やはたのかみ),東京の浅草寺や滋賀県の石山寺に祀られる観音菩薩(くわんおんぼさつ),東京都豊島区巣鴨にある高岩寺(とげぬき地蔵)や奈良市にある帯解寺などに祀られている地蔵菩薩,各地の稲荷神社で祀られるキツネ信仰などなど,日本人の多くは,それぞれお得意のご利益にあずかろうと,せっせとお参りをします。
さらに札所めぐりや七福神めぐりなどという神社仏閣をハシゴしてめぐるコースも各地にたくさんあります。そのような行動をとる日本人の中には,クリスマスには教会のミサに参加する人もいたりします。
敬虔なキリスト教徒やイスラム教徒の方々から見ると「日本人の宗教観はどうしょうもない(すべない)」と見えるかもしれませんね。
<なぜ日本人は何でも受け入れてしまうのか?>
さて,日本の文化が多様性を持ち,何でも受け入れてしまうように見えるのは,日本が島国でかつ山で囲まれた地方が多く,自分たちだけの地域の特性に合った文化,風習での生活を比較的長い年月続けられ,それらが各地でしっかりと定着できる期間が日本にはあったからだと私は思います。
ところが,ある時突然にどうしても他の地方の文化や外国の文化が急激に入ってこざるを得ない時が訪れます(古墳時代や奈良時代,室町時代,戦国時代,明治時代,第二次世界大戦後など)。そんなとき,日本人は多少の摩擦や葛藤の発生を我慢して,異国の文化をそれまでの文化とうまく融合させる努力を惜しまず行う。その結果,より日本文化の多様性が進んむようになったのではないかと私は考えるのです。
<万葉時代は外国文化が洪水のように入ってきた?>
外国の文化などが急激に入ってきた最初の時代が古墳時代・奈良時代で,中国大陸や朝鮮半島から仏教や儒教,大陸の文化,風習,技能,そして律令制度や国の管理制度が導入され,それまでの日本という国に対して大きな変革が行われた時代だと私は思います。万葉集の和歌はそのような時代背景の中で生まれたのです。変革のデメリットさえも多く詠まれています。
私は,観光客に万葉集を読めとか理解しろといっているわけではありません。そんなことは,短い時間しかない観光客には受け入れられないでしょう。ただ,万葉集に出てくるイベントを再現し,それに参加して,体験してもらうようなツアーなら可能でしょう。
<万葉集に出てくる行事の体験ツアー>
たとえば,万葉集に詠まれた七夕行事を追体験する(参加者の男女が七夕の衣装を着て,川の対岸で手を振り,男性が舟で渡り,男女が手をつないで旅館へ直行),全国各地で万葉集に出てくる「宴(うたげ)」の再現に参加,「行幸(みゆき)」の再現に参加,万葉時代の食べられていたヘルシーな料理を再現し食べる,当時の機織,裁縫,陶芸を再現し実際に体験する,当時の衣装,装飾品,携帯品を再現,貸出し記念撮影する,万葉集に出くる花の名所を整理し,季節ごとのツアー客に紹介するなどが考えられます。
この中には,地方の高齢者でも対応できる(観光客を迎えたり,案内したりできる)ものもあると思います。安定した観光立国ニッポンにするには,世界に類を見ない日本の文化を日本人自身がより知ること,古い日本の情報を安易に否定しないこと,日常生活の中にあるそういったものを大切にすることが重要だと私は思うのですが,どうでしょうか。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「ともし」に続く。
2013年6月22日土曜日
心が動いた詞(ことば)シリーズ「苦し」
「苦し」は,対語シリーズ「苦と楽」で一部紹介していますが,40首も詠まれている「苦し」のほんの少ししか紹介できませんでした。
七夕が近づいている今の季節,万葉集で七夕を詠む短歌の中で「苦し」を使っているものをこのシリーズで紹介します。
まず,前回の投稿でも紹介した湯原王が詠った七夕の短歌です。
彦星の思ひますらむ心より見る我れ苦し夜の更けゆけば(8-1544)
<ひこほしのおもひますらむ こころよりみるわれくるし よのふけゆけば>
<<彦星の別れを惜しむ心よりも,見まもる私にとってつらい夜が次第に更けていけば(さらに惜しむ心が募る)>>
七夕の夜,妻問いのときの気持ちを詠んだものでしょうか。彦星が織姫に年に一度七夕で逢って,その後(来年の七夕まで逢えない)別れの口惜しさよりも,妻問いが終わって,可愛い妻を見つめている時間が夜が更けるにしたがって少なくなっていく(帰る時間がだんだん迫る)苦しい(苦し)時間の方が,もっと惜しいと湯原王は詠っていると私は感じます。
次は万葉集の編者が柿本朝臣人麻呂歌集から選んだという,妻問いをする男性の複雑な心境を彦星になぞらえ詠んだ,詠み人知らずの短歌です。
彦星は嘆かす妻に言だにも告げにぞ来つる見れば苦しみ(10-2006)
<ひこほしはなげかすつまに ことだにもつげにぞきつる みればくるしみ>
<<彦星は嘆いている妻に言葉だけ掛けようとやって来るのだ。実際に逢うと(別れが)つらいから>>
自分(彦星)がなかなか来てくれないと嘆いている妻(織姫)を想像すると,逢ってしまうと別れがもっとつらい(苦し)から,妻とは逢わず,「恋しい」という言葉だけ掛けて帰ろうとする自分がいる,そんな心境を妻に贈ったものかもしれません。この短歌を贈られた妻は「そんなことを考えずに逢ってください」ときっと返歌をすることになるのでしょう。妻を焦らし,妻から「逢ってください」と言わせる(思わせる)高度なテクニックというのは考えすぎでしょうか。
次も柿本朝臣人麻呂之歌集から選んだという詠み人知らずの七夕の短歌1首です。
万代に照るべき月も雲隠り苦しきものぞ逢はむと思へど(10-2025)
<よろづよにてるべきつきも くもがくりくるしきものぞ あはむとおもへど>
<<いついつまでも照るはずの月も雲に隠れてしまって、苦しいことです。逢いたいと思うのに>>
前にも書きましたが,万葉時代七夕の夜は妻問いが普段より多く行われる日だったのでないかと私は想像しています。現代で言えばクリスマスイブの夜にデートをするカップルが多いのと同じ感覚かもしれませんね。そんな夜,街灯がない万葉時代,月明かりがあると道に迷わないし,道を踏み外して怪我をして妻問いできないくなるようなことも少なくなります。ところが,月が雲にかくれてしまい,妻問いを待つ妻にとって夫が無事に来てくれるのか心配になり(苦し)この短歌を詠んだのではないかと私は思います。
さて,最後に紹介する「苦し」を詠んだ詠み人知らずの七夕の短歌です。
天の川瀬々に白波高けども直渡り来ぬ待たば苦しみ(10-2085)
<あまのがはせぜにしらなみ たかけどもただわたりきぬ またばくるしみ>
<<天の川の瀬々の白波は高かったけれど,直に渡ってきたぜ。待つのはお互いにつらいことだからね>>
