<転職して2週間。一番苦しいところ>
新しい職場に勤務を開始して2週間。やっと,周りの仕事の内容が見えてきたところです。
以前にも述べましたが,私が専門としている稼働中ソフトウェアの保守開発の仕事は「たかがちょっとした修正でしょ」といった簡単なものではありません。
対象コンピュータシステムに搭載されたソフトウェアがどのようなことを重視して初期開発されたのか,その後どのような問題に遭遇し,どのような改修をされてきたのかなどの経緯が分からないと,コスト的,将来的,緊急対応度,対応困難度,対応影響範囲などの観点から,最適な対応(改修)方法を導き出すのが簡単にはできないのです。
対象システムが大規模なため,現状を理解するだけでなく,そういった今までの経緯を含めて完全に理解をするのは,まだまた時間が必要です。
しかし,すべてが理解できていなくても課題の解決を行いながら理解を深めていくことも現実的な対応で,限られた情報しかなくても最適な対応方法を素早く見つける技もプロフェッショナルとして必要な技量かもしれません。
<本題>
さて,近況はそのくらいにして,今回から「照る」について万葉集を見ていきましょう。万葉集で「照」の漢字があてられている和歌は100首以上もあります。「照る」の意味は,明るくかがやく・ひかるという意味と,つやが良いといあ意味があります。また,枕詞(高照らす,押し照る)に使われていて,それ自体に直接的な意味がない場合もあります。
その中を見ていくと,「照らしている」ものの本体は次のようなものに分類できます。
・月
・日
・花
・その他(玉,黄葉,雪,天の川などの星,天など)
今回はまず「照りかがやくものとしての月」や「月が照っている月夜」を見ていきます。これらを詠んだ和歌は50首ほど万葉集で出てきます。
1首目は,長屋王(ながやのおほきみ)の娘とされている賀茂女王(かものおほきみ)が詠んだ相聞歌1首です。
大伴の見つとは言はじあかねさし照れる月夜に直に逢へりとも(4-565)
<おほとものみつとはいはじ あかねさしてれるつくよに ただにあへりとも>
<<あなた様を見たとは言わないことにしましょう。すごく明るく月が照っている夜にあなた様と直(じか)に逢うことができたとしても>>
誰に贈ったかは不明のようですが,これも女王の他の相聞歌に出てくる大伴三依(おほとものみより)だったのではないかと私は思います。
三依はこれを受けて詠んだかどうか不明ですが,同じ巻4の中で次の短歌を詠んでいます。
照る月を闇に見なして泣く涙衣濡らしつ干す人なしに(4-690)
<てるつきをやみにみなして なくなみだころもぬらしつ ほすひとなしに>
<<明るい月夜が闇夜に見えるほど泣いた涙で衣を濡らしてしまった。干してくれる人などいないのに>>
この両短歌が女王と三依の間のものであったとしたら,ふたりの間は悲恋となったことになります。
何が二人を逢えなくさせる要因となったのか分かりませんが,政治的な問題(長屋王の変)が影響したのかもしれないと私には感じられます。
次は,志貴皇子(しきのみこ)の子であり,光仁(こうにん)天皇の弟である湯原王(ゆはらのおほきみ)が詠んだ短歌を紹介します。
はしきやし間近き里の君来むとおほのびにかも月の照りたる(6-986)
<はしきやしまちかきさとの きみこむとおほのびにかも つきのてりたる>
<<すぐ近くの里に住むあのお方が来てくださるようだ。大きな満月が照りはえている>>
この短歌は,女性の立場で詠んだようのではないかと私は感じます。満月の夜は,道を明るく照らし,出る時間帯も日が暮れたら直ぐなので,夜に行われる妻問にはもってこいです。今夜は素晴らしく明るい満月が照っているので,あの方は今夜こそきっと来るだろうと待ち望んている女性の気持ちを詠んだのではないでしょうか。
この湯原王は,政治的にはほとんど記録に残っていない人物ですが,万葉集に19首の短歌を残しています。天武系の天皇が続く天平時代に,天智天皇系の志貴皇子の血筋をもった人たちは,和歌を詠みながら時代の変化をひたすら待っていたのかもしれません。
長屋王のように天武系であっても敵を作ってしまい,粛清の憂き目に遇うのは避けたいですからね。
最後は,詠み人知らずの短歌ですが,大伴氏の繁栄を願って詠んだと考えられるものです。
靫懸くる伴の男広き大伴に国栄えむと月は照るらし(7-1086)
