今回から,また動きの詞(ことば)シリーズに戻ります。今回は,今でも使う「申す」を見ていきましょう。
万葉集の万葉仮名から,万葉時代「申す」は「まをす」と発音していたようです。ただ,一部には「まうす」とも発音していたことも考えられます。
万葉時代での「申す」の意味は今と同じ「言う」「告げる」の謙譲語であること以外に「政事を執奏(しっそう)する」といった意味もあったようです。
具体的な万葉集の和歌を見ていきましょう。次の短歌は志斐嫗(しひのをうな)と呼ばれた老女が,持統天皇の問いかけた短歌に答えたものです。
いなと言へど語れ語れと宣らせこそ志斐いは申せ強ひ語りと詔る(3-237)
<いなといへどかたれかたれと のらせこそしひいはまをせ しひかたりとのる>
<<遠慮しますと言っておりますのに,陛下が語れ語れと指示され,私に申すように強制しておきながら,それを「私が勝手に話したいと思って話したお話」とおっしゃるなんて,それはあんまりです>>
最初の「言う」は謙譲語ではないので,天皇に直接言ったのではなく,使者に「お断りしたい」言ったのでしょう。それでも,持統天皇は志斐嫗の話がききたくて,家臣に語らせよ,語らせよと指示をした。そうして,結局「申す」とあるように,直接天皇に語りをすることになったのです。
そうすると,この短歌の前に持統天皇がどんな短歌を志斐嫗に贈ったか気になりますね。
いなと言へど強ふる志斐のが強ひ語りこのころ聞かずて我れ恋ひにけり(3-236)
<いなといへどしふるしひのが しひかたりこのころきかずて あれこひにけり>
<<特別聞きたくもないと言うのに志斐の婆さんがどうしても話したいといって以前話してくれた語り。それが最近は聞かれなくて物足りないのよね>>
なるほど,天皇は志斐嫗の面白い話を聞きたいが,立場上直接命令するのは律令に反する。だから,志斐嫗が乗り込んできてどうしても話したいということにしたかったのでしょうか。しかし,志斐嫗も負けてはいません。「陛下の方こそ私の話をすごくお聞きになりたいのでしょ?」とやり返します。
<オモロイ話はいつでも聞きたいもの>
万葉時代,テレビもラジオもインターネットもない時代です。文字すらも特別な役人だけのモノでした。そんなとき,人気の語り部(今で言えば,落語家,漫談家,講談師,ピン芸人などに当る)の話を聞くのが,多くの人たちの娯楽の一つとなっていたと私は思います。
志斐嫗は,皇室専属ではなく,当時有名な語り部だったのかもしれません。なので,なかなかスケジュールの調整が付かず,持統天皇もしばらく聞けなかったのでしょう。
さて,次は年が大きく下りますが,聖武天皇が難波宮に行幸したとき,元正上皇を囲んだ宴席で,そのとき権力の中枢にいた橘諸兄(たちばなのもろえ)を出席者が讃嘆する和歌が残っています。
その中の1首(誰が詠んだか未詳)に「申す」が出てきます。
堀江より水脈引きしつつ御船さすしつ男の伴は川の瀬申せ(18-4061)
<ほりえよりみをびきしつつ みふねさすしつをのともは かはのせまうせ>
<<堀江を川岸から綱で御船を曳き操る下男たちは,いつまでも御船に伴って川の浅瀬にご注意あれと申すようにいたします>>
この短歌に出てくる「しつ男」は,橘諸兄に対して謙遜した参加者たちを指しているように思えます。「我々は諸兄様の下人で,みんなで船にお乗りになっている諸兄様をお守りいたします」といった意味でしょうか。
この後の短歌では,みんなで一緒に船に乗って,竿をさして浅瀬に注意して無事な航行を達成していくといった短歌が続きます。いずれにしても,橘諸兄に対する忠誠心を表した短歌であることは間違いないでしょう。
