ここまで,万葉集に出てくる天候の多様さについて私の考えを説明してきました。今回のスペシャル記事の最後は「霞(かすみ)」「霰(あられ)」をとりあげます。
万葉集で「霞」が出てくる和歌は78首ほどあり,「霰」が出てくる和歌は10首ほどあります。ようやく春らしくなった昨日今日ですが,まずは春によく立つ「霞」から見ていきましょう。
霞といえば,大伴家持の次の短歌が有名です。
春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影に鴬鳴くも(19-4290)
ただ,この短歌は2009年7月11日と2011年4月3日の当ブログで紹介済みなので割愛します。
次は同じ家持が越中守として赴任していた時期の旧暦3月16日に盟友の大伴池主に贈ったとされる1首です。
三島野に霞たなびきしかすがに昨日も今日も雪は降りつつ(18-4079)
<みしまのにかすみたなびき しかすがにきのふもけふも ゆきはふりつつ>
<<三島野に霞がたなびいて,それなのに昨日も今日も雪は降り続いている>>
今日のニュースでは,北日本は大荒れの天気で強い風が吹き,雪も降る予報が出ているようです。霞がたなびく春になっても雪が降り続き,なかなか暖かくならない状況を家持はやや嘆いているようにも私は感じます。
しかし,次の詠み人知らずの短歌のように,春は確実にやってきます。
見わたせば春日の野辺に霞立ち咲きにほへるは桜花かも(10-1872)
<みわたせばかすがののへに かすみたちさきにほへるは さくらばなかも>
<<見わたせば春日の野に霞が立ち,そして立派に咲いているのは桜の花だろうか>>
この短歌から,童謡「さくらさくら」の歌詞の「♪かすみか雲か」を思い出しました。
次は中臣武良自(なかとみのむらじ)が春の兆候を詠んだ短歌です。
時は今は春になりぬとみ雪降る遠山の辺に霞たなびく(8-1479)
<ときはいまははるになりぬと みゆきふるとほやまのへに かすみたなびく>
<<季節は今は春になったようだ。雪が降り積もる遠山のあたりに霞がたなびいているから>>
私が毎朝通勤の武蔵野線から見える富士山は日を追うごとにかすんでいきます。この短歌のように春になっている証拠なのかもしれませんね。
さて,最後は「霰」に関する万葉集の和歌を見ていきましょう。「霰」は広辞苑には,雪の結晶に過冷却状態の水滴が付着して凍り,白色不透明の氷の小塊になって地上降るものと説明されています。不安定な天候の時に発生するのだろうと私は想像します。
<「枕詞は常に訳さない」という考えは同意できない>
万葉集では,「霰降り」(鹿島,遠などにかかる),「霰打つ」(安良礼松原にかかる)という枕詞として出てくるものがほとんどです。枕詞なので「特に意味がない」と考えることに私は同調しません。和歌の主張する主体は別にあるとしても,文字がなかった時代,吟詠でそれを引き出すために枕詞は重要な役割を持っていたのではないでしょうか。枕詞に使われる言葉(この場合「霰」)は当時としては非常にポピュラーな言葉だったと私は想像します。
さて,枕詞としては使われていないと考えられる詠み人知らずの短歌(柿本人麻呂歌集に載っていたという)を紹介します。
我が袖に霰た走る巻き隠し消たずてあらむ妹が見むため(10-2312)
<わがそでにあられたばしる まきかくしけたずてあらむ いもがみむため>
<<衣の袖に霰が玉になって飛びこんでくるので,溶けないように包み隠して妻に見せてあげたい>>
雪でもなく,雹(ひょう)でもない霰に対する作者のイメージが伝わってきます。
こうやって,万葉集に出てくる天候だけを見てみても,いくらでも書けそうな気になってくるのは,万葉集を愛する人の中で私だけでしょうか。「暑いですね」「冷えますね」「よく降りますね」「お天気雨で虹が出てましたよ」「風止みませんね」「今日は一雨きそうですね」そして「良いお天気ですね」など日本人は日常的に天気のことについてコミュニケーションします。
それだけ,日本の天候は変化が激しく,多様で,そのことによる生活への影響が少なからずある。でも,一方ではその天気の変化の中で見せる自然の美しさを愛で,相手に伝え,共有することで,その変化を楽しもうしている,それが日本人の特性の一つだと私は思いたいのです。
あまりまとまっていませんが,今回のスペシャル記事はここまでとして,動きの詞シリーズに戻ります。
動きの詞(ことば)シリーズ…問ふ(1)に続く
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