<ゆきかくるとものをひろき おほともにくにさかえむと つきはてるらし>
<<矢筒を背負い朝廷に仕える丈夫の大伴氏によって,国はいよいよ栄えゆく証しとして,月もさやかに照るっているようだ>>
このように月が照ることが,現代と比べ物にならないほど,当時の人々にとって大きな意味を持っていたのだろうと私は想像します。きっと,明るく照った月夜は,普通の夜と違う元気が出る夜だったのでしょう。
それは,今の季節,あちこちで通りで綺麗で豪華なイルミネーションが点灯されると,寒さなんか忘れて,出かけてみようと思う気持ちと同じかもしれませんね。
動きの詞(ことば)シリーズ…照る(2)に続く。
2014年12月14日日曜日
2014年5月30日金曜日
動きの詞(ことば)シリーズ…焼く(1) ブランド好みいつの世も
今回から動詞「焼く」について,万葉集を見ていくことにします。
今の季節,紫外線が結構強い時期ですので,肌を焼く場合,無理に焼きすぎないように気を付けたいものですね。そのほか,現代で「焼く」対象といえば,肉,魚介類,野菜,栗,芋,せんべい,小麦粉やトウモロコシを水で溶いたものなど食用のための焼く,有田焼,清水焼,九谷焼,信楽焼,瀬戸焼,益子焼などの陶芸品を焼くなどがすぐ出てくるかもしれません。また,「お節介を焼く」,「世話を焼く」,「手を焼く」などの慣用句も結構使われるのではないでしょうか。
さて,万葉集では「焼く」という動きの対象は結構多岐にわたっていますので,順番に見ていくことにしましょう。
万葉集で一番多く出てくる「焼く」対象は,「塩」を焼くという表現です。
須磨人の海辺常去らず焼く塩の辛き恋をも我れはするかも(17-3932)
<すまひとのうみへつねさらず やくしほのからきこひをも あれはするかも>
<<須磨の人がいつも海辺で焼いている塩が辛いように私は辛い恋をしています>>
この短歌は平群氏女郎(へぐりうぢのいらつめ)が越中赴任中の大伴家持宛に詠んだ12首のなかの1首です。この短歌から,塩は須磨産のものが有名であり,海水を濃くして最後は火で焼いて作ること,須磨産の塩は辛さが強いことなどが想像できます。
この短歌の最初の五七五(いわゆる上の句)は典型的な序詞です。結局言いたいことは下の句の「辛き恋をも我れはするかも」です。文学として見た場合,あまり高評価な短歌ではないかもしれません。でも,このような「序詞」を使った和歌が,当時多くの人に知られていたことや社会の動きを知るうえで貴重な情報源だと私は評価すべきと考えます。
他に塩を焼く場所として万葉集に出てくるのは,志賀の海(今の福岡市志賀島),縄の浦(今の兵庫県相生市),手結が浦(今の福井県敦賀市),松帆の浦(今の兵庫県淡路市),藤井の浦(今の兵庫県明石市)です。これらの塩の産地が当時有名だったとすると,瀬戸内海の波が穏やかで比較的少雨の場所に多くあり,遠く離れていても平城京に船で運びやすい場所(次の長歌の一部に出てくる敦賀は琵琶湖水運を利用)であるなどの傾向が私には伺えます。
~ 喘きつつ我が漕ぎ行けば ますらをの手結が浦に 海女娘子塩焼く煙 草枕旅にしあれば ひとりして見る験なみ ~(3-366)
<~ あへきつつわがこぎゆけば ますらをのたゆひがうらに あまをとめしほやくけぶり くさまくらたびにしあれば ひとりしてみるしるしなみ ~>
<<~ 喘ぎながら私が乗る船が漕ぎ進むと,手結が浦に若い海女乙女たちが塩を焼く煙が見える。ただ,旅の途中ひとりで見てもつまらない ~>>
この長歌は,笠金村(かさのかねむら)が越前を旅していて,一人旅の寂しさを詠んだもののようです。
さて,次に「焼く」対象として出てくるのが「太刀」です。万葉時代の「剣(つるぎ)」は戦争の武器としてポピュラーにものだったと考えられます。その切れ味や相手との勝負を有利にするために大型化,軽量化,そして強度を増すことが求められていたと考えられます。そのため,比較的加工しやすい軟鉄で刀の形に加工し,良い形ができた時点で,焼き入れをして,鋼鉄に変えることで,切れ味を増し,丈夫になります。
万葉集では「焼き太刀の」または「焼き太刀を」という表現が出てきます。これらは「利(と)」や「辺(へ)」に掛かる枕詞であるという説が一般的のようです。
焼太刀を砺波の関に明日よりは守部遣り添へ君を留めむ(18-4085)
