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2016年2月21日日曜日

今もあるシリーズ「池(4:まとめ)」…水鳥にとって池は天国!

「池」に関するテーマの最終回は,万葉集から池に集まる鳥について取り上げます。
今は全国各地の池にハクチョウが飛来するシーズンです。新潟県には10箇所以上のハクチョウが飛来する湖沼や池があるようです。関東圏の茨城県でも水戸市にある大塚池を始め,飛来数は新潟県より比較的少ないですが,ハクチョウが飛来する池や沼が複数あるようです。
そのほか,北海道や東北の湖沼や池にもハクチョウが飛来して,貴重な冬の観光資源として訪れる人の目を楽しませていることでしょう。
さて,万葉集で池に来る水鳥についてどんな種類が出てくるでしょうか。まず,池で遊ぶ鴨を詠んだ丹波大女娘子(たにはのおほめのをとめ)の短歌1首です。

鴨鳥の遊ぶこの池に木の葉落ちて浮きたる心我が思はなくに(4-711)
<かもどりのあそぶこのいけに このはおちてうきたるこころ わがおもはなくに>
<<鴨鳥が遊ぶこの池に木の葉が落ちて浮かぶような浮いた心でわたしはあなた慕っているわけではないのです>>

相手に対する強い思いを詠んだ作者には大変失礼ですが,ここでは「鴨」に注目します。
季節は晩秋。飛来した鴨が水に浮かびながら羽をバタバタすると鴨の身体が動き水面に波ができます。それに木の葉が落ちると,水面に浮いた木の葉は揺れ動きます。こんな情景がこの短歌から伝わってきます。
次は,「鳰鳥(にほどり)」(今はカイツブリと呼ぶ鳥)を詠んで,聖武(しやうむ)天皇へ献上したという坂上郎女(さかのうへのいらつめ)の短歌1首です。

鳰鳥の潜く池水心あらば君に我が恋ふる心示さね(4-725)
<にほどりのかづくいけみづ こころあらばきみにあがこふる こころしめさね>
<<にほ鳥の潜る池の水よ,心があるなら私が大君を恋ふる気持ちを伝えてくださいね>>

この池は聖武天皇も好んで見に行くところなのでしょうか。池の水は透き通っていて鳰鳥が潜って何をしているか透けて見える。だから私の心の中も知って,天皇に思いを透かして示してほしい。郎女はそんな気持ちを表現したのだと私は思います。
カイツブリは潜って魚などを捕るのが得意な鳥ですが,当時からそのことは知られていたと考えてもよいでしょうね。
鳥の名はないのですが,鴨でも鳰鳥でもなさそうな鳥を詠んだ詠み人知らずの短歌です。

妹が手を取石の池の波の間ゆ鳥が音異に鳴く秋過ぎぬらし(10-2166)
<いもがてをとろしのいけの なみのまゆとりがねけになく あきすぎぬらし>
<<妻の手を取るという取石の池の波の間を過ぎた鳥の声が急に異様に鳴り響いた。秋が過ぎたようだ>>

異様な鳴き声が秋に渡る前に鳴く鳥となると,夏に日本に来て,冬に南に帰る水鳥を指しているのかもしれません。どんな鳥なのか想像してみるのも面白いですね。
これで「池」をテーマに万葉集を見ていきましたが,「池」に関する和歌だけでも,万葉時代の状況が万葉集からいろいろ分かりました。
日本で見ることができる自然の現象や生き物の生態の中で,万葉時代から認識されていたものを整理し,観光資源として活用することで,海外からくる人々にアピールできるポイントになると私は感じます。
さて,次は,このブログが満7年続き,8年目に入る節目として,スペシャル記事をアップします。
当ブログ8年目突入スペシャル(1)に続く。

2016年2月14日日曜日

今もあるシリーズ「池(3)」…池の中で生きている植物はどうだ?