この男性は,妻の家に妻問いに行くのにいろいろ障害(家族や恋敵などの抵抗)があったのでしょう。
その障害の回避のタイミングを計るのではなく,障害と真正面から戦って,やっつけて来たと妻に誇らしげに詠っている感じが私にはします。
来月7日に恋人とデートを約束している人は,これらの短歌を参考に,何かしゃれた一言を考えてみたらいかがでしょうか。
私には残念ながら来月7日はデートなんていう洒落た予定はありません。翌日から岐阜で開催されるソフトウェア技術に関する学会のシンポジウムに参加し,そこで設置されるソフトウェア保守をテーマとした作業部会で議論するための準備が忙しい七夕となりそうです。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「すべなし」に続く。
七夕が近づいている今の季節,万葉集で七夕を詠む短歌の中で「苦し」を使っているものをこのシリーズで紹介します。
まず,前回の投稿でも紹介した湯原王が詠った七夕の短歌です。
彦星の思ひますらむ心より見る我れ苦し夜の更けゆけば(8-1544)
<ひこほしのおもひますらむ こころよりみるわれくるし よのふけゆけば>
<<彦星の別れを惜しむ心よりも,見まもる私にとってつらい夜が次第に更けていけば(さらに惜しむ心が募る)>>
七夕の夜,妻問いのときの気持ちを詠んだものでしょうか。彦星が織姫に年に一度七夕で逢って,その後(来年の七夕まで逢えない)別れの口惜しさよりも,妻問いが終わって,可愛い妻を見つめている時間が夜が更けるにしたがって少なくなっていく(帰る時間がだんだん迫る)苦しい(苦し)時間の方が,もっと惜しいと湯原王は詠っていると私は感じます。
次は万葉集の編者が柿本朝臣人麻呂歌集から選んだという,妻問いをする男性の複雑な心境を彦星になぞらえ詠んだ,詠み人知らずの短歌です。
彦星は嘆かす妻に言だにも告げにぞ来つる見れば苦しみ(10-2006)
<ひこほしはなげかすつまに ことだにもつげにぞきつる みればくるしみ>
<<彦星は嘆いている妻に言葉だけ掛けようとやって来るのだ。実際に逢うと(別れが)つらいから>>
自分(彦星)がなかなか来てくれないと嘆いている妻(織姫)を想像すると,逢ってしまうと別れがもっとつらい(苦し)から,妻とは逢わず,「恋しい」という言葉だけ掛けて帰ろうとする自分がいる,そんな心境を妻に贈ったものかもしれません。この短歌を贈られた妻は「そんなことを考えずに逢ってください」ときっと返歌をすることになるのでしょう。妻を焦らし,妻から「逢ってください」と言わせる(思わせる)高度なテクニックというのは考えすぎでしょうか。
次も柿本朝臣人麻呂之歌集から選んだという詠み人知らずの七夕の短歌1首です。
万代に照るべき月も雲隠り苦しきものぞ逢はむと思へど(10-2025)
<よろづよにてるべきつきも くもがくりくるしきものぞ あはむとおもへど>
<<いついつまでも照るはずの月も雲に隠れてしまって、苦しいことです。逢いたいと思うのに>>
前にも書きましたが,万葉時代七夕の夜は妻問いが普段より多く行われる日だったのでないかと私は想像しています。現代で言えばクリスマスイブの夜にデートをするカップルが多いのと同じ感覚かもしれませんね。そんな夜,街灯がない万葉時代,月明かりがあると道に迷わないし,道を踏み外して怪我をして妻問いできないくなるようなことも少なくなります。ところが,月が雲にかくれてしまい,妻問いを待つ妻にとって夫が無事に来てくれるのか心配になり(苦し)この短歌を詠んだのではないかと私は思います。
さて,最後に紹介する「苦し」を詠んだ詠み人知らずの七夕の短歌です。
天の川瀬々に白波高けども直渡り来ぬ待たば苦しみ(10-2085)
<あまのがはせぜにしらなみ たかけどもただわたりきぬ またばくるしみ>
<<天の川の瀬々の白波は高かったけれど,直に渡ってきたぜ。待つのはお互いにつらいことだからね>>
この男性は,妻の家に妻問いに行くのにいろいろ障害(家族や恋敵などの抵抗)があったのでしょう。
その障害の回避のタイミングを計るのではなく,障害と真正面から戦って,やっつけて来たと妻に誇らしげに詠っている感じが私にはします。
来月7日に恋人とデートを約束している人は,これらの短歌を参考に,何かしゃれた一言を考えてみたらいかがでしょうか。
私には残念ながら来月7日はデートなんていう洒落た予定はありません。翌日から岐阜で開催されるソフトウェア技術に関する学会のシンポジウムに参加し,そこで設置されるソフトウェア保守をテーマとした作業部会で議論するための準備が忙しい七夕となりそうです。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「すべなし」に続く。
2013年6月16日日曜日
心が動いた詞(ことば)シリーズ「めづらし」
今の「珍しい」は,古く万葉時代では「めづらし」として使われていることが,万葉集の和歌からも類推できます。
<希少性とは>
ところで,過去本ブログの投稿でも何度か書いていますが,私は大学では経済学を結構まじめに学びました。経済学を学ぶ過程で強く印象に残ったものの一つに「稀少性(Scarcity)」という概念があります。
モノの価値を決めるのに稀少性が経済学における根本的概念のひとつだとしっかり教えられたのを覚えています。たとえば,レアメタル(rare metal)のような稀少資源は,無尽蔵にある資源ではなく,ある限られた量しか入手できない資源という意味です。容易に推測できると思いますが,稀少性が高い(入手できる量が少ない)資源ほど単位当たりの価値が高い資源と経済学は考えるのです。
<人は限定ものに弱い?>
一般的な販売物でも「○○様限定」「期間限定」「在庫一掃処分」「閉店セール」「レアもの」「有名人の直筆サイン入り○○」「採れたて野菜」「厳選素材」「特選ネタ」「活魚」「浜ゆで毛ガニ」などのキャッチコピーにヒトは飛びつくように,稀少性による消費者の価値をくすぐるものだと私は思います。
逆に,いくら必須なものでも(たとえば,水,空気など),あり余るほどあると,欠乏したときの危機を想像しない限り,日ごろはなかなか価値を感じられないことがあります。いっぽう,生活に必須でなくても(単なる飾り物)でも,世界に一つしかないものだったら欲しくなり,それを手に入れることができたときは無上の幸福感を感じることもあります。
<ミクロ経済とマクロ経済>
経済学では,この稀少性に考えに基づき,モノの価値(あくまでヒトから見た価値)がその量によって変化する「限界効用逓減の法則」が導かれ,そこからモノの価格(物価)が決まる(均衡する)原理が示されています(ミクロ経済学)。