今回の最後は,前首よりさらに年は下ります。大伴家持が越中守を解かれ,帰京する途中(天平勝宝3(751)年8月),帰京後の後継人として期待している橘諸兄宛てに贈るために詠んだとされる短歌です。
いにしへに君が三代経て仕へけり我が大主は七代申さね(19-4256)
<いにしへにきみがみよへて つかへけりあがおほぬしは ななよまをさね>
<<昔天皇の三代(文武・元明・元正)を通してお仕えしたもの(政権をとった藤原不比等)がいたのですが,わが主君(橘諸兄様)はどうか七代もお仕え(政権をおとり)下さいますよう申し上げたいのです>>
約4年も越中で過ごし,京に帰任する家持にとって,自分を守ってくれる権力者が欲しかったのでしょう。最後の「申さね」という言葉が,橘諸兄にすがりたい家持の気持ちを強く表れしていると私は感じます。
家持は,この短歌を実際に諸兄に贈ったかどうかは分かりません。でも,その当時の家持の不安な気持ちを表すものとして,家持は記録し,万葉集に残したのだろうと私は思います。
しかし,諸兄の威光はこのころから下り坂で,藤原仲麻呂(ふぢはらのなかまろ)が勢力を伸ばしていきます。
越中での比較的穏やかな生活は終わりを告げ,京での家持の試練が待っているのです。
動きの詞(ことば)シリーズ…申す(2)に続く。
2015年3月14日土曜日
2014年3月12日水曜日
本ブログ6年目突入スペシャル「万葉集の多様性に惚れ込む(2)」 霜という天候
前回は天候(霧)の多様性を取り上げましたが,今回は天候(霜)の多様性を取り上げます。
万葉集では「霜」についても「霧」に負けないくらいいろいろなタイプの霜が出てきます。霧はある意味年間を通して出ますが,霜が出る時期や時間帯は霧に比べてはるかに限られているにも関わらずです。
まず,万葉集では「霜が降りる」ことを,「霜を置く」「霜が降る」と表現しています。事例を見ていきましょう。
この里は継ぎて霜や置く夏の野に我が見し草はもみちたりけり(19-4268)
<このさとはつぎてしもやおく なつののにわがみしくさは もみちたりけり>
<<この里はいつも霜の置くことがあるのか。夏の野で余が見た草はもう色づいていたぞよ>>
この短歌は天平勝宝4(752)年に孝謙天皇が藤原仲麻呂に贈ったとされる1首です。
夏に紅葉のように綺麗に色づく草が招待された仲麻呂邸の庭に植えられていたのを見た孝謙天皇は,「ここでは夏でも霜が降りるのか?」と詠って仲麻呂邸を褒めたと私は想像します。降りた(置かれた)霜によって,紅葉がきれいに色づくというのが,当時の常識的な見方だったのでしょう。
この短歌から,孝謙天皇はこのときここまで仲麻呂をヨイショするほど仲麻呂に頼っていたのだと私には伝わってきます。
はなはだも夜更けてな行き道の辺の斎笹の上に霜の降る夜を(10-2336)
<はなはだもよふけてなゆき みちのへのゆささのうへに しものふるよを>
<<夜も大変更けてしまっているのに行ってしまわないでください。道の傍の神聖な笹にも霜が降るような夜ですのに>>
この詠み人知らずの短歌は,女性作で,妻問に来た夫を返したくない気持ちを詠んだものだといえるでしょう。人が安易に触ってはいけない神にささげる笹の葉に霜が降りる,でもその霜を蹴散らしながら私のことなんか忘れて帰るのでしょうねと夫に伝えていると私は感じます。
ここでは紹介しませんが,この夫はこの短歌を贈られて,そんなことをいって引き止める妻のことをますます思わずにはいられないという短歌を返しています。
さて,霜の種類もいくつか万葉集には出てきます。「露霜」「朝霜」「霜枯れ」「霜曇り」「霜夜」がそうです。一番多く出てくる「露霜」は「消(け)」,「置く」,「古」かかる枕詞「露霜の」として使われるほか,本来の「秋が深まり露が凍って霜に変わった」という意味の「露霜」も多く詠まれています。