「池」の3回目は池の水に生えている植物(水生植物など)を万葉集で見ていきます。
万葉時代に池が多く作られたり,自然の池が憩いの場として注目されるようになってきたためか,池の周りに生えているまたは植えられた植物だけでなく,池の水生植物についても万葉集で詠まれた和歌が出てきます。
たとえば,山部赤人が奈良で詠んだとされる次の短歌です。

いにしへの古き堤は年深み池の渚に水草生ひにけり(3-378)
<いにしへのふるきつつみは としふかみいけのなぎさに みくさおひにけり>
<<昔からあるの古い堤は幾年も経て,池の渚に水草が生えていた>>

この短歌の題詞には「山部宿祢赤人詠故太上大臣藤原家之山池歌一首」とあるとのことです。
この題詞,亡くなった太政大臣の藤原家の庭園に造られた築山の池についての歌という意味でしょうか。
太政大臣とは持統天皇時代から頭角を現した藤原不比等(ふぢはらのふひと)のようです。
赤人は「藤原家の歴史を感じる」といいたかったのか,それとも「手入れがされていない」といいたかったのか私の想像力では確定ができません。
いずれにしても,水草がどんな種類で,どんな感じで繁茂していたか知たくなる短歌です。
次は,柿本朝臣人麻呂歌集から転載したという池に生息する菱について詠んだ短歌です。

君がため浮沼の池の菱摘むと我が染めし袖濡れにけるかも(7-1249)
<きみがためうきぬのいけの ひしつむとわがそめしそで ぬれにけるかも>
<<君のために浮沼の池の菱を摘んだので,私の染めた袖を濡らしてしまいました>>

菱の実を茹でるか蒸したものは,万葉時代から健康食として食べられていたようです。
「浮沼の池」は島根県大田市にある池との説が有力のようで,そこに旅で訪れたとき,残してきた妻に贈ろうと菱の実を採ろうとしたのでしょう。
そうしたら,私のきれいに染めてある(染めてくれたのは妻)袖が濡れてしまった。
その結果,ますます妻のことが恋しくなったという思いを詠んだ短歌だと私は思います。
ところで,菱形は菱の葉か実の形から名付けられたとといいます。
また,三菱グループのロゴマークは白い菱形が三つで,長い方の1点が同じ位置にあり,それぞれ三方(上,左下,右下)に広がった形をしています。
他の大きな企業グループのロゴマークがある程度の年数が立つと変えられるのに対して,三菱グループのロゴマークがずっと変わらないのは正直すごいことだなと私は感心しています。
ところで,3月のひな祭りには菱餅がひな壇に飾られますが,菱形をした餅なので菱餅と呼ばれるようになったのでしょう。
次は,皆さんが池でよく見るものとして「蓮」を詠んだ女性(詠み人知らず)の長歌です。

み佩かしを剣の池の 蓮葉に溜まれる水の ゆくへなみ我がする時に 逢ふべしと逢ひたる君を な寐ねそと母聞こせども 我が心清隅の池の 池の底我れは忘れじ 直に逢ふまでに(13-3289)
<みはかしをつるぎのいけの はちすばにたまれるみづの ゆくへなみわがするときに あふべしとあひたるきみを ないねそとははきこせども あがこころきよすみのいけの いけのそこわれはわすれじ ただにあふまでに>
<<剣の池の蓮の葉に溜まっている水がころころとどちらこぼれるか予測できないように,私がどうすれば迷っていると「逢いなさい」と神のお告げがあったの。でも,お母さんは彼に体を許しちゃだめだっていうから,私の心は清隅の池の池の底に沈んだよう。でも,あなたのこと絶対忘れない。本当に逢えるまでは>>

なかなか,具体的な表現の相聞歌ですね。
池に蓮の葉が立派に現れるのは夏です。夏が終わるころに妻問が活発になります。それを待つ女性の気持ちでしょう,この長歌は。
最後は池に生える「菅(すげ)」を詠んだ詠み人知らずの短歌です。

真野の池の小菅を笠に縫はずして人の遠名を立つべきものか(11-2772)
<まののいけのこすげをかさに ぬはずしてひとのとほなを たつべきものか>
<<真野の池に生える小菅を笠に縫わないのに(契りもしていないのに),世間の人は二人の浮き名を立てるものだ>>

