「池」の3回目は池の水に生えている植物(水生植物など)を万葉集で見ていきます。
万葉時代に池が多く作られたり,自然の池が憩いの場として注目されるようになってきたためか,池の周りに生えているまたは植えられた植物だけでなく,池の水生植物についても万葉集で詠まれた和歌が出てきます。
たとえば,山部赤人が奈良で詠んだとされる次の短歌です。
いにしへの古き堤は年深み池の渚に水草生ひにけり(3-378)
<いにしへのふるきつつみは としふかみいけのなぎさに みくさおひにけり>
<<昔からあるの古い堤は幾年も経て,池の渚に水草が生えていた>>
この短歌の題詞には「山部宿祢赤人詠故太上大臣藤原家之山池歌一首」とあるとのことです。
この題詞,亡くなった太政大臣の藤原家の庭園に造られた築山の池についての歌という意味でしょうか。
太政大臣とは持統天皇時代から頭角を現した藤原不比等(ふぢはらのふひと)のようです。
赤人は「藤原家の歴史を感じる」といいたかったのか,それとも「手入れがされていない」といいたかったのか私の想像力では確定ができません。
いずれにしても,水草がどんな種類で,どんな感じで繁茂していたか知たくなる短歌です。
次は,柿本朝臣人麻呂歌集から転載したという池に生息する菱について詠んだ短歌です。
君がため浮沼の池の菱摘むと我が染めし袖濡れにけるかも(7-1249)
<きみがためうきぬのいけの ひしつむとわがそめしそで ぬれにけるかも>
<<君のために浮沼の池の菱を摘んだので,私の染めた袖を濡らしてしまいました>>
菱の実を茹でるか蒸したものは,万葉時代から健康食として食べられていたようです。
「浮沼の池」は島根県大田市にある池との説が有力のようで,そこに旅で訪れたとき,残してきた妻に贈ろうと菱の実を採ろうとしたのでしょう。
そうしたら,私のきれいに染めてある(染めてくれたのは妻)袖が濡れてしまった。
その結果,ますます妻のことが恋しくなったという思いを詠んだ短歌だと私は思います。
ところで,菱形は菱の葉か実の形から名付けられたとといいます。
また,三菱グループのロゴマークは白い菱形が三つで,長い方の1点が同じ位置にあり,それぞれ三方(上,左下,右下)に広がった形をしています。
他の大きな企業グループのロゴマークがある程度の年数が立つと変えられるのに対して,三菱グループのロゴマークがずっと変わらないのは正直すごいことだなと私は感心しています。
ところで,3月のひな祭りには菱餅がひな壇に飾られますが,菱形をした餅なので菱餅と呼ばれるようになったのでしょう。
次は,皆さんが池でよく見るものとして「蓮」を詠んだ女性(詠み人知らず)の長歌です。
み佩かしを剣の池の 蓮葉に溜まれる水の ゆくへなみ我がする時に 逢ふべしと逢ひたる君を な寐ねそと母聞こせども 我が心清隅の池の 池の底我れは忘れじ 直に逢ふまでに(13-3289)
<みはかしをつるぎのいけの はちすばにたまれるみづの ゆくへなみわがするときに あふべしとあひたるきみを ないねそとははきこせども あがこころきよすみのいけの いけのそこわれはわすれじ ただにあふまでに>
<<剣の池の蓮の葉に溜まっている水がころころとどちらこぼれるか予測できないように,私がどうすれば迷っていると「逢いなさい」と神のお告げがあったの。でも,お母さんは彼に体を許しちゃだめだっていうから,私の心は清隅の池の池の底に沈んだよう。でも,あなたのこと絶対忘れない。本当に逢えるまでは>>
なかなか,具体的な表現の相聞歌ですね。
池に蓮の葉が立派に現れるのは夏です。夏が終わるころに妻問が活発になります。それを待つ女性の気持ちでしょう,この長歌は。
最後は池に生える「菅(すげ)」を詠んだ詠み人知らずの短歌です。
真野の池の小菅を笠に縫はずして人の遠名を立つべきものか(11-2772)
<まののいけのこすげをかさに ぬはずしてひとのとほなを たつべきものか>
<<真野の池に生える小菅を笠に縫わないのに(契りもしていないのに),世間の人は二人の浮き名を立てるものだ>>
