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2016年2月21日日曜日

今もあるシリーズ「池(4:まとめ)」…水鳥にとって池は天国!

「池」に関するテーマの最終回は,万葉集から池に集まる鳥について取り上げます。
今は全国各地の池にハクチョウが飛来するシーズンです。新潟県には10箇所以上のハクチョウが飛来する湖沼や池があるようです。関東圏の茨城県でも水戸市にある大塚池を始め,飛来数は新潟県より比較的少ないですが,ハクチョウが飛来する池や沼が複数あるようです。
そのほか,北海道や東北の湖沼や池にもハクチョウが飛来して,貴重な冬の観光資源として訪れる人の目を楽しませていることでしょう。
さて,万葉集で池に来る水鳥についてどんな種類が出てくるでしょうか。まず,池で遊ぶ鴨を詠んだ丹波大女娘子(たにはのおほめのをとめ)の短歌1首です。

鴨鳥の遊ぶこの池に木の葉落ちて浮きたる心我が思はなくに(4-711)
<かもどりのあそぶこのいけに このはおちてうきたるこころ わがおもはなくに>
<<鴨鳥が遊ぶこの池に木の葉が落ちて浮かぶような浮いた心でわたしはあなた慕っているわけではないのです>>

相手に対する強い思いを詠んだ作者には大変失礼ですが,ここでは「鴨」に注目します。
季節は晩秋。飛来した鴨が水に浮かびながら羽をバタバタすると鴨の身体が動き水面に波ができます。それに木の葉が落ちると,水面に浮いた木の葉は揺れ動きます。こんな情景がこの短歌から伝わってきます。
次は,「鳰鳥(にほどり)」(今はカイツブリと呼ぶ鳥)を詠んで,聖武(しやうむ)天皇へ献上したという坂上郎女(さかのうへのいらつめ)の短歌1首です。

鳰鳥の潜く池水心あらば君に我が恋ふる心示さね(4-725)
<にほどりのかづくいけみづ こころあらばきみにあがこふる こころしめさね>
<<にほ鳥の潜る池の水よ,心があるなら私が大君を恋ふる気持ちを伝えてくださいね>>

この池は聖武天皇も好んで見に行くところなのでしょうか。池の水は透き通っていて鳰鳥が潜って何をしているか透けて見える。だから私の心の中も知って,天皇に思いを透かして示してほしい。郎女はそんな気持ちを表現したのだと私は思います。
カイツブリは潜って魚などを捕るのが得意な鳥ですが,当時からそのことは知られていたと考えてもよいでしょうね。
鳥の名はないのですが,鴨でも鳰鳥でもなさそうな鳥を詠んだ詠み人知らずの短歌です。

妹が手を取石の池の波の間ゆ鳥が音異に鳴く秋過ぎぬらし(10-2166)
<いもがてをとろしのいけの なみのまゆとりがねけになく あきすぎぬらし>
<<妻の手を取るという取石の池の波の間を過ぎた鳥の声が急に異様に鳴り響いた。秋が過ぎたようだ>>

異様な鳴き声が秋に渡る前に鳴く鳥となると,夏に日本に来て,冬に南に帰る水鳥を指しているのかもしれません。どんな鳥なのか想像してみるのも面白いですね。
これで「池」をテーマに万葉集を見ていきましたが,「池」に関する和歌だけでも,万葉時代の状況が万葉集からいろいろ分かりました。
日本で見ることができる自然の現象や生き物の生態の中で,万葉時代から認識されていたものを整理し,観光資源として活用することで,海外からくる人々にアピールできるポイントになると私は感じます。
さて,次は,このブログが満7年続き,8年目に入る節目として,スペシャル記事をアップします。
当ブログ8年目突入スペシャル(1)に続く。

2015年4月18日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…尽く,尽くす(3:まとめ) そう,自分の思いは丁寧に丁寧に言わなきゃ伝わらないのだ

「尽く」,「尽くす」の最終回は,「言葉を尽くす」について,万葉集を見ていきましょう。
まず,以前このブログでも紹介した坂上郎女(さかのうへのいらつめ)の代表的な恋の短歌を紹介します。

