「隠る」をここまで万葉集でいろいろ見てきましたが,いよいよ今回が最後になります。最後は「隠る」の対象が今まで出てこなかったものを対象とします。
まず,鶯が木末に隠れて鳴いている様子を詠んだ短歌から見ていきましょう。
春されば木末隠りて鴬ぞ鳴きて去ぬなる梅が下枝に(5-827)
<はるさればこぬれがくりて うぐひすぞなきていぬなる うめがしづえに>
<<春になるとこずえに隠れて鶯は鳴き姿が見えなくなるようだ。梅の下枝に>>
この短歌は,天平2(730)年1月13日に大宰府で行われた大伴旅人を主人とした梅見の宴のとき,旅人の家臣であったろう山口若麻呂という参加者の一人が詠んだとされています。
ちなみに,鶯は色は非常に地味です(花札の影響か,鮮やかな緑色のメジロを鶯と勘違いする多いといいます)。鶯の身体の色は,確かに少しだけ緑色は帯びていますが,ほとんど木の肌の色に近いのです。そのため,葉がまだ出ない梅の木の木肌色に近い色(いわゆる保護色)であり,声はするけれど鶯がどこにいるか見つけるのが困難になるのです。この短歌は,そのような情景を詠んだように私には思えます。
さて,次は坂上郎女(さかのうへのいらつめ)が詠んだとされる茶目っ気のある短歌です。
佐保川の岸のつかさの柴な刈りそねありつつも春し来たらば立ち隠るがね(4-529)
<さほがはのきしのつかさの しばなかりそね ありつつもはるしきたらば たちかくるがね>
<<佐保川の岸の小高いところに生えている柴を刈らないでほしいわ。そのままにして春になったなら,その葉陰に隠れて誰にも見られず逢えるから>>
万葉時代の佐保川近辺は,今で言えば高級住宅街です。庶民の住むスラム風の街と違い,人口密度はそれほど高くないのです。そんな閑静な住宅街で,男女が路上で逢ったり,足繁く通っている姿は非常に目立ってしまいます。何とか人に見られない済む場所として,佐保川の岸で堤防のように小高くなっているところに柴(低木の木で落葉樹)が生えていたのでしょう。
住宅から佐保川の流れを見たい人にとっては邪魔なので刈ってしまおうと思う人もいたのでしょうか。そうすると恋人と目立たないで逢える場所が無くなるでしょ,無粋なことは止めてね,といった郎女の思いでしょうね。ただ,たとえそれが刈られてしまっても,またどこか隠れて逢える場所を見つけてみますわよといった郎女の心の強さを私はこの短歌から感じます。
最後は七夕のとき,天の川の渡し舟の櫂を隠してしまうというとんでもない詠み人知らずの短歌です。
我が隠せる楫棹なくて渡り守舟貸さめやもしましはあり待て(10-2088)
<わがかくせるかぢさをなくて わたりもりふねかさめやも しましはありまて>
<<僕が隠したので櫂がない渡り舟だから貸すのはできないよね。もう少し待ってくれるかい>>
年に1度だけしか逢えず,やっと天の川を舟で渡ってきて逢えたけど,逢っていられる時間はあっという間に過ぎる。少しでも長く逢っていたいので,帰るための天の川の渡し舟の櫂を隠してしまった言っているのです。渡し舟の管理人は櫂の無い舟は貸せないから,まだこちらで二人で逢っていられるよねとこの短歌は詠っています。
<罪を犯してはいけません>
ところで,これって犯罪ですよね。他人の所有物を勝手に隠してしまうわけですから。現代用語の「隠す」には,他人の物の場合もそうですが,情報を内証にしておくのも少し悪いことをしているようなイメージを感じる人もいめのかもしれません。でも,そこまでしても少しでも長く逢っていたいのだということを作者はこの短歌で言いたいのです。
こういった表現(罪を犯してまで恋人と逢いたい)に似たようなもので,本当に罪を犯してしまう事件をときどき報道でみることがあります。たとえば,愛人のために何億円も会社の金を横領したとか,恋敵に対して傷害事件を起こしたとかです。
そうなるから罪を犯してもしょうがないような表現は,たとえ文学でもやめるべきだという主張があります。でも,私は賛成できません。そんな主張を受け入れたら「必死で頑張る」という表現も,極端に解釈すると必ず死ぬまでやるわけですから,ダメだという人も出てくることになってしまいます。
<表現の自由は相互の交流から成熟する>
さて,そういった表現の自由に対し,それを受け入れる側の柔軟性や寛容性をどこまで認め合うかは,最近の国際情報道を見ていて,簡単にはいかない非常に難しい面があると感じます。
特に,それまでの規律や道徳に大きな違いがある国間,宗派間,倫理観の間では,許されない表現や映像の範囲に大きな差があることも改めて分かってきたように思います。
しかし,お互いの倫理観や価値観をよく説明し合い(あくまで冷静な話し合いで),共同で何かを行う場合(例:スポーツ,国際会議,視察旅行など),どこまで許容するかの合意を取り,参加者や応援者もその合意を守るよう周知していくしかないと考えます。
大いなる侮辱を受けたから,たとえ民間人であっても暴力や武器で制裁(抹殺)しても構わない(神は許す)し,自分はその制裁行為を実施することで死ぬことがあっても良い(神に召される)という主張があるとするならば,人間尊重の考えからは,その主張はやはり肯定されるべきではないだろうと私は感じます。
当ブログ7年目突入スペシャル‥万葉集が記録したものは何か?
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