<やきたちをとなみのせきに あすよりはもりへやりそへ きみをとどめむ>
<<砺波の関所に明日にはもっと多くの番兵を差し向けて,あなたがお帰りになられるのを引き留めましょう>>
この短歌は大伴家持が天平感宝元年5月5日に東大寺から越中に来た僧たちが京に戻るとき設けられた宴の席で僧たちに贈ったといわれる1首です。「焼き太刀を」は砺波(となみ)の「と」に掛かる枕詞であろうとして使用されている例です。
ただ,次の湯原王(ゆはらのおほきみ)が詠んだとされる短歌にでてくる「焼き太刀の」は,枕詞としてではない使用例のようです。
焼太刀のかど打ち放ち大夫の寿く豊御酒に我れ酔ひにけり(6-989)
<やきたちのかどうちはなち ますらをのほくとよみきに われゑひにけり>
<<焼き太刀の鋭い刃で石を打って出た火を使い,屈強な男性がしっかり仕込んで醸造したという上等な酒に私は酔ってしまったなあ>>
私はこの短歌から万葉時代の貴族など比較的裕福な人たちに対し,酒の作成過程を提示して高級な製品(他製品との差別化製品)であることを示していたことが伺えます。
今でも「天然水仕立て」「合成添加物無添加」「○○産自然塩使用」「手搾り感覚果実入り缶チューハイ」などのキャッチコピーで宣伝し,高品質を訴求している製品が溢れていますね。
万葉時代には酒の醸造技術も進化し,それまでに比べて格段に高品質な酒が出回るようになったのは間違いないでしょう。ただ,鋭い焼き太刀から出る火花の火で火を起こし,その火で米を蒸すとうまい酒ができるという根拠は薄いと私は思いますので,このキャッチコピーは単なるイメージ戦略かもしれませんね。
次回は,別の「焼く」対象について見ていきます。
動きの詞(ことば)シリーズ…焼く(2)に続く。
今の季節,紫外線が結構強い時期ですので,肌を焼く場合,無理に焼きすぎないように気を付けたいものですね。そのほか,現代で「焼く」対象といえば,肉,魚介類,野菜,栗,芋,せんべい,小麦粉やトウモロコシを水で溶いたものなど食用のための焼く,有田焼,清水焼,九谷焼,信楽焼,瀬戸焼,益子焼などの陶芸品を焼くなどがすぐ出てくるかもしれません。また,「お節介を焼く」,「世話を焼く」,「手を焼く」などの慣用句も結構使われるのではないでしょうか。
さて,万葉集では「焼く」という動きの対象は結構多岐にわたっていますので,順番に見ていくことにしましょう。
万葉集で一番多く出てくる「焼く」対象は,「塩」を焼くという表現です。
須磨人の海辺常去らず焼く塩の辛き恋をも我れはするかも(17-3932)
<すまひとのうみへつねさらず やくしほのからきこひをも あれはするかも>
<<須磨の人がいつも海辺で焼いている塩が辛いように私は辛い恋をしています>>
この短歌は平群氏女郎(へぐりうぢのいらつめ)が越中赴任中の大伴家持宛に詠んだ12首のなかの1首です。この短歌から,塩は須磨産のものが有名であり,海水を濃くして最後は火で焼いて作ること,須磨産の塩は辛さが強いことなどが想像できます。
この短歌の最初の五七五(いわゆる上の句)は典型的な序詞です。結局言いたいことは下の句の「辛き恋をも我れはするかも」です。文学として見た場合,あまり高評価な短歌ではないかもしれません。でも,このような「序詞」を使った和歌が,当時多くの人に知られていたことや社会の動きを知るうえで貴重な情報源だと私は評価すべきと考えます。
他に塩を焼く場所として万葉集に出てくるのは,志賀の海(今の福岡市志賀島),縄の浦(今の兵庫県相生市),手結が浦(今の福井県敦賀市),松帆の浦(今の兵庫県淡路市),藤井の浦(今の兵庫県明石市)です。これらの塩の産地が当時有名だったとすると,瀬戸内海の波が穏やかで比較的少雨の場所に多くあり,遠く離れていても平城京に船で運びやすい場所(次の長歌の一部に出てくる敦賀は琵琶湖水運を利用)であるなどの傾向が私には伺えます。
~ 喘きつつ我が漕ぎ行けば ますらをの手結が浦に 海女娘子塩焼く煙 草枕旅にしあれば ひとりして見る験なみ ~(3-366)
<~ あへきつつわがこぎゆけば ますらをのたゆひがうらに あまをとめしほやくけぶり くさまくらたびにしあれば ひとりしてみるしるしなみ ~>
<<~ 喘ぎながら私が乗る船が漕ぎ進むと,手結が浦に若い海女乙女たちが塩を焼く煙が見える。ただ,旅の途中ひとりで見てもつまらない ~>>