さらに,その均衡した物価を適切に維持(コントロール)することで,国民が求める富を全体として最大になるようにする国家の基本的な役割も経済学では示しています(マクロ経済学)。たとえば,今流行の「アベノミクス」で物価を2%上昇させるといった政策は,マクロ経済学の考えに基づいて,国民全体の豊かさ向上を目指す施策のひとつの方法だと私は考えます。
<マクロ経済では所得のバラツキを少なくすることも重要>
ただ,豊かさ(所得)が全体平均としていずれ年間150万円向上したとしても,標準偏差(バラツキ)が大きいと社会的な格差を生み,豊かさをたっぷり享受できるヒトがいるいっぽうで,貧困にあえぐヒトが出てしまいます。また,長期的(10年単位)には豊かさが向上はしても,短期的(ここ1~2年)生活が苦しくなることがあると,その間生活に耐えられない国民が多数出てしまう可能性もあります。
私が職業として専門にしているソフトウェア保守開発では,政治や社会全体に関心を持ち,世の中の今の変化(モノの価値に対する変化も含む)や何年か先の世の中を予測し,今の世の中のみに対応している既存ソフトウェアをどのタイミングで,どのように修正(保守開発)していくかを先回りして考えることを心掛ける必要があると私は考え。実践しています。
<本題>
では,本題の万葉集で「めづらし」を見ていきます。万葉集に「めづらし」を使った和歌が25首ほど出てきます。結構な数です。「めづらし」は当時そう「珍しい」単語ではなかったのでしょう。
ただし,今のような「一般でない」「あり得ない」「奇異な」という意味以外の意味にも使われています。
青山の嶺の白雲朝に日に常に見れどもめづらし我が君(3-377)
<あをやまのみねのしらくも あさにけにつねにみれども めづらしあがきみ>
<<青々とした山の嶺にかかるきれいな白雲のように朝も昼も見ていて飽きない貴方です>>
ここでの「めづらし」は「飽かず」(飽きない)と同義と考えられそうです。この短歌は,志貴皇子(しきのみこ)の子であり,光仁(こうにん)天皇とは兄弟の関係にある湯原王(ゆはらのおほきみ)が宴席で出席者を讃えて詠んだもののようです。本当は「めづらし」とせずに「飽かず」とした方が字余りにならずに済むのですが,ありきたりの表現では気持ちが伝わらないと考えたのかもしれません。
次は,「愛すべきである」という意味で詠まれたと私が理解する短歌1首です。
本つ人霍公鳥をやめづらしく今か汝が来る恋ひつつ居れば(10-1962)
<もとつひとほととぎすをや めづらしくいまかながくる こひつつをれば>
<<ホトトギスよりも愛らしい,私が本当に恋しいと想っている人が来るのを心待ちにしています>>
この詠み人知らずの短歌の作者は来る人を待つ側なので,女性と思われます。現代の「珍しい」に引っ張られて「めづらし」の訳は難しいのですが,「愛らしい」としました。いかがでしょうか。
次の大伴家持が越中で詠んだ短歌は「すばらしい」という意味に「めづらし」が使われている例です。
時ごとにいやめづらしく咲く花を折りも折らずも見らくしよしも(19-4167)
<ときごとにいやめづらしく さくはなををりもをらずも みらくしよしも>
<<季節ごとにすばらしく咲く花々は折って見ても,折らずにそのまま見ても良いものだ>>
私は過去2回4月下旬に富山県高岡市に行ったことがあります。そのとき,桜,コブシ,モクレンなどの花がいっせいに開花している風景は,まさに家持のこの短歌の気持ちと同ようじでした(もちろん,花や花が咲いた枝を折ったりはしませんが)。
今は梅雨ですが,アジサイ,菖蒲が見頃で,梅雨が明けると,蓮,サルスベリの花が見ごろになります。写真は,奈良県明日香村の亀石の近くにある蓮池を昨年夏に撮ったものです。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「苦し」に続く。
<希少性とは>
ところで,過去本ブログの投稿でも何度か書いていますが,私は大学では経済学を結構まじめに学びました。経済学を学ぶ過程で強く印象に残ったものの一つに「稀少性(Scarcity)」という概念があります。
モノの価値を決めるのに稀少性が経済学における根本的概念のひとつだとしっかり教えられたのを覚えています。たとえば,レアメタル(rare metal)のような稀少資源は,無尽蔵にある資源ではなく,ある限られた量しか入手できない資源という意味です。容易に推測できると思いますが,稀少性が高い(入手できる量が少ない)資源ほど単位当たりの価値が高い資源と経済学は考えるのです。
<人は限定ものに弱い?>
一般的な販売物でも「○○様限定」「期間限定」「在庫一掃処分」「閉店セール」「レアもの」「有名人の直筆サイン入り○○」「採れたて野菜」「厳選素材」「特選ネタ」「活魚」「浜ゆで毛ガニ」などのキャッチコピーにヒトは飛びつくように,稀少性による消費者の価値をくすぐるものだと私は思います。
逆に,いくら必須なものでも(たとえば,水,空気など),あり余るほどあると,欠乏したときの危機を想像しない限り,日ごろはなかなか価値を感じられないことがあります。いっぽう,生活に必須でなくても(単なる飾り物)でも,世界に一つしかないものだったら欲しくなり,それを手に入れることができたときは無上の幸福感を感じることもあります。
<ミクロ経済とマクロ経済>
経済学では,この稀少性に考えに基づき,モノの価値(あくまでヒトから見た価値)がその量によって変化する「限界効用逓減の法則」が導かれ,そこからモノの価格(物価)が決まる(均衡する)原理が示されています(ミクロ経済学)。
さらに,その均衡した物価を適切に維持(コントロール)することで,国民が求める富を全体として最大になるようにする国家の基本的な役割も経済学では示しています(マクロ経済学)。たとえば,今流行の「アベノミクス」で物価を2%上昇させるといった政策は,マクロ経済学の考えに基づいて,国民全体の豊かさ向上を目指す施策のひとつの方法だと私は考えます。
<マクロ経済では所得のバラツキを少なくすることも重要>
ただ,豊かさ(所得)が全体平均としていずれ年間150万円向上したとしても,標準偏差(バラツキ)が大きいと社会的な格差を生み,豊かさをたっぷり享受できるヒトがいるいっぽうで,貧困にあえぐヒトが出てしまいます。また,長期的(10年単位)には豊かさが向上はしても,短期的(ここ1~2年)生活が苦しくなることがあると,その間生活に耐えられない国民が多数出てしまう可能性もあります。
私が職業として専門にしているソフトウェア保守開発では,政治や社会全体に関心を持ち,世の中の今の変化(モノの価値に対する変化も含む)や何年か先の世の中を予測し,今の世の中のみに対応している既存ソフトウェアをどのタイミングで,どのように修正(保守開発)していくかを先回りして考えることを心掛ける必要があると私は考え。実践しています。