恋ひ恋ひて逢へる時だにうるはしき言尽してよ長くと思はば(4-661)
<こひこひてあへるときだに うるはしきことつくしてよ ながくとおもはば>
<<恋しい恋しいと思ってきて,ようやく逢えた時くらいは私が喜ぶ言葉をありったけ言い尽くしてくださいな。これからも二人の仲を長く続けようと思ってくださるならね>>

この短歌は,ありったけやさしい言葉を尽くして欲しい郎女の気持ちが強く表れています。
「好きだよ」「愛してる」「もう離さないから」「君は僕のすべてだよ」な~んて,「うるはしき」言葉を何度でも恋人の男性から聞きたいのが時代を超えた女性の心理ですよね。
さあ,世の男性諸君! 頑張って(態度だけでなく)繰り返し何度も口に出して恋しい相手に思いを告げなさい! こんなことをこの短歌は教えてくれているのかも。
次は,万葉集の巻16に出てくる竹取翁(たけとりのをきな)に対して,若い娘多たちが贈った短歌の1首です。

あにもあらじおのが身のから人の子の言も尽さじ我れも寄りなむ(16-3799)
<あにもあらじおのがみのから ひとのこのこともつくさじ われもよりなむ>
<<とはいうものの,私の身は普通の人の子でうまく言葉を尽くして表現できないですが,私もおじいさんが言う和歌の大切さに同感します>>

竹取翁といっても,かぐや姫が登場する竹取物語とは無関係で,80歳を超える老人が,若い娘たちに人の心を動かす和歌の大切さを表現した長歌・反歌2首を贈り,それに感心した娘たちが返歌をしたのです。
当時本当にこんな和歌のやり取りがあったのか,それとも教育的見地から創作されたお話なのか私には分かりません。しかし,万葉集に出てくる和歌の多様性を表すものの一つとして私は評価したいと思います。
さて,今回の最後は馬国人(うまのくにひと)という人物が天平勝宝8年,河内(今の大阪府東大阪市周辺)の自宅での宴にいた大伴家持に送った短歌の1首です。
万葉集で馬国人が詠んだとされる和歌はこの1首のみです。

にほ鳥の息長川は絶えぬとも君に語らむ言尽きめやも(20-4458)
<にほどりのおきながかはは たえぬともきみにかたらむ ことつきめやも>
<<息長川の流れが絶えることはあっても、あなたにお話ししたい言葉が尽きることはありません>>

息長川は滋賀県の伊吹(息吹)山から琵琶湖に注いでいた川であったようです。現在も,滋賀県米原市に「息長」という地名が残っています。
馬国人は,家持が難波で東国から集められた防人を筑紫へ船で送る役人をしていたときに,親交があったのかもしれません。そして,家持が難波での役目を解かれたとき,この宴をセッティングした可能性があると私は考えます。
さて,万葉集は,4500首余りという和歌,そして題詞,左注を通して,膨大な言葉を「尽くして」後世の私たちに何を示そうとしたのか,私の興味はまったく尽きません。
動きの詞(ことば)シリーズ…折る(1)に続く。

2015年2月16日月曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…隠る(5:まとめ) ウグイスの毛の色は姿を隠す保護色?

「隠る」をここまで万葉集でいろいろ見てきましたが,いよいよ今回が最後になります。最後は「隠る」の対象が今まで出てこなかったものを対象とします。
まず,鶯が木末に隠れて鳴いている様子を詠んだ短歌から見ていきましょう。

春されば木末隠りて鴬ぞ鳴きて去ぬなる梅が下枝に(5-827)
<はるさればこぬれがくりて うぐひすぞなきていぬなる うめがしづえに>
<<春になるとこずえに隠れて鶯は鳴き姿が見えなくなるようだ。梅の下枝に>>

この短歌は,天平2(730)年1月13日に大宰府で行われた大伴旅人を主人とした梅見の宴のとき,旅人の家臣であったろう山口若麻呂という参加者の一人が詠んだとされています。
ちなみに,鶯は色は非常に地味です(花札の影響か,鮮やかな緑色のメジロを鶯と勘違いする多いといいます)。鶯の身体の色は,確かに少しだけ緑色は帯びていますが,ほとんど木の肌の色に近いのです。そのため,葉がまだ出ない梅の木の木肌色に近い色(いわゆる保護色)であり,声はするけれど鶯がどこにいるか見つけるのが困難になるのです。この短歌は,そのような情景を詠んだように私には思えます。
さて,次は坂上郎女(さかのうへのいらつめ)が詠んだとされる茶目っ気のある短歌です。