この長歌は,笠金村(かさのかねむら)が越前を旅していて,一人旅の寂しさを詠んだもののようです。
さて,次に「焼く」対象として出てくるのが「太刀」です。万葉時代の「剣(つるぎ)」は戦争の武器としてポピュラーにものだったと考えられます。その切れ味や相手との勝負を有利にするために大型化,軽量化,そして強度を増すことが求められていたと考えられます。そのため,比較的加工しやすい軟鉄で刀の形に加工し,良い形ができた時点で,焼き入れをして,鋼鉄に変えることで,切れ味を増し,丈夫になります。
万葉集では「焼き太刀の」または「焼き太刀を」という表現が出てきます。これらは「利(と)」や「辺(へ)」に掛かる枕詞であるという説が一般的のようです。
焼太刀を砺波の関に明日よりは守部遣り添へ君を留めむ(18-4085)
<やきたちをとなみのせきに あすよりはもりへやりそへ きみをとどめむ>
<<砺波の関所に明日にはもっと多くの番兵を差し向けて,あなたがお帰りになられるのを引き留めましょう>>
この短歌は大伴家持が天平感宝元年5月5日に東大寺から越中に来た僧たちが京に戻るとき設けられた宴の席で僧たちに贈ったといわれる1首です。「焼き太刀を」は砺波(となみ)の「と」に掛かる枕詞であろうとして使用されている例です。
ただ,次の湯原王(ゆはらのおほきみ)が詠んだとされる短歌にでてくる「焼き太刀の」は,枕詞としてではない使用例のようです。
焼太刀のかど打ち放ち大夫の寿く豊御酒に我れ酔ひにけり(6-989)
<やきたちのかどうちはなち ますらをのほくとよみきに われゑひにけり>
<<焼き太刀の鋭い刃で石を打って出た火を使い,屈強な男性がしっかり仕込んで醸造したという上等な酒に私は酔ってしまったなあ>>
私はこの短歌から万葉時代の貴族など比較的裕福な人たちに対し,酒の作成過程を提示して高級な製品(他製品との差別化製品)であることを示していたことが伺えます。
今でも「天然水仕立て」「合成添加物無添加」「○○産自然塩使用」「手搾り感覚果実入り缶チューハイ」などのキャッチコピーで宣伝し,高品質を訴求している製品が溢れていますね。
万葉時代には酒の醸造技術も進化し,それまでに比べて格段に高品質な酒が出回るようになったのは間違いないでしょう。ただ,鋭い焼き太刀から出る火花の火で火を起こし,その火で米を蒸すとうまい酒ができるという根拠は薄いと私は思いますので,このキャッチコピーは単なるイメージ戦略かもしれませんね。
次回は,別の「焼く」対象について見ていきます。
動きの詞(ことば)シリーズ…焼く(2)に続く。
2014年3月17日月曜日
本ブログ6年目突入スペシャル「万葉集の多様性に惚れ込む(3)」 露という天候
今回は,前回の「霜」で出てきた「露霜」「露霜の」を除いた「露」について万葉集を見ていきたいと思います。
露の凍った状態を霜とすると,凍っていない露は降りるのは真冬以外のさまざまな季節で発生することになります。万葉集で霜については多様な表現で詠まれていますので,露も多様な表現で詠まれていると期待ができそうです。事実,露が出てくる万葉集の和歌は「露霜」「露霜の」を除いても,87首ほど出てきます。露という気象現象も万葉歌人にとって,比較的ポピュラーな和歌のテーマだったのかもしれませんね。
露についてどんな表現が使われているか見ていきましょうか。
暁露(あかときつゆ)‥夜明け前の少し明るくなったときに降りている露
朝露(あさつゆ)‥朝降りている露
朝露の‥「命」「消(け)」「置く」などにかかる枕詞
白露(しらつゆ)‥白く光って見える露
白露の‥「消(け)」「置く」にかかる枕詞
露の命(つゆのいのち)‥露のように消えやすい命
露原(つゆはら)‥露の多く降りている原。
露分け(つゆわけ)‥草原・野路などの,草の茂ったところの露を押し分けていくこと
露分け衣(つゆわけころも)‥露の多い草場などを分けていくときに着る衣
山下露(やましたつゆ)‥山中の木々の枝葉からこぼれ落ちる露
夕露(ゆうつゆ)‥夕方に降りている露
では,現代ではあまり見かけない言葉「山下露」の用例から見ていきましょう。
ぬばたまの黒髪山を朝越えて山下露に濡れにけるかも(7-1241)
<ぬばたまのくろかみやまを あさこえてやましたつゆに ぬれにけるかも>
<<黒髪山を朝越えて、山中の木々の枝葉についていた露に濡れてしまったよ>>