<本題>
では,本題の万葉集で「めづらし」を見ていきます。万葉集に「めづらし」を使った和歌が25首ほど出てきます。結構な数です。「めづらし」は当時そう「珍しい」単語ではなかったのでしょう。
ただし,今のような「一般でない」「あり得ない」「奇異な」という意味以外の意味にも使われています。
青山の嶺の白雲朝に日に常に見れどもめづらし我が君(3-377)
<あをやまのみねのしらくも あさにけにつねにみれども めづらしあがきみ>
<<青々とした山の嶺にかかるきれいな白雲のように朝も昼も見ていて飽きない貴方です>>
ここでの「めづらし」は「飽かず」(飽きない)と同義と考えられそうです。この短歌は,志貴皇子(しきのみこ)の子であり,光仁(こうにん)天皇とは兄弟の関係にある湯原王(ゆはらのおほきみ)が宴席で出席者を讃えて詠んだもののようです。本当は「めづらし」とせずに「飽かず」とした方が字余りにならずに済むのですが,ありきたりの表現では気持ちが伝わらないと考えたのかもしれません。
次は,「愛すべきである」という意味で詠まれたと私が理解する短歌1首です。
本つ人霍公鳥をやめづらしく今か汝が来る恋ひつつ居れば(10-1962)
<もとつひとほととぎすをや めづらしくいまかながくる こひつつをれば>
<<ホトトギスよりも愛らしい,私が本当に恋しいと想っている人が来るのを心待ちにしています>>
この詠み人知らずの短歌の作者は来る人を待つ側なので,女性と思われます。現代の「珍しい」に引っ張られて「めづらし」の訳は難しいのですが,「愛らしい」としました。いかがでしょうか。
次の大伴家持が越中で詠んだ短歌は「すばらしい」という意味に「めづらし」が使われている例です。
時ごとにいやめづらしく咲く花を折りも折らずも見らくしよしも(19-4167)
<ときごとにいやめづらしく さくはなををりもをらずも みらくしよしも>
<<季節ごとにすばらしく咲く花々は折って見ても,折らずにそのまま見ても良いものだ>>
私は過去2回4月下旬に富山県高岡市に行ったことがあります。そのとき,桜,コブシ,モクレンなどの花がいっせいに開花している風景は,まさに家持のこの短歌の気持ちと同ようじでした(もちろん,花や花が咲いた枝を折ったりはしませんが)。
今は梅雨ですが,アジサイ,菖蒲が見頃で,梅雨が明けると,蓮,サルスベリの花が見ごろになります。写真は,奈良県明日香村の亀石の近くにある蓮池を昨年夏に撮ったものです。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「苦し」に続く。
2013年6月9日日曜日
心が動いた詞(ことば)シリーズ「かしこし」
「かしこし」の現代語で使われているのは「賢い」となりますが,万葉時代の「かしこし」は「賢い」よりももっと広い意味の言葉だったと万葉集の和歌からは推測できます。というのは「かしこし」を使った万葉集の和歌は,70首以上あり,「おそろしい」「恐れ多い」「もったいない」「ありがたい」などさまざまな意味に使われています。
この中で熟語を形成しているものは次の通りです。
あやにかしこし‥非常に恐れ多い
海をかしこし‥海を畏怖している
沖はかしこし‥沖は恐ろしい
かしこき国‥ありがたい国
かしこき坂‥恐ろしい坂
かしこき道‥恐ろしい道
かしこき山‥神聖な山
波をかしこし‥波を恐れる
命(みこと)かしこし‥お命が恐れ多い
山はかしこし‥山は恐れ多い
ゆゆしかしこし‥非常にありがたい
では,実際に万葉集を見ていきましょう。まずは大宰府から帰任する大伴旅人へ遊女(うかれめ)児島が別れを惜しんで詠んだ短歌からです。
おほならばかもかもせむを畏みと振りたき袖を忍びてあるかも(6-965)
<おほならばかもかもせむを かしこみとふりたきそでを しのびてあるかも>
<<普通のお方でしたらいろいろして差し上げようと考えたのですが,かしこき(高貴な)旅人様ですので袖を振ってお別れの挨拶をしたくても我慢しているのです>>
本当は別れのつらさの感情を露わにして,旅人様に飛びつきたいくらいなのだけれど,そんなことをしたら高貴な旅人様の立場に傷がつきかねないので堪えているという気持ちを詠っていると私は感じます。
<別れの言葉>
私のように人生を長くやっていると,さまざまな人との出会いと別れを数多く体験します。
出会いはこれからよろしくお願いしますという雰囲気で,割と決まりきった挨拶で済みますが,別れとなると出会ってから今までの付き合い方や思い出が人ごとに違うでしょう。そうすると,お別れの時の一言をどのように言うか今でも悩むことがあります。でも,この短歌のような別離の和歌が万葉集にはたくさんあり,適切な言葉を万葉集から学ぶことも少なからずあります。
さて,次も別離の短歌ですが,「かしこし」はまた別の意味で使われています。
海の底沖は畏し礒廻より漕ぎ廻みいませ月は経ぬとも(12-3199)
<わたのそこおきはかしこし いそみよりこぎたみいませ つきはへぬとも>
<<海底が深い沖は危険なので,磯伝いに漕ぎめぐってください。日数はかかっても>>
この詠み人知らずの短歌は,船旅にでる夫を送るとき,妻が詠んだ1首でしょうか。とにかく,無事で帰ってきてほしいという思いが伝わってきますね。あこがれの人を陰で慕っている短歌です。
最後は,畏怖するという意味で「かしこし」が使われている短歌です。
天雲に近く光りて鳴る神の見れば畏し見ねば悲しも(7-1369)
<あまくもにちかくひかりて なるかみのみればかしこし みねばかなしも>
<<空の雲の近くで光る雷を見れば恐ろしいような気がするけれど,見なければ悲しい気になる>>
昔から雷の光と音響は神が発し,鳴らすものとして畏怖されてきたのかもしれません。
ただし,空で見えている雲で稲光が発せられ,ゴロゴロと大きな音を出すときは,その後雨が降ることが多いのだろうと私は思います。そのため,そのような雷が鳴らない時は雨が降らず,作物には良くないことがわかっていたのかもしれません。
この短歌は,好きな人と出会うと相手の眩しさに胸が高鳴り,自分がどうなってしまうか分からない恐ろしさ(不安)があるが,逢えないと悲しさが募るという気持ちを比喩て詠んだという見方もできそうです。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「めづらし」に続く。
この中で熟語を形成しているものは次の通りです。
あやにかしこし‥非常に恐れ多い
海をかしこし‥海を畏怖している
沖はかしこし‥沖は恐ろしい
かしこき国‥ありがたい国
かしこき坂‥恐ろしい坂
かしこき道‥恐ろしい道
かしこき山‥神聖な山
波をかしこし‥波を恐れる
命(みこと)かしこし‥お命が恐れ多い