菅は湿地,池,湖沼,川沿いの浅い場所など水が多い場所を好んで生育するようです。
ここで出てくる「真野の池」には,たくさんの菅が生えていたのでしょう。
その菅の小さいのを使って笠を編んで送り合うような深い関係にまだなっていないのに,世間の人はいろいろあらぬことを噂して,二人が愛を深め行くプロセスの邪魔をしていることを嘆いた短歌のような気がします。
このように池に生える植物も多様なものが万葉集に出てきて,当時の人が池に対する見方の多様性が改めて確認できたかもしれません。
今もあるシリーズ「池(4:まとめ)」に続く。
2016年2月14日日曜日
2015年3月14日土曜日
動きの詞(ことば)シリーズ…申す(1) 「もろえ」さんはモロ・ええなあ~
今回から,また動きの詞(ことば)シリーズに戻ります。今回は,今でも使う「申す」を見ていきましょう。
万葉集の万葉仮名から,万葉時代「申す」は「まをす」と発音していたようです。ただ,一部には「まうす」とも発音していたことも考えられます。
万葉時代での「申す」の意味は今と同じ「言う」「告げる」の謙譲語であること以外に「政事を執奏(しっそう)する」といった意味もあったようです。
具体的な万葉集の和歌を見ていきましょう。次の短歌は志斐嫗(しひのをうな)と呼ばれた老女が,持統天皇の問いかけた短歌に答えたものです。
いなと言へど語れ語れと宣らせこそ志斐いは申せ強ひ語りと詔る(3-237)
<いなといへどかたれかたれと のらせこそしひいはまをせ しひかたりとのる>
<<遠慮しますと言っておりますのに,陛下が語れ語れと指示され,私に申すように強制しておきながら,それを「私が勝手に話したいと思って話したお話」とおっしゃるなんて,それはあんまりです>>
最初の「言う」は謙譲語ではないので,天皇に直接言ったのではなく,使者に「お断りしたい」言ったのでしょう。それでも,持統天皇は志斐嫗の話がききたくて,家臣に語らせよ,語らせよと指示をした。そうして,結局「申す」とあるように,直接天皇に語りをすることになったのです。
そうすると,この短歌の前に持統天皇がどんな短歌を志斐嫗に贈ったか気になりますね。
いなと言へど強ふる志斐のが強ひ語りこのころ聞かずて我れ恋ひにけり(3-236)
<いなといへどしふるしひのが しひかたりこのころきかずて あれこひにけり>
<<特別聞きたくもないと言うのに志斐の婆さんがどうしても話したいといって以前話してくれた語り。それが最近は聞かれなくて物足りないのよね>>
なるほど,天皇は志斐嫗の面白い話を聞きたいが,立場上直接命令するのは律令に反する。だから,志斐嫗が乗り込んできてどうしても話したいということにしたかったのでしょうか。しかし,志斐嫗も負けてはいません。「陛下の方こそ私の話をすごくお聞きになりたいのでしょ?」とやり返します。
<オモロイ話はいつでも聞きたいもの>
万葉時代,テレビもラジオもインターネットもない時代です。文字すらも特別な役人だけのモノでした。そんなとき,人気の語り部(今で言えば,落語家,漫談家,講談師,ピン芸人などに当る)の話を聞くのが,多くの人たちの娯楽の一つとなっていたと私は思います。
志斐嫗は,皇室専属ではなく,当時有名な語り部だったのかもしれません。なので,なかなかスケジュールの調整が付かず,持統天皇もしばらく聞けなかったのでしょう。
さて,次は年が大きく下りますが,聖武天皇が難波宮に行幸したとき,元正上皇を囲んだ宴席で,そのとき権力の中枢にいた橘諸兄(たちばなのもろえ)を出席者が讃嘆する和歌が残っています。
その中の1首(誰が詠んだか未詳)に「申す」が出てきます。
堀江より水脈引きしつつ御船さすしつ男の伴は川の瀬申せ(18-4061)
<ほりえよりみをびきしつつ みふねさすしつをのともは かはのせまうせ>
<<堀江を川岸から綱で御船を曳き操る下男たちは,いつまでも御船に伴って川の浅瀬にご注意あれと申すようにいたします>>
