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2014年3月17日月曜日

本ブログ6年目突入スペシャル「万葉集の多様性に惚れ込む(3)」 露という天候

今回は,前回の「霜」で出てきた「露霜」「露霜の」を除いた「露」について万葉集を見ていきたいと思います。
露の凍った状態を霜とすると,凍っていない露は降りるのは真冬以外のさまざまな季節で発生することになります。万葉集で霜については多様な表現で詠まれていますので,露も多様な表現で詠まれていると期待ができそうです。事実,露が出てくる万葉集の和歌は「露霜」「露霜の」を除いても,87首ほど出てきます。露という気象現象も万葉歌人にとって,比較的ポピュラーな和歌のテーマだったのかもしれませんね。

露についてどんな表現が使われているか見ていきましょうか。
暁露(あかときつゆ)‥夜明け前の少し明るくなったときに降りている露
朝露(あさつゆ)‥朝降りている露
朝露の‥「命」「消(け)」「置く」などにかかる枕詞
白露(しらつゆ)‥白く光って見える露
白露の‥「消(け)」「置く」にかかる枕詞
露の命(つゆのいのち)‥露のように消えやすい命
露原(つゆはら)‥露の多く降りている原。
露分け(つゆわけ)‥草原・野路などの,草の茂ったところの露を押し分けていくこと
露分け衣(つゆわけころも)‥露の多い草場などを分けていくときに着る衣
山下露(やましたつゆ)‥山中の木々の枝葉からこぼれ落ちる露
夕露(ゆうつゆ)‥夕方に降りている露

では,現代ではあまり見かけない言葉「山下露」の用例から見ていきましょう。

ぬばたまの黒髪山を朝越えて山下露に濡れにけるかも(7-1241)
ぬばたまのくろかみやまを あさこえてやましたつゆに ぬれにけるかも
<<黒髪山を朝越えて、山中の木々の枝葉についていた露に濡れてしまったよ>>

この詠み人知らずの短歌を詠んだ作者は,平城京の北にある黒髪山を越えて,京の妻に逢いに来たのかもしれません。山越えをしなければ露に濡れることはなかったのに,遠回りしないで急いできたことを訴えたいのでしょうか。
次は「露分け衣」を詠んだこれも詠み人知らずの短歌です。

夏草の露別け衣着けなくに我が衣手の干る時もなき(10-1994)
なつくさのつゆわけごろも つけなくにわがころもでの ふるときもなき
<<夏草の露分け衣に着けなければならないようなところを来たわけでもないのに,私の衣の袖は乾くときがない>>

苦しい恋で涙が止まらず,その涙を拭く衣の袖が乾くことがないと嘆いている短歌といえそうですね。露をかき分けかき分け進むイメージは,恋の行く末が見えない暗い道筋と,当時の考えとしてはうまく合っていたのではないかと私は想像します。
次は,「露原」を詠んだ詠み人知らずの旋頭歌です。

朝戸出の君が足結を濡らす露原早く起き出でつつ我れも裳裾濡らさな(11-2357)
あさとでのきみがあゆひをぬらすつゆはら はやくおきいでつつわれももすそぬらさな
<<朝戸を出てゆくあなたの足結を濡らす露原。私も早く起きてそこに出てあなたと同じように裳の裾を濡らしましょう>>

この旋頭歌は,2011年9月25日に本ブログで紹介しています。露原を一緒に行って,妻問に来た夫を可能な限り遠くまで見送りたい気持ちが私には伝わってきます。
最後は「白露」を詠んだ湯原王(ゆはらのおほきみ)の短歌を紹介します。

玉に貫き消たず賜らむ秋萩の末わくらばに置ける白露(8-1618)
たまにぬきけたずたばらむ あきはぎのうれわくらばに おけるしらつゆ
<<玉にして緒に通して消えないままもらいましょう,秋萩の枝先の葉に置いた白露を>>

秋萩の枝先の葉に降りた露が白く輝き,美しかったのでしょうか。湯原王はその露を玉にして残したいと思ったのかもしれません。
このように見てくると,露は美しい風景を与えてくれるが,露は冷たく,それに濡れることは苦痛を伴うことなのです。露に濡れることが苦しい恋や別離の苦しさをイメージする際に使われていたのだろうと私は感じます。
本ブログ6年目突入スペシャル「万葉集の多様性に惚れ込む(4)」に続く。

