「苦し」は,対語シリーズ「苦と楽」で一部紹介していますが,40首も詠まれている「苦し」のほんの少ししか紹介できませんでした。
七夕が近づいている今の季節,万葉集で七夕を詠む短歌の中で「苦し」を使っているものをこのシリーズで紹介します。
まず,前回の投稿でも紹介した湯原王が詠った七夕の短歌です。
彦星の思ひますらむ心より見る我れ苦し夜の更けゆけば(8-1544)
<ひこほしのおもひますらむ こころよりみるわれくるし よのふけゆけば>
<<彦星の別れを惜しむ心よりも,見まもる私にとってつらい夜が次第に更けていけば(さらに惜しむ心が募る)>>
七夕の夜,妻問いのときの気持ちを詠んだものでしょうか。彦星が織姫に年に一度七夕で逢って,その後(来年の七夕まで逢えない)別れの口惜しさよりも,妻問いが終わって,可愛い妻を見つめている時間が夜が更けるにしたがって少なくなっていく(帰る時間がだんだん迫る)苦しい(苦し)時間の方が,もっと惜しいと湯原王は詠っていると私は感じます。
次は万葉集の編者が柿本朝臣人麻呂歌集から選んだという,妻問いをする男性の複雑な心境を彦星になぞらえ詠んだ,詠み人知らずの短歌です。
彦星は嘆かす妻に言だにも告げにぞ来つる見れば苦しみ(10-2006)
<ひこほしはなげかすつまに ことだにもつげにぞきつる みればくるしみ>
<<彦星は嘆いている妻に言葉だけ掛けようとやって来るのだ。実際に逢うと(別れが)つらいから>>
自分(彦星)がなかなか来てくれないと嘆いている妻(織姫)を想像すると,逢ってしまうと別れがもっとつらい(苦し)から,妻とは逢わず,「恋しい」という言葉だけ掛けて帰ろうとする自分がいる,そんな心境を妻に贈ったものかもしれません。この短歌を贈られた妻は「そんなことを考えずに逢ってください」ときっと返歌をすることになるのでしょう。妻を焦らし,妻から「逢ってください」と言わせる(思わせる)高度なテクニックというのは考えすぎでしょうか。
次も柿本朝臣人麻呂之歌集から選んだという詠み人知らずの七夕の短歌1首です。
万代に照るべき月も雲隠り苦しきものぞ逢はむと思へど(10-2025)
<よろづよにてるべきつきも くもがくりくるしきものぞ あはむとおもへど>
<<いついつまでも照るはずの月も雲に隠れてしまって、苦しいことです。逢いたいと思うのに>>
前にも書きましたが,万葉時代七夕の夜は妻問いが普段より多く行われる日だったのでないかと私は想像しています。現代で言えばクリスマスイブの夜にデートをするカップルが多いのと同じ感覚かもしれませんね。そんな夜,街灯がない万葉時代,月明かりがあると道に迷わないし,道を踏み外して怪我をして妻問いできないくなるようなことも少なくなります。ところが,月が雲にかくれてしまい,妻問いを待つ妻にとって夫が無事に来てくれるのか心配になり(苦し)この短歌を詠んだのではないかと私は思います。
さて,最後に紹介する「苦し」を詠んだ詠み人知らずの七夕の短歌です。
天の川瀬々に白波高けども直渡り来ぬ待たば苦しみ(10-2085)
<あまのがはせぜにしらなみ たかけどもただわたりきぬ またばくるしみ>
<<天の川の瀬々の白波は高かったけれど,直に渡ってきたぜ。待つのはお互いにつらいことだからね>>
この男性は,妻の家に妻問いに行くのにいろいろ障害(家族や恋敵などの抵抗)があったのでしょう。
その障害の回避のタイミングを計るのではなく,障害と真正面から戦って,やっつけて来たと妻に誇らしげに詠っている感じが私にはします。
来月7日に恋人とデートを約束している人は,これらの短歌を参考に,何かしゃれた一言を考えてみたらいかがでしょうか。
私には残念ながら来月7日はデートなんていう洒落た予定はありません。翌日から岐阜で開催されるソフトウェア技術に関する学会のシンポジウムに参加し,そこで設置されるソフトウェア保守をテーマとした作業部会で議論するための準備が忙しい七夕となりそうです。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「すべなし」に続く。
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