この詠み人知らずの短歌を詠んだ作者は,平城京の北にある黒髪山を越えて,京の妻に逢いに来たのかもしれません。山越えをしなければ露に濡れることはなかったのに,遠回りしないで急いできたことを訴えたいのでしょうか。
次は「露分け衣」を詠んだこれも詠み人知らずの短歌です。
夏草の露別け衣着けなくに我が衣手の干る時もなき(10-1994)
<なつくさのつゆわけごろも つけなくにわがころもでの ふるときもなき>
<<夏草の露分け衣に着けなければならないようなところを来たわけでもないのに,私の衣の袖は乾くときがない>>
苦しい恋で涙が止まらず,その涙を拭く衣の袖が乾くことがないと嘆いている短歌といえそうですね。露をかき分けかき分け進むイメージは,恋の行く末が見えない暗い道筋と,当時の考えとしてはうまく合っていたのではないかと私は想像します。
次は,「露原」を詠んだ詠み人知らずの旋頭歌です。
朝戸出の君が足結を濡らす露原早く起き出でつつ我れも裳裾濡らさな(11-2357)
<あさとでのきみがあゆひをぬらすつゆはら はやくおきいでつつわれももすそぬらさな>
<<朝戸を出てゆくあなたの足結を濡らす露原。私も早く起きてそこに出てあなたと同じように裳の裾を濡らしましょう>>
この旋頭歌は,2011年9月25日に本ブログで紹介しています。露原を一緒に行って,妻問に来た夫を可能な限り遠くまで見送りたい気持ちが私には伝わってきます。
最後は「白露」を詠んだ湯原王(ゆはらのおほきみ)の短歌を紹介します。
玉に貫き消たず賜らむ秋萩の末わくらばに置ける白露(8-1618)
<たまにぬきけたずたばらむ あきはぎのうれわくらばに おけるしらつゆ>
<<玉にして緒に通して消えないままもらいましょう,秋萩の枝先の葉に置いた白露を>>
秋萩の枝先の葉に降りた露が白く輝き,美しかったのでしょうか。湯原王はその露を玉にして残したいと思ったのかもしれません。
このように見てくると,露は美しい風景を与えてくれるが,露は冷たく,それに濡れることは苦痛を伴うことなのです。露に濡れることが苦しい恋や別離の苦しさをイメージする際に使われていたのだろうと私は感じます。
本ブログ6年目突入スペシャル「万葉集の多様性に惚れ込む(4)」に続く。
露の凍った状態を霜とすると,凍っていない露は降りるのは真冬以外のさまざまな季節で発生することになります。万葉集で霜については多様な表現で詠まれていますので,露も多様な表現で詠まれていると期待ができそうです。事実,露が出てくる万葉集の和歌は「露霜」「露霜の」を除いても,87首ほど出てきます。露という気象現象も万葉歌人にとって,比較的ポピュラーな和歌のテーマだったのかもしれませんね。
露についてどんな表現が使われているか見ていきましょうか。
暁露(あかときつゆ)‥夜明け前の少し明るくなったときに降りている露
朝露(あさつゆ)‥朝降りている露
朝露の‥「命」「消(け)」「置く」などにかかる枕詞
白露(しらつゆ)‥白く光って見える露
白露の‥「消(け)」「置く」にかかる枕詞
露の命(つゆのいのち)‥露のように消えやすい命
露原(つゆはら)‥露の多く降りている原。
露分け(つゆわけ)‥草原・野路などの,草の茂ったところの露を押し分けていくこと
露分け衣(つゆわけころも)‥露の多い草場などを分けていくときに着る衣
山下露(やましたつゆ)‥山中の木々の枝葉からこぼれ落ちる露
夕露(ゆうつゆ)‥夕方に降りている露
では,現代ではあまり見かけない言葉「山下露」の用例から見ていきましょう。
ぬばたまの黒髪山を朝越えて山下露に濡れにけるかも(7-1241)
<ぬばたまのくろかみやまを あさこえてやましたつゆに ぬれにけるかも>
<<黒髪山を朝越えて、山中の木々の枝葉についていた露に濡れてしまったよ>>
この詠み人知らずの短歌を詠んだ作者は,平城京の北にある黒髪山を越えて,京の妻に逢いに来たのかもしれません。山越えをしなければ露に濡れることはなかったのに,遠回りしないで急いできたことを訴えたいのでしょうか。
次は「露分け衣」を詠んだこれも詠み人知らずの短歌です。
夏草の露別け衣着けなくに我が衣手の干る時もなき(10-1994)
<なつくさのつゆわけごろも つけなくにわがころもでの ふるときもなき>
<<夏草の露分け衣に着けなければならないようなところを来たわけでもないのに,私の衣の袖は乾くときがない>>