2014年3月2日日曜日

本ブログ6年目突入スペシャル「万葉集の多様性に惚れ込む(1)」 霧という天候

このブログを始めて満5年が経ち,6年目に入ります。
これまで320件ほど記事をアップしてきました。アップした記事が増えていますから当たり前なのかもしれませんが,おかげさまで記事件数の増加ペース以上で年々閲覧数が増えています。
このブログをここまで続けてこられたのは,以前にも述べましたが,万葉集の根底にあるさまざまな意味での「多様性」があるからだと私は感じています。もし,この万葉集にこのような「多様性」がなかったら,根っからの飽き性である私の性格からは,同じようなことを繰り返す記事ばかり書くのを嫌い,おそらく続かなかったとと思います。
万葉集の多様性については,多くの分野(動植物,衣食住,染色,文化,芸能,宗教,経済など)を専門を研究する研究者の方々が研究された成果があるようです。
それでも,私は,この節目で自分の感じた焦点を絞った視点(ビュー)から,万葉集の「多様性」をいくつかの切り口で書いてみたくなったのです。
<万葉集で表れる霧の多様性>
今回は天候(霧)の多様性を取り上げます。気象予報士の試験があるように,天候を予測したり,天候の変化に備えたりするには,自然現象である天候の性質について詳しく知っておく必要がありそうです。天気が変わるとは,ある天候の状態から別の天候の状態に変化することです。たとえば,晴れていたのに急に曇り出したとか,ザザ振りの雨が止み太陽が出て虹がかかったといった変化です。
気象庁の天気図に書かれる天気記号の種類には,快晴,晴,薄曇,曇,煙霧,砂塵嵐,地吹雪,霧,霧雨,雨,霙(みぞれ),雪,霰(あられ),雹(ひょう),雷があるそうです。
万葉集ではどんな天候が出くるのでしょうか。
2011年11月にアップした対語シリーズ「晴と雨」のように,晴や雨は万葉集でたくさん詠まれています。その他を見ていくと,がなんと80首ほどの和歌で詠まれているのです。万葉時代は,それだけ霧は和歌のテーマとしてポピュラーであり,霧はそれまで見えていた風景を一変させるような心理的効果があったのかも知れないと私は思います。
特に朝霧は昨日見ていた遠くの風景が隠され,近くものほどはっきりと見え,少しずつ遠くに行くほどぼやけていく姿を万葉歌人も幻想的と感じたのでしょう。

朝霧にしののに濡れて呼子鳥三船の山ゆ鳴き渡る見ゆ(10-1831)
あさぎりにしののにぬれて よぶこどりみふねのやまゆ なきわたるみゆ
<<朝霧にしっかり濡れて呼子鳥が三船の山を通って鳴きながら飛んでいくのが見える>>

この詠み人知らずの短歌は風景描写と自分の気持ちを詠んだ良い歌だと私は思います。呼子鳥がどのくらい霧で濡れているかはおそらく作者には見えていないのだろうと思います。三船山の上を飛んでいる呼子鳥の姿が朝霧の中でうっすらと見え,鳴き声だけは鮮明に聞こえたので,呼子鳥は長い時間霧の中を飛んでさぞや濡れて,ツラく感じているのだろうと作者は思った可能性があります。
作者自身も恋なのか仕事なのか,霧に隠されて方向性が見えず,涙で濡れている,そんな心境を前提にしてこの短歌を詠んだのかもしれませんね。
朝霧以外に,夕霧夜霧が万葉集で詠まれています。
次は天武天皇のひ孫にあたる圓方女王(まとかたのおほきみ)が義理の姉だと云われる智努女王(ちぬのおほきみ)の死去に際して詠んだ短歌です。

夕霧に千鳥の鳴きし佐保路をば荒しやしてむ見るよしをなみ(20-4477)
ゆふぎりにちどりのなきし さほぢをばあらしやしてむ みるよしをなみ
<<夕霧が立って千鳥の鳴いていた佐保路を荒れるままにしてしまうのでしょうか。もうお会いすることができずに>>

夕霧の中,千鳥が鳴いている佐保路を皇族の二人はよく一緒に歩いたのでしょうか。夕霧が出る頃ですから,辺りは薄暗くなって,二人だけで誰にも邪魔されず,いろんなことを話できたのかもしれません。そんな佐保路でもうお話ができなくなるので,道が荒れてしまうのではと残念がっています。佐保路は皇族がよく歩く道だとすると,きちっと整備されていたのでしょう。
次は夜霧について柿本人麻呂歌集で天武天皇の子である舎人皇子(とねりのみこ)が詠んだとされる短歌です。

ぬばたまの夜霧は立ちぬ衣手の高屋の上にたなびくまでに(9-1706)
ぬばたまのよぎりはたちぬ ころもでのたかやのうへに たなびくまでに
<<夜霧が高屋の上にたなびくほどたっている>>

山の上の方は月明かりで見えていたが,下の方は夜霧で白くたなびいた水墨画のような風景だったのかもしれません。
このほかにも,さまざまな状況の霧を詠んだ和歌で万葉集には出てきます。日本の多様な気候の変化とその変化を受け止める繊細な万葉人の感性があったればこそだと私は思うのです。
本ブログ6年目突入スペシャル「万葉集の多様性に惚れ込む(2)」に続く。