2015年3月14日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…申す(1) 「もろえ」さんはモロ・ええなあ~

今回から,また動きの詞(ことば)シリーズに戻ります。今回は,今でも使う「申す」を見ていきましょう。
万葉集の万葉仮名から,万葉時代「申す」は「まをす」と発音していたようです。ただ,一部には「まうす」とも発音していたことも考えられます。
万葉時代での「申す」の意味は今と同じ「言う」「告げる」の謙譲語であること以外に「政事を執奏(しっそう)する」といった意味もあったようです。
具体的な万葉集の和歌を見ていきましょう。次の短歌は志斐嫗(しひのをうな)と呼ばれた老女が,持統天皇の問いかけた短歌に答えたものです。

いなと言へど語れ語れと宣らせこそ志斐いは申せ強ひ語りと詔る(3-237)
いなといへどかたれかたれと のらせこそしひいはまをせ しひかたりとのる
<<遠慮しますと言っておりますのに,陛下が語れ語れと指示され,私に申すように強制しておきながら,それを「私が勝手に話したいと思って話したお話」とおっしゃるなんて,それはあんまりです>>

最初の「言う」は謙譲語ではないので,天皇に直接言ったのではなく,使者に「お断りしたい」言ったのでしょう。それでも,持統天皇は志斐嫗の話がききたくて,家臣に語らせよ,語らせよと指示をした。そうして,結局「申す」とあるように,直接天皇に語りをすることになったのです。
そうすると,この短歌の前に持統天皇がどんな短歌を志斐嫗に贈ったか気になりますね。

いなと言へど強ふる志斐のが強ひ語りこのころ聞かずて我れ恋ひにけり(3-236)
いなといへどしふるしひのが しひかたりこのころきかずて あれこひにけり
<<特別聞きたくもないと言うのに志斐の婆さんがどうしても話したいといって以前話してくれた語り。それが最近は聞かれなくて物足りないのよね>>

なるほど,天皇は志斐嫗の面白い話を聞きたいが,立場上直接命令するのは律令に反する。だから,志斐嫗が乗り込んできてどうしても話したいということにしたかったのでしょうか。しかし,志斐嫗も負けてはいません。「陛下の方こそ私の話をすごくお聞きになりたいのでしょ?」とやり返します。
<オモロイ話はいつでも聞きたいもの>
万葉時代,テレビもラジオもインターネットもない時代です。文字すらも特別な役人だけのモノでした。そんなとき,人気の語り部(今で言えば,落語家,漫談家,講談師,ピン芸人などに当る)の話を聞くのが,多くの人たちの娯楽の一つとなっていたと私は思います。
志斐嫗は,皇室専属ではなく,当時有名な語り部だったのかもしれません。なので,なかなかスケジュールの調整が付かず,持統天皇もしばらく聞けなかったのでしょう。
さて,次は年が大きく下りますが,聖武天皇難波宮に行幸したとき,元正上皇を囲んだ宴席で,そのとき権力の中枢にいた橘諸兄(たちばなのもろえ)を出席者が讃嘆する和歌が残っています。
その中の1首(誰が詠んだか未詳)に「申す」が出てきます。

堀江より水脈引きしつつ御船さすしつ男の伴は川の瀬申せ(18-4061)
ほりえよりみをびきしつつ みふねさすしつをのともは かはのせまうせ
<<堀江を川岸から綱で御船を曳き操る下男たちは,いつまでも御船に伴って川の浅瀬にご注意あれと申すようにいたします>>

この短歌に出てくる「しつ男」は,橘諸兄に対して謙遜した参加者たちを指しているように思えます。「我々は諸兄様の下人で,みんなで船にお乗りになっている諸兄様をお守りいたします」といった意味でしょうか。
この後の短歌では,みんなで一緒に船に乗って,竿をさして浅瀬に注意して無事な航行を達成していくといった短歌が続きます。いずれにしても,橘諸兄に対する忠誠心を表した短歌であることは間違いないでしょう。
今回の最後は,前首よりさらに年は下ります。大伴家持越中守を解かれ,帰京する途中(天平勝宝3(751)年8月),帰京後の後継人として期待している橘諸兄宛てに贈るために詠んだとされる短歌です。

いにしへに君が三代経て仕へけり我が大主は七代申さね(19-4256)
いにしへにきみがみよへて つかへけりあがおほぬしは ななよまをさね
<<昔天皇の三代(文武・元明・元正)を通してお仕えしたもの(政権をとった藤原不比等)がいたのですが,わが主君(橘諸兄様)はどうか七代もお仕え(政権をおとり)下さいますよう申し上げたいのです>>

約4年も越中で過ごし,京に帰任する家持にとって,自分を守ってくれる権力者が欲しかったのでしょう。最後の「申さね」という言葉が,橘諸兄にすがりたい家持の気持ちを強く表れしていると私は感じます。
家持は,この短歌を実際に諸兄に贈ったかどうかは分かりません。でも,その当時の家持の不安な気持ちを表すものとして,家持は記録し,万葉集に残したのだろうと私は思います。
しかし,諸兄の威光はこのころから下り坂で,藤原仲麻呂(ふぢはらのなかまろ)が勢力を伸ばしていきます。
越中での比較的穏やかな生活は終わりを告げ,京での家持の試練が待っているのです。
動きの詞(ことば)シリーズ…申す(2)に続く。

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