山はかしこし‥山は恐れ多い
ゆゆしかしこし‥非常にありがたい
では,実際に万葉集を見ていきましょう。まずは大宰府から帰任する大伴旅人へ遊女(うかれめ)児島が別れを惜しんで詠んだ短歌からです。
おほならばかもかもせむを畏みと振りたき袖を忍びてあるかも(6-965)
<おほならばかもかもせむを かしこみとふりたきそでを しのびてあるかも>
<<普通のお方でしたらいろいろして差し上げようと考えたのですが,かしこき(高貴な)旅人様ですので袖を振ってお別れの挨拶をしたくても我慢しているのです>>
本当は別れのつらさの感情を露わにして,旅人様に飛びつきたいくらいなのだけれど,そんなことをしたら高貴な旅人様の立場に傷がつきかねないので堪えているという気持ちを詠っていると私は感じます。
<別れの言葉>
私のように人生を長くやっていると,さまざまな人との出会いと別れを数多く体験します。
出会いはこれからよろしくお願いしますという雰囲気で,割と決まりきった挨拶で済みますが,別れとなると出会ってから今までの付き合い方や思い出が人ごとに違うでしょう。そうすると,お別れの時の一言をどのように言うか今でも悩むことがあります。でも,この短歌のような別離の和歌が万葉集にはたくさんあり,適切な言葉を万葉集から学ぶことも少なからずあります。
さて,次も別離の短歌ですが,「かしこし」はまた別の意味で使われています。
海の底沖は畏し礒廻より漕ぎ廻みいませ月は経ぬとも(12-3199)
<わたのそこおきはかしこし いそみよりこぎたみいませ つきはへぬとも>
<<海底が深い沖は危険なので,磯伝いに漕ぎめぐってください。日数はかかっても>>
この詠み人知らずの短歌は,船旅にでる夫を送るとき,妻が詠んだ1首でしょうか。とにかく,無事で帰ってきてほしいという思いが伝わってきますね。あこがれの人を陰で慕っている短歌です。
最後は,畏怖するという意味で「かしこし」が使われている短歌です。
天雲に近く光りて鳴る神の見れば畏し見ねば悲しも(7-1369)
<あまくもにちかくひかりて なるかみのみればかしこし みねばかなしも>
<<空の雲の近くで光る雷を見れば恐ろしいような気がするけれど,見なければ悲しい気になる>>
昔から雷の光と音響は神が発し,鳴らすものとして畏怖されてきたのかもしれません。
ただし,空で見えている雲で稲光が発せられ,ゴロゴロと大きな音を出すときは,その後雨が降ることが多いのだろうと私は思います。そのため,そのような雷が鳴らない時は雨が降らず,作物には良くないことがわかっていたのかもしれません。
この短歌は,好きな人と出会うと相手の眩しさに胸が高鳴り,自分がどうなってしまうか分からない恐ろしさ(不安)があるが,逢えないと悲しさが募るという気持ちを比喩て詠んだという見方もできそうです。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「めづらし」に続く。
2013年6月1日土曜日
心が動いた詞(ことば)シリーズ「あやし」
今回は万葉集に出くる形容詞「あやし」をみていきます。現代用語に対応させると「怪しい」となります。「怪しい話」「怪しい関係」「怪しい雲行」「この会社は怪しい」といったネガティブな言葉として使われることが多いようです。
しかし,万葉集に出てくる「あやし」はネガティブでない意味も含むもっと広い意味だったようです。
あらたまの五年経れど我が恋の跡なき恋のやまなくあやし(11-2385)
<あらたまのいつとせふれど あがこひのあとなきこひの やまなくあやし>
<<年が新らたになり五年経ってしまったが,私の恋はいつまでも実を結ばない恋かも。それでも恋しい気持ちがいつまでも止むことがないのは不思議だ>>
この短歌は,柿本人麻呂歌集に出ていたものを万葉集に載せたという詠み人知らずの1首です。「あやし」は「不思議な」という意味で使われています。
次は「逢えないことが理解できない」という感情を表した詠み人知らずの短歌です。
時守の打ち鳴す鼓数みみれば時にはなりぬ逢はなくもあやし(11-2641)
<ときもりのうちなすつづみ よみみればときにはなりぬ あはなくもあやし>
<<時守が打ち鳴らす鼓を数えてみたら,逢う約束の時間になっている。それなのに逢えないのはどうしてなのだろう>>
平城京では,すでに時を知らせる太鼓が公衆の場では鳴らされていたことが,この短歌で読み取れます。時間を計り,正時になると太鼓を鳴らす人を時守と呼んでいたようです。
「○○で何時に待っているよ」と約束したが,その時間になっても相手は現れない。今だったら,携帯電話で「どうしたの?」と確認できますが,万葉時代では待ちぼうけになってしまうしかありません。
私は,まだ携帯電話がほとんど普及していない若いころ,女性から待ちぼうけをくらわされたことが何回もあります。本当にこの短歌の作者の気持ちは他人事とは思えないのですよ。
天の川 「たびとはん。待ちぼうけになるのは,相手がちっともOKしてへんのに,たびとはんだけが会う約束できたと勘違いしてやったんとちゃうか?」
最近「怪しい」サイトばかり見ていて,しばらくちょっかいを出さなかった天の川のやつ,余計なことをしゃべってきたな。相手が来なかったのは,急にどうしても行けない事情があったからに決まっているでしょ。でも,来なかった理由は結局聞けなかったなあ。
天の川 「なんや。そんなら,わいの言うたことはやっぱり図星やったんなんか」
あっ,あっ,「あやし」を詠んだ最後の短歌を,しょっ,しょっ,紹介します。
相思はずあるらむ君をあやしくも嘆きわたるか人の問ふまで(18-4075)
<あひおもはずあるらむきみを あやしくもなげきわたるか ひとのとふまで>
<<私のお慕いする気持ちなど少しも考えてくださらない貴殿に,人が変に思うほどに私は嘆き続けています。人が「どうしたのですか?」と尋ねるほどに>>
この短歌は,天平21(749)年3月15日,越中で大伴池主(おほとものいけぬし)が大伴家持に贈ったものです。池主が家持に対する親愛の情を家持から池主に対するそれよりも極端に強いと大袈裟に表現していると私は感じます。お互いが非常に仲が良いからこんな表現ができるのかもしれません。
これに対して家持は翌日に次のような短歌を返しています。
恋ふといふはえも名付けたり言ふすべのたづきもなきは我が身なりけり(18-4078)
<こふといふはえもなづけたり いふすべのたづきもなきは あがみなりけり>
<<「恋ふ」とはよくも名付けたものですね。お伝えする方法も手立ても無いのは,小生の方ですよ>>