苦しい恋で涙が止まらず,その涙を拭く衣の袖が乾くことがないと嘆いている短歌といえそうですね。露をかき分けかき分け進むイメージは,恋の行く末が見えない暗い道筋と,当時の考えとしてはうまく合っていたのではないかと私は想像します。
次は,「露原」を詠んだ詠み人知らずの旋頭歌です。
朝戸出の君が足結を濡らす露原早く起き出でつつ我れも裳裾濡らさな(11-2357)
<あさとでのきみがあゆひをぬらすつゆはら はやくおきいでつつわれももすそぬらさな>
<<朝戸を出てゆくあなたの足結を濡らす露原。私も早く起きてそこに出てあなたと同じように裳の裾を濡らしましょう>>
この旋頭歌は,2011年9月25日に本ブログで紹介しています。露原を一緒に行って,妻問に来た夫を可能な限り遠くまで見送りたい気持ちが私には伝わってきます。
最後は「白露」を詠んだ湯原王(ゆはらのおほきみ)の短歌を紹介します。
玉に貫き消たず賜らむ秋萩の末わくらばに置ける白露(8-1618)
<たまにぬきけたずたばらむ あきはぎのうれわくらばに おけるしらつゆ>
<<玉にして緒に通して消えないままもらいましょう,秋萩の枝先の葉に置いた白露を>>
秋萩の枝先の葉に降りた露が白く輝き,美しかったのでしょうか。湯原王はその露を玉にして残したいと思ったのかもしれません。
このように見てくると,露は美しい風景を与えてくれるが,露は冷たく,それに濡れることは苦痛を伴うことなのです。露に濡れることが苦しい恋や別離の苦しさをイメージする際に使われていたのだろうと私は感じます。
本ブログ6年目突入スペシャル「万葉集の多様性に惚れ込む(4)」に続く。
2013年6月16日日曜日
心が動いた詞(ことば)シリーズ「めづらし」
今の「珍しい」は,古く万葉時代では「めづらし」として使われていることが,万葉集の和歌からも類推できます。
<希少性とは>
ところで,過去本ブログの投稿でも何度か書いていますが,私は大学では経済学を結構まじめに学びました。経済学を学ぶ過程で強く印象に残ったものの一つに「稀少性(Scarcity)」という概念があります。
モノの価値を決めるのに稀少性が経済学における根本的概念のひとつだとしっかり教えられたのを覚えています。たとえば,レアメタル(rare metal)のような稀少資源は,無尽蔵にある資源ではなく,ある限られた量しか入手できない資源という意味です。容易に推測できると思いますが,稀少性が高い(入手できる量が少ない)資源ほど単位当たりの価値が高い資源と経済学は考えるのです。
<人は限定ものに弱い?>
一般的な販売物でも「○○様限定」「期間限定」「在庫一掃処分」「閉店セール」「レアもの」「有名人の直筆サイン入り○○」「採れたて野菜」「厳選素材」「特選ネタ」「活魚」「浜ゆで毛ガニ」などのキャッチコピーにヒトは飛びつくように,稀少性による消費者の価値をくすぐるものだと私は思います。
逆に,いくら必須なものでも(たとえば,水,空気など),あり余るほどあると,欠乏したときの危機を想像しない限り,日ごろはなかなか価値を感じられないことがあります。いっぽう,生活に必須でなくても(単なる飾り物)でも,世界に一つしかないものだったら欲しくなり,それを手に入れることができたときは無上の幸福感を感じることもあります。
<ミクロ経済とマクロ経済>
経済学では,この稀少性に考えに基づき,モノの価値(あくまでヒトから見た価値)がその量によって変化する「限界効用逓減の法則」が導かれ,そこからモノの価格(物価)が決まる(均衡する)原理が示されています(ミクロ経済学)。
さらに,その均衡した物価を適切に維持(コントロール)することで,国民が求める富を全体として最大になるようにする国家の基本的な役割も経済学では示しています(マクロ経済学)。たとえば,今流行の「アベノミクス」で物価を2%上昇させるといった政策は,マクロ経済学の考えに基づいて,国民全体の豊かさ向上を目指す施策のひとつの方法だと私は考えます。
<マクロ経済では所得のバラツキを少なくすることも重要>
ただ,豊かさ(所得)が全体平均としていずれ年間150万円向上したとしても,標準偏差(バラツキ)が大きいと社会的な格差を生み,豊かさをたっぷり享受できるヒトがいるいっぽうで,貧困にあえぐヒトが出てしまいます。また,長期的(10年単位)には豊かさが向上はしても,短期的(ここ1~2年)生活が苦しくなることがあると,その間生活に耐えられない国民が多数出てしまう可能性もあります。
