今回から,万葉集の巻11と巻12に出てくる序詞で植物を内容に入れたものを紹介していきます。
今回は植物の中でもスゲ(菅)が含まれる序詞を使った短歌を紹介します。
実は,巻11,12でスゲが序詞に出てくる短歌が14首も出てきます。
天の川 「へ~,スゲ~やんか」
...。 気を取り直して,短歌の紹介をします。
最初は,山菅(山に生える菅)を序詞に詠んだ短歌です。
山川の水陰に生ふる山菅のやまずも妹は思ほゆるかも(12-2862)
<やまがはのみづかげにおふる やますげのやまずもいもは おもほゆるかも>
<<山川の水辺に生えている山菅の「やます」というよう,「止まず」あなたを恋しく思っているよ>>
ヤマスゲの「やます」から「止まず」を引いたと私は解釈しました。
スゲ属は多くの種類があるようですが,万葉集でで来るスゲは,菅笠や蓑を作ることができる大ぶりのカサスゲ(現在の分類)だったのかも知れません。
スゲは水辺を好む植物ですので,山の中に流れる川にもスゲの大群落があっても不思議ではないですね。また,山中のスゲの群落がある名所が京人に知られていたのかもしれません。
次は海の入り江の水辺に生えるシラスゲを序詞に詠んだ短歌です。
葦鶴の騒く入江の白菅の知らせむためと言痛かるかも(11-2768)
<あしたづのさわくいりえのしらすげのしらせむためとこちたかるかも>
<<葦辺で鶴が騒いでいる入江の白菅(シラスげ)の名前のように(あの人と私のことを)知らす(シラス)ことをしたためか,世間は煩わしいほど噂をしているようだ>>
「知らす」を言いたいためにわざわざ「葦鶴の騒く入江の」が要るのか?という疑問を持つ人には興味がない短歌かもしれません。
でも,私はシラスゲが海の近くに生えていたかも?ということに興味を持ちます。
葦が生えているのは,完全な海水ではなく,多くが海水と川の水が混じる汽水域だと想像します。
そんな場所にシラスゲが生えている場所があり,多くの人がそのことを知っていたことが私にとって重要です。
実は,琵琶湖のような淡水湖にも入り江はありますので,海とは断定できないのです。こういった可能性のある情景をいろいろイメージすることが序詞を鑑賞する楽しみの一つなのです。
最後は,スゲの根を序詞に詠んだ短歌です。
浅葉野に立ち神さぶる菅の根のねもころ誰がゆゑ我が恋ひなくに(12-2863)
<あさはのにたちかむさぶる すがのねのねもころたがゆゑ あがこひなくに>
<<浅葉野に立つと神々しく見える菅の根のように ねんごろに それは誰に対してでもなく,わたし自身を恋しさでもない。あなだへの恋しさなのですよ>>
スゲの根は意外としっかり張られていて,スゲを簡単に抜くことはできないようです。スゲの根はそんなイメージを当時の人々は持っていたのでしょう。
根が強くなければ簡単に引っこ抜いてスゲ笠などの材料として容易に採取できたのが,根が強いものだから当時高価だった鎌などの刃物で刈り取るしかなかったのかも知れません。
スゲはさまざまな用具の材料となりえるものだったのですが,最終の障害となる根の張りが強い特徴も「ねのころ」につながったのかもしれません。
ところで,浅葉野は場所が不明らしく,日本のあちこちで「ここが浅葉野だ」とこの短歌の歌碑が立てられているようです。
私の別の珍説は「浅葉野」は地名ではなく,スゲがまだそれほど伸びていない季節の野原という一般名詞で,それでも根はしっかり張っている状況を「神さぶる」と表現したのではないかということです。
天の川 「たびとはん。単なる思い付きやろ?」
はい。そのとおりで~す。
(序詞再発見シリーズ(15)に続く)
2016年2月14日日曜日
今もあるシリーズ「池(3)」…池の中で生きている植物はどうだ?