菅は湿地,池,湖沼,川沿いの浅い場所など水が多い場所を好んで生育するようです。
ここで出てくる「真野の池」には,たくさんの菅が生えていたのでしょう。
その菅の小さいのを使って笠を編んで送り合うような深い関係にまだなっていないのに,世間の人はいろいろあらぬことを噂して,二人が愛を深め行くプロセスの邪魔をしていることを嘆いた短歌のような気がします。
このように池に生える植物も多様なものが万葉集に出てきて,当時の人が池に対する見方の多様性が改めて確認できたかもしれません。
今もあるシリーズ「池(4:まとめ)」に続く。

2016年2月8日月曜日

今もあるシリーズ「池(2)」…池のほとりに植えられた木は訪問者に安らぎを与える?

「池」の2回目は,池の周りに植えられていた植物について,見てみましょう。
当時,庭に掘った池やため池の周りには,植物を植えていたことが,万葉集から分かります。
さっそくその例を紹介します。まず,天平宝字2(758)年2月中臣清麻呂(なかとみのきよまろ)邸の宴で甘南備伊香(かむなびのいかご)が詠んだとされる池の周りの馬酔木からです。

礒影の見ゆる池水照るまでに咲ける馬酔木の散らまく惜しも(20-4513)
<いそかげのみゆるいけみづ てるまでにさけるあしびの ちらまくをしも>
<<磯影の映っている池の水面を照らすように咲いている馬酔木の花が散ってしまうのは惜しいですね>>

清麻呂邸の庭園の池の傍に植えられた馬酔木の白い可憐な花が満開で見事だったのでしょうね。
この前の短歌でも大伴家持が同様にその馬酔木を賛美して詠っています。
さて,次は池の傍に柳を植えることを詠んだ東歌です。

小山田の池の堤にさす柳成りも成らずも汝と二人はも(14-3492)
<をやまだのいけのつつみに さすやなぎなりもならずも なとふたりはも>
<<小山田の池の堤に挿し木した柳の小枝が,根を張り成長するかどうかのように,この恋が成るか成らないかはあなたと私のふたりが決めることですね>>

当時,柳も挿し木で増やすことが可能であることを知っており,池の堤に植えられた柳は挿し木で植えられた可能性を示唆する短歌だと私は思います。
それから,この恋人同士が挿した柳が育っていって,二人が結婚し,子供ができ,その子共たちに「この木がお父さんとお母さんが出逢ったときに植えた柳の木なんだよ」なんて話をする光景があるといいですね。
今度は短歌の作者は分からないが,聖武(しあうむ)天皇が池の傍で冬に開いた宴席で阿倍虫麻呂(あへのむしまろ)が覚えていて,伝誦したという池の松を詠んだという1首です。

池の辺の松の末葉に降る雪は五百重降りしけ明日さへも見む(8-1650)
<いけのへのまつのうらばに ふるゆきはいほへふりしけ あすさへもみむ>
<<池のほとりの松の葉先に降る雪は幾重にも積ってほしいですね。明日も見られますから>>

あまり雪が降らない平城京で,珍しく雪が降ったのでしょうか。池の傍で雪見の宴を催したのでしょうね。
池の傍に植えられた松の葉に雪が積もって,普段とは違う美しさを感じたのでしょうか。
最後は,池の傍に生えているケヤキの古名の槻と笹が出くる柿本人麻呂歌集よりの旋頭歌です。

池の辺の小槻の下の小竹な刈りそねそれをだに君が形見に見つつ偲はむ(7-1276)
<いけのへのをつきのしたのしのなかりそね それをだにきみがかたみにみつつしのはむ>
<<池のそばの槻の下の小竹を刈らないでぐたさいな。それだけでもあなたと見て,逢ったときのことを思い出すでしょう>>

恋人と池のほとりのケヤキの木の下で逢ったのでしょうか。
下に生えていた小竹を採って,恋人は渡してくれた。そんな思い出があったのに,それを刈ってしまってはその時のことが偲ばれなくなってしまうという気持ちが私には伝わってきます。
今も公園の池のほとりのベンチは恋人どうしが逢って話をする場所です。また,木蔭を作るためにいろいろな木を植えている状況は,当時は今と同じような雰囲気だったかもしれませんね。
今もあるシリーズ「池(3)」に続く。

2016年1月31日日曜日

今もあるシリーズ「池(1)」…万葉時代,「池」は「生ける」に通じるものだった?

