暑い夏も終わり,ようやく爽やかな秋空を満喫できる季節になりましたね。
これから紅葉が落ち,森林の中が明るくなる12月中旬頃まで,私の気持ちも爽やかになることが多い季節です。また,空気も比較的澄んで月の明るさも夏より強く鮮明に感じられます。
今回取り上げる万葉集における「さやけし」は,まさに中秋の名月のようにクリアな輝きやクリアに感じる音に使う言葉のようです。
「さやけし」が詠まれている万葉集の中で,なんといっても有名なのは中大兄皇子(後の天智天皇)が詠んだ次の短歌でしょうか。
海神の豊旗雲に入日さし今夜の月夜さやけくありこそ(1-15)
<わたつみのとよはたくもに いりひさしこよひのつくよ さやけくありこそ>
<<海神を護衛するような豊旗雲に入日がさしています。今夜の月はさやかであってほしいものだ>>
この短歌は,有名な大和三山を詠んだ皇子の長歌に続く反歌2首の内の後の方の1首です。前の方の1首は長歌との関係がしっかりあるのですが,この反歌はまったく無関係に感じられます。実は,この短歌の左注にも無関係な内容だと書かれています。
入日がさしているため,西方は雲がないことを意味します。暦や時に興味を持っていたといわれる天智天皇は天気は西から変わることも知っていたのかもしれません。だとすると,雲が無く月が「さやか」であることを期待している皇子にとってその予兆を探したところ,日の入りの光がさしていることがその予兆だと詠んだのかもしれません。また,月がさやかであると船の航行もでき,旅が進むことも考えられます。
万葉集で「さやけし」の対象としてこの「月夜」のほかに「磯波」「海岸」「川」「川音」「川瀬」「鹿の声」「瀬音」「月」「波音」「山川」「小川」などが出てきます。これを見ると,水に関する者が大半を占めています。それも,見るだけでなく,聞くことも対象になっています。日本人は昔から川や海の水は切っても切れない関係であるだけでなく,美しい水の動きや水の音と接することで心さわやかに感じるのが自然のようだと私は思います。
さて,次は海岸の美しさを「さやけし」と舎人娘子(とねりのをとめ)という女官が持統天皇の伊勢行幸のとき詠んだ短歌です。
大丈夫のさつ矢手挟み立ち向ひ射る圓方は見るにさやけし(1-61)
<ますらをのさつやたばさみ たちむかひいるまとかたは みるにさやけし>
<<勇士がさつ矢を手に挟み立ち向かい射抜く的(まと)。その円(まと)方の浜は目にも鮮やかに美しい>>
この海岸は伊勢国にあった弓矢の的のように整った円形をした海岸があり,それが非常に美しかったと感じたのでしょうか。
次は別の対象に対して大伴家持が「さやけし」を詠んだ短歌です。
剣太刀いよよ磨ぐべし古ゆさやけく負ひて来にしその名ぞ(20-4467)
<つるぎたちいよよとぐべし いにしへゆさやけくおひて きにしそのなぞ>
<<ますます磨ぎ澄ませてください。(あなたの姓は)遥か昔から清らかに責任を果たしてきたまさにその氏名(うじな)なのですよ>>
この短歌はこのブログで2010年9月25日の投稿でも紹介したものです。
この短歌の左注には,淡海真人三船(あふみのまひとみふね)の讒言(ざんげん)によって、出雲守(いづものかみ)大伴古慈斐宿禰(おほとものこじひのすくね)宿禰が任を解かれる。この事実を知って家持この歌を作る(天平勝宝8(756)年6月17日作)とあります。家持は古慈斐に対して,今まで順調に昇進してきたが,今回の解任に対してやけにならずに栄光ある大伴氏の名を汚さないよう,自分を磨いて,自制した行動をしてほしいと思ったのかもしれません。
その後の古慈斐は家持のこの短歌により,苦しい状況でも我慢して慎重な行動をとったためか,光仁天皇時代には従三位まで行き,公家の仲間入りを果たした記録されています。
組織の中で自分を陥れるようなことをされたとき,「倍返しをしてやるぞ」と戦うのも一つのやり方かもしれません。ただ,組織人として努力した行動を冷静に継続し,じっくりとチャンスを待つのも正しい行動様式だとこの短歌から私は思うのです。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「悔(くや)し」に続く。
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