前回は天候(霧)の多様性を取り上げましたが,今回は天候(霜)の多様性を取り上げます。
万葉集では「霜」についても「霧」に負けないくらいいろいろなタイプの霜が出てきます。霧はある意味年間を通して出ますが,霜が出る時期や時間帯は霧に比べてはるかに限られているにも関わらずです。
まず,万葉集では「霜が降りる」ことを,「霜を置く」「霜が降る」と表現しています。事例を見ていきましょう。
この里は継ぎて霜や置く夏の野に我が見し草はもみちたりけり(19-4268)
<このさとはつぎてしもやおく なつののにわがみしくさは もみちたりけり>
<<この里はいつも霜の置くことがあるのか。夏の野で余が見た草はもう色づいていたぞよ>>
この短歌は天平勝宝4(752)年に孝謙天皇が藤原仲麻呂に贈ったとされる1首です。
夏に紅葉のように綺麗に色づく草が招待された仲麻呂邸の庭に植えられていたのを見た孝謙天皇は,「ここでは夏でも霜が降りるのか?」と詠って仲麻呂邸を褒めたと私は想像します。降りた(置かれた)霜によって,紅葉がきれいに色づくというのが,当時の常識的な見方だったのでしょう。
この短歌から,孝謙天皇はこのときここまで仲麻呂をヨイショするほど仲麻呂に頼っていたのだと私には伝わってきます。
はなはだも夜更けてな行き道の辺の斎笹の上に霜の降る夜を(10-2336)
<はなはだもよふけてなゆき みちのへのゆささのうへに しものふるよを>
<<夜も大変更けてしまっているのに行ってしまわないでください。道の傍の神聖な笹にも霜が降るような夜ですのに>>
この詠み人知らずの短歌は,女性作で,妻問に来た夫を返したくない気持ちを詠んだものだといえるでしょう。人が安易に触ってはいけない神にささげる笹の葉に霜が降りる,でもその霜を蹴散らしながら私のことなんか忘れて帰るのでしょうねと夫に伝えていると私は感じます。
ここでは紹介しませんが,この夫はこの短歌を贈られて,そんなことをいって引き止める妻のことをますます思わずにはいられないという短歌を返しています。
さて,霜の種類もいくつか万葉集には出てきます。「露霜」「朝霜」「霜枯れ」「霜曇り」「霜夜」がそうです。一番多く出てくる「露霜」は「消(け)」,「置く」,「古」かかる枕詞「露霜の」として使われるほか,本来の「秋が深まり露が凍って霜に変わった」という意味の「露霜」も多く詠まれています。
次はそのなかの1首です。
妻恋ひに鹿鳴く山辺の秋萩は露霜寒み盛り過ぎゆく(8-1600)
<つまごひにかなくやまへの あきはぎはつゆしもさむみ さかりすぎゆく>
<<妻を恋う鹿が鳴く山辺の秋萩は,露霜が降りるほど寒くなったので,花の盛りが過ぎてゆく>>
これは内舎人の石川広成という人物が詠んだとされる短歌です。鹿は妻を恋う自分自身を示し,いくら鳴いてもなかなか妻は逢ってくれないので,妻の盛りも過ぎてしまわないかとを心配して詠んだ短歌だろうと私は解釈します。妻がなかなか逢ってくれない理由がわからない広成の戸惑いが私には見えます。
さて,最後は今はあまり使われない「霜曇り」が出てくる詠み人知らずの短歌を紹介します。
霜曇りすとにかあるらむ久方の夜渡る月の見えなく思へば(7-1083)
<しもぐもりすとにかあるらむ ひさかたのよわたるつきの みえなくおもへば>
<<霜が降りるために曇っているためだあろうか。夜を渡る月が見えないと思われる訳は>>
万葉時代,霜が降りるためにはそれなりの湿気が必要だと考えられていた可能性がありそうです。
夜曇っていて,未明に雲がとれて放射冷却が発生すると霜が降りやすいといえるのかもしれません。そのため,この短歌の作者は月の光に霜が輝く美しさを見たい,早く雲が取れてくれないかなと待っている姿を私は感じます。
<何度目かの台湾訪問>
さて,私は3月5日から8日まで約3年ぶりに台北に観光に行ってきました。
寒い日本を離れて,南国の気候を期待していましたが,台北はずっと小雨か曇りの天気で,南国の太陽を目にすることはありませんでした。最高気温も16度程度,最低気温は10度くらいまで下がり,現地の人たちはダウンジャケット,ブーツ,マフラー姿です。服装だけ見れば日本の真冬と変わらない服装をしていました。
それでも,台北市内で美味しいものを次々と食べ歩き,足裏マッサージも堪能。台北市立動物園でパンダの親子をゆっくり見学,猫空ロープウェイから台北市内を遠望し,九份老街もしっかり散策しました。
今回,空港と台北市内,観光地の移動はすべて地下鉄(MRT)かバスを使い(支払はプリペイドカード),結局タクシーは一度も使いませんでした。台北の多様な見どころを満喫し,公共交通機関の便利さと安さに改めて感心させられ旅行でした。
本ブログ6年目突入スペシャル「万葉集の多様性に惚れ込む(3)」に続く。
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