このブログを始めて満5年が経ち,6年目に入ります。
これまで320件ほど記事をアップしてきました。アップした記事が増えていますから当たり前なのかもしれませんが,おかげさまで記事件数の増加ペース以上で年々閲覧数が増えています。
このブログをここまで続けてこられたのは,以前にも述べましたが,万葉集の根底にあるさまざまな意味での「多様性」があるからだと私は感じています。もし,この万葉集にこのような「多様性」がなかったら,根っからの飽き性である私の性格からは,同じようなことを繰り返す記事ばかり書くのを嫌い,おそらく続かなかったとと思います。
万葉集の多様性については,多くの分野(動植物,衣食住,染色,文化,芸能,宗教,経済など)を専門を研究する研究者の方々が研究された成果があるようです。
それでも,私は,この節目で自分の感じた焦点を絞った視点(ビュー)から,万葉集の「多様性」をいくつかの切り口で書いてみたくなったのです。
<万葉集で表れる霧の多様性>
今回は天候(霧)の多様性を取り上げます。気象予報士の試験があるように,天候を予測したり,天候の変化に備えたりするには,自然現象である天候の性質について詳しく知っておく必要がありそうです。天気が変わるとは,ある天候の状態から別の天候の状態に変化することです。たとえば,晴れていたのに急に曇り出したとか,ザザ振りの雨が止み太陽が出て虹がかかったといった変化です。
気象庁の天気図に書かれる天気記号の種類には,快晴,晴,薄曇,曇,煙霧,砂塵嵐,地吹雪,霧,霧雨,雨,霙(みぞれ),雪,霰(あられ),雹(ひょう),雷があるそうです。
万葉集ではどんな天候が出くるのでしょうか。
2011年11月にアップした対語シリーズ「晴と雨」のように,晴や雨は万葉集でたくさん詠まれています。その他を見ていくと,霧がなんと80首ほどの和歌で詠まれているのです。万葉時代は,それだけ霧は和歌のテーマとしてポピュラーであり,霧はそれまで見えていた風景を一変させるような心理的効果があったのかも知れないと私は思います。
特に朝霧は昨日見ていた遠くの風景が隠され,近くものほどはっきりと見え,少しずつ遠くに行くほどぼやけていく姿を万葉歌人も幻想的と感じたのでしょう。
朝霧にしののに濡れて呼子鳥三船の山ゆ鳴き渡る見ゆ(10-1831)
<あさぎりにしののにぬれて よぶこどりみふねのやまゆ なきわたるみゆ>
<<朝霧にしっかり濡れて呼子鳥が三船の山を通って鳴きながら飛んでいくのが見える>>
この詠み人知らずの短歌は風景描写と自分の気持ちを詠んだ良い歌だと私は思います。呼子鳥がどのくらい霧で濡れているかはおそらく作者には見えていないのだろうと思います。三船山の上を飛んでいる呼子鳥の姿が朝霧の中でうっすらと見え,鳴き声だけは鮮明に聞こえたので,呼子鳥は長い時間霧の中を飛んでさぞや濡れて,ツラく感じているのだろうと作者は思った可能性があります。
作者自身も恋なのか仕事なのか,霧に隠されて方向性が見えず,涙で濡れている,そんな心境を前提にしてこの短歌を詠んだのかもしれませんね。
朝霧以外に,夕霧と夜霧が万葉集で詠まれています。
次は天武天皇のひ孫にあたる圓方女王(まとかたのおほきみ)が義理の姉だと云われる智努女王(ちぬのおほきみ)の死去に際して詠んだ短歌です。
夕霧に千鳥の鳴きし佐保路をば荒しやしてむ見るよしをなみ(20-4477)
<ゆふぎりにちどりのなきし さほぢをばあらしやしてむ みるよしをなみ>
<<夕霧が立って千鳥の鳴いていた佐保路を荒れるままにしてしまうのでしょうか。もうお会いすることができずに>>
夕霧の中,千鳥が鳴いている佐保路を皇族の二人はよく一緒に歩いたのでしょうか。夕霧が出る頃ですから,辺りは薄暗くなって,二人だけで誰にも邪魔されず,いろんなことを話できたのかもしれません。そんな佐保路でもうお話ができなくなるので,道が荒れてしまうのではと残念がっています。佐保路は皇族がよく歩く道だとすると,きちっと整備されていたのでしょう。
次は夜霧について柿本人麻呂歌集で天武天皇の子である舎人皇子(とねりのみこ)が詠んだとされる短歌です。
ぬばたまの夜霧は立ちぬ衣手の高屋の上にたなびくまでに(9-1706)
<ぬばたまのよぎりはたちぬ ころもでのたかやのうへに たなびくまでに>
<<夜霧が高屋の上にたなびくほどたっている>>
山の上の方は月明かりで見えていたが,下の方は夜霧で白くたなびいた水墨画のような風景だったのかもしれません。
このほかにも,さまざまな状況の霧を詠んだ和歌で万葉集には出てきます。日本の多様な気候の変化とその変化を受け止める繊細な万葉人の感性があったればこそだと私は思うのです。
本ブログ6年目突入スペシャル「万葉集の多様性に惚れ込む(2)」に続く。
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