佐保川の岸のつかさの柴な刈りそねありつつも春し来たらば立ち隠るがね(4-529)
<さほがはのきしのつかさの しばなかりそね ありつつもはるしきたらば たちかくるがね>
<<佐保川の岸の小高いところに生えている柴を刈らないでほしいわ。そのままにして春になったなら,その葉陰に隠れて誰にも見られず逢えるから>>

万葉時代の佐保川近辺は,今で言えば高級住宅街です。庶民の住むスラム風の街と違い,人口密度はそれほど高くないのです。そんな閑静な住宅街で,男女が路上で逢ったり,足繁く通っている姿は非常に目立ってしまいます。何とか人に見られない済む場所として,佐保川の岸で堤防のように小高くなっているところに柴(低木の木で落葉樹)が生えていたのでしょう。
住宅から佐保川の流れを見たい人にとっては邪魔なので刈ってしまおうと思う人もいたのでしょうか。そうすると恋人と目立たないで逢える場所が無くなるでしょ,無粋なことは止めてね,といった郎女の思いでしょうね。ただ,たとえそれが刈られてしまっても,またどこか隠れて逢える場所を見つけてみますわよといった郎女の心の強さを私はこの短歌から感じます。
最後は七夕のとき,天の川の渡し舟の櫂を隠してしまうというとんでもない詠み人知らずの短歌です。

我が隠せる楫棹なくて渡り守舟貸さめやもしましはあり待て(10-2088)
<わがかくせるかぢさをなくて わたりもりふねかさめやも しましはありまて>
<<僕が隠したので櫂がない渡り舟だから貸すのはできないよね。もう少し待ってくれるかい>>

年に1度だけしか逢えず,やっと天の川を舟で渡ってきて逢えたけど,逢っていられる時間はあっという間に過ぎる。少しでも長く逢っていたいので,帰るための天の川の渡し舟の櫂を隠してしまった言っているのです。渡し舟の管理人は櫂の無い舟は貸せないから,まだこちらで二人で逢っていられるよねとこの短歌は詠っています。
<罪を犯してはいけません>
ところで,これって犯罪ですよね。他人の所有物を勝手に隠してしまうわけですから。現代用語の「隠す」には,他人の物の場合もそうですが,情報を内証にしておくのも少し悪いことをしているようなイメージを感じる人もいめのかもしれません。でも,そこまでしても少しでも長く逢っていたいのだということを作者はこの短歌で言いたいのです。
こういった表現(罪を犯してまで恋人と逢いたい)に似たようなもので,本当に罪を犯してしまう事件をときどき報道でみることがあります。たとえば,愛人のために何億円も会社の金を横領したとか,恋敵に対して傷害事件を起こしたとかです。
そうなるから罪を犯してもしょうがないような表現は,たとえ文学でもやめるべきだという主張があります。でも,私は賛成できません。そんな主張を受け入れたら「必死で頑張る」という表現も,極端に解釈すると必ず死ぬまでやるわけですから,ダメだという人も出てくることになってしまいます。
<表現の自由は相互の交流から成熟する>
さて,そういった表現の自由に対し,それを受け入れる側の柔軟性や寛容性をどこまで認め合うかは,最近の国際情報道を見ていて,簡単にはいかない非常に難しい面があると感じます。
特に,それまでの規律や道徳に大きな違いがある国間,宗派間,倫理観の間では,許されない表現や映像の範囲に大きな差があることも改めて分かってきたように思います。
しかし,お互いの倫理観や価値観をよく説明し合い(あくまで冷静な話し合いで),共同で何かを行う場合(例:スポーツ,国際会議,視察旅行など),どこまで許容するかの合意を取り,参加者や応援者もその合意を守るよう周知していくしかないと考えます。
大いなる侮辱を受けたから,たとえ民間人であっても暴力や武器で制裁(抹殺)しても構わない(神は許す)し,自分はその制裁行為を実施することで死ぬことがあっても良い(神に召される)という主張があるとするならば,人間尊重の考えからは,その主張はやはり肯定されるべきではないだろうと私は感じます。
当ブログ7年目突入スペシャル‥万葉集が記録したものは何か?

