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2015年10月25日日曜日

今もあるシリーズ「麻(あさ)(3:まとめ)」 …妻問では「麻生(をふ)の下草」がポイント?

「麻」の最後は男女の恋愛の和歌でどのように使われたか万葉集を見ていきましょう。
万葉集で恋愛の和歌はやはり詠み人知らずが多いですね。次もそんな女性の短歌です。

桜麻の麻生の下草露しあれば明かしてい行け母は知るとも(11-2687)
さくらをのをふのしたくさ つゆしあればあかしていゆけ はははしるとも
<<桜麻の麻が生えている庭の下草は露が降り始めているので,お泊りになってくださいな。おなた様が来られていることを母が知ったとしても>>

いいですね。こんな短歌を女性からもらいたいですね(もちろん妻には内緒で)。
当時は妻問婚であり,男性が女性の部屋に密かに忍び込んで床を共にする(夜這い)のが一般的だったようです。
そうであるものの,親が気づかないはずはありません。気づかないふりをしているだけです。
この短歌は,自分自身も気に入り,親も気に入り,親を正式に紹介したいという口実ですね。
こうすることで,正式な婚姻の成立へ向かうことができたのでしょう。
正式な婚姻が成立すれば,男性(夫)が夜這いをする場合も,親に知られないように気を使う必要がなくなります。
もちろん親は正式な婚姻が成立した後も,両親は夫が夜妻問に来ても完全に知らぬふりをするでしょうね。
さて,次は前の短歌のパロディか返事ともとれそうな男性作の短歌です。

桜麻の麻生の下草早く生ひば妹が下紐解かずあらましを(12-3049)
さくらをのをふのしたくさ はやくおひばいもがしたびも とかずあらましを
<<桜麻の麻が生えている庭の下草が早く生えていれば,あなたの下紐を解かずにいただろうに>>

さて,この短歌の意味を素直に考えると,麻の下に草が生えておらず露に濡れる心配が無かったので,あなたと共寝をしたのですよということになりそうです。
そうなると,当然帰りも露に濡れる心配はないので,事を終えると男はさっさと帰ってしまった状況が推測できます。
今回の妻問は行きずりの逢瀬であり,結婚までは考えていませんよという男の言い訳(返信)ともとれます。
ただ,相聞ならば,万葉集内でもっと近くに置いても良さそうですが,巻も違います。
パロディとすると,いろいろな解釈ができそうですが,「麻生(をふ)」は「生ふ」,「終ふ」と同じ発音になります。
以降は,みなさんの想像力の豊かさにお任せします。
最後は,上質の麻布を織るために,織り子達が切れ目なく作業する姿を序詞として詠んだ短歌です。

娘子らが績み麻のたたり打ち麻懸けうむ時なしに恋ひわたるかも(12-2990)
をとめらがうみをのたたり うちそかけうむときなしに こひわたるかも
<<娘子たちが織る麻用のたたり(絡垜)を使い,柔らかい打ち麻にするよう丁寧に織り続けるように,間無く恋い続けているのです>>

この短歌から,作者の恋する気持ちの切れ目の無さを表現したと解釈するよりも,私は麻布を織る作業に使う道具や手順を想像したくなります。
このことで,この時代にどの程度の織布の技術があったか,また繊維産業がどの程度専業化し,どんな人が担ってきたのかなどを知ることができそうです。
今も残る麻の衣服。1,300年もの間,日本人の身体を暑さ,寒さ,日光,汚れなどから守ってきたのです。
これからも,「麻布」は我々の身近で使われていくのでしょうね。
今もあるシリーズ「石橋(いしはし)に続く。

2015年7月4日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…浮く(2) さ~,七夕だ!天の川に舟を浮かべて逢いに行こう!

「浮く」の2回目は,今の時期に合せて,万葉集には七夕の天の川に舟を浮かべて逢いに行こうとする和歌がでてきますので,それをとりあげてみます。
まず,1首目は山上憶良が神亀元(724)年7月7日に七夕について詠んだされる12首の中の1首(彦星を待つ織姫の立場で)です。

久方の天の川瀬に舟浮けて今夜か君が我がり来まさむ(8-1519)
ひさかたのあまのかはせに ふねうけてこよひかきみが わがりきまさむ
<<天の川の瀬に舟を浮かべて今夜こそあなたは私のところに来てくださるのね>>

2011年7月2日のこのブログでも取り上げていますが,憶良は七夕の謂れに対する造詣が深かかったようです。
<憶良は七夕の行事を日本に広めたかった?>
万葉時代,七夕の日に若い女性が居る家庭では,夫または恋人が妻問に来るのを今か今かと待ち望んでいるのです。
たとえしばらく妻問に来なかったとしても,七夕の謂れから年に1度は来てくれるはずだと信じたい。そんな待つ側の女性の気持ちを憶良は代弁して詠っています。
実は憶良が七夕の物語を一般市民に流行らせようとしていたのではないかと私は想像します。
七夕行事が流行れば,7月7日は確実に妻問が増え,その妻問に行くためや待つ女性が着る衣装や準備グッズが売れるはずです。
そのあたりは,2011年7月7日のこのブログでも少し取り上げています。
さて,次の1首も憶良作とされる七夕歌12首の中の1首です。同様に彦星を待つ織姫の気持ちを詠んでいます。

天の川浮津の波音騒くなり我が待つ君し舟出すらしも(8-1529)
あまのがはうきつのなみおと さわくなりわがまつきみし ふなですらしも
<<天の川に浮かんでいる船着き場の波音が騒がしくなってきました。私が待っている、あなたが舟を漕ぎ出しになったようです>>

妻問を待っている女性は家の外での物音に敏感になります。もちろん,妻問で家に近づく足音はしますし,夫または恋人が家に着くと,まず親が妻問に来る予定の人物か確認をします(妻問の前には和歌をやり取りして,妻問の事前合意)。
妻問に来た男性は,最初に親とも小声であいさつはするでしょうし,親は娘のいる場所へはどうやって行けば良いかを教えたりするでしょう。そんな情景を天の川の船が着き,船の波が岸に打ち寄せる音が騒がしくなったことに重ねて表現しているのだろうと私は解釈します。
最後は,飛鳥時代から奈良事態初期にかけて活躍した藤原房前(ふぢはらのふささき)が自宅での宴席で詠んだと伝わる七夕の長歌です。

久方の天の川に 上つ瀬に玉橋渡し 下つ瀬に舟浮け据ゑ 雨降りて風吹かずとも 風吹きて雨降らずとも 裳濡らさずやまず来ませと 玉橋渡す(9-1764)
ひさかたのあまのかはに かみつせにたまはしわたし しもつせにふねうけすゑ あめふりてかぜふかずとも かぜふきてあめふらずとも もぬらさずやまずきませと たまはしわたす
<<天の川の上流にある瀬に玉のような美しい橋を渡し,下流にある瀬に舟を浮べて舟橋を備えつけ,雨が降って風は吹かないときでも,風が吹いて雨は降らないときでも,裳を濡らさず,間を置かずお出で下さいとの気持ちを込めて玉の橋を天の川に渡す私です>>

さすがに,スケールが違いますね。房前だったらこの程度の公共工事は何でもなかったのでしょうから。
この長歌は,房前自身が作歌したのではなく,お付の人(秘書のような人)が作って,房前が宴の席で詠んだのかもしれません。
宴の出席者は,各地域や各組織の実力者ばかりで,この後玉の橋浮橋をどの川に作るかで盛り上がったのかもしれませんね。
そして,「その川はいっそのこと『天の川』に変えちゃえば?」といった話まで飛び出したりしたかもです。
結局,あまりに盛り上がり過ぎて,「浮かれた話」ばかりになったのではと私は想像しますが,いかがですか?
それでは皆さん,幸せな七夕をお過ごしください。なお,最近顔を出さない天の川君はおとなしくずっと寝ています。
動きの詞(ことば)シリーズ…浮く(3:まとめ)に続く。

2015年3月1日日曜日

当ブログ7年目突入スペシャル(2)‥塩辛になった可哀そうな蟹?