私が職業として専門にしているソフトウェア保守開発では,政治や社会全体に関心を持ち,世の中の今の変化(モノの価値に対する変化も含む)や何年か先の世の中を予測し,今の世の中のみに対応している既存ソフトウェアをどのタイミングで,どのように修正(保守開発)していくかを先回りして考えることを心掛ける必要があると私は考え。実践しています。
<本題>
では,本題の万葉集で「めづらし」を見ていきます。万葉集に「めづらし」を使った和歌が25首ほど出てきます。結構な数です。「めづらし」は当時そう「珍しい」単語ではなかったのでしょう。
ただし,今のような「一般でない」「あり得ない」「奇異な」という意味以外の意味にも使われています。
青山の嶺の白雲朝に日に常に見れどもめづらし我が君(3-377)
<あをやまのみねのしらくも あさにけにつねにみれども めづらしあがきみ>
<<青々とした山の嶺にかかるきれいな白雲のように朝も昼も見ていて飽きない貴方です>>
ここでの「めづらし」は「飽かず」(飽きない)と同義と考えられそうです。この短歌は,志貴皇子(しきのみこ)の子であり,光仁(こうにん)天皇とは兄弟の関係にある湯原王(ゆはらのおほきみ)が宴席で出席者を讃えて詠んだもののようです。本当は「めづらし」とせずに「飽かず」とした方が字余りにならずに済むのですが,ありきたりの表現では気持ちが伝わらないと考えたのかもしれません。
次は,「愛すべきである」という意味で詠まれたと私が理解する短歌1首です。
本つ人霍公鳥をやめづらしく今か汝が来る恋ひつつ居れば(10-1962)
<もとつひとほととぎすをや めづらしくいまかながくる こひつつをれば>
<<ホトトギスよりも愛らしい,私が本当に恋しいと想っている人が来るのを心待ちにしています>>
この詠み人知らずの短歌の作者は来る人を待つ側なので,女性と思われます。現代の「珍しい」に引っ張られて「めづらし」の訳は難しいのですが,「愛らしい」としました。いかがでしょうか。
次の大伴家持が越中で詠んだ短歌は「すばらしい」という意味に「めづらし」が使われている例です。
時ごとにいやめづらしく咲く花を折りも折らずも見らくしよしも(19-4167)
<ときごとにいやめづらしく さくはなををりもをらずも みらくしよしも>
<<季節ごとにすばらしく咲く花々は折って見ても,折らずにそのまま見ても良いものだ>>
私は過去2回4月下旬に富山県高岡市に行ったことがあります。そのとき,桜,コブシ,モクレンなどの花がいっせいに開花している風景は,まさに家持のこの短歌の気持ちと同ようじでした(もちろん,花や花が咲いた枝を折ったりはしませんが)。
今は梅雨ですが,アジサイ,菖蒲が見頃で,梅雨が明けると,蓮,サルスベリの花が見ごろになります。写真は,奈良県明日香村の亀石の近くにある蓮池を昨年夏に撮ったものです。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「苦し」に続く。
<希少性とは>
ところで,過去本ブログの投稿でも何度か書いていますが,私は大学では経済学を結構まじめに学びました。経済学を学ぶ過程で強く印象に残ったものの一つに「稀少性(Scarcity)」という概念があります。
モノの価値を決めるのに稀少性が経済学における根本的概念のひとつだとしっかり教えられたのを覚えています。たとえば,レアメタル(rare metal)のような稀少資源は,無尽蔵にある資源ではなく,ある限られた量しか入手できない資源という意味です。容易に推測できると思いますが,稀少性が高い(入手できる量が少ない)資源ほど単位当たりの価値が高い資源と経済学は考えるのです。
<人は限定ものに弱い?>
一般的な販売物でも「○○様限定」「期間限定」「在庫一掃処分」「閉店セール」「レアもの」「有名人の直筆サイン入り○○」「採れたて野菜」「厳選素材」「特選ネタ」「活魚」「浜ゆで毛ガニ」などのキャッチコピーにヒトは飛びつくように,稀少性による消費者の価値をくすぐるものだと私は思います。
逆に,いくら必須なものでも(たとえば,水,空気など),あり余るほどあると,欠乏したときの危機を想像しない限り,日ごろはなかなか価値を感じられないことがあります。いっぽう,生活に必須でなくても(単なる飾り物)でも,世界に一つしかないものだったら欲しくなり,それを手に入れることができたときは無上の幸福感を感じることもあります。