池主が「相思ふ」という言葉を使ったので,それは男女の仲の「恋ふ」と同じ意味で,そんな言葉を使われたらこちらから返す言葉もないよと返事をしたのだと私は考えます。ただ,家持は池主に対してクレームを言っているのではなく,池主の大袈裟なアプローチに少し困惑しつつもやり取りを楽しんでいると考えた方がよさそうですね。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「かしこし」に続く。
しかし,万葉集に出てくる「あやし」はネガティブでない意味も含むもっと広い意味だったようです。
あらたまの五年経れど我が恋の跡なき恋のやまなくあやし(11-2385)
<あらたまのいつとせふれど あがこひのあとなきこひの やまなくあやし>
<<年が新らたになり五年経ってしまったが,私の恋はいつまでも実を結ばない恋かも。それでも恋しい気持ちがいつまでも止むことがないのは不思議だ>>
この短歌は,柿本人麻呂歌集に出ていたものを万葉集に載せたという詠み人知らずの1首です。「あやし」は「不思議な」という意味で使われています。
次は「逢えないことが理解できない」という感情を表した詠み人知らずの短歌です。
時守の打ち鳴す鼓数みみれば時にはなりぬ逢はなくもあやし(11-2641)
<ときもりのうちなすつづみ よみみればときにはなりぬ あはなくもあやし>
<<時守が打ち鳴らす鼓を数えてみたら,逢う約束の時間になっている。それなのに逢えないのはどうしてなのだろう>>
平城京では,すでに時を知らせる太鼓が公衆の場では鳴らされていたことが,この短歌で読み取れます。時間を計り,正時になると太鼓を鳴らす人を時守と呼んでいたようです。
「○○で何時に待っているよ」と約束したが,その時間になっても相手は現れない。今だったら,携帯電話で「どうしたの?」と確認できますが,万葉時代では待ちぼうけになってしまうしかありません。
私は,まだ携帯電話がほとんど普及していない若いころ,女性から待ちぼうけをくらわされたことが何回もあります。本当にこの短歌の作者の気持ちは他人事とは思えないのですよ。
天の川 「たびとはん。待ちぼうけになるのは,相手がちっともOKしてへんのに,たびとはんだけが会う約束できたと勘違いしてやったんとちゃうか?」
最近「怪しい」サイトばかり見ていて,しばらくちょっかいを出さなかった天の川のやつ,余計なことをしゃべってきたな。相手が来なかったのは,急にどうしても行けない事情があったからに決まっているでしょ。でも,来なかった理由は結局聞けなかったなあ。
天の川 「なんや。そんなら,わいの言うたことはやっぱり図星やったんなんか」
あっ,あっ,「あやし」を詠んだ最後の短歌を,しょっ,しょっ,紹介します。
相思はずあるらむ君をあやしくも嘆きわたるか人の問ふまで(18-4075)
<あひおもはずあるらむきみを あやしくもなげきわたるか ひとのとふまで>
<<私のお慕いする気持ちなど少しも考えてくださらない貴殿に,人が変に思うほどに私は嘆き続けています。人が「どうしたのですか?」と尋ねるほどに>>
この短歌は,天平21(749)年3月15日,越中で大伴池主(おほとものいけぬし)が大伴家持に贈ったものです。池主が家持に対する親愛の情を家持から池主に対するそれよりも極端に強いと大袈裟に表現していると私は感じます。お互いが非常に仲が良いからこんな表現ができるのかもしれません。
これに対して家持は翌日に次のような短歌を返しています。
恋ふといふはえも名付けたり言ふすべのたづきもなきは我が身なりけり(18-4078)
<こふといふはえもなづけたり いふすべのたづきもなきは あがみなりけり>
<<「恋ふ」とはよくも名付けたものですね。お伝えする方法も手立ても無いのは,小生の方ですよ>>
池主が「相思ふ」という言葉を使ったので,それは男女の仲の「恋ふ」と同じ意味で,そんな言葉を使われたらこちらから返す言葉もないよと返事をしたのだと私は考えます。ただ,家持は池主に対してクレームを言っているのではなく,池主の大袈裟なアプローチに少し困惑しつつもやり取りを楽しんでいると考えた方がよさそうですね。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「かしこし」に続く。
2013年5月25日土曜日
心が動いた詞(ことば)シリーズ「いぶせし」
今回の「いぶせし」は,今までの「うるはし」「かぐはし」に比べてネガティブな心情を表す形容詞です。漢字では「鬱悒し」と書き,「気分がはれず,うっとうしい」という意味です。よく似た言葉に「いぶかし」がありますが,「気がかりな,疑わしい」という意味で,「いぶせし」の活用形ではありません。
「いぶせし」は現代ではあまり使われていませんが,万葉集では10首ほど出てきます。また,枕草子,源氏物語でも使われているようです。
万葉集で「いぶせし」が詠まれいる和歌10首のうち,5首は大伴家持作とされています。その他の5首はすべて詠み人知らずの和歌です。その5首を万葉集に載せようと選んだのが家持であれば,家持は「いぶせし」という言葉を和歌に使うことを好んでいたのかもしれませんね。
それでは,まず家持の「いぶせし」を使った短歌から紹介します。
ひさかたの雨の降る日をただ独り山辺に居ればいぶせかりけり(8-769)
<ひさかたのあめのふるひを ただひとりやまへにをれば いぶせかりけり>
<<空から雨の降る日にただひとり山辺にいると気持ちが落ち込んでしまいます>>
この短歌は,家持が久邇京に単身赴任していた時(天平12年~同16年),紀女郎(きのいらつめ)に贈ったとされています。年上の紀女郎に,心の寂しさに対する癒しを求めた1首ですが,これに対する女郎の返歌は残っていません。雨が降ると新京の造営も中止になり,家にこもることも多くなり,心が「いぶせし」の状態になったのでしょうか。
次は,やはり家持の短歌で,なぜか家に居ることが多いとき,気分転換に外出した際に詠んだ1首です。
隠りのみ居ればいぶせみ慰むと出で立ち聞けば来鳴くひぐらし(8-1479)
<こもりのみをればいぶせみ なぐさむといでたちきけば きなくひぐらし>
<<家に引きこもってばかりだと気分が晴れないので,気持ちを切り替えるため外に出てみて耳を澄ましてみると,ちょうど今やってきて鳴き始めた蜩がいた>>
蜩が鳴き始めるのは,夏の終わりです(この時期の暦では秋の半ばです)。
家持は,夏バテをしていたのでしょうか,それとも人生が嫌になってしまっていたのでしょうか。夕暮れ,久々に外出してみるとちょうど蜩がやってきて鳴き始めたを聞き,心が少し落ち着いたのかもしれません。
さて,次は恋する相手を思う気持ちの切なさを「いぶせし」と詠ませている詠み人知らずの短歌1首です。
水鳥の鴨の棲む池の下樋なみいぶせき君を今日見つるかも(11-2720)
<みづとりのかものすむいけの したびなみいぶせききみを けふみつるかも>