2014年7月28日月曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…踏む(2) 40年ぶりに「山辺の道」を踏み歩く

<真夏の山の辺の道>
一昨日の土曜,猛暑の中,学生時代に歩いたことがある,山辺の道(やまのべのみち。天理市~桜井市たの内,天理~柳本)を歩きました。

実は,その前の金曜日は大阪への出張があり,その日は大阪市内に宿泊しました。翌朝完全な軽装に着替えをして,朝からJRで天理駅に移動し,そこから歩いたのです。
学生時代は確か2月か3月の春のうららかな日和でしたが,今回はペットボトルを離さずに熱中症にならないよう気を付けながらでした。
一緒に大阪主張に行った会社の同僚も一緒に行きたいと言ってくれたので,男二人で汗をかきながらの奮闘でした。
猛暑の中でしたが,懐かしい場所に戻ってきた感を多くの場所で持て,思い出話や歴史の話を同僚としながらの気持ち良い散策でした。
午後は同僚が東京に戻り,私一人奈良に来るとよく利用する奈良駅前の天然温泉浴場のあるビジネスホテルに宿泊しました。
<翌日はミカン農園で摘果して帰路に>
翌日の27日は毎年みかんの木のオーナーになっている明日香村の農園に行き,ミカンの実の摘果(傷ついた実や小さな実を取り去ること)を行い,午後東京に戻りました。
今回奈良で踏みしめた道や地面は,アスファルトやコンクリート,土,砂利,石を敷き詰めた路面,草地,藁をぶ厚く敷き詰めたみかん畑の地面などで,踏みしめ感がいろいろでした。
特に山辺の道で坂が急に場所には,ごつごつした石を敷き詰めいてる場所がありました。ビジネスシューズで同行した同僚には大変な苦労をさせてしまいました。
今回は,前回の巨勢道の短歌でも出てきた石を踏む場面の和歌を見ていきます。

佐保川の小石踏み渡りぬばたまの黒馬来る夜は年にもあらぬか(4-525)
<さほがはのこいしふみわたり ぬばたまのくろまくるよは としにもあらぬか>
<<佐保川の小石を踏みながら川を渡って,黒馬が来る夜は年に一度はくらいはあっていいのではないでしょうか>>

この短歌は,坂上郎女(さかのうへのいらつめ)が藤原麻呂(ふしはらのまろ)に贈った内の1首です。織姫と牽牛でさえ年に1回は逢えるというのにどうしてあなた様(藤原麻呂)はなかなか来てくださらないのですか?という恨み言のように私には思えます。
藤原麻呂と郎女の家の間には佐保川が流れていて,郎女へ家へ妻問するには川を渡ってくる必要があったこと,そして,佐保川には橋が掛かっておらず,川の石を踏んで渡る必要があったことがこの短歌から見えてきます。
さて,これとよく似た詠み人知らずの短歌が巻13に出てきます。

川の瀬の石踏み渡りぬばたまの黒馬来る夜は常にあらぬかも(13-3313)
<かはのせのいしふみわたり ぬばたまのくろまくるよは つねにあらぬかも>
<<川の瀬の石を踏んで渡って黒馬に乗ったあなた様が来る夜は常にあってほしいのです>>

実はこの短歌は長歌の反歌なのです。
直前の長歌では,泊瀬の国の天皇が作者の女性の相手だということが詠まれています。長歌では,親に知れると困るので妻問に来てくださるのは止めてほしいという内容ですが,短歌では全く逆のこと(いつも来てね)を詠っています。
さて,泊瀬の国の天皇といえば,すぐに思い浮かぶのが雄略天皇ということになります。
しかし,どう考えてもこの長短歌が雄略天皇が生きていた時に,雄略天皇に対して詠まれたとは考えにくいと私は感じます。
それよりも「女の恋心は複雑なのよ。たとえ相手がすごい天皇であっても,大好きでも,いろいろ気になって素直になれないの」といった奈良時代に巷で流行っていた歌謡ではないかと私は想像します。
最初に紹介した坂上郎女の短歌もその歌謡をパロディーしたか,逆に歌謡の作者が坂上郎女の短歌を真似たのかのどちらかが興味深いところです。
私は坂上郎女の和歌が当時一般に公開されたり,出版されたりする可能性が少ないと考えると,前者(郎女が後からまねて作歌)の可能性が高いと考えています。
さて,最後は石の多い道は馬に乗って移動するのが,万葉時代あこがれの手段だったことを思わせる詠み人知らずの短歌です。