次はそのなかの1首です。
妻恋ひに鹿鳴く山辺の秋萩は露霜寒み盛り過ぎゆく(8-1600)
<つまごひにかなくやまへの あきはぎはつゆしもさむみ さかりすぎゆく>
<<妻を恋う鹿が鳴く山辺の秋萩は,露霜が降りるほど寒くなったので,花の盛りが過ぎてゆく>>
これは内舎人の石川広成という人物が詠んだとされる短歌です。鹿は妻を恋う自分自身を示し,いくら鳴いてもなかなか妻は逢ってくれないので,妻の盛りも過ぎてしまわないかとを心配して詠んだ短歌だろうと私は解釈します。妻がなかなか逢ってくれない理由がわからない広成の戸惑いが私には見えます。
さて,最後は今はあまり使われない「霜曇り」が出てくる詠み人知らずの短歌を紹介します。
霜曇りすとにかあるらむ久方の夜渡る月の見えなく思へば(7-1083)
<しもぐもりすとにかあるらむ ひさかたのよわたるつきの みえなくおもへば>
<<霜が降りるために曇っているためだあろうか。夜を渡る月が見えないと思われる訳は>>
万葉時代,霜が降りるためにはそれなりの湿気が必要だと考えられていた可能性がありそうです。
夜曇っていて,未明に雲がとれて放射冷却が発生すると霜が降りやすいといえるのかもしれません。そのため,この短歌の作者は月の光に霜が輝く美しさを見たい,早く雲が取れてくれないかなと待っている姿を私は感じます。
<何度目かの台湾訪問>
さて,私は3月5日から8日まで約3年ぶりに台北に観光に行ってきました。
寒い日本を離れて,南国の気候を期待していましたが,台北はずっと小雨か曇りの天気で,南国の太陽を目にすることはありませんでした。最高気温も16度程度,最低気温は10度くらいまで下がり,現地の人たちはダウンジャケット,ブーツ,マフラー姿です。服装だけ見れば日本の真冬と変わらない服装をしていました。
それでも,台北市内で美味しいものを次々と食べ歩き,足裏マッサージも堪能。台北市立動物園でパンダの親子をゆっくり見学,猫空ロープウェイから台北市内を遠望し,九份老街もしっかり散策しました。
今回,空港と台北市内,観光地の移動はすべて地下鉄(MRT)かバスを使い(支払はプリペイドカード),結局タクシーは一度も使いませんでした。台北の多様な見どころを満喫し,公共交通機関の便利さと安さに改めて感心させられ旅行でした。
本ブログ6年目突入スペシャル「万葉集の多様性に惚れ込む(3)」に続く。
万葉集では「霜」についても「霧」に負けないくらいいろいろなタイプの霜が出てきます。霧はある意味年間を通して出ますが,霜が出る時期や時間帯は霧に比べてはるかに限られているにも関わらずです。
まず,万葉集では「霜が降りる」ことを,「霜を置く」「霜が降る」と表現しています。事例を見ていきましょう。
この里は継ぎて霜や置く夏の野に我が見し草はもみちたりけり(19-4268)
<このさとはつぎてしもやおく なつののにわがみしくさは もみちたりけり>
<<この里はいつも霜の置くことがあるのか。夏の野で余が見た草はもう色づいていたぞよ>>
この短歌は天平勝宝4(752)年に孝謙天皇が藤原仲麻呂に贈ったとされる1首です。
夏に紅葉のように綺麗に色づく草が招待された仲麻呂邸の庭に植えられていたのを見た孝謙天皇は,「ここでは夏でも霜が降りるのか?」と詠って仲麻呂邸を褒めたと私は想像します。降りた(置かれた)霜によって,紅葉がきれいに色づくというのが,当時の常識的な見方だったのでしょう。
この短歌から,孝謙天皇はこのときここまで仲麻呂をヨイショするほど仲麻呂に頼っていたのだと私には伝わってきます。