<<鴨の棲む池に水抜き栓が無いように,あなた様への気持ちが溜まったままで気分が晴れないなあと想っていたとき,あなた様に今日お逢いできたのです>>
万葉時代の貴族たちの恋は今の恋愛と大きく異なり,逢うこと自体が簡単にはできない状況のもとで進めざるを得ないものだったのだろうと私は想像します。逢うことがままならないから恋しい人への想いはつのるばかりになり,それが「いぶせし」という苦しい気持ちにつながっているのかもしれません。
最後に紹介する詠み人知らず女性が詠んだ1首は,恋しい人に逢えずにいるそんな「いぶせし」な気持ちを必死に振り払おうとしている姿を私に想像させてくれます。
うたて異に心いぶせし事計りよくせ我が背子逢へる時だに(12-2949)
<うたてけにこころいぶせし ことはかりよくせわがせこ あへるときだに>
<<甚だしく心がすっきりしません。楽しい計画でもしっかり立てましょう。あなたと逢えるその時のことだけでも>>
心が動いた詞(ことば)シリーズ「あやし」に続く。
「いぶせし」は現代ではあまり使われていませんが,万葉集では10首ほど出てきます。また,枕草子,源氏物語でも使われているようです。
万葉集で「いぶせし」が詠まれいる和歌10首のうち,5首は大伴家持作とされています。その他の5首はすべて詠み人知らずの和歌です。その5首を万葉集に載せようと選んだのが家持であれば,家持は「いぶせし」という言葉を和歌に使うことを好んでいたのかもしれませんね。
それでは,まず家持の「いぶせし」を使った短歌から紹介します。
ひさかたの雨の降る日をただ独り山辺に居ればいぶせかりけり(8-769)
<ひさかたのあめのふるひを ただひとりやまへにをれば いぶせかりけり>
<<空から雨の降る日にただひとり山辺にいると気持ちが落ち込んでしまいます>>
この短歌は,家持が久邇京に単身赴任していた時(天平12年~同16年),紀女郎(きのいらつめ)に贈ったとされています。年上の紀女郎に,心の寂しさに対する癒しを求めた1首ですが,これに対する女郎の返歌は残っていません。雨が降ると新京の造営も中止になり,家にこもることも多くなり,心が「いぶせし」の状態になったのでしょうか。
次は,やはり家持の短歌で,なぜか家に居ることが多いとき,気分転換に外出した際に詠んだ1首です。
隠りのみ居ればいぶせみ慰むと出で立ち聞けば来鳴くひぐらし(8-1479)
<こもりのみをればいぶせみ なぐさむといでたちきけば きなくひぐらし>
<<家に引きこもってばかりだと気分が晴れないので,気持ちを切り替えるため外に出てみて耳を澄ましてみると,ちょうど今やってきて鳴き始めた蜩がいた>>
蜩が鳴き始めるのは,夏の終わりです(この時期の暦では秋の半ばです)。
家持は,夏バテをしていたのでしょうか,それとも人生が嫌になってしまっていたのでしょうか。夕暮れ,久々に外出してみるとちょうど蜩がやってきて鳴き始めたを聞き,心が少し落ち着いたのかもしれません。
さて,次は恋する相手を思う気持ちの切なさを「いぶせし」と詠ませている詠み人知らずの短歌1首です。
水鳥の鴨の棲む池の下樋なみいぶせき君を今日見つるかも(11-2720)
<みづとりのかものすむいけの したびなみいぶせききみを けふみつるかも>
<<鴨の棲む池に水抜き栓が無いように,あなた様への気持ちが溜まったままで気分が晴れないなあと想っていたとき,あなた様に今日お逢いできたのです>>
万葉時代の貴族たちの恋は今の恋愛と大きく異なり,逢うこと自体が簡単にはできない状況のもとで進めざるを得ないものだったのだろうと私は想像します。逢うことがままならないから恋しい人への想いはつのるばかりになり,それが「いぶせし」という苦しい気持ちにつながっているのかもしれません。
最後に紹介する詠み人知らず女性が詠んだ1首は,恋しい人に逢えずにいるそんな「いぶせし」な気持ちを必死に振り払おうとしている姿を私に想像させてくれます。
うたて異に心いぶせし事計りよくせ我が背子逢へる時だに(12-2949)
<うたてけにこころいぶせし ことはかりよくせわがせこ あへるときだに>
<<甚だしく心がすっきりしません。楽しい計画でもしっかり立てましょう。あなたと逢えるその時のことだけでも>>
心が動いた詞(ことば)シリーズ「あやし」に続く。
2013年5月21日火曜日
心が動いた詞(ことば)シリーズ「かぐはし」
私が住む近隣に雑木林を切り開いた小さな栗林があります。この時期栗の花が咲き始め,割と強烈な匂いが漂います。私にとって栗の花の匂いは決して「かぐわしい」ものではありませんが,この匂いが漂い始めるとそろそろ梅雨が近づいてきたなと感じます。
今回とりあげる「かぐはし」は良い香りがするとか,見目形が良いというポジティブな感想を表す形容詞です。万葉集でも使われているため,「かぐはし」という心情表現は万葉時代から使われていたことになります。
まず,香りが良いことを意味する「かぐはし」を使い,市原王(いちはらのおほきみ)が天平宝字2(758)年2月に当時力を付けてきた官僚の中臣清麻呂(なかとみのきよまろ)宅で開催された宴席で詠んだ短歌から紹介します。
梅の花香をかぐはしみ遠けども心もしのに君をしぞ思ふ(20-4500)
<うめのはなかをかぐはしみ とほけどもこころもしのに きみをしぞおもふ>
<<梅の花の香りの良さから,お互い遠く離れてはおりますが,心はいつも貴殿のことを思っております>>
「梅の花の香りの良さ」は清麻呂が官僚として実績を残し,誰からも一目置かれている状況を意味するのではないかと私は想像します。「遠く離れている」は,距離的なものではなく,勢力地図上の話かと想像します。清麻呂は藤原仲麻呂(ふじはらのなかまろ)に気に入られ,仲麻呂側陣営にいるように見えたのではないかと思います。
ただ,清麻呂が仲麻呂に好かれようと取り入ったのではなく,清麻呂が余人に代えがたい能力を持っていたからだということが,参加者(橘諸兄派)にもわかっていた。そのように私は思います。事実,6年後の勃発した藤原仲麻呂の乱では,清麻呂は仲麻呂側につかなかった(仲麻呂を裏切った)ため,その後も昇進を重ねていったようです。
次は,香りも良く見た目も白くて美しい橘の花を題材にした詠み人知らずの短歌です。
かぐはしき花橘を玉に貫き贈らむ妹はみつれてもあるか(10-1967)
<かぐはしきはなたちばなを たまにぬきおくらむいもは みつれてもあるか>
<<かぐわしい橘の花を薬玉にして,糸に通して贈ろうとしている妻はやつれているのだろうか>>
この短歌いろいろな解釈ができるとおもいますが,私の勝手な解釈は次の通りです。橘の花が咲くのは今5月(旧暦では6月)です。妻問いをずっとお願いをしていた夫が妻の親から「娘の体調不良」を理由に断られ続けていたのです。そこで,健康に良いといういわれのある花橘の薬玉に妻に贈り,そろそろ妻問に良い季節になってきたので妻問を許してほしい。そんな気持ちが作者にあるように感じます。