この短歌に出てくる「しつ男」は,橘諸兄に対して謙遜した参加者たちを指しているように思えます。「我々は諸兄様の下人で,みんなで船にお乗りになっている諸兄様をお守りいたします」といった意味でしょうか。
この後の短歌では,みんなで一緒に船に乗って,竿をさして浅瀬に注意して無事な航行を達成していくといった短歌が続きます。いずれにしても,橘諸兄に対する忠誠心を表した短歌であることは間違いないでしょう。
今回の最後は,前首よりさらに年は下ります。大伴家持が越中守を解かれ,帰京する途中(天平勝宝3(751)年8月),帰京後の後継人として期待している橘諸兄宛てに贈るために詠んだとされる短歌です。
いにしへに君が三代経て仕へけり我が大主は七代申さね(19-4256)
<いにしへにきみがみよへて つかへけりあがおほぬしは ななよまをさね>
<<昔天皇の三代(文武・元明・元正)を通してお仕えしたもの(政権をとった藤原不比等)がいたのですが,わが主君(橘諸兄様)はどうか七代もお仕え(政権をおとり)下さいますよう申し上げたいのです>>
約4年も越中で過ごし,京に帰任する家持にとって,自分を守ってくれる権力者が欲しかったのでしょう。最後の「申さね」という言葉が,橘諸兄にすがりたい家持の気持ちを強く表れしていると私は感じます。
家持は,この短歌を実際に諸兄に贈ったかどうかは分かりません。でも,その当時の家持の不安な気持ちを表すものとして,家持は記録し,万葉集に残したのだろうと私は思います。
しかし,諸兄の威光はこのころから下り坂で,藤原仲麻呂(ふぢはらのなかまろ)が勢力を伸ばしていきます。
越中での比較的穏やかな生活は終わりを告げ,京での家持の試練が待っているのです。
動きの詞(ことば)シリーズ…申す(2)に続く。
万葉集の万葉仮名から,万葉時代「申す」は「まをす」と発音していたようです。ただ,一部には「まうす」とも発音していたことも考えられます。
万葉時代での「申す」の意味は今と同じ「言う」「告げる」の謙譲語であること以外に「政事を執奏(しっそう)する」といった意味もあったようです。
具体的な万葉集の和歌を見ていきましょう。次の短歌は志斐嫗(しひのをうな)と呼ばれた老女が,持統天皇の問いかけた短歌に答えたものです。
いなと言へど語れ語れと宣らせこそ志斐いは申せ強ひ語りと詔る(3-237)
<いなといへどかたれかたれと のらせこそしひいはまをせ しひかたりとのる>
<<遠慮しますと言っておりますのに,陛下が語れ語れと指示され,私に申すように強制しておきながら,それを「私が勝手に話したいと思って話したお話」とおっしゃるなんて,それはあんまりです>>
最初の「言う」は謙譲語ではないので,天皇に直接言ったのではなく,使者に「お断りしたい」言ったのでしょう。それでも,持統天皇は志斐嫗の話がききたくて,家臣に語らせよ,語らせよと指示をした。そうして,結局「申す」とあるように,直接天皇に語りをすることになったのです。
そうすると,この短歌の前に持統天皇がどんな短歌を志斐嫗に贈ったか気になりますね。
いなと言へど強ふる志斐のが強ひ語りこのころ聞かずて我れ恋ひにけり(3-236)
<いなといへどしふるしひのが しひかたりこのころきかずて あれこひにけり>
<<特別聞きたくもないと言うのに志斐の婆さんがどうしても話したいといって以前話してくれた語り。それが最近は聞かれなくて物足りないのよね>>
なるほど,天皇は志斐嫗の面白い話を聞きたいが,立場上直接命令するのは律令に反する。だから,志斐嫗が乗り込んできてどうしても話したいということにしたかったのでしょうか。しかし,志斐嫗も負けてはいません。「陛下の方こそ私の話をすごくお聞きになりたいのでしょ?」とやり返します。
<オモロイ話はいつでも聞きたいもの>
万葉時代,テレビもラジオもインターネットもない時代です。文字すらも特別な役人だけのモノでした。そんなとき,人気の語り部(今で言えば,落語家,漫談家,講談師,ピン芸人などに当る)の話を聞くのが,多くの人たちの娯楽の一つとなっていたと私は思います。