馬買はば妹徒歩ならむよしゑやし石は踏むとも我はふたり行かむ(13-3317)
<うまかはばいもかちならむ よしゑやしいしはふむとも わはふたりゆかむ>
<<馬を買うと,おまえだけが歩くことになる。石を踏んで苦労は多くとも,僕はおまえと二人で歩いて行くよ>>

夫婦愛の理想を詠ったような短歌ですね。
欲しいもの(当時の馬を今に例えれば,一人乗りのモトクロスモーターバイク)を我慢してでも一緒に同じ方向,同じスピードで暮らしていくのが理想の夫婦なのかもしれません。
ただ,今は価値観やそれまで得てきた情報の多様化・偏重によって,相手の気持ちを理解して,お互いが納得する我慢の度合いを見つけあうのが難しい時代になってきているような気がします。
動きの詞(ことば)シリーズ…踏む(3)に続く。

2014年6月14日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…焼く(3:まとめ)  胸が焼き焦げるほど一緒に暮らしたいよ~

<秋田訪問報告>
9日~11日の秋田出張では,ナマハゲがいろんなところで出迎えてくれました。


秋田の地酒や美味しいもの(刺身,ハタハタ塩焼き,ブリコ,生ガキ,稲庭うどん,いぶりがっこ,きりたんぽ,比内地鶏の親子丼やつくね,ババヘラ,などなど)を堪能できました。





また,少し時間の調整ができたので,大仙市角間川町を訪問しました。突然の訪問にも関わらず,非常に手厚く対応頂いたのを見て,秋田の人々の人情の厚さに触れることもできました。





新幹線の帰りの日の朝には,夕方帰る私には特に影響はありませんが,田沢湖線で新幹線がクマをはねたというニュースが入りました。やはり旅では非日常的なニュースに遭遇し,楽しいものです。
<「焼く」の最終回>
さて,「焼く」の最後の回となりました。占いのために骨を焼いて,その割れ具合で吉兆を占ったという風習があったことを示す長歌から見ていきます。この長歌は,遣新羅使の六人部鯖麻呂(むとべのさばまろ)が同行の雪宅麻呂(ゆきのやかまろ)の死を悼んで詠んだ中の1首です。

わたつみの畏き道を 安けくもなく悩み来て 今だにも喪なく行かむと 壱岐の海人のほつての占部を 肩焼きて行かむとするに 夢のごと道の空路に 別れする君(15-3694)
<わたつみのかしこきみちを やすけくもなくなやみきて いまだにももなくゆかむと ゆきのあまのほつてのうらへを かたやきてゆかむとするに いめのごとみちのそらぢに わかれするきみ>
<<海神がいる恐ろしい道を安らかな思いもなく,つらい思いで来て,今からは禍なく行こうと壱岐の海人部の名高い占いで肩骨を焼いて進もうとする矢先,夢のように空へ旅立つ別れをする君よ>>

旅の安全を占うために,鹿の肩骨を焼き,吉凶を占う有名な占い師が壱岐の海人(漁師というより水先案内人のような人たち?)の中にいたようです。ただ,その占いは吉と出たが,同行の雪宅麻呂が何の病気なのか分かりませんが突然逝ってしまったのです。それを悼んで3人が挽歌を詠んでいます。鯖麻呂はその一人です。
次は同じく,占いで肩骨を焼くことを詠んだ東歌(詠み人知らずの短歌)です。

武蔵野に占部肩焼きまさでにも告らぬ君が名占に出にけり(14-3374)
<むざしのにうらへかたやき まさでにものらぬきみがな うらにでにけり>
<<武蔵野で鹿の肩骨を焼いて占ってもらったら,どこにもまったく打ちあけていないのに,あなた様を恋い慕っていることが占いの結果に出てしまいました>>

この短歌は昨年5月5日のブログでも取り上げています。女性作のようですが,なかなか優れた表現の短歌ではないかと私は思います。自分が相手の男性を恋い慕っていて,他の男性には目もくれず,一筋であること。それを占いの結果として伝えることで,相手にさりげなく(変なプレッシャーを与えることなく)分かってもらうようにしている点を私は評価します。もしかしたら,東国とはいえ,けっこう教養の高い家の娘で,母親などが和歌を詠む方法を指南したかもしれませんね。
「焼く」の最後として「胸を焼く」という表現を見ます。
次は大伴家持が後に自身の正妻になる坂上大嬢に贈った短歌です。