<ミクロ経済とマクロ経済>
経済学では,この稀少性に考えに基づき,モノの価値(あくまでヒトから見た価値)がその量によって変化する「限界効用逓減の法則」が導かれ,そこからモノの価格(物価)が決まる(均衡する)原理が示されています(ミクロ経済学)。
さらに,その均衡した物価を適切に維持(コントロール)することで,国民が求める富を全体として最大になるようにする国家の基本的な役割も経済学では示しています(マクロ経済学)。たとえば,今流行の「アベノミクス」で物価を2%上昇させるといった政策は,マクロ経済学の考えに基づいて,国民全体の豊かさ向上を目指す施策のひとつの方法だと私は考えます。
<マクロ経済では所得のバラツキを少なくすることも重要>
ただ,豊かさ(所得)が全体平均としていずれ年間150万円向上したとしても,標準偏差(バラツキ)が大きいと社会的な格差を生み,豊かさをたっぷり享受できるヒトがいるいっぽうで,貧困にあえぐヒトが出てしまいます。また,長期的(10年単位)には豊かさが向上はしても,短期的(ここ1~2年)生活が苦しくなることがあると,その間生活に耐えられない国民が多数出てしまう可能性もあります。
私が職業として専門にしているソフトウェア保守開発では,政治や社会全体に関心を持ち,世の中の今の変化(モノの価値に対する変化も含む)や何年か先の世の中を予測し,今の世の中のみに対応している既存ソフトウェアをどのタイミングで,どのように修正(保守開発)していくかを先回りして考えることを心掛ける必要があると私は考え。実践しています。
<本題>
では,本題の万葉集で「めづらし」を見ていきます。万葉集に「めづらし」を使った和歌が25首ほど出てきます。結構な数です。「めづらし」は当時そう「珍しい」単語ではなかったのでしょう。
ただし,今のような「一般でない」「あり得ない」「奇異な」という意味以外の意味にも使われています。
青山の嶺の白雲朝に日に常に見れどもめづらし我が君(3-377)
<あをやまのみねのしらくも あさにけにつねにみれども めづらしあがきみ>
<<青々とした山の嶺にかかるきれいな白雲のように朝も昼も見ていて飽きない貴方です>>
ここでの「めづらし」は「飽かず」(飽きない)と同義と考えられそうです。この短歌は,志貴皇子(しきのみこ)の子であり,光仁(こうにん)天皇とは兄弟の関係にある湯原王(ゆはらのおほきみ)が宴席で出席者を讃えて詠んだもののようです。本当は「めづらし」とせずに「飽かず」とした方が字余りにならずに済むのですが,ありきたりの表現では気持ちが伝わらないと考えたのかもしれません。
次は,「愛すべきである」という意味で詠まれたと私が理解する短歌1首です。
本つ人霍公鳥をやめづらしく今か汝が来る恋ひつつ居れば(10-1962)
<もとつひとほととぎすをや めづらしくいまかながくる こひつつをれば>
<<ホトトギスよりも愛らしい,私が本当に恋しいと想っている人が来るのを心待ちにしています>>
この詠み人知らずの短歌の作者は来る人を待つ側なので,女性と思われます。現代の「珍しい」に引っ張られて「めづらし」の訳は難しいのですが,「愛らしい」としました。いかがでしょうか。
次の大伴家持が越中で詠んだ短歌は「すばらしい」という意味に「めづらし」が使われている例です。
時ごとにいやめづらしく咲く花を折りも折らずも見らくしよしも(19-4167)
<ときごとにいやめづらしく さくはなををりもをらずも みらくしよしも>
<<季節ごとにすばらしく咲く花々は折って見ても,折らずにそのまま見ても良いものだ>>
私は過去2回4月下旬に富山県高岡市に行ったことがあります。そのとき,桜,コブシ,モクレンなどの花がいっせいに開花している風景は,まさに家持のこの短歌の気持ちと同ようじでした(もちろん,花や花が咲いた枝を折ったりはしませんが)。
今は梅雨ですが,アジサイ,菖蒲が見頃で,梅雨が明けると,蓮,サルスベリの花が見ごろになります。写真は,奈良県明日香村の亀石の近くにある蓮池を昨年夏に撮ったものです。
心が動いた詞(ことば)シリーズ「苦し」に続く。
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