前の日曜(15日),私が学んだ大学で新しい教育棟が完成した記念に,卒業生も順次見学ができるということで,八王子まで行ってきました。
日本列島上陸間違いなしとの予報された台風が近づいてきていて,風雨が心配でしたが,私が行った昼過ぎは朝方の強い雨もやみ,少し青空がのぞくまで回復していました。
新しい教育棟はまるでホテルのような概容(12階建)で,中に入ると3階分くらいの吹き抜けの大きなエントランスホールがあり,エレベータだけでなく4階まではエスカレータが設置されていました。エスカレータで4Fまでいくと,ベランダには植物が植えられた広いカフェテリアがありました。
私が学生の頃は,50人ほどが入ると満杯になる「ロンドン」という名前の小さな喫茶室があっただけです。
15日は,昔懐かしい同期のOB・OGもたくさん来学していて,お互い年齢を重ねたことを感じながらも,再会できた幸せ感に満たされました。
また,当時の万葉集研究クラブの顧問をしてくださったN先生も新しい教育棟に研究室が移られたとのことで,同期のクラブメイトと一緒に新研究室にお邪魔をさせていただきました。N先生の研究室は11階にあり,エレベータを降りて結構長い廊下を進んでようやくたどり着けました。研究室は,まだ引っ越して直後のご様子で書籍などの整理が完全に終わっておられない状態が,逆に真新しい感じをさらに強くしました。
夜は八王子駅近辺で行ったクラブメイトとの懇談会にN先生もいらっしゃって,今回のテーマと同じ「嬉し」さが倍化しました。
さて,万葉集で「嬉し」を詠んだ和歌は12首ほどあります。まず,今の季節を詠んだ詠み人知らずの短歌から紹介ます。
何すとか君をいとはむ秋萩のその初花の嬉しきものを(10-2273)
<なにすとかきみをいとはむ あきはぎのそのはつはなの うれしきものを>
<<どうしてあなた様のことを嫌だと思うことがあるでしょうか。秋萩の初花を見るようにお目に掛かれば嬉しくてしかたないのに>>
桜の開花宣言を聞くと「春になったなあ」とか「花見ができるぞ」といったように嬉しい気持ちになりますね。
万葉時代は萩の花を見ることが楽しみだったようで(140首以上に登場),今年初めて萩の花が開花すると嬉しい気持ちになったようですね。
また,暑い夏が終わり,萩の咲いている道や庭を散策するのに良い季節となったこともあるのかもしれません。
恋人,そして妻や夫(当時は一緒に暮らさず)と逢える時の嬉しさは格別です。万葉集にも,当然そんな気持ちを詠んだ和歌が出てきます。
玉釧まき寝る妹もあらばこそ夜の長けくも嬉しくあるべき(12-2865)
<たまくしろまきぬるいもも あらばこそよのながけくも うれしくあるべき>
<<玉釧(きれいな腕輪)を巻いた腕枕で一緒に寝られるおまえがいるからこそ,いくら夜長でも嬉しいんだよ>>
この詠み人知らずの短歌も詠んだ時期は今頃でしょうか。太陽の沈む時間も夏に比べたら格段に速くなり,秋の夜長を感じる頃です。
夫の家に帰る時刻が同じであれば,夏の妻問よりも時間がたっぷりとれます。
もちろん,最愛の夫婦間では,その方が嬉しいに決まっています。
最後は,大宮仕えができる嬉しさについて,大納言巨勢奈弖麻呂(こせのなでまろ)が詠んだ短歌です。
天地と相栄えむと大宮を仕へまつれば貴く嬉しき(19-4273)
<あめつちとあひさかえむと おほみやをつかへまつれば たふとくうれしき>
<<天地と共にご盛栄されるようにと大宮にご奉仕できることで貴くも嬉しい気持ちがいっぱいです>>
この短歌は東大寺大仏開眼が終わった秋の新嘗祭の宴席で当時80歳を過ぎていた作者が詠んだものです。
当時の80歳以上の人口比率が今の100歳以上の人口比率より少なかったとすると,長寿でここまで来れた嬉しさも含んでいたのかもしれませんね。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「さやけし」に続く。
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