前回は,万葉集の情報量の多さを地名の多さにより見ました。今回は,「当時としては新しい名詞が多くある」について見ていきます。
<新しい言葉とは>
「当時としては新しい言葉」とは何を指すかというと,古墳時代より前にあった言葉ではなく,その後に新しくできた言葉を意味します。動詞や形容詞はなかなか新しい言葉は生まれにくいですが,名詞は今までになかったモノが現れると新しい名前が付くはずです。
現代でも,スマホ(スマートフォンの略)という言葉は恐らく10年前には一部専門家を除き,ほとんど誰も知らなかった言葉でしょう。それは,今までになかった携帯電話の形態で,従来の携帯電話と同じ分類に置くのは合理的でないと,新しい分類に位置付けられたと考えられます。新しいものですから,従来の携帯電話と異なる分類名称が現れるのは自然な成り行きです。

なお,そのついでに従来型携帯電話のことを「ガラ携」(ガラパゴス携帯電話の略)との新しい?言葉も生まれました。大きな進化が止まった携帯電話という意味でしょうか?
<万葉時代は当然新しい言葉が埋まりるスピードは今より遅かった>
万葉集にも当時としては新しい言葉(新語)に位置付けられるものは,もちろん今の「新語大賞」のように年単位に新語が生まれ,数年前いや去年の新語はもう古いと思われるようなスピード感の新語ではありません。
万葉時代は今のような瞬時に世界中の情報が世界中の人々に共有可能なマスメディアが存在していたわけではありません。新語がさまざなところで使われて,書物に記録が残り,定着するためには,今に比べて何百倍,何千倍もの時間が掛かったのではないかと思います。
今が数か月で新語が定着するとすれば,当時の定着には何十年,何百年という期間が掛かってしまうのも当然で,新語の年あたりの発生数(海外から来た言葉も含む)も現代の何千分の一だったのかもしれません。
<万葉時代で新語が埋まれる速さ>
そのため,現代のスピード感でいうとイメージが合わないかもしれませんが,次の1)~4)の言葉は万葉時代の新語として分類して見ます。
1) 工芸・技術(主に6世紀以降大陸から導入されたと考えられるもの)の用語
2) 律令制度(律令制度は7世紀後半から日本に定着し始めたと云われている)の用語
3) 宗教(仏教,儒教,道教などの大陸伝来宗教)の用語
4) 節句行事(もともと大陸にあった行事)の用語
まず,万葉集で最も多く出てくるのが,1)でしょう。今回は1)について見ていきます。
1)の場合,全く新しい言葉ではなく,既にある言葉に付加価値を付ける言葉を合成したものが多いのは,現代と同じような気がします。
現代でいえば,スカイツリー,3Dプリンタ,ウェアラブル端末,ホットスポット,草食系男子,育メン,肉食系女子,マイナンバーなど合成語ばかりです。

万葉集では,韓臼,韓帯,韓衣,双六,倭文機(しつはた),新羅斧,白塗,陶(すゑ)人,杣(そま)人,経緯(たてぬき),織女,手臼,手(た)作り,手斧,外床,鳥網,長屋,鳴矢,貫簀(ぬきす),塗屋形,幡桙(はたほこ),科(はやし),醤酢(ひしほす),純裏(ひたうら),直さ麻(ひたさを),檜橋,船人,真鹿小矢,澪標(みをつくし),蒸衾(むしぶすま),焼太刀,夜船,麻績(をす)といったものです。
臼,帯,衣は以前から言葉としてあったけれども,韓臼,韓帯,韓衣は当時としては輸入物やそれに近い斬新なイメージのものだったのではと私は思います。さらに,陶人(陶芸家),杣人(林業家),織女(機織職人),船人(船員)は,それぞれの職業を専門にするプロフェッショナルが生まれたことを意味するのだと私は解釈します。
実際の万葉集で見ていきましょう。次は,女性歌と思われる短歌です。

韓衣君にうち着せ見まく欲り恋ひぞ暮らしし雨の降る日を(11-2682)
からころもきみにうちきせ みまくほりこひぞくらしし あめのふるひを
<<私の韓衣をあなた様にしっかりお着せして見たいと望んでおります。夜にお逢いできることを心待ちしている今日雨降る日中を>>

この短歌の作者,夜は本当に雨が止んでほしいと願っているように思います。相手の男性が夜も雨だと妻問に来てくれない可能性があるからです。
「うち着せ」が万葉仮名からの訓読として正しければ,「韓衣君にうち着せ」は高級な衣(今で言うと打掛のようなもの)を掛布団にして共寝することをイメージしているようにも思えます。
うがった見方をすれば「親には(高級な舶来ブランドの)韓衣を買えるだけの財力があるのよ。だから今晩雨でも来てね」ということを暗に示めそうという意図も感じられませんか。
次は,陶人,韓臼,手臼が出てくる長歌(というより歌謡)の一部です。

おしてるや難波の小江に 廬作り隠りて居る 葦蟹を大君召すと 何せむに我を召すらめや ~ 今日今日と飛鳥に至り 置くとも置勿に至り つかねども都久野に至り 東の中の御門ゆ 参入り来て命受くれば ~ もむ楡を五百枝剥き垂り 天照るや日の異に干し さひづるや韓臼に搗き 庭に立つ手臼に搗き おしてるや難波の小江の初垂りを からく垂り来て 陶人の作れる瓶を 今日行きて明日取り持ち来 我が目らに塩塗りたまひ きたひはやすも きたひはやすも(16-3886)
おしてるやなにはのをえに いほつくりなまりてをる あしがにをおほきみめすと なにせむにわをめすらめや ~ けふけふとあすかにいたり おくともおくなにいたり つかねどもつくのにいたり ひむがしのなかのみかどゆ まゐりきてみことうくれば ~ もむにれをいほえはきたり あまてるやひのけにほし さひづるやからうすにつき にはにたつてうすにつき おしてるやなにはのをえの はつたりをからくたりきて すゑひとのつくれるかめを けふゆきてあすとりもちき わがめらにしほぬりたまひ きたひはやすも きたひはやすも
<<難波の小さな入り江に巣を作って暮らしている葦蟹の私を大君は来て欲しいと仰る。どうして私のようなものに来いと仰るのか。 ~ 急いで明日香,置勿,都久野を経由して,宮中の東門から参上して用件をお聞きしょうすると ~ 私を五百枝も剥いで吊るし,日ごとに干して,韓臼で搗き,庭に据えた手臼で搗いて粉にし,難波小さな入り江で取れた新鮮な海水の塩分を高くして混ぜ,陶工が作る瓶を今日注文し,明日運ばれて瓶に入れ,私の目にその塩を塗って,賞味なさることよ。賞味なさることよ。>>

本長歌の左注にある「哀れな葦蟹さん」と解釈するのか,当時の美味しく食べるための加工技術(2種類の新型臼で搗く)や,高級感を出すための演出(専門職人の陶人が作る瓶に入れる)がどこまで進んでいたかを示す資料と見るかで,この和歌の感じ方は大きく変わると思います。
また,蟹を生きたまま,難波から平城京まで運ぶ技術ができていたことも想像できます。さらに,瓶を今日注文して翌日届くということは,注文生産ではなく,見込生産がされ,在庫を持っていたからできたことだ私は思います。
「哀れな蟹さんのお話」と興味を引かせておいて,「天皇も食べているというこの蟹の加工品を食べたい」と一般の人に思わせる。そんなカニを加工した新食品のPRの歌だったのかもしれません。
この1首前の長歌も構成がよく似ており,対象は鹿です。狩で殺した鹿は大君によってどうされるのか,具体的には狩りで殺された鹿1頭の角,耳,目,爪,毛,皮,肉,内臓がどう加工されるのかを詠んでいます。
これも「八つ裂きにされる可哀そうな鹿さん」と見るか,鹿1頭を捨てるところなく利用し,狩で無駄に殺生をしているのではないことを示している政権側のPRと見るかで感じ方が大きく変わります。
鹿のさまざまな部位の新しい加工品が,京人が手にできる値段の高級品として市場に出回っていたことも想像できます。そして,御多分に洩れず,偽物も多く出回っていたかもですね。
当ブログ7年目突入スペシャル(3:まとめ)に続く。