志斐嫗は,皇室専属ではなく,当時有名な語り部だったのかもしれません。なので,なかなかスケジュールの調整が付かず,持統天皇もしばらく聞けなかったのでしょう。
さて,次は年が大きく下りますが,聖武天皇が難波宮に行幸したとき,元正上皇を囲んだ宴席で,そのとき権力の中枢にいた橘諸兄(たちばなのもろえ)を出席者が讃嘆する和歌が残っています。
その中の1首(誰が詠んだか未詳)に「申す」が出てきます。
堀江より水脈引きしつつ御船さすしつ男の伴は川の瀬申せ(18-4061)
<ほりえよりみをびきしつつ みふねさすしつをのともは かはのせまうせ>
<<堀江を川岸から綱で御船を曳き操る下男たちは,いつまでも御船に伴って川の浅瀬にご注意あれと申すようにいたします>>
この短歌に出てくる「しつ男」は,橘諸兄に対して謙遜した参加者たちを指しているように思えます。「我々は諸兄様の下人で,みんなで船にお乗りになっている諸兄様をお守りいたします」といった意味でしょうか。
この後の短歌では,みんなで一緒に船に乗って,竿をさして浅瀬に注意して無事な航行を達成していくといった短歌が続きます。いずれにしても,橘諸兄に対する忠誠心を表した短歌であることは間違いないでしょう。
今回の最後は,前首よりさらに年は下ります。大伴家持が越中守を解かれ,帰京する途中(天平勝宝3(751)年8月),帰京後の後継人として期待している橘諸兄宛てに贈るために詠んだとされる短歌です。
いにしへに君が三代経て仕へけり我が大主は七代申さね(19-4256)
<いにしへにきみがみよへて つかへけりあがおほぬしは ななよまをさね>
<<昔天皇の三代(文武・元明・元正)を通してお仕えしたもの(政権をとった藤原不比等)がいたのですが,わが主君(橘諸兄様)はどうか七代もお仕え(政権をおとり)下さいますよう申し上げたいのです>>
約4年も越中で過ごし,京に帰任する家持にとって,自分を守ってくれる権力者が欲しかったのでしょう。最後の「申さね」という言葉が,橘諸兄にすがりたい家持の気持ちを強く表れしていると私は感じます。
家持は,この短歌を実際に諸兄に贈ったかどうかは分かりません。でも,その当時の家持の不安な気持ちを表すものとして,家持は記録し,万葉集に残したのだろうと私は思います。
しかし,諸兄の威光はこのころから下り坂で,藤原仲麻呂(ふぢはらのなかまろ)が勢力を伸ばしていきます。
越中での比較的穏やかな生活は終わりを告げ,京での家持の試練が待っているのです。
動きの詞(ことば)シリーズ…申す(2)に続く。
2014年12月7日日曜日
動きの詞(ことば)シリーズ…踏む(4:まとめ) 暑中から雪踏む季節まで休載でした
<たびとは転職しました>
このブログの読者のみなさん。今年の8月4日を最後にずっとこのブログへのアップを個人的な事情があり休止していました。申し訳ありません。
実は,この「踏む」を取り上げた初回(7月19日アップ)に書いたように,人生の分かれ道に差し掛かったのです。社会人になってからずっと勤めてきた同じ企業グループの会社から,全く別の勤め先に転職するかどうかでした。
結論としては,11月末でそれまで勤めていた会社を円満に退職し,12月から別の勤務先で勤務するようになりました。
これまでと対象のシステムは異なりますが,同じソフトウェア保守開発の仕事ですので,最初の1週間でほぼ求められる仕事をこなせる自信が大体できたのは良かったです。
8月から11月まで,休日は転職に関する検討,エントリーシート作成や面接の準備(転職経験がないので両方とも社会人になって初めての経験),内定後の諸手続きに忙殺され,ブログをアップする余裕がありませんでした。
天の川 「たびとはん。おかげさんでゆっくり休めさせてもろたわ。また,ちょこちょこちょっかい出すさかい,せいぜい頑張ってんか。」
天の川君の出番がないように頑張って見ますかね。
<このテーマの本題>
さて,「踏む」のまとめとして季節が冬になったため「雪を踏む」を取り上げたいと思います。
次は三方沙弥(みかたのさみ)という歌人が詠んだ長歌と短歌(反歌)です。ただ,長歌と言っても普通の形式ではなく,語り口調のように感じます。今で言うとラップのような感じでしょうか。