夜のほどろ出でつつ来らくたび数多くなれば我が胸断ち焼くごとし(4-755)
<よのほどろいでつつくらく たびまねくなればあがむね たちやくごとし>
<<夜明けに君の家から帰ることがたび重なり,僕の胸はもう切り裂かれて焼かれるようだ>>

家持はこのころ(20歳代半ば)には大嬢と一緒に暮らしたいと心から思っていたように私には思えます。今の結婚観では夫婦が一緒に暮らすのは当たり前です。しかし,万葉時代の上流階級の結婚観は妻問婚が一般的のようでしたから,一緒に暮らすことは簡単ではありませんでした。
当時夫婦が一生添い遂げるといったことは必須ではなく,同居していない夫が子供の育児にかかわることもほとんどなかったようです。
また,家持は京から離れた場所への赴任が多いため,さらに一緒に暮らすことや妻問を定期的にすること自体が難しくなります。父の大伴旅人が赴任先の大宰府に妻を呼んだように,妻との同居や叔母の坂上郎女(さかのうへのいらつめ)の積極的な男性へのアプローチなどを見て,妻問婚ではなく,夫婦が一緒に暮らすことに家持はあまり抵抗はなかったのかもしれません。夫婦がお互いの愛を確かめるうえで,また自分の子ともを愛するうえで,必要な行為だと家持は年を重ね考えるようになったのでは?と私は感じます。
最近,私自身は,それぞれいろいろな事情があるにせよ,夫婦や子供を含めた家族が一緒に暮らすことのメリットをもっと評価し,一緒に暮らすためにお互いが(公平に)自制し合うことに,大きな価値を多くの人がもっと感じてほしいと,万葉集を愛している影響なのか,そう願うことが多くなっています。
動きの詞(ことば)シリーズ…引く(1)に続く。

2014年1月26日日曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…知る(3) そんなもん,知らんがな!

<情報は知れば知るほどもっと欲しくなる?>
情報の価値に対する重要性がますます高くなっている現代,各種手続き方法,欲しいものやサービスを安く手に入れる方法,重要なイベントの挨拶の仕方,さまざまなマナーについてなど「知っていればこんなに苦労したり,損しした気持ちになることはなかったのに」と思うことが少なくないのではないでしょうか。
また,さまざまな情報が溢れている現代では,どれが正しい情報なのか,自分にとって有益な情報なのかを判断する方法(それも情報)を知っておくことの大切さもますます高くなっているような気がします。
さらに,自分にとって知りたくない情報を知らされてしまう,知ってはいけない情報を知ってしまう,無関係な情報を大量に押し付けられるといった,知ることや知らされることがいつも良いこととは限らないケースに遭遇することも増えている時代かも知れません。
<万葉時代では?>
万葉時代は現代に比べれば情報の絶対量ははるかに少なかったと考えられます。しかし,それまでの時代に比べ,制度,技術,文化,習慣,宗教,思想などの情報が中国や朝鮮半島から大量に入ってきて,それらを知り,消化し,自分のものにすることが求められた時代だと私は想像します。
また,海外からインプットされた情報から当時の日本に制度,技術,文化,宗教などを融合したり,それぞれを組合わせた新たな情報が大量に生まれてきた時代でもあったかもしれません。
万葉集には「知らないので」「知ることができず」「知っていれば」「知りようもなく」といった表現で,知らない,分からない,経験しことがない,想像できないといったことの残念さ,無念さ,諦めを表現したものが多く出てきます。
次は,額田王(ぬかだのおほきみ)が天智(てんぢ)天皇が崩御したのことを悲嘆して詠んだ短歌です。

かからむとかねて知りせば大御船泊てし泊りに標結はましを(2-151)
<かからむとかねてしりせば おほみふねはてしとまりに しめゆはましを>
<<こうなると前から知っているのでしたら天皇がお乗りになる大御舟の泊まっている港に標を張り廻らせましたものを(あの世に旅立たれないようにするために)>>

この短歌から,額田王が天智天皇との関係の強さや深さを私は感じます。
次は,柿本人麻呂が近江(天智天皇がかつて京を置いた場所)から奈良に向かった際に詠んだとされる有名な短歌です。