2014年7月28日月曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…踏む(2) 40年ぶりに「山辺の道」を踏み歩く

<真夏の山の辺の道>
一昨日の土曜,猛暑の中,学生時代に歩いたことがある,山辺の道(やまのべのみち。天理市~桜井市たの内,天理~柳本)を歩きました。

実は,その前の金曜日は大阪への出張があり,その日は大阪市内に宿泊しました。翌朝完全な軽装に着替えをして,朝からJRで天理駅に移動し,そこから歩いたのです。
学生時代は確か2月か3月の春のうららかな日和でしたが,今回はペットボトルを離さずに熱中症にならないよう気を付けながらでした。
一緒に大阪主張に行った会社の同僚も一緒に行きたいと言ってくれたので,男二人で汗をかきながらの奮闘でした。
猛暑の中でしたが,懐かしい場所に戻ってきた感を多くの場所で持て,思い出話や歴史の話を同僚としながらの気持ち良い散策でした。
午後は同僚が東京に戻り,私一人奈良に来るとよく利用する奈良駅前の天然温泉浴場のあるビジネスホテルに宿泊しました。
<翌日はミカン農園で摘果して帰路に>
翌日の27日は毎年みかんの木のオーナーになっている明日香村の農園に行き,ミカンの実の摘果(傷ついた実や小さな実を取り去ること)を行い,午後東京に戻りました。
今回奈良で踏みしめた道や地面は,アスファルトやコンクリート,土,砂利,石を敷き詰めた路面,草地,藁をぶ厚く敷き詰めたみかん畑の地面などで,踏みしめ感がいろいろでした。
特に山辺の道で坂が急に場所には,ごつごつした石を敷き詰めいてる場所がありました。ビジネスシューズで同行した同僚には大変な苦労をさせてしまいました。
今回は,前回の巨勢道の短歌でも出てきた石を踏む場面の和歌を見ていきます。

佐保川の小石踏み渡りぬばたまの黒馬来る夜は年にもあらぬか(4-525)
さほがはのこいしふみわたり ぬばたまのくろまくるよは としにもあらぬか
<<佐保川の小石を踏みながら川を渡って,黒馬が来る夜は年に一度はくらいはあっていいのではないでしょうか>>

この短歌は,坂上郎女(さかのうへのいらつめ)が藤原麻呂(ふしはらのまろ)に贈った内の1首です。織姫牽牛でさえ年に1回は逢えるというのにどうしてあなた様(藤原麻呂)はなかなか来てくださらないのですか?という恨み言のように私には思えます。
藤原麻呂と郎女の家の間には佐保川が流れていて,郎女へ家へ妻問するには川を渡ってくる必要があったこと,そして,佐保川には橋が掛かっておらず,川の石を踏んで渡る必要があったことがこの短歌から見えてきます。
さて,これとよく似た詠み人知らずの短歌が巻13に出てきます。

川の瀬の石踏み渡りぬばたまの黒馬来る夜は常にあらぬかも(13-3313)
かはのせのいしふみわたり ぬばたまのくろまくるよは つねにあらぬかも
<<川の瀬の石を踏んで渡って黒馬に乗ったあなた様が来る夜は常にあってほしいのです>>

実はこの短歌は長歌の反歌なのです。
直前の長歌では,泊瀬の国の天皇が作者の女性の相手だということが詠まれています。長歌では,親に知れると困るので妻問に来てくださるのは止めてほしいという内容ですが,短歌では全く逆のこと(いつも来てね)を詠っています。
さて,泊瀬の国の天皇といえば,すぐに思い浮かぶのが雄略天皇ということになります。
しかし,どう考えてもこの長短歌が雄略天皇が生きていた時に,雄略天皇に対して詠まれたとは考えにくいと私は感じます。
それよりも「女の恋心は複雑なのよ。たとえ相手がすごい天皇であっても,大好きでも,いろいろ気になって素直になれないの」といった奈良時代に巷で流行っていた歌謡ではないかと私は想像します。
最初に紹介した坂上郎女の短歌もその歌謡をパロディーしたか,逆に歌謡の作者が坂上郎女の短歌を真似たのかのどちらかが興味深いところです。
私は坂上郎女の和歌が当時一般に公開されたり,出版されたりする可能性が少ないと考えると,前者(郎女が後からまねて作歌)の可能性が高いと考えています。
さて,最後は石の多い道は馬に乗って移動するのが,万葉時代あこがれの手段だったことを思わせる詠み人知らずの短歌です。

馬買はば妹徒歩ならむよしゑやし石は踏むとも我はふたり行かむ(13-3317)
うまかはばいもかちならむ よしゑやしいしはふむとも わはふたりゆかむ
<<馬を買うと,おまえだけが歩くことになる。石を踏んで苦労は多くとも,僕はおまえと二人で歩いて行くよ>>

夫婦愛の理想を詠ったような短歌ですね。
欲しいもの(当時の馬を今に例えれば,一人乗りのモトクロスモーターバイク)を我慢してでも一緒に同じ方向,同じスピードで暮らしていくのが理想の夫婦なのかもしれません。
ただ,今は価値観やそれまで得てきた情報の多様化・偏重によって,相手の気持ちを理解して,お互いが納得する我慢の度合いを見つけあうのが難しい時代になってきているような気がします。
動きの詞(ことば)シリーズ…踏む(3)に続く。

2014年4月21日月曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…問ふ(4:まとめ) 本当はどうなの?

<記者会見の報道>
最近は,記者会見の模様がテレビニュースのトップやワイドショーで多くの時間を取って紹介されることが多いようです。たとえば,不透明なお金に関する政治家の会見,研究論文に関する研究者または研究機関の会見,公職にありながら私的発言を釈明する会見,ゴーストライターがいたことが明るみになり実態を釈明する会見などです。
記者会見では,まず会見参加者(記者)へ会見を開いた側が自分の考えを説明し,そして,記者からの質問にこたえるという段取りになると思います。
その質疑応答が長時間に及ぶことがありますが,もちろんそのすべてがニュースやワイドショーで紹介されるわけではありません。しかし,最近はネット上の動画サイトで会見のすべてが見られることも珍しくないようです(私はそれをすべて見る時間はありませんが)。
<悪人に仕立て上げられる会見者>
記者の質問は時として「悪者」を仕立てセンセーショナルな記事を書くべく,仕組まれた誘導的な質問もあるらしく,「記者も回答する方もお互い大変だなあ」とか「何かシナリオ(出来レース)があるのかなあ」とか思っいたりしたくなります。
さて,貧富の差は当然今よりも大きかったけれど,今ほど国民全体が「悪者探し」をしていなかった万葉時代の「問ふ」にいて見てきましたが,それでも「今風質問」や「詰問」に近い用例を万葉集で探し,「問ふ」のまとめとします。
まずはゴシップになるのを嫌った短歌です(柿本人麻呂歌集からの転載)。

誰ぞかれと我れをな問ひそ九月の露に濡れつつ君待つ我れを(10-2240)
たぞかれとわれをなとひそ ながつきのつゆにぬれつつ きみまつわれを
<<「お前はどこの誰?」と私に問い質すのはやめてほしい。九月の夜露に濡れながら,あの人を待つ私に>>

旧暦の9月といえば,夜はかなり冷え込む頃です。そんな夜に密会するわけですから,それを見た庶民は興味津々ですわな。「何とかという偉いはんがな,ごっつうベッピンの女の人をいつも待ってはったで~」といったような噂がたつのは,本人にとってスキャンダルになってしまうのでしょうか。
次は,詠み人知らずの若い女性が詠んだと思われる短歌です。