大殿の この廻りの雪な踏みそね しばしばも降らぬ雪ぞ 山のみに降りし雪ぞ ゆめ寄るな人やな踏みそね 雪は(19-4227)
<おほとののこのもとほりの ゆきなふみそね しばしばもふらぬゆきぞ やまのみにふりしゆきぞ ゆめよるなひとやなふみそね ゆきは>
<<御殿の周りに降り積もった雪は踏むでないぞ。めったには降らない雪であるぞ。山にしか降らない雪であるぞ。ゆめゆめ近寄るでないぞ。人よ踏むでないぞ。この雪は>>
ありつつも見したまはむぞ大殿のこの廻りの雪な踏みそね(19-4228)
<ありつつもめしたまはむぞ おほとののこのもとほりの ゆきなふみそね>
<<あるがままをご覧になられようとするのだぞ。御殿の周りの雪は踏むでないぞ>>
この大殿(御殿)の持ち主は,藤原不比等(ふぢはらのふひと)の二男である藤原房前(ふぢはらのふささき)とこの和歌の左注には書かれています。
房前が周りの侍従に指示した内容が長歌の方で,反歌は三方沙弥の考えを詠ったものかもしれません。いずれにしても,この反歌は房前が生きていたときの権力の強さを象徴している(茶化している)ようにも見えませんか?
さて,次はこのブログで何度も取り上げている次の大伴家持の短歌です。
大宮の内にも外にもめづらしく降れる大雪な踏みそね惜し(19-4285)
<おほみやのうちにもとにも めづらしくふれるおほゆき なふみそねをし>
<<宮中の内にも外にもめずらしく大雪が降った。この白雪をどうか踏み荒らさないで頂きたいものだ。(きれいな雪景色が荒らされるのが)惜しいから>>
この短歌について,今までこのブログでいろいろ書いてきましたが,また違った視点で今回は分析します。
<家持の願い>
家持は「雪を踏まないで欲しい」の誰に言っているのでしょうか。おそらく,家持にとっては空気が読めない,自然の美しさを感じられない,無粋な人たちなのでしょうね。
もちろん,その雪を踏んだのが,門の鍵を開けた守衛だったり,朝早く納品にやってくる業者だったり,朝食を作るために出勤してきた賄いさんだったりで,自らの仕事をこなすためにやむを得ず雪を踏み荒らしたのかもしれません。
珍しい自然現象に気にも留めず,定型作業を機械的に繰り返すだけの大宮で働く多くの人たちに「もう少し美しい風景を大切にしてほしい」という家持の気持ちも分からなくはありません。
一方,働く人たち側は,雪で仕事が大変になったと積雪を恨めしく思っているかもしれません。
ちなみに私の住んでいるマンションの住込み管理人は雪が降ると,人の通り道はすぐに雪かきをしてしまいます。
ところで,踏むのが鳥だったり,リスだったり,ウサギだったり,シカだったら,家持は許せたのでしょうか。おそらく,それは許したのでしょうね。なぜなら,それは自然の営みだからです。
人間には自然に対する価値観が異なる(価値を感じない)人がいて,特に効率最優先で仕事を進めようとする人たちは自然との調和の重要性を軽視し,自然を無理に変えようとしてしまう。
歌人家持はそんな人たちが幅を利かせる効率化のみ重視する大宮の仕組み自体がこのとき許せない感じたのかもしれません。
動きの詞(ことば)シリーズ…照る(1)に続く。
このブログの読者のみなさん。今年の8月4日を最後にずっとこのブログへのアップを個人的な事情があり休止していました。申し訳ありません。
実は,この「踏む」を取り上げた初回(7月19日アップ)に書いたように,人生の分かれ道に差し掛かったのです。社会人になってからずっと勤めてきた同じ企業グループの会社から,全く別の勤め先に転職するかどうかでした。
結論としては,11月末でそれまで勤めていた会社を円満に退職し,12月から別の勤務先で勤務するようになりました。
これまでと対象のシステムは異なりますが,同じソフトウェア保守開発の仕事ですので,最初の1週間でほぼ求められる仕事をこなせる自信が大体できたのは良かったです。