さて,最後は大伴家持が越中から帰任するとき,京に戻って会った人を「かぐはし」と表現し,よろしく付き合ってほしい伝える練習に作った短歌です。
見まく欲り思ひしなへにかづらかけかぐはし君を相見つるかも(18-4120)
<みまくほりおもひしなへに かづらかげかぐはしきみを あひみつるかも>
<<長い間お顔を拝見したいと思っておりましたが,花鬘がとってもお似合いのあなた様とやっとお会いできました>>
家持がやっと越中から京に帰任できることになり,期待と不安が入り混じった気持ちがしっかり私には伝わってきます。
<戻った時の居場所はここち悪い?>
ところで,私は新人として会社入社後,40歳になるまでずっと本社以外の事業所勤務でした。
たまに本社に行くのは,創立記念日くらいで,席があるわけでもなく,そんな日もわずかな時間しか本社いませんでした。私はそれまで本社以外の事業所で,システム構築プロジェクトで大きな成果をいくつかあげることができ,その実績を認められ本社に新たにできた技術スタッフ部門を任されることになりました。
しかし,入社以来,本社勤務は皆無から人脈がまったくなく,どういう関わり方をすればよいかまったく分からな人ばかりでした。その後,私が考えた全社に適用するソフトウェア技術の向上施策は,なかなか受け入れられず,さまざまな部門やトップからの短期的成果を求める個別案件対応のチャレンジが続き,全社施策の展開という理想と現実の期待値とのギャップの大きさに悩み,挫折感を味わう日々が6年以上続きました。
ただ,そのときの経験は,後に勤務していた会社が10倍以上の規模の企業に吸収合併された後に,外様(とざま)出身である私が対等以上に成果をあげることができた要因のひとつであったことは間違いなさそうです。
越中から戻った家持は,私のそんな経験と同じような思いをしたこともあるのではないかと想像し,共感を覚えることが少なくないのです。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「いぶせし」に続く。
今回とりあげる「かぐはし」は良い香りがするとか,見目形が良いというポジティブな感想を表す形容詞です。万葉集でも使われているため,「かぐはし」という心情表現は万葉時代から使われていたことになります。
まず,香りが良いことを意味する「かぐはし」を使い,市原王(いちはらのおほきみ)が天平宝字2(758)年2月に当時力を付けてきた官僚の中臣清麻呂(なかとみのきよまろ)宅で開催された宴席で詠んだ短歌から紹介します。
梅の花香をかぐはしみ遠けども心もしのに君をしぞ思ふ(20-4500)
<うめのはなかをかぐはしみ とほけどもこころもしのに きみをしぞおもふ>
<<梅の花の香りの良さから,お互い遠く離れてはおりますが,心はいつも貴殿のことを思っております>>
「梅の花の香りの良さ」は清麻呂が官僚として実績を残し,誰からも一目置かれている状況を意味するのではないかと私は想像します。「遠く離れている」は,距離的なものではなく,勢力地図上の話かと想像します。清麻呂は藤原仲麻呂(ふじはらのなかまろ)に気に入られ,仲麻呂側陣営にいるように見えたのではないかと思います。
ただ,清麻呂が仲麻呂に好かれようと取り入ったのではなく,清麻呂が余人に代えがたい能力を持っていたからだということが,参加者(橘諸兄派)にもわかっていた。そのように私は思います。事実,6年後の勃発した藤原仲麻呂の乱では,清麻呂は仲麻呂側につかなかった(仲麻呂を裏切った)ため,その後も昇進を重ねていったようです。
次は,香りも良く見た目も白くて美しい橘の花を題材にした詠み人知らずの短歌です。
かぐはしき花橘を玉に貫き贈らむ妹はみつれてもあるか(10-1967)
<かぐはしきはなたちばなを たまにぬきおくらむいもは みつれてもあるか>
<<かぐわしい橘の花を薬玉にして,糸に通して贈ろうとしている妻はやつれているのだろうか>>
この短歌いろいろな解釈ができるとおもいますが,私の勝手な解釈は次の通りです。橘の花が咲くのは今5月(旧暦では6月)です。妻問いをずっとお願いをしていた夫が妻の親から「娘の体調不良」を理由に断られ続けていたのです。そこで,健康に良いといういわれのある花橘の薬玉に妻に贈り,そろそろ妻問に良い季節になってきたので妻問を許してほしい。そんな気持ちが作者にあるように感じます。
さて,最後は大伴家持が越中から帰任するとき,京に戻って会った人を「かぐはし」と表現し,よろしく付き合ってほしい伝える練習に作った短歌です。
見まく欲り思ひしなへにかづらかけかぐはし君を相見つるかも(18-4120)
<みまくほりおもひしなへに かづらかげかぐはしきみを あひみつるかも>
<<長い間お顔を拝見したいと思っておりましたが,花鬘がとってもお似合いのあなた様とやっとお会いできました>>
家持がやっと越中から京に帰任できることになり,期待と不安が入り混じった気持ちがしっかり私には伝わってきます。
<戻った時の居場所はここち悪い?>
ところで,私は新人として会社入社後,40歳になるまでずっと本社以外の事業所勤務でした。
たまに本社に行くのは,創立記念日くらいで,席があるわけでもなく,そんな日もわずかな時間しか本社いませんでした。私はそれまで本社以外の事業所で,システム構築プロジェクトで大きな成果をいくつかあげることができ,その実績を認められ本社に新たにできた技術スタッフ部門を任されることになりました。
しかし,入社以来,本社勤務は皆無から人脈がまったくなく,どういう関わり方をすればよいかまったく分からな人ばかりでした。その後,私が考えた全社に適用するソフトウェア技術の向上施策は,なかなか受け入れられず,さまざまな部門やトップからの短期的成果を求める個別案件対応のチャレンジが続き,全社施策の展開という理想と現実の期待値とのギャップの大きさに悩み,挫折感を味わう日々が6年以上続きました。
ただ,そのときの経験は,後に勤務していた会社が10倍以上の規模の企業に吸収合併された後に,外様(とざま)出身である私が対等以上に成果をあげることができた要因のひとつであったことは間違いなさそうです。
越中から戻った家持は,私のそんな経験と同じような思いをしたこともあるのではないかと想像し,共感を覚えることが少なくないのです。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「いぶせし」に続く。
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