玉垂の小簾のすけきに入り通ひ来ねたらちねの母が問はさば風と申さむ(11-2364)
たまだれのをすのすけきに いりかよひこねたらちねの ははがとはさば かぜとまをさむ
<<(私の部屋の)すだれのすき間から入ってきてね。気配で母が起きで「誰か来たの?」と訊かれたら,「風が吹いてすだれが揺れたのよ」と答えるわ>>

人が入ってきた気配を風が吹いたことにするのは,さすがに無理がありますよね。
最近の記者会見でも「そんな高い熊手があるのか?」と思いたくなるような政治家の無理な説明もありました(本人はユーモアのつもりで云ったのかもしれませんが)。
ただ,万葉時代の妻問は,女性側の両親とはいつ妻問をするかは合意ができていて,両親は娘には知らぬふりをしていたのではないかと私は思います。なので,こんな短歌を男性に渡すための使いの者から両親が内緒で見ることがあっても「娘はあの方のこと,まんざらでもなさそうね」とシナリオ通りに進んでいることに満足したのでしょうね。
<「出来レース」も有り?>
今の世の中もあるシナリオにより仕組まれた「出来レース」が結構多いような気がします。それとは知らない人たちが,話題の人がすぐバレるような説明をして,窮地に追い込まれ,マスコミがはそれを囃し立て,それを読んだり見たりする人はハラハラドキドキ感で興奮する。何十年も前,プロレスのテレビ放送を見て,最初は悪役に怒りを感じ,興奮し,最期はスッキリとしていた自分と同じように。
結局,仕組まれたかもしれないスキャンダルによって視聴率や購読数を伸ばすことになるメディアが潤うことに。また,良い悪いは別として知名度が極端に上がる人や組織が出現します。
さて,記者会見の記者から「恋人(婚約者)は誰?」自宅で「誰と逢ったのか?」「現金を受け取ったのは誰か?」「知っていたのは誰か?」などの人の名前をしつこく聞き出そうとする質問がでるようです。個人名が分かれば,またいろいろな憶測が可能になり,マスコミざたになりますからね。
次は,どんなに聞かれても名前は明かさない決意を詠んだ詠み人知らずの短歌です。

荒熊のすむといふ山の師歯迫山責めて問ふとも汝が名は告らじ(11-2696)
あらぐまのすむといふやまの しはせやませめてとふとも ながなはのらじ
<<気性が荒い熊が住むという師歯迫山に屈強の人が熊退治にいくのと同じくらい強く詰問されても,あなたの名前は絶対に明かしませんよ>>

万葉時代でも,当然関係を他人に知られたくない人間関係があったのでしょうね。
さて,スキャンダルとして大々的にとりあげたマスコミも,あるとき別のスキャンダルが発生すると,以前のスキャンダルが無かったかのようにまったく扱わなくなります。当事者は,しつこい質問にさらされることがなくなってほっとするのかもしれませんが,事態は何も変わっていないのにまったく注目されなくなるのも寂しい気分になるのかもしれませんね。
次の詠み人知らずの短歌もそんな気持ちなのかもしれませんね。

解き衣の思ひ乱れて恋ふれども何のゆゑぞと問ふ人もなし(12-2969)
とききぬのおもひみだれて こふれどもなにのゆゑぞと とふひともなし
<<心が乱れるほど恋をしてしまったのに「なんでそんなに苦しそうなの?」と聞いてくれる人もいないの>>

スキャンダルになるのは困るけど,恋の苦しさをやさしく聞いてくれたり,相談できる人がいてほしいという気持ちが私には伝わってきます。苦しんでいる人を助けるためにも,相談を受けた人が依頼者の秘密を守ることの重要性が求められます。
私は,万葉集から意識するしないは別として,万葉時代ではすでに個人の情報が重要な意味を持つことに目覚め始めた時代ではないかと感じています。
動きの詞(ことば)シリーズ…置く(1)に続く。

2014年4月13日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…問ふ(3) 「質問する」以外の「問ふ」もある

<桜の季節に野川散策>
先日の4月5日,国分寺市付近に源を発し,小金井市,三鷹市,調布市などを経て世田谷区で多摩川に合流する野川の深大寺より上流を散策しました。都立武蔵野公園の少し上流付近の川の両側に植えられているしだれ桜が見ごろで,日本の花の美しさを感じさせてくれる場所を自分の目でまた見つけられた気がしました。写真は,そのとき撮ったものです。



<「訪問」の「問ふ」は?>
さて,「訪問」という言葉はご存知だと思います。「訪問」の「問」は訪問先の人に質問するという意味は必ずしも含まれていません。訪問して楽しく会話するだけ,訪問して品物を渡すだけ,訪問して訪問先の人に逆に質問されるだけのこともありますからね。
実は,万葉集でも「問ふ」という言葉は出てきますが,質問の意味がないものもあります。次は万葉集に8首を残し,天智系の皇族と推測される市原王が詠んだ短歌です。

言問はぬ木すら妹と兄とありといふをただ独り子にあるが苦しさ(6-1007)
こととはぬきすらいもとせと ありといふをただひとりこに あるがくるしさ
<<人間のように話すことができない木でさえ妹や兄があると言うのに,まったくの独りっ子であるわが身が寂しい>>

市原王には兄弟が居なかったのか,皆死んでしまったのかもしれません。ここでの「言問はぬ」は,単に「話す」という意味になりそうです。
この「言問はぬ木すら~」は万葉集の中で慣用的な使い方のようで,この1首以外に5首ほどに出てきます。
次は,旅先で妻を想って詠んだ詠み人知らずの短歌です。

かく恋ひむものと知りせば我妹子に言問はましを今し悔しも(12-3143)
かくこひむものとしりせば わぎもこにこととはましを いましくやしも
<<このようおまえのことを恋しく思っていたことを知っていれば,「恋しいおまえ」と口に出して言っておかなかったことを後悔しているのだ>>

「好きだよ」「愛している」「君といると最高に幸せ」などを奥さんに口に出して言っていますか?
この短歌は,後で後悔しないよう,世の夫は今からでも妻にこういうことを言うべきだと主張しているのです(私はできていませんが..)。
さて,「言問ふ」の最後は,同じく詠み人知らずの妻との別離を悲しむ短歌です。

たたなづく青垣山の隔なりなばしばしば君を言問はじかも(12-3187)
たたなづくあをかきやまの へなりなばしばしばきみを こととはじかも
<<幾重にも重なり,緑の木々が茂った垣のようにそびえる山々を隔てた場所に離れることになり,今までのように頻繁におまえの家を訪ねるこちができなくなるなあ>>

この短歌の「言問ふ」は今回の冒頭で述べた「訪問する」という意味に近いと私は解釈します。
このように「言問ふ」を万葉集で見てくると,「問ふ」という言葉は入っていても,尋ねる,質問するという意味での用例は少ないように感じます。
「言問ふ」が尋ねるという意味で和歌に出てくるのは,もしかしたら平安時代あたりからかもしれませんね。有名な伊勢物語の「東下り」の個所で出てくる次の短歌は尋ねるの意味といえそうです。

名にし負はばいざ言問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと(伊勢9段)
なにしおはばいざこととはむみやこどり わがおもふひとはありやなしやと
<<都という名を持っているなら、さあ尋ねよう、都鳥。私の恋しく思っているあの人は無事なのかと>>

動きの詞(ことば)シリーズ…問ふ(4:まとめ)に続く。

2014年4月2日水曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…問ふ(1) 日本人は井戸端会議的「問ふ」が好き?