「池」の3回目は池の水に生えている植物(水生植物など)を万葉集で見ていきます。
万葉時代に池が多く作られたり,自然の池が憩いの場として注目されるようになってきたためか,池の周りに生えているまたは植えられた植物だけでなく,池の水生植物についても万葉集で詠まれた和歌が出てきます。
たとえば,山部赤人が奈良で詠んだとされる次の短歌です。
いにしへの古き堤は年深み池の渚に水草生ひにけり(3-378)
<いにしへのふるきつつみは としふかみいけのなぎさに みくさおひにけり>
<<昔からあるの古い堤は幾年も経て,池の渚に水草が生えていた>>
この短歌の題詞には「山部宿祢赤人詠故太上大臣藤原家之山池歌一首」とあるとのことです。
この題詞,亡くなった太政大臣の藤原家の庭園に造られた築山の池についての歌という意味でしょうか。
太政大臣とは持統天皇時代から頭角を現した藤原不比等(ふぢはらのふひと)のようです。
赤人は「藤原家の歴史を感じる」といいたかったのか,それとも「手入れがされていない」といいたかったのか私の想像力では確定ができません。
いずれにしても,水草がどんな種類で,どんな感じで繁茂していたか知たくなる短歌です。
次は,柿本朝臣人麻呂歌集から転載したという池に生息する菱について詠んだ短歌です。
君がため浮沼の池の菱摘むと我が染めし袖濡れにけるかも(7-1249)
<きみがためうきぬのいけの ひしつむとわがそめしそで ぬれにけるかも>
<<君のために浮沼の池の菱を摘んだので,私の染めた袖を濡らしてしまいました>>
菱の実を茹でるか蒸したものは,万葉時代から健康食として食べられていたようです。
「浮沼の池」は島根県大田市にある池との説が有力のようで,そこに旅で訪れたとき,残してきた妻に贈ろうと菱の実を採ろうとしたのでしょう。
そうしたら,私のきれいに染めてある(染めてくれたのは妻)袖が濡れてしまった。
その結果,ますます妻のことが恋しくなったという思いを詠んだ短歌だと私は思います。
ところで,菱形は菱の葉か実の形から名付けられたとといいます。
また,三菱グループのロゴマークは白い菱形が三つで,長い方の1点が同じ位置にあり,それぞれ三方(上,左下,右下)に広がった形をしています。
他の大きな企業グループのロゴマークがある程度の年数が立つと変えられるのに対して,三菱グループのロゴマークがずっと変わらないのは正直すごいことだなと私は感心しています。
ところで,3月のひな祭りには菱餅がひな壇に飾られますが,菱形をした餅なので菱餅と呼ばれるようになったのでしょう。
次は,皆さんが池でよく見るものとして「蓮」を詠んだ女性(詠み人知らず)の長歌です。
み佩かしを剣の池の 蓮葉に溜まれる水の ゆくへなみ我がする時に 逢ふべしと逢ひたる君を な寐ねそと母聞こせども 我が心清隅の池の 池の底我れは忘れじ 直に逢ふまでに(13-3289)
<みはかしをつるぎのいけの はちすばにたまれるみづの ゆくへなみわがするときに あふべしとあひたるきみを ないねそとははきこせども あがこころきよすみのいけの いけのそこわれはわすれじ ただにあふまでに>
<<剣の池の蓮の葉に溜まっている水がころころとどちらこぼれるか予測できないように,私がどうすれば迷っていると「逢いなさい」と神のお告げがあったの。でも,お母さんは彼に体を許しちゃだめだっていうから,私の心は清隅の池の池の底に沈んだよう。でも,あなたのこと絶対忘れない。本当に逢えるまでは>>
なかなか,具体的な表現の相聞歌ですね。
池に蓮の葉が立派に現れるのは夏です。夏が終わるころに妻問が活発になります。それを待つ女性の気持ちでしょう,この長歌は。
最後は池に生える「菅(すげ)」を詠んだ詠み人知らずの短歌です。
真野の池の小菅を笠に縫はずして人の遠名を立つべきものか(11-2772)
<まののいけのこすげをかさに ぬはずしてひとのとほなを たつべきものか>
<<真野の池に生える小菅を笠に縫わないのに(契りもしていないのに),世間の人は二人の浮き名を立てるものだ>>
菅は湿地,池,湖沼,川沿いの浅い場所など水が多い場所を好んで生育するようです。
ここで出てくる「真野の池」には,たくさんの菅が生えていたのでしょう。
その菅の小さいのを使って笠を編んで送り合うような深い関係にまだなっていないのに,世間の人はいろいろあらぬことを噂して,二人が愛を深め行くプロセスの邪魔をしていることを嘆いた短歌のような気がします。
このように池に生える植物も多様なものが万葉集に出てきて,当時の人が池に対する見方の多様性が改めて確認できたかもしれません。
今もあるシリーズ「池(4:まとめ)」に続く。