今回から何回か「池(いけ)」にいて,万葉集を見ていきます。
「池」を広辞苑で見ると「土を掘って人工的に水をためた所。自然の土地のくぼみに水のたまった所。」とあります。
広辞苑では,池には人工的に作られたものと自然が偶然作ったものとがあることを説明していることになりそうです。
後者(自然の池)は,長野県上高地にある大正池,同じく長野県白馬村にある八方池,富山県立山室堂にあるミクリガ池,リンドウ池,ミドリガ池などがその事例でしょうか。
前者(人工に作られた池)は,一般的な言葉として「ため池」,「貯水池」,「遊水地」,「養魚池」(ウナギ養殖では特に「養鰻(ようまん)池」と呼ぶ)などがそれにあたるのでしょう。
万葉時代は,大陸からの新しい文化や建築技法が流入し,貴族や豪族といった富裕層が,積極的に当時としては豪華な住居や集会する場所を建設していった中で,「池」のある造園も盛んになったのだと思います。
また,高度な農業技術の流入もあり,干ばつを防止するたの「ため池」が農地の中や周辺に多数掘られたのだろうと思います。
さらに,それらの「ため池」には,川や湖沼にいる魚(ドジョウ,コイ,フナなど)や鳥を生きたまま移住,繁殖させ,タンパク源となる食糧の採取にも利用した可能性があります。
そのため,万葉集に出てくる「池」は人工の池が比較的多く出てきます。
最初は,天武天皇の子である草壁皇子が27歳で亡くなった時(689年),それに対して柿本人麻呂が詠んだ挽歌(その中の反歌1首)からです。

嶋の宮まがりの池の放ち鳥人目に恋ひて池に潜かず(2-170)
<しまのみやまがりのいけの はなちとりひとめにこひて いけにかづかず>
<<嶋の宮(皇子の邸宅)の池に放し飼いにされている鳥も,皇子の目が恋しくて水に潜ることもしない>>

草壁皇子の邸宅には,立派な庭とその中に鳥を放し飼いにできるほど大きな池があったのだろうと想像できます。
次も人麻呂が詠んだ挽歌(その中の反歌1首)ですが,亡くなったのはやはり天武天皇の子である高市皇子(696年)です。享年42歳。

埴安の池の堤の隠り沼のゆくへを知らに舎人は惑ふ(2-201)
<はにやすのいけのつつみの こもりぬのゆくへをしらに とねりはまとふ>
<<埴安にある周囲の堤に生えた草で水面が見えないほどになっている沼池の水がどこにあるか分からないように,これからどうしたものかわからず舎人は途方にくれて惑うばかりだ>>

埴安の池は天の香具山の近くあったようですが,「堤」とあるように人工的に作られた様子がうかがえます。
最後の池を詠んだ短歌は,あの有名な天武天皇の子である大津皇子の辞世(686年)の1首です。享年24歳。

百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ(3-416)
<ももづたふいはれのいけに なくかもをけふのみみてや くもがくりなむ>
<<磐余の池に鳴く鴨を今日までしか見ることができないようだ。私は雲に隠れてしまうから>>

この3人の天武天皇の皇子たちの死に対して「池」のイメージが何か独特の雰囲気を醸し出しているように私は感じます。
「池」が生の場所であり,そこから永遠に離れることが結局死をイメージするような雰囲気かなと思うのです。
「生ける」の文語表現である「生く」の已然形「生け」と「池」は同じ発音であったすればなおさらでしょうか。
今もあるシリーズ「池(2)」に続く。

2015年6月29日月曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…浮く(1) 万葉時代の船旅は今の豪華なクルージングとはいかず?