<ほとんど日本人しかいない普通の職場>
日本人は初対面の相手や疎遠な外国人に,自分考えを相手に誤解されないよう伝えるのが得意でないという評価があると聞くことがあります。それがすべての場合当てはまるかどうかは別として,私がこれまでの職場などでの経験からはこの評価には否定できない部分が少なくないと思います。
私の職場は,これまでほとんど同じ日本人ばかりの職場だったのです。ですから,思想信条,文化,社会的な習慣が全く異なる多くの人々と一緒に仕事をしたことなかったといっても良いかと思います。職場の同僚・先輩・上司・後輩は,日本人ですから日本語が流暢に話せ,日本で育ち,日本の学校に通い,正月・バレンタイン・花見・衣替え・紅葉狩り・クリスマスなどの日本の習慣を十分知っています。日本のテレビ放送を観て,日本で売れ筋の製品を使い,日本の流行に対して共通の情報を持ち,日本人として共通の基盤を持った人たちと仕事をしてきたのです。
<日本人間の考え方の違いは大したことがない>
「いや,日本人だって,年齢,地域,学歴などでいろんな人がいるし,考え方に大きなギャップもあるよ。日本人と一括りにするのはいかがなものだろうか?」と,私のような見方に賛成しない人もいるかと思います。でも,私はその違いはせいぜい日本人としての共通の基盤上での反対/賛成,賛同/拒否,同調/排除の違いでしかないと思います。たとえていえば,日本料理の中で「牛肉の肉じゃがが好き」,「いや豚肉の肉じゃがのほうが好きで,牛肉のは嫌い」といった,好き嫌いの範囲内のようなものかもしれません。
<世界は多様>
「東欧ハンガリーの料理『パプリカーシュチルケ・ノケドリヴェル』(鶏肉とハンガリアンパスタ,パプリカ添え)と南米スリナムの料理『モクシメティ』(ライスを添えた肉料理)とどちらが好き?」と仮に私が仕事仲間に聞いたら,十中八九「そんなん知らんがな,あっち行って!」という反応になりますよね。びっくりされるだけでなく,「お前,頭がおかしくなったのか?」と思われるような環境が私の職場でした(それが一般的な日本の職場かも?)。しかし,もし職場に世界のさまざまな国の人が居て,その人たちと仲良く仕事をするには,これくらいの知識を持っている必要があるのかもしれません。
そんな必要性がなかった私は,初対面の人に気を悪させず,いろいろ質問する(問う)ことが苦手でした。初対面の人とも会話が続かず,気まずい雰囲気が長く続くというツライ経験を私はたくさんしてきました。職場の同僚や後輩に同様の悩みを持ち,考えや文化の違う人と積極的に係らない人と多く出会いました。
<「動きの詞シリーズ」再開>
さて,再開した「動きの詞シリーズ」の最初は,日本人があまり得意としない「問ふ」です。万葉集には「問ふ」が入っている和歌が50首ほどは出てきます。万葉時代の日本人はどんな「問ふ」をしてきたのか何回かに分けて見ていきましょう。それが,今の日本人の「問う」との違いがあるのでしょうか。
最初の短歌は,天平勝宝7年2月に集められまれたという有名な防人歌です。

防人に行くは誰が背と問ふ人を見るが羨しさ物思ひもせず(20-4425)
さきもりにゆくはたがせと とふひとをみるがともしさ ものもひもせず
<<「防人として行くのはどちらのご主人かしら?」と周りの人たちどうしが質問しあっているのを聞くのも気がめいるのです。それが私の夫であるという私の気持ちを知りもしないで>>

防人歌といっても防人自身が詠んだもの以外に防人の妻が詠んだものも含まれています。
この短歌は防人に行く夫の妻が詠んだものですが,気持ちは<<>>内の私の現代語訳を見れば分かるかと思います。
さて,次は占いで当時許婚であった大伴大嬢(おほとものおほいらつめ)と逢う運勢を問うことを詠んだ大伴家持の短歌です。

月夜には門に出で立ち夕占問ひ足占をぞせし行かまくを欲り(4-736)
つくよにはかどにいでたち ゆふけとひあしうらをぞせし ゆかまくをほり
<<月夜には家の門の外まで出て立って夕占で問い,また足占もしましたよ。あなたの家へ行こうと>>

夕占とは広辞苑によると「夕方,辻に立って往来の人の話を聞き,それによって吉凶,禍福をうらなうこと」という意味です。家持は,逢いに行きたいという気持ちがいっぱいで,その準備をしていることを大嬢に伝えたかったのかもしれません。
これら2首の「問ふ」は,ある種の情報を得るためかもしれません。最初の防人歌では,作者ではなく近所のおばさんたちが井戸端会議的に防人に行く家はどこかの情報を収集しようとしていることは分かります。
また,後の家持の短歌は夕占という,(家の前の)通りに出て,行き交う人の質問をして,自分が大嬢に逢うのに良い運勢かを確認しています。
多分,大嬢の家に行く道すがらに何らかの障害になるものがあったり,何かの催し物で,人が多くいて,目立ち,噂が立ってしまうことも考えられます。運勢だけでなく,さまざまな情報から大嬢の家へ行く良いタイミングを夕占で見測ろうとして,足占で分析をしたのかもしれません。
今回紹介した「問ふ」は,相手のことを知ろうというよりも,情報収集の目的であったと私は感じます。
動きの詞(ことば)シリーズ…問ふ(2)に続く。

2014年2月15日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…告ぐ(2) 恋しさを誰に告げてもらおうか?

今朝の自宅付近は大雪と雨で外に出られる状態ではありませんでした。2週連続の大雪で,さまざまな影響が出ていますが,休日のお客さんを当てにしていたレジャー業界にとっては特に影響が大きかったのではないかと心配しています。
さて,「告ぐ」の2回目は,万葉集で恋人や妻に恋しい気持ちを自分では伝えられないので,誰に告げてもらおうかと思案する和歌を見ていきます。
自分の気持ちを相手に伝えることは実は簡単でも単純でもありません。伝え方によっては相手が誤解してしまうこともあります。
まして,恋しい気持ちが募ると冷静ではいられませんから,伝える方も余計なことを考えてしまい,結局うまく伝えることができないこともよくあるのではないでしょうか。
また,告げようにも,遠く離れていて直接告げることができない状況もあり得ます。
最初は死にそうに切ない恋心を相手に告げられない苦しい思いを詠んだ詠み人知らずの短歌です。

恋ひ死なば恋ひも死ねとや玉桙の道行く人の言も告げなく(11-2370)
こひしなばこひもしねとや たまほこのみちゆくひとの こともつげなく
<<苦しい恋で死んでしまったら,その恋自体も死んで無くなってしまうというが,そこまで苦しい俺の気持ちを誰か道行く人が俺の代わりに彼女に伝えてくれるのだろうか?>>

「そんなに苦しいほど思っているなら,相手に直接気持ちを伝えたらいいじゃん」なんていう助言はこの人には通じないでしょうね。気持ちを告げたら,相手の女性が速攻「ごめんなさ~い」となると,それを想像しただけでも耐えられないのでしょう。男は筋力は強くても,心力(しんりょく)のほうは意外と弱い面もあるのではと私は最近思うことが多いのです。
しかし,一方でこんな短歌を詠めるのはまだ心に余裕がある証拠。黙ってストーカー行為に走る男より心的にはずっとマシといえるでしょうね。
次は,女性(詠み人知らず)の短歌ですが,こちらは告げてほしくない,でも作者のウキウキしたした感じ伝わってくるものです。

葦垣の末かき分けて君越ゆと人にな告げそ事はたな知れ(13-3279)
あしかきのすゑかきわけて きみこゆとひとになつげそ ことはたなしれ
<<「庭の葦垣の上部をかき分けてあの人がきましたよ」とほかの人に聞こえるように告げないで。空気を読んでよね>>

