前回は,万葉集の情報量の多さを地名の多さにより見ました。今回は,「当時としては新しい名詞が多くある」について見ていきます。
<新しい言葉とは>
「当時としては新しい言葉」とは何を指すかというと,古墳時代より前にあった言葉ではなく,その後に新しくできた言葉を意味します。動詞や形容詞はなかなか新しい言葉は生まれにくいですが,名詞は今までになかったモノが現れると新しい名前が付くはずです。
現代でも,スマホ(スマートフォンの略)という言葉は恐らく10年前には一部専門家を除き,ほとんど誰も知らなかった言葉でしょう。それは,今までになかった携帯電話の形態で,従来の携帯電話と同じ分類に置くのは合理的でないと,新しい分類に位置付けられたと考えられます。新しいものですから,従来の携帯電話と異なる分類名称が現れるのは自然な成り行きです。
なお,そのついでに従来型携帯電話のことを「ガラ携」(ガラパゴス携帯電話の略)との新しい?言葉も生まれました。大きな進化が止まった携帯電話という意味でしょうか?
<万葉時代は当然新しい言葉が埋まりるスピードは今より遅かった>
万葉集にも当時としては新しい言葉(新語)に位置付けられるものは,もちろん今の「新語大賞」のように年単位に新語が生まれ,数年前いや去年の新語はもう古いと思われるようなスピード感の新語ではありません。
万葉時代は今のような瞬時に世界中の情報が世界中の人々に共有可能なマスメディアが存在していたわけではありません。新語がさまざなところで使われて,書物に記録が残り,定着するためには,今に比べて何百倍,何千倍もの時間が掛かったのではないかと思います。
今が数か月で新語が定着するとすれば,当時の定着には何十年,何百年という期間が掛かってしまうのも当然で,新語の年あたりの発生数(海外から来た言葉も含む)も現代の何千分の一だったのかもしれません。
<万葉時代で新語が埋まれる速さ>
そのため,現代のスピード感でいうとイメージが合わないかもしれませんが,次の1)~4)の言葉は万葉時代の新語として分類して見ます。
1) 工芸・技術(主に6世紀以降大陸から導入されたと考えられるもの)の用語
2) 律令制度(律令制度は7世紀後半から日本に定着し始めたと云われている)の用語
3) 宗教(仏教,儒教,道教などの大陸伝来宗教)の用語
4) 節句行事(もともと大陸にあった行事)の用語
まず,万葉集で最も多く出てくるのが,1)でしょう。今回は1)について見ていきます。
1)の場合,全く新しい言葉ではなく,既にある言葉に付加価値を付ける言葉を合成したものが多いのは,現代と同じような気がします。
現代でいえば,スカイツリー,3Dプリンタ,ウェアラブル端末,ホットスポット,草食系男子,育メン,肉食系女子,マイナンバーなど合成語ばかりです。
万葉集では,韓臼,韓帯,韓衣,双六,倭文機(しつはた),新羅斧,白塗,陶(すゑ)人,杣(そま)人,経緯(たてぬき),織女,手臼,手(た)作り,手斧,外床,鳥網,長屋,鳴矢,貫簀(ぬきす),塗屋形,幡桙(はたほこ),科(はやし),醤酢(ひしほす),純裏(ひたうら),直さ麻(ひたさを),檜橋,船人,真鹿小矢,澪標(みをつくし),蒸衾(むしぶすま),焼太刀,夜船,麻績(をす)といったものです。
臼,帯,衣は以前から言葉としてあったけれども,韓臼,韓帯,韓衣は当時としては輸入物やそれに近い斬新なイメージのものだったのではと私は思います。さらに,陶人(陶芸家),杣人(林業家),織女(機織職人),船人(船員)は,それぞれの職業を専門にするプロフェッショナルが生まれたことを意味するのだと私は解釈します。
実際の万葉集で見ていきましょう。次は,女性歌と思われる短歌です。
韓衣君にうち着せ見まく欲り恋ひぞ暮らしし雨の降る日を(11-2682)
<からころもきみにうちきせ みまくほりこひぞくらしし あめのふるひを>
<<私の韓衣をあなた様にしっかりお着せして見たいと望んでおります。夜にお逢いできることを心待ちしている今日雨降る日中を>>