2011年11月にこのブログの『対語シリーズ「浮と沈」‥心の浮き沈みが起きたとき,あなたならどうする?』で取り上げた中で,「浮く」を改めて万葉集を詳しく見ていくことにします。
「浮く」の対象が何かや何の上に浮いているのかによって,イメージする情景は結構変わります。
今回は,池,海などに浮く鳥のイメージについて,万葉集に詠まれている和歌を見ていきましょう。
最初は,丹波大女娘子(たにはのおほめのをとめ)という女性が恋人と逢えないツライ気持ちを詠んだされる短歌です。

鴨鳥の遊ぶこの池に木の葉落ちて浮きたる心我が思はなくに(4-711)
<かもどりのあそぶこのいけに このはおちてうきたるこころ わがおもはなくに>
<<鴨が遊ぶこの池に木の葉は落ちて浮かんでふらふらしているような浮ついた心で恋しいと思ってはいないのに>>

池で鴨が水面を移動したり,羽ばたいたり,飛び立ったり,着水したりすることで,木から落ちて浮いている木の葉はその影響を受け,浮いたり,沈んだり,集まったり,離れたりするのでしょう。
万葉集で,彼女の詠んだ続く2首を見ると,そんな浮き沈みのあるような弱い気持ちで恋しているのではないのに,いろいろ邪魔が入り,相手は遭ってくれないと嘆いています。
さて,次も鴨を題材に詠んだ遣新羅使作の短歌ですが,場所は池ではなく海上です。

鴨じもの浮寝をすれば蜷の腸か黒き髪に露ぞ置きにける(15-3649)
<かもじものうきねをすれば みなのわたかぐろきかみに つゆぞおきにける>
<<鴨のように波の上に浮寝をしていると,黒い私の髪に露が付いてしまった>>

停泊して,宿に泊まるのではなく,船中で波に揺られながら一夜を明かすと,海の湿気や波しぶきで,黒い髪に(多分塩分を含んだ)水滴が付いて濡れてしまうという情景を詠っていますが,この表現で作者の航海における不安な気持ちが何故か良く伝わってくるように私は感じます。
次は,鴨ではなく,一般の海鳥を題材にした,詠み人知らずの羈旅の短歌です。

鳥じもの海に浮き居て沖つ波騒くを聞けばあまた悲しも(7-1184)
<とりじものうみにうきゐて おきつなみさわくをきけば あまたかなしも>
<<鳥のように海に浮かんでいて,沖の波が騒がしい(荒れている)ということを聞くと大変悲しい>>

荒れた海を避けて,入江に退避している船で何日も過ごさなければならない状況となり,非常に悲しい気持ちを作者は読んでいるのでしょうか。
次も類似の気持ちを詠んだ詠み人知らずの羈旅の短歌(万葉集では古歌としている)です。

波高しいかに楫取り水鳥の浮寝やすべきなほや漕ぐべき(7-1235)
<なみたかしいかにかぢとり みづとりのうきねやすべき なほやこぐべき>
<<波が高いな。どうだろう船頭さん,水鳥のように浮寝をしたほうがよいかい,それともやはり漕ぎ続けるかい>>

海が荒れてきたので心配になり,「入江に避難して一晩やり過ごす」か「このまま漕ぎ続けて進む」か,船頭に聞きたいという心の動きを詠んでいると私は思います。
当然,作者である旅人は航海について詳しくはなく,海がどの程度の荒れであるかに詳しいわけでもありません。
でも,船旅に慣れていない旅人は船の揺れを思いの外大きく感じたのかもしれず,プロである船頭に聞いてしまったという情景も想像できそうです。
この旅人の問いに対して,船頭はどう答えたかは残っていません。「この位の波や揺れは大したことはないし,進んで危険はないよ」「プロに任せろ」くらいは言ったかもしれませんね。
動きの詞(ことば)シリーズ…浮く(2)に続く