大きな声で告げたのは彼女(この短歌の作者)の世話役でしょうか。それとも,飼っている鶏や犬でしょうか。世話役だとすると空気を読まず早く教えてあげようと大きな声をだしたのでしょう。彼女にしてみれば彼氏との時間に第三者が興味津々と聞き耳を立てているようなことをされたくはないですからね。
最後は大伴家持越中の国守をしていた天平勝宝2年2月に,国府があったとされる場所から南西へ20㎞ほど離れたところの「藪波の里」に新たに,開墾した田を視察するため泊まりがけで出かけた際に詠んだ短歌です。

薮波の里に宿借り春雨に隠りつつむと妹に告げつや(18-4138)
やぶなみのさとにやどかり はるさめにこもりつつむと いもにつげつや
<<藪波の里で宿借りているが,春雨に降りこめられて帰れないと妻に告げてくれましたか>>

ここでの春雨はシトシト降る雨ではなく,結構な嵐だったようです。なかなか帰れないので,妻である坂上大嬢(家持が越中に赴任して4年になり大嬢を呼び寄せていたと考えられます)にその旨を告げてほしいという気持ちを詠んだものだと私は解釈します。
では,家持は誰に対して帰れないことを告げたかを確認しているかというと,使者ではなく,春雨君だろうと私は思います。家持が越中で妻と住む家から20㎞くらいしか離れていないので,妻が居る家でも春雨は降っていて,この強さでは夫はすぐには帰ってこれないだろうという状況が伝わっていてほしい(本当は直接告げたいが)という願いを詠んだものと考えてしまいます。
電話など遠隔とのコミュニケーション手段が無い時代のほうが,お互いを思う気持ちが強かったのかも知れませんね。
今,携帯電話やスマホなどがないと非常に不安になる人がいると聞きます。そういう人は,ある時間ネットから隔離した状態(ネット経由で誰からも告げられないし,告ぐこともできない状態)で,自分の精神をコントロールする訓練をする必要があるのかもしれません。
動きの詞(ことば)シリーズ…告ぐ(3:まとめ)に続く

2013年7月14日日曜日

心が動いた詞(ことば)シリーズ「ゆゆし」

<郡上八幡への訪問>
この前の月曜日から水曜日まで,コンピュータソフトウェアに関する学会のシンポジウムに参加するため,岐阜市に行ってきました。岐阜市は35度以上の猛暑が続いていましたが,会場や宿泊先のホテルで冷房が効いていて快適に過ごせました。
そのシンポジウムは毎年場所を代えて開催されているのですが,私は本当に久しぶりの参加でした。学会の幹事の方や大学の先生方と久しぶり再会できた人も多く,懇親会では初めて名刺を交換した人だけでなく,そういった方々とも楽しくソフトウェア工学の研究動向についてお話ができました。
また,岐阜市に行ったついでに親しい参加者数人と車で郡上八幡を訪れました。
郡上おどりはまだ始まっていませんでしたが,天気に恵まれ,静かな郡上八幡の城下町,清流だけど水量豊かな吉田川,八幡城から眺めた街並みや青々とした山並みは本当に素晴らしいと感じました。






郡上八幡は,食品サンプル(レストランの入り口横に飾ってある料理のイミテーション)の創始者とも称される岩崎瀧三の出身地で,食品サンプルを作る産業が盛んだそうです。郡上八幡で作られた食品サンプルの全国シェアは60%もあるらしく,時間の関係でちら見しかできませんでしたが,街には食品サンプルを売る店やサンプル作成の体験ができる工房もありす。


昼食で食べた郡上八幡城下町エリアのお店の「うな重」は最高でした。ここのウナギはミネラル分豊かな郡上八幡の湧水で何日も過ごしてからさばかれているのかもしれませんね。


天の川 「たびとはん。わいに黙って,自分だけウナギを食べたんか! えろ~,ゆゆしいこっちゃ!」

天の川君,ちょうど今回のテーマの「ゆゆし」を使ってくれてありがとう。素晴らしい連携プレイだね。

天の川 「褒めてごまかしてもアカンで。わいにもウナギ,ウナギや,ちゅうねん!」

<本題>
無視して本題に移りましょう。「ゆゆし」は,天の川君が「うとましい」「いやだ」という意味で言ったように,現在でも「ゆゆしい」として使われています。
しかし,広辞苑には「神聖また不浄なものを触れてはならないものとして強く畏怖する気持ちを表すのが原義」とあります。
万葉集では,当然ですがその原義に近い意味で使われている和歌がでてきます。

かけまくもあやに畏し 言はまくもゆゆしきかも 我が大君皇子の命 万代に見したまはまし 大日本久邇の都は うち靡く春さりぬれば 山辺には花咲きををり 川瀬には鮎子さ走り いや日異に栄ゆる時に およづれのたはこととかも 白栲に舎人よそひて 和束山御輿立たして ひさかたの天知らしぬれ 臥いまろびひづち泣けども 為むすべもなし(3-475)
かけまくもあやにかしこし いはまくもゆゆしきかも わがおほきみみこのみこと よろづよにめしたまはまし おほやまとくにのみやこは うちなびくはるさりぬれば やまへにははなさきををり かはせにはあゆこさばしり いやひけにさかゆるときに およづれのたはこととかも しろたへにとねりよそひて わづかやまみこしたたして ひさかたのあめしらしぬれ こいまろびひづちなけども せむすべもなし
<<言葉をかけるのもたいへん畏れ多く、言ってみるのもはばかれることだが,私が仕へる天子(聖武天皇)の皇子(安積親王)が永遠にお治めなさるべき恭仁の都は,春が來ると山の辺には枝もたわわに花が咲き,川の瀬にはアユの子が走るように泳いでいる。日に日に段々と隆盛していく中、悪い噂の呪いの言葉とも思はれるような評判が聞こえてきた。それは御身に使える舍人達が白い栲の着物に着替えて、和束山をば輿に乗って出発され,天を治めにお登りなされた(お亡くなりになった)ので、舍人達は倒れころげて,絶え間ない涙に濡れて泣いている。何とも仕方がないことだ>>

この長歌は,大伴家持恭仁(くに)京の造営に携わっていた天平16年,聖武(しやうむ)天皇の第二皇子である安積親王(あさかしんわう)が若くして亡くなったことを悼んで詠んだものです。
ここに出てくる「ゆゆしきかも」は「神聖であるからお名前も言ってはいけないほど」といった意味でしょうか。
さて,次は少し違う意味の「ゆゆし」を詠んだ詠み人知らずの女性の短歌です。

朝去にて夕は来ます君ゆゑにゆゆしくも我は嘆きつるかも(12-2893)
あしたいにてゆふへはきます きみゆゑにゆゆしくもわは なげきつるかも
<<朝にお帰りになって,夕方またお見えになるあなた様だから,いらっしゃらない昼は,うとましいほど私は嘆いてしまうことでしょう>>

「あなたとずっといたいのよ」というこの短歌を見た男性は,早めに女性宅に来るようになったでしょうか。
さて,次は高級官僚である中臣東人(なかとみのあづまひと)阿倍女郎(あべのいらつめ)に贈った相聞歌です。

ひとり寝て絶えにし紐をゆゆしみと為むすべ知らに音のみしぞ泣く(4-515)
ひとりねてたえにしひもを ゆゆしみとせむすべしらに ねのみしぞなく
<<ひとりで寢ていたら,あなたが結んでくれた紐が切れた。それは不吉な兆しというけれど,どうすけばよいのか分からず泣くばかりなのです>>

これに対して,阿倍女郎は次のように返歌しています。

我が持てる三相に搓れる糸もちて付けてましもの今ぞ悔しき(4-516)
わがもてるみつあひによれる いともちてつけてましもの いまぞくやしき
<<私が持っている三本に縒った丈夫な糸で紐を縫いつけてあげればよかった。今では悔いています>>