もののふの八十宇治川の網代木にいさよふ波のゆくへ知らずも(3-264)
<もののふのやそうぢかはの あじろきにいさよふなみの ゆくへしらずも>
<<宇治川にたてられた網代木のあちこちでてきる波の行き先は予測できないなあ>>

あえて直訳をしてみました。世の無常を詠んだのか,短命の近江京を果無んだのか,壬申の乱などで多くの戦士が亡くなったことを弔ったのか,それとも...。
一見分かりやすそうであるけど解釈はいろいろできそうです。ただ,万葉集の中でも覚えやすい短歌の一つであることは間違いなさそうですね。
さて,次は天の香具山の近くに住んでいる人と思われる詠み人知らずの短歌です。

いにしへのことは知らぬを我れ見ても久しくなりぬ天の香具山(7-1096)
<いにしへのことはしらぬを われみてもひさしくなりぬ あめのかぐやま>
<<昔の謂れは知らないが,私が眺めるようになって年数がたってしまったなあ,天の香久山は>>

この作者は,天の香具山が古事記や日本書紀に出てくる神話上の物語があることは恐らく知っていたと思われますが,その詳しい内容については知らない(興味が無い)のだと思います。
平城京になって,飛鳥地方は古墳などたくさんあっても,単なる郊外の静かな農村になってしまったと私は想像します。この作者が飛鳥地方を統括する官吏だとすると,この地に長く住み,すっかり暮らしにも慣れ,この地が神話の宝庫であるとか,かつてどんな京があったかはもうどうでもよいという気持ちで詠んだと言えないでしょうか。
最後は坂上郎女が大伴家持が越中国主として赴任するため,旅たちの別れを惜しんだ短歌です。

道の中国つみ神は旅行きもし知らぬ君を恵みたまはな(17-3930)
<みちのなかくにつみかみは たびゆきもししらぬきみを めぐみたまはな>
<<越中の国の神様には,越中への旅の行き方もよく知らない家持様の無事をどうかお恵みください>>

家持にとっては,役人になってから初めての遠い地方の赴任であり,坂上郎女にとっては気が気ではなかったのでしょう。
不安とは初めてのこと,情報が極端に少ないことから人に襲い掛かってくるものだろうと私は思います。その不安を取り除くため「知る」ことの大切さを当時の和歌からも学ぶことができるのではないかと私は感じます。
次回は「知る」の最終回として,その他の「知る」を詠んだ万葉集の和歌を見ていくことにします。
動きの詞(ことば)シリーズ…知る(4:まとめ)に続く。

2014年1月13日月曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…知る(1) 知られたくない。でも,知ってほしい!

「動きの詞(ことば)シリーズ」第1段は,2010年2月から2011年7月まで投稿を続けました。その時取り上げなかった万葉集に比較的多く出てくる動詞について,同シリーズの第2段としてしばらくお送りします。第2段の最初は「知る」について,何回かに分け万葉集を見ていきたいと思います。
<万葉時代の律令制>
万葉時代は,律令制の導入によって,力(武力)によって社会の秩序を保つのではなく,法を守ることによって社会の秩序を守る制度が浸透し始めた時代ではないかと私は感じます。
ところが,当時の法律は漢文で書かれていましたから,必ずしも庶民を含めた国民全員が一気に法律で決められたこと,守らなければならないことを知っていたわけでも,理解できていたわけでもないと思います。物事をスムーズに進めるためには,法律及び法律を施行する仕組み(行政)について,知っておく必要があったのですが。
<律令制が浸透するまで>
逆に,法律の意味を十分知り(理解し),行政側の施策を先読みし,その受け皿を他に先駆けて用意しておけば,合法的に富を得られることになります。その情報をいち早く知るため,官僚に取入り,情報を先に知っておくことの重要性も高くなっていったと思われます。
法律を知らないとせっかく努力したことが,法に違反をしていて,受け付けられなかったり,場合によっては罪になり,刑罰を受ける事態にもなったのです。
いつの時代もそうですが,いわゆる犯罪者と呼ばれる者たちは,人に知られないように法を犯した悪事をはたらき,不法に金品を取得する(盗むことなど)ことをする場合も出てきます。
<いつの時代でも不法行為は無くならない>
複数の人間(仲間)がその不法行為を行う場合,その行為が法律の番人に知られない(バレない)ように,その行為自体をたとえ家族や世話になった人であっても秘密にします。
不法行為が知れてしまうと,どれほど重い刑罰を受けることも知っていたからでしょう。
このように,律令制により「知っている」「知らない」「知らせない(秘密にする)」「知らせる(公表する)」ことが,それまでの部族(豪族)内や部族間の力の支配による時代と比べて非常に大きな意味を持つようになったのではないかと私は考えます。
さらに,万葉時代はさまざまな品物や農産物を作る技術も発達し,生産技術や知識を知って,使えるようになることで,自身の生活を安定させることができるようになった時代ともいえそうです。
<「知る」ことの重要性>
極めつけは,人の気持ち,考え,行動予定を正確に知ることが,恋,仕事,親子などにおける人間関係を円滑に進めるうえで大切だということもわかってきた時代だったのかもしれません。
そのため,万葉集ではさまざまなシーンで「知る」を使った和歌が270首以上も出てきます。
どんなシーンで詠まれているか見ていきましょう。