万葉時代に池が多く作られたり,自然の池が憩いの場として注目されるようになってきたためか,池の周りに生えているまたは植えられた植物だけでなく,池の水生植物についても万葉集で詠まれた和歌が出てきます。
たとえば,山部赤人が奈良で詠んだとされる次の短歌です。
いにしへの古き堤は年深み池の渚に水草生ひにけり(3-378)
<いにしへのふるきつつみは としふかみいけのなぎさに みくさおひにけり>
<<昔からあるの古い堤は幾年も経て,池の渚に水草が生えていた>>
この短歌の題詞には「山部宿祢赤人詠故太上大臣藤原家之山池歌一首」とあるとのことです。
この題詞,亡くなった太政大臣の藤原家の庭園に造られた築山の池についての歌という意味でしょうか。
太政大臣とは持統天皇時代から頭角を現した藤原不比等(ふぢはらのふひと)のようです。
赤人は「藤原家の歴史を感じる」といいたかったのか,それとも「手入れがされていない」といいたかったのか私の想像力では確定ができません。
いずれにしても,水草がどんな種類で,どんな感じで繁茂していたか知たくなる短歌です。
次は,柿本朝臣人麻呂歌集から転載したという池に生息する菱について詠んだ短歌です。
君がため浮沼の池の菱摘むと我が染めし袖濡れにけるかも(7-1249)
<きみがためうきぬのいけの ひしつむとわがそめしそで ぬれにけるかも>
<<君のために浮沼の池の菱を摘んだので,私の染めた袖を濡らしてしまいました>>
菱の実を茹でるか蒸したものは,万葉時代から健康食として食べられていたようです。
「浮沼の池」は島根県大田市にある池との説が有力のようで,そこに旅で訪れたとき,残してきた妻に贈ろうと菱の実を採ろうとしたのでしょう。
そうしたら,私のきれいに染めてある(染めてくれたのは妻)袖が濡れてしまった。
その結果,ますます妻のことが恋しくなったという思いを詠んだ短歌だと私は思います。
ところで,菱形は菱の葉か実の形から名付けられたとといいます。
また,三菱グループのロゴマークは白い菱形が三つで,長い方の1点が同じ位置にあり,それぞれ三方(上,左下,右下)に広がった形をしています。
他の大きな企業グループのロゴマークがある程度の年数が立つと変えられるのに対して,三菱グループのロゴマークがずっと変わらないのは正直すごいことだなと私は感心しています。
ところで,3月のひな祭りには菱餅がひな壇に飾られますが,菱形をした餅なので菱餅と呼ばれるようになったのでしょう。
次は,皆さんが池でよく見るものとして「蓮」を詠んだ女性(詠み人知らず)の長歌です。
み佩かしを剣の池の 蓮葉に溜まれる水の ゆくへなみ我がする時に 逢ふべしと逢ひたる君を な寐ねそと母聞こせども 我が心清隅の池の 池の底我れは忘れじ 直に逢ふまでに(13-3289)
<みはかしをつるぎのいけの はちすばにたまれるみづの ゆくへなみわがするときに あふべしとあひたるきみを ないねそとははきこせども あがこころきよすみのいけの いけのそこわれはわすれじ ただにあふまでに>
<<剣の池の蓮の葉に溜まっている水がころころとどちらこぼれるか予測できないように,私がどうすれば迷っていると「逢いなさい」と神のお告げがあったの。でも,お母さんは彼に体を許しちゃだめだっていうから,私の心は清隅の池の池の底に沈んだよう。でも,あなたのこと絶対忘れない。本当に逢えるまでは>>
なかなか,具体的な表現の相聞歌ですね。
池に蓮の葉が立派に現れるのは夏です。夏が終わるころに妻問が活発になります。それを待つ女性の気持ちでしょう,この長歌は。
最後は池に生える「菅(すげ)」を詠んだ詠み人知らずの短歌です。
真野の池の小菅を笠に縫はずして人の遠名を立つべきものか(11-2772)
<まののいけのこすげをかさに ぬはずしてひとのとほなを たつべきものか>
<<真野の池に生える小菅を笠に縫わないのに(契りもしていないのに),世間の人は二人の浮き名を立てるものだ>>
菅は湿地,池,湖沼,川沿いの浅い場所など水が多い場所を好んで生育するようです。
ここで出てくる「真野の池」には,たくさんの菅が生えていたのでしょう。
その菅の小さいのを使って笠を編んで送り合うような深い関係にまだなっていないのに,世間の人はいろいろあらぬことを噂して,二人が愛を深め行くプロセスの邪魔をしていることを嘆いた短歌のような気がします。
このように池に生える植物も多様なものが万葉集に出てきて,当時の人が池に対する見方の多様性が改めて確認できたかもしれません。
今もあるシリーズ「池(4:まとめ)」に続く。
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