さて,東人が「ゆゆし」といった不吉な前兆を女郎はどう解釈したのでしょうか。
東人さんは,もう二人は別れなければならないので泣いているのか? それとも,何としても別れたくないので泣いているのか? 女郎にとってはそこを見極めなければならいでしょう。
そこで,女郎は返歌では悔いていることを別れとは無関係の紐をつなぐ糸に絞って詠い,相手の反応を見ようとしたのではないかと私は思います。
これに対する東人の返歌は万葉集に残っていないようです。二人はこの相聞をもって別れてしまったのでしょうか。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「なつかし」に続く。

2013年7月6日土曜日

心が動いた詞(ことば)シリーズ「ともし」

気象庁によりますと関東甲信越地方がいつもより早めに梅雨明けをしたとみられるそうです。明日は七夕です。短冊に願いを書いて笹に結び付けた幼いころを思い出します。
このブログも七夕を扱った投稿がいくつかあり,それらの閲覧数はおかげさまで例年以上にうなぎのぼりです。
さて,今回は「ともし」について万葉集を見ていきたいと思います。「ともし」は漢字で「乏し」または「羨し」と書きます。一見,「物足らない」とか「劣っている」という印象を持つ漢字ですが,万葉集に出てくる意味は少し違います。何回か前に経済学の話を書きましたが,まさに稀少性を絵にかいたような言葉で,「珍しくて心が引かれる」という意味です。
実際に万葉集で詠まれているものをみていきましょう。

夕月夜影立ち寄り合ひ天の川漕ぐ舟人を見るが羨しさ(15-3658)
ゆふづくよかげたちよりあひ あまのがはこぐふなびとを みるがともしさ
<<夕月が出ている夜に身を寄せ合って天の川を漕いで渡る舟人を見るのが珍しく羨ましい>>

夕日も見える美しい天の川をふたりだけで舟に乗って,肩を寄せ合って舟を漕ぐのは,本当にロマンチックなんだろうなと作者は感じて詠ったのかもしれませんね。この短歌は天平8(736)年の七夕に,遣新羅使のひとりが詠んだものとされています。
次も七夕詠んだ,柿本人麻呂歌集に出ていたという詠み人知らずの短歌です。

恋ひしくは日長きものを今だにもともしむべしや逢ふべき夜だに(10-2017)
こひしくはけながきものを いまだにもともしむべしや あふべきよだに
<<恋い慕いながら長い日々を過ごしてきたのです。今だけでも貴重な時間を過ごさせてほしいのです。逢うはずのこの夜だけでも>>

「ともし」を貴重な時間の修飾語と訳してみました。
妻問婚はなかなか大変です。気軽に「今晩は」といって妻宅に入れてもらえるものではありません。何度も手紙や使いの者を出してもなかなか許されないことも多かったようです。その間,夫は妻問いが許される日を待ち続けます。それが,年に1回しか逢えない牽牛と織姫の物語とオーバラップしてしまうのは容易に想像できます。そして,ようやく妻問いが許されたら,労いの言葉や癒しの言葉をかけてほしいと願う気持ちはわかる気が私にはします。
次は,妻問を待つ女性側の立場て詠んだ短歌です。

己夫にともしき子らは泊てむ津の荒礒巻きて寝む君待ちかてに(10-2004)
おのづまにともしきこらは はてむつのありそまきてねむ きみまちかてに
<<自分夫となかなか逢えない私は舟泊りして港の荒磯をめぐりながら寝ます。あなたを待ちきれずに>>

「ともし」をなかなか逢えない形容として訳しました。
夫は牽牛,自分は織姫になぞらえています。夫がなかなか逢いに来ないので,私は天の川の港にある舟に乗って,舟を港の周りをくるくるさせながら待ちきれず寝てしまいますよという意味と私は解釈しました。
明日の七夕なのでデートをするカップルが待ち合わせるのは,東京スカイツリーでしょうか? 東京ディズニーリゾートでしょうか? ホークスタウン(福岡)でしょうか? ユニバーサルスタジオジャパン(大阪)でしょうか? 東京ドームシティーアトラクションズでしょうか? 八景島シーパラダイス(横浜)でしょうか?
みなさま,Goodな七夕をお過ごしください。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「ゆゆし」に続く。

2013年6月30日日曜日

心が動いた詞(ことば)シリーズ「すべなし」

明日から7月です。もう少ししたら,今年の大相撲名古屋場所が始まります。先場所(五月場所)では「多くの力士が,横綱白鵬に対し,なすすべもなく敗れた」というような対戦が多かったようです。名古屋場所は白鵬と対戦する力士の奮戦を期待したいものですね。
さて,ここで言う「なすすべもない」は「手の施しようがない」とか「有効な方策がない」といった意味となりそうです。
今回の「すべなし」は,万葉集では,約50首の和歌で出てきます。七夕が近づいている時期なので,七夕歌の中で「すべなし」がどのように使われているが見てみましょう。

たぶてにも投げ越しつべき天の川隔てればかもあまたすべなき(8-1522)
たぶてにもなげこしつべき あまのがはへだてればかも あまたすべなき
<<小石でも投げれば向こう岸に届きそうな天の川だが,川が隔てているため、いろいろ逢う手立を考えるのがすべてだめだなあ>>

この短歌は筑紫山上憶良七夕を詠んだ長歌の反歌2首の内の1首です。相手はすぐ近くに住んでいるようです。しかし,1年1度逢えるかどうか分からない牽牛と織姫以上に逢うのは難しいようです。憶良は遣唐使で中国文化を吸収してきた関係で,日本独特の妻問い婚の面倒くささを,七夕を引き合いに出して暗に批判しているようにも私は感じます。

袖振らば見も交しつべく近けども渡るすべなし秋にしあらねば(8-1525)
そでふらば みもかはしつべく ちかけども わたるすべなし あきにしあらねば
<<袖を振れば,お互い見交わすこともできるほど近いけれども,天の川を渡ることができない。七夕の秋でないので>>

これも憶良が七夕を詠んだ短歌の1首です。本当は毎晩でも逢いたいのに,天の川が邪魔をして,逢えないことを嘆いているようです。

久方の天の川原にぬえ鳥のうら歎げましつすべなきまでに(10-1997)
ひさかたのあまのかはらに ぬえどりのうらなげましつ すべなきまでに
<<天の川の河原にぬえ鳥のように織女は嘆いていていた。何もできないほど>>