思ふ人来むと知りせば八重葎覆へる庭に玉敷かましを(11-2824)
<おもふひとこむとしりせば やへむぐらおほへるにはに たましかましを>
<<あなたが来られると知っていたら八重葎に覆われた庭に玉砂利を敷いておきましたのに>>

何の前触れもなく,妻問に来た夫に対して,妻(詠み人知らず)が詠んだのでしょう。事前に連絡が欲しいということです。当たり前ですね。一緒に暮らしていても「何時に帰る」くらい奥さん伝えておかないと,家に入れてもらえない,夕飯にありつけないこともあるくらいです(私の経験ではありませんが)。事前に「知らせる」ということが,訪問する際のマナーなのだと,この短歌は教えているように私は感じます。
次は,二人の恋を他人に知られてしまったことを詠った,これも詠み人知らずの短歌です。

山川の瀧にまされる恋すとぞ人知りにける間なくし思へば(12-3016)
<やまがはのたきにまされる こひすとぞひとしりにける まなくしおもへば>
<<あいつは山にある滝の急流に勝るような大恋愛をしているぞと他の人に知られてしまった。いつもいつも君のことを思っているからか>>

恋愛関係を知られると何かと恋路の邪魔をしたり,干渉する人が出てくることもあります。しかし,誰にも知られずに逢える場所も少ない当時だろうと想像できますから,他人に知られずに相手には恋しい自分の気持ちをどう伝え,その気持ちを相手に知ってもらい,確認し合うことができるのか。それが大きな問題です。
<機密情報の扱い>
今の世の中,たとえば秘密情報保護に関する法律も同じような問題を抱えているのかも知れませんね。重要な秘密情報は他国や自国内でも極端に不安に思うような人には知られたくないが,自国の関係者の間では適切な対応をするため正確な情報を共有しなければならない。そのためには,情報の発信源を確認したり,裏付けをとったりする必要があるけど,その確認作業自体,情報が関係者以外に漏れるリスクが高くなります。
<恋人同士も同じ?>
秘密にしておきたい(無関係な人に知られたくない)ことと,恋人同士や関係機関内の人の間では絶対誤解が無いように正確な気持ちや情報を共有し合って(知って)おかなければならないことの二律背反は同様に悩ましい話かもしれません。
さて,次は無駄なことだと知ってはいても,相手を恋する気持ちは止められないことを詠んだ坂上郎女の短歌です。

思へども験もなしと知るものを何かここだく我が恋ひわたる(4-658)
<おもへどもしるしもなしとしるものを なにかここだくあがこひわたる>
<<いくら思っても実を結ばない恋だと知っているのに,どうして私は恋し続けてしまうのだろう>>

当時の厳格な階級制度,一夫多妻制,妻問婚が是とされる世の中でも,「未亡人であっても,身分や家柄が違っても,大好きな人に自分から恋して何が悪いの?」といった郎女の熱い気持ちの表れでしょうか。郎女には男性を中心とする律令制下の法律,しきたり,倫理観などを知っていても,恋愛については受け入れることはできなかったのかも知れません。
今回は恋愛のシーンを中心に「知る」を見てみました。次回は,「知らす(治める)」について見ていきたいと考えています。
動きの詞(ことば)シリーズ…知る(2)に続く。