この短歌の作者,夜は本当に雨が止んでほしいと願っているように思います。相手の男性が夜も雨だと妻問に来てくれない可能性があるからです。
「うち着せ」が万葉仮名からの訓読として正しければ,「韓衣君にうち着せ」は高級な衣(今で言うと打掛のようなもの)を掛布団にして共寝することをイメージしているようにも思えます。
うがった見方をすれば「親には(高級な舶来ブランドの)韓衣を買えるだけの財力があるのよ。だから今晩雨でも来てね」ということを暗に示めそうという意図も感じられませんか。
次は,陶人,韓臼,手臼が出てくる長歌(というより歌謡)の一部です。
おしてるや難波の小江に 廬作り隠りて居る 葦蟹を大君召すと 何せむに我を召すらめや ~ 今日今日と飛鳥に至り 置くとも置勿に至り つかねども都久野に至り 東の中の御門ゆ 参入り来て命受くれば ~ もむ楡を五百枝剥き垂り 天照るや日の異に干し さひづるや韓臼に搗き 庭に立つ手臼に搗き おしてるや難波の小江の初垂りを からく垂り来て 陶人の作れる瓶を 今日行きて明日取り持ち来 我が目らに塩塗りたまひ きたひはやすも きたひはやすも(16-3886)
<おしてるやなにはのをえに いほつくりなまりてをる あしがにをおほきみめすと なにせむにわをめすらめや ~ けふけふとあすかにいたり おくともおくなにいたり つかねどもつくのにいたり ひむがしのなかのみかどゆ まゐりきてみことうくれば ~ もむにれをいほえはきたり あまてるやひのけにほし さひづるやからうすにつき にはにたつてうすにつき おしてるやなにはのをえの はつたりをからくたりきて すゑひとのつくれるかめを けふゆきてあすとりもちき わがめらにしほぬりたまひ きたひはやすも きたひはやすも>
<<難波の小さな入り江に巣を作って暮らしている葦蟹の私を大君は来て欲しいと仰る。どうして私のようなものに来いと仰るのか。 ~ 急いで明日香,置勿,都久野を経由して,宮中の東門から参上して用件をお聞きしょうすると ~ 私を五百枝も剥いで吊るし,日ごとに干して,韓臼で搗き,庭に据えた手臼で搗いて粉にし,難波小さな入り江で取れた新鮮な海水の塩分を高くして混ぜ,陶工が作る瓶を今日注文し,明日運ばれて瓶に入れ,私の目にその塩を塗って,賞味なさることよ。賞味なさることよ。>>
本長歌の左注にある「哀れな葦蟹さん」と解釈するのか,当時の美味しく食べるための加工技術(2種類の新型臼で搗く)や,高級感を出すための演出(専門職人の陶人が作る瓶に入れる)がどこまで進んでいたかを示す資料と見るかで,この和歌の感じ方は大きく変わると思います。
また,蟹を生きたまま,難波から平城京まで運ぶ技術ができていたことも想像できます。さらに,瓶を今日注文して翌日届くということは,注文生産ではなく,見込生産がされ,在庫を持っていたからできたことだ私は思います。
「哀れな蟹さんのお話」と興味を引かせておいて,「天皇も食べているというこの蟹の加工品を食べたい」と一般の人に思わせる。そんなカニを加工した新食品のPRの歌だったのかもしれません。
この1首前の長歌も構成がよく似ており,対象は鹿です。狩で殺した鹿は大君によってどうされるのか,具体的には狩りで殺された鹿1頭の角,耳,目,爪,毛,皮,肉,内臓がどう加工されるのかを詠んでいます。
これも「八つ裂きにされる可哀そうな鹿さん」と見るか,鹿1頭を捨てるところなく利用し,狩で無駄に殺生をしているのではないことを示している政権側のPRと見るかで感じ方が大きく変わります。
鹿のさまざまな部位の新しい加工品が,京人が手にできる値段の高級品として市場に出回っていたことも想像できます。そして,御多分に洩れず,偽物も多く出回っていたかもですね。
当ブログ7年目突入スペシャル(3:まとめ)に続く。
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