はなはだも夜更けてな行き道の辺の斎笹の上に霜の降る夜を(10-2336)
<はなはだもよふけてなゆき みちのへのゆささのうへに しものふるよを>
<<夜も大変更けてしまっているのに行ってしまわないでください。道の傍の神聖な笹にも霜が降るような夜ですのに>>
この詠み人知らずの短歌は,女性作で,妻問に来た夫を返したくない気持ちを詠んだものだといえるでしょう。人が安易に触ってはいけない神にささげる笹の葉に霜が降りる,でもその霜を蹴散らしながら私のことなんか忘れて帰るのでしょうねと夫に伝えていると私は感じます。
ここでは紹介しませんが,この夫はこの短歌を贈られて,そんなことをいって引き止める妻のことをますます思わずにはいられないという短歌を返しています。
さて,霜の種類もいくつか万葉集には出てきます。「露霜」「朝霜」「霜枯れ」「霜曇り」「霜夜」がそうです。一番多く出てくる「露霜」は「消(け)」,「置く」,「古」かかる枕詞「露霜の」として使われるほか,本来の「秋が深まり露が凍って霜に変わった」という意味の「露霜」も多く詠まれています。
次はそのなかの1首です。
妻恋ひに鹿鳴く山辺の秋萩は露霜寒み盛り過ぎゆく(8-1600)
<つまごひにかなくやまへの あきはぎはつゆしもさむみ さかりすぎゆく>
<<妻を恋う鹿が鳴く山辺の秋萩は,露霜が降りるほど寒くなったので,花の盛りが過ぎてゆく>>
これは内舎人の石川広成という人物が詠んだとされる短歌です。鹿は妻を恋う自分自身を示し,いくら鳴いてもなかなか妻は逢ってくれないので,妻の盛りも過ぎてしまわないかとを心配して詠んだ短歌だろうと私は解釈します。妻がなかなか逢ってくれない理由がわからない広成の戸惑いが私には見えます。
さて,最後は今はあまり使われない「霜曇り」が出てくる詠み人知らずの短歌を紹介します。
霜曇りすとにかあるらむ久方の夜渡る月の見えなく思へば(7-1083)
<しもぐもりすとにかあるらむ ひさかたのよわたるつきの みえなくおもへば>
<<霜が降りるために曇っているためだあろうか。夜を渡る月が見えないと思われる訳は>>
万葉時代,霜が降りるためにはそれなりの湿気が必要だと考えられていた可能性がありそうです。
夜曇っていて,未明に雲がとれて放射冷却が発生すると霜が降りやすいといえるのかもしれません。そのため,この短歌の作者は月の光に霜が輝く美しさを見たい,早く雲が取れてくれないかなと待っている姿を私は感じます。
<何度目かの台湾訪問>
さて,私は3月5日から8日まで約3年ぶりに台北に観光に行ってきました。
寒い日本を離れて,南国の気候を期待していましたが,台北はずっと小雨か曇りの天気で,南国の太陽を目にすることはありませんでした。最高気温も16度程度,最低気温は10度くらいまで下がり,現地の人たちはダウンジャケット,ブーツ,マフラー姿です。服装だけ見れば日本の真冬と変わらない服装をしていました。
それでも,台北市内で美味しいものを次々と食べ歩き,足裏マッサージも堪能。台北市立動物園でパンダの親子をゆっくり見学,猫空ロープウェイから台北市内を遠望し,九份老街もしっかり散策しました。
今回,空港と台北市内,観光地の移動はすべて地下鉄(MRT)かバスを使い(支払はプリペイドカード),結局タクシーは一度も使いませんでした。台北の多様な見どころを満喫し,公共交通機関の便利さと安さに改めて感心させられ旅行でした。
本ブログ6年目突入スペシャル「万葉集の多様性に惚れ込む(3)」に続く。
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