今回は,前回の「霜」で出てきた「露霜」「露霜の」を除いた「露」について万葉集を見ていきたいと思います。
露の凍った状態を霜とすると,凍っていない露は降りるのは真冬以外のさまざまな季節で発生することになります。万葉集で霜については多様な表現で詠まれていますので,露も多様な表現で詠まれていると期待ができそうです。事実,露が出てくる万葉集の和歌は「露霜」「露霜の」を除いても,87首ほど出てきます。露という気象現象も万葉歌人にとって,比較的ポピュラーな和歌のテーマだったのかもしれませんね。
露についてどんな表現が使われているか見ていきましょうか。
暁露(あかときつゆ)‥夜明け前の少し明るくなったときに降りている露
朝露(あさつゆ)‥朝降りている露
朝露の‥「命」「消(け)」「置く」などにかかる枕詞
白露(しらつゆ)‥白く光って見える露
白露の‥「消(け)」「置く」にかかる枕詞
露の命(つゆのいのち)‥露のように消えやすい命
露原(つゆはら)‥露の多く降りている原。
露分け(つゆわけ)‥草原・野路などの,草の茂ったところの露を押し分けていくこと
露分け衣(つゆわけころも)‥露の多い草場などを分けていくときに着る衣
山下露(やましたつゆ)‥山中の木々の枝葉からこぼれ落ちる露
夕露(ゆうつゆ)‥夕方に降りている露
では,現代ではあまり見かけない言葉「山下露」の用例から見ていきましょう。
ぬばたまの黒髪山を朝越えて山下露に濡れにけるかも(7-1241)
<ぬばたまのくろかみやまを あさこえてやましたつゆに ぬれにけるかも>
<<黒髪山を朝越えて、山中の木々の枝葉についていた露に濡れてしまったよ>>
この詠み人知らずの短歌を詠んだ作者は,平城京の北にある黒髪山を越えて,京の妻に逢いに来たのかもしれません。山越えをしなければ露に濡れることはなかったのに,遠回りしないで急いできたことを訴えたいのでしょうか。
次は「露分け衣」を詠んだこれも詠み人知らずの短歌です。
夏草の露別け衣着けなくに我が衣手の干る時もなき(10-1994)
<なつくさのつゆわけごろも つけなくにわがころもでの ふるときもなき>
<<夏草の露分け衣に着けなければならないようなところを来たわけでもないのに,私の衣の袖は乾くときがない>>
苦しい恋で涙が止まらず,その涙を拭く衣の袖が乾くことがないと嘆いている短歌といえそうですね。露をかき分けかき分け進むイメージは,恋の行く末が見えない暗い道筋と,当時の考えとしてはうまく合っていたのではないかと私は想像します。
次は,「露原」を詠んだ詠み人知らずの旋頭歌です。
朝戸出の君が足結を濡らす露原早く起き出でつつ我れも裳裾濡らさな(11-2357)
<あさとでのきみがあゆひをぬらすつゆはら はやくおきいでつつわれももすそぬらさな>
<<朝戸を出てゆくあなたの足結を濡らす露原。私も早く起きてそこに出てあなたと同じように裳の裾を濡らしましょう>>
この旋頭歌は,2011年9月25日に本ブログで紹介しています。露原を一緒に行って,妻問に来た夫を可能な限り遠くまで見送りたい気持ちが私には伝わってきます。
最後は「白露」を詠んだ湯原王(ゆはらのおほきみ)の短歌を紹介します。
玉に貫き消たず賜らむ秋萩の末わくらばに置ける白露(8-1618)
<たまにぬきけたずたばらむ あきはぎのうれわくらばに おけるしらつゆ>
<<玉にして緒に通して消えないままもらいましょう,秋萩の枝先の葉に置いた白露を>>
秋萩の枝先の葉に降りた露が白く輝き,美しかったのでしょうか。湯原王はその露を玉にして残したいと思ったのかもしれません。
このように見てくると,露は美しい風景を与えてくれるが,露は冷たく,それに濡れることは苦痛を伴うことなのです。露に濡れることが苦しい恋や別離の苦しさをイメージする際に使われていたのだろうと私は感じます。
本ブログ6年目突入スペシャル「万葉集の多様性に惚れ込む(4)」に続く。
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