この短歌は柿本人麻呂歌集から転載した詠み人知らずの1首です。「ぬえ(鵺)鳥」は「トラツグミ」のことらしいです。トラツグミは夜悲しそうに「ひい~いっ」と鳴く鳥のようです。実際の鳴き声はYouTubeに何件かアップされています。この短歌の作者は,牽牛と逢えない織姫の嘆きの深さを表現する手段として「ぬえ」の鳴き声を引き合いに出すのはなかなかの詠み手だと私は思います。
<テレビ番組での感想>
ところで,昨晩NHKの総合テレビで放送された「NHKスペシャル/シリーズ日本新生"観光革命"がニッポンを変える 」を視聴しました。私はTwitterをやらないので,このブログで少し意見を述べてみます。
日本の多様な文化や自然をもっと海外に紹介し,もっと多くの観光客に海外からきてもらうべきだという番組の意図に私は大いに賛同します。番組に出席した日本各地,海外各国のコメンテータからさまざまな意見が出て,新たな刺激を受けました。
私は多様な日本の文化,慣習,伝統工芸,産業,自然の原点を知るには,やはり万葉集が超一級の資料だと思います。そして,私が更に特筆すべきと考えることは,万葉集に出てくるそれらの原点さえも,実は万葉集の中ですでに多種多様なのです。
<日本人の宗教観>
私の考えでは,日本人は一つのものだけでは長い時間満足できない民族だといってもよいかもしれません。宗教観を例にすると,日本人は一神教のような宗教より,伊勢神宮などが祀る天照大神(あまてらすおほみかみ),各地の天満宮が祀る天神(てんじん:菅原道真のこと),東京都台東区入谷真源寺のような日蓮宗系の寺院に祀られることがある鬼子母神(きしもじん),成田山新勝寺高幡山明王院金剛寺(高幡不動)など真言宗系の寺院に祀られることがある不動明王(ふどうみやうわう),鶴岡八幡宮(鎌倉)石清水八幡宮(京都)など八幡宮で祀られる八幡神(やはたのかみ),東京浅草寺滋賀県石山寺に祀られる観音菩薩(くわんおんぼさつ),東京都豊島区巣鴨にある高岩寺(とげぬき地蔵)や奈良市にある帯解寺などに祀られている地蔵菩薩,各地の稲荷神社で祀られるキツネ信仰などなど,日本人の多くは,それぞれお得意のご利益にあずかろうと,せっせとお参りをします。
さらに札所めぐりや七福神めぐりなどという神社仏閣をハシゴしてめぐるコースも各地にたくさんあります。そのような行動をとる日本人の中には,クリスマスには教会のミサに参加する人もいたりします。
敬虔なキリスト教徒やイスラム教徒の方々から見ると「日本人の宗教観はどうしょうもない(すべない)」と見えるかもしれませんね。
<なぜ日本人は何でも受け入れてしまうのか?>
さて,日本の文化が多様性を持ち,何でも受け入れてしまうように見えるのは,日本が島国でかつ山で囲まれた地方が多く,自分たちだけの地域の特性に合った文化,風習での生活を比較的長い年月続けられ,それらが各地でしっかりと定着できる期間が日本にはあったからだと私は思います。
ところが,ある時突然にどうしても他の地方の文化や外国の文化が急激に入ってこざるを得ない時が訪れます(古墳時代奈良時代室町時代,戦国時代明治時代第二次世界大戦後など)。そんなとき,日本人は多少の摩擦や葛藤の発生を我慢して,異国の文化をそれまでの文化とうまく融合させる努力を惜しまず行う。その結果,より日本文化の多様性が進んむようになったのではないかと私は考えるのです。
<万葉時代は外国文化が洪水のように入ってきた?>
外国の文化などが急激に入ってきた最初の時代が古墳時代・奈良時代で,中国大陸朝鮮半島から仏教儒教,大陸の文化,風習,技能,そして律令制度や国の管理制度が導入され,それまでの日本という国に対して大きな変革が行われた時代だと私は思います。万葉集の和歌はそのような時代背景の中で生まれたのです。変革のデメリットさえも多く詠まれています。
私は,観光客に万葉集を読めとか理解しろといっているわけではありません。そんなことは,短い時間しかない観光客には受け入れられないでしょう。ただ,万葉集に出てくるイベントを再現し,それに参加して,体験してもらうようなツアーなら可能でしょう。
<万葉集に出てくる行事の体験ツアー>
たとえば,万葉集に詠まれた七夕行事を追体験する(参加者の男女が七夕の衣装を着て,川の対岸で手を振り,男性が舟で渡り,男女が手をつないで旅館へ直行),全国各地で万葉集に出てくる「宴(うたげ)」の再現に参加,「行幸(みゆき)」の再現に参加,万葉時代の食べられていたヘルシーな料理を再現し食べる,当時の機織,裁縫,陶芸を再現し実際に体験する,当時の衣装,装飾品,携帯品を再現,貸出し記念撮影する,万葉集に出くる花の名所を整理し,季節ごとのツアー客に紹介するなどが考えられます。
この中には,地方の高齢者でも対応できる(観光客を迎えたり,案内したりできる)ものもあると思います。安定した観光立国ニッポンにするには,世界に類を見ない日本の文化を日本人自身がより知ること,古い日本の情報を安易に否定しないこと,日常生活の中にあるそういったものを大切にすることが重要だと私は思うのですが,どうでしょうか。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「ともし」に続く。

2013年6月22日土曜日

心が動いた詞(ことば)シリーズ「苦し」

「苦し」は,対語シリーズ「苦と楽」で一部紹介していますが,40首も詠まれている「苦し」のほんの少ししか紹介できませんでした。
七夕が近づいている今の季節,万葉集で七夕を詠む短歌の中で「苦し」を使っているものをこのシリーズで紹介します。
まず,前回の投稿でも紹介した湯原王が詠った七夕の短歌です。

彦星の思ひますらむ心より見る我れ苦し夜の更けゆけば(8-1544)
ひこほしのおもひますらむ こころよりみるわれくるし よのふけゆけば
<<彦星の別れを惜しむ心よりも,見まもる私にとってつらい夜が次第に更けていけば(さらに惜しむ心が募る)>>

七夕の夜,妻問いのときの気持ちを詠んだものでしょうか。彦星が織姫に年に一度七夕で逢って,その後(来年の七夕まで逢えない)別れの口惜しさよりも,妻問いが終わって,可愛い妻を見つめている時間が夜が更けるにしたがって少なくなっていく(帰る時間がだんだん迫る)苦しい(苦し)時間の方が,もっと惜しいと湯原王は詠っていると私は感じます。
次は万葉集の編者が柿本朝臣人麻呂歌集から選んだという,妻問いをする男性の複雑な心境を彦星になぞらえ詠んだ,詠み人知らずの短歌です。

彦星は嘆かす妻に言だにも告げにぞ来つる見れば苦しみ(10-2006)
ひこほしはなげかすつまに ことだにもつげにぞきつる みればくるしみ
<<彦星は嘆いている妻に言葉だけ掛けようとやって来るのだ。実際に逢うと(別れが)つらいから>>

自分(彦星)がなかなか来てくれないと嘆いている妻(織姫)を想像すると,逢ってしまうと別れがもっとつらい(苦し)から,妻とは逢わず,「恋しい」という言葉だけ掛けて帰ろうとする自分がいる,そんな心境を妻に贈ったものかもしれません。この短歌を贈られた妻は「そんなことを考えずに逢ってください」ときっと返歌をすることになるのでしょう。妻を焦らし,妻から「逢ってください」と言わせる(思わせる)高度なテクニックというのは考えすぎでしょうか。
次も柿本朝臣人麻呂之歌集から選んだという詠み人知らずの七夕の短歌1首です。

万代に照るべき月も雲隠り苦しきものぞ逢はむと思へど(10-2025)
よろづよにてるべきつきも くもがくりくるしきものぞ あはむとおもへど
<<いついつまでも照るはずの月も雲に隠れてしまって、苦しいことです。逢いたいと思うのに>

前にも書きましたが,万葉時代七夕の夜は妻問いが普段より多く行われる日だったのでないかと私は想像しています。現代で言えばクリスマスイブの夜にデートをするカップルが多いのと同じ感覚かもしれませんね。そんな夜,街灯がない万葉時代,月明かりがあると道に迷わないし,道を踏み外して怪我をして妻問いできないくなるようなことも少なくなります。ところが,月が雲にかくれてしまい,妻問いを待つ妻にとって夫が無事に来てくれるのか心配になり(苦し)この短歌を詠んだのではないかと私は思います。
さて,最後に紹介する「苦し」を詠んだ詠み人知らずの七夕の短歌です。

天の川瀬々に白波高けども直渡り来ぬ待たば苦しみ(10-2085)
あまのがはせぜにしらなみ たかけどもただわたりきぬ またばくるしみ
<<天の川の瀬々の白波は高かったけれど,直に渡ってきたぜ。待つのはお互いにつらいことだからね>>

この男性は,妻の家に妻問いに行くのにいろいろ障害(家族や恋敵などの抵抗)があったのでしょう。
その障害の回避のタイミングを計るのではなく,障害と真正面から戦って,やっつけて来たと妻に誇らしげに詠っている感じが私にはします。
来月7日に恋人とデートを約束している人は,これらの短歌を参考に,何かしゃれた一言を考えてみたらいかがでしょうか。
私には残念ながら来月7日はデートなんていう洒落た予定はありません。翌日から岐阜で開催されるソフトウェア技術に関する学会のシンポジウムに参加し,そこで設置されるソフトウェア保守をテーマとした作業部会で議論するための準備が忙しい七夕となりそうです。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「すべなし」に続く。