8月から11月まで,休日は転職に関する検討,エントリーシート作成や面接の準備(転職経験がないので両方とも社会人になって初めての経験),内定後の諸手続きに忙殺され,ブログをアップする余裕がありませんでした。
天の川 「たびとはん。おかげさんでゆっくり休めさせてもろたわ。また,ちょこちょこちょっかい出すさかい,せいぜい頑張ってんか。」
天の川君の出番がないように頑張って見ますかね。
<このテーマの本題>
さて,「踏む」のまとめとして季節が冬になったため「雪を踏む」を取り上げたいと思います。
次は三方沙弥(みかたのさみ)という歌人が詠んだ長歌と短歌(反歌)です。ただ,長歌と言っても普通の形式ではなく,語り口調のように感じます。今で言うとラップのような感じでしょうか。
大殿の この廻りの雪な踏みそね しばしばも降らぬ雪ぞ 山のみに降りし雪ぞ ゆめ寄るな人やな踏みそね 雪は(19-4227)
<おほとののこのもとほりの ゆきなふみそね しばしばもふらぬゆきぞ やまのみにふりしゆきぞ ゆめよるなひとやなふみそね ゆきは>
<<御殿の周りに降り積もった雪は踏むでないぞ。めったには降らない雪であるぞ。山にしか降らない雪であるぞ。ゆめゆめ近寄るでないぞ。人よ踏むでないぞ。この雪は>>
ありつつも見したまはむぞ大殿のこの廻りの雪な踏みそね(19-4228)
<ありつつもめしたまはむぞ おほとののこのもとほりの ゆきなふみそね>
<<あるがままをご覧になられようとするのだぞ。御殿の周りの雪は踏むでないぞ>>
この大殿(御殿)の持ち主は,藤原不比等(ふぢはらのふひと)の二男である藤原房前(ふぢはらのふささき)とこの和歌の左注には書かれています。
房前が周りの侍従に指示した内容が長歌の方で,反歌は三方沙弥の考えを詠ったものかもしれません。いずれにしても,この反歌は房前が生きていたときの権力の強さを象徴している(茶化している)ようにも見えませんか?
さて,次はこのブログで何度も取り上げている次の大伴家持の短歌です。
大宮の内にも外にもめづらしく降れる大雪な踏みそね惜し(19-4285)
<おほみやのうちにもとにも めづらしくふれるおほゆき なふみそねをし>
<<宮中の内にも外にもめずらしく大雪が降った。この白雪をどうか踏み荒らさないで頂きたいものだ。(きれいな雪景色が荒らされるのが)惜しいから>>
この短歌について,今までこのブログでいろいろ書いてきましたが,また違った視点で今回は分析します。
<家持の願い>
家持は「雪を踏まないで欲しい」の誰に言っているのでしょうか。おそらく,家持にとっては空気が読めない,自然の美しさを感じられない,無粋な人たちなのでしょうね。
もちろん,その雪を踏んだのが,門の鍵を開けた守衛だったり,朝早く納品にやってくる業者だったり,朝食を作るために出勤してきた賄いさんだったりで,自らの仕事をこなすためにやむを得ず雪を踏み荒らしたのかもしれません。
珍しい自然現象に気にも留めず,定型作業を機械的に繰り返すだけの大宮で働く多くの人たちに「もう少し美しい風景を大切にしてほしい」という家持の気持ちも分からなくはありません。
一方,働く人たち側は,雪で仕事が大変になったと積雪を恨めしく思っているかもしれません。
ちなみに私の住んでいるマンションの住込み管理人は雪が降ると,人の通り道はすぐに雪かきをしてしまいます。
ところで,踏むのが鳥だったり,リスだったり,ウサギだったり,シカだったら,家持は許せたのでしょうか。おそらく,それは許したのでしょうね。なぜなら,それは自然の営みだからです。
人間には自然に対する価値観が異なる(価値を感じない)人がいて,特に効率最優先で仕事を進めようとする人たちは自然との調和の重要性を軽視し,自然を無理に変えようとしてしまう。
歌人家持はそんな人たちが幅を利かせる効率化のみ重視する大宮の仕組み自体がこのとき許せない感じたのかもしれません。
動きの詞(ことば)シリーズ…照る(1)に続く。
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