2015年3月28日土曜日

動きの詞(ことば)シリーズ…申す(3:まとめ) 1300年前の万葉集に桜花が多数出てきまっせ!

<日本の桜は海外でも評判が高い>
東京都心では,桜の花が5分咲き位までになったところがあります。多くの人たちが春の到来を悦ぶように目を細めて,桜の花を見上げたり,写真に収めたりしています。
この季節になると海外から多くの外国人観光客の人々が日本の桜の美しさを見ようと来日します。
もちろん,その方々がお住まいのお国にも日本の桜に負けないくらい美しい花の咲く場所があり,その花を愛でに行かれることあろうかと思います。
でも,日本の桜の開花時期に訪れた方々は,また違った感動を感じられているようで,リピータ(何度も桜を見に来日される方)が多いと聞きます。そのリピータがネット上の口コミなどに投稿し,新たにこの季節に日本にお見えになる海外の人も増えているらしいのです。
日本人が桜の花を好んでいたのは1300年前も同じ>
ところで,万葉集の和歌に出てくる桜の花,見事に咲いて,あっという間に散っていく,そのかたくなな姿やはかなさに感銘して詠んだ和歌も多く見られます。少なくとも,万葉集の和歌が詠まれた1300年程前から,日本人にとって桜の花はそれなりの存在感をもって受け入れられていたのだと思います。
そして,これまで桜の木をさまざまな場所に植えてきた日本人。その経験,桜の植栽技術,品種改良技術,美しく見せる技(わざ)の蓄積から,桜の花と似合う光景が日本人の心の中にイメージされてきたのでしょう。たとえば,仏閣(寺院の建物)の境内に植えて,比較的黒い色の本堂や伽藍と桜のコントラストで桜の美しさを強調したり,川の堤や街道沿いに桜をほぼ一定間隔に植えて,堤や街道を歩くと何層にも重なった桜の花に一層のボリューム感を与え,見事さを強調するようなことをしてきました(川の堤だと川の水に映し出された桜も楽しめます)。
<桜の花は少し懐かしい風景によく似合う>
また,桜の枝は横に広がる性質があります。学校の校庭の周りや校舎の横に植えると桜が満開になったとき,校舎や校庭の黒ずんだ汚れなどを隠したり,桜に目が行き,入学のときなどイメージの良い学校に思える効果があります。そして,何よりも樹齢100年以上にも及ぶ大きな1本桜(枝垂桜が多い?)が各地に残っており,それぞれが持つ,立地条件(背景の遠くの山,里山,海,湖,茶畑,菜の花畑,レンゲ畑,牧草地など)による独特の全容がまた,珍しさを見る人に与えてくれます。
このように,日本には一生に一度は見たいと思う立派な桜の1本木や列植が全国津々浦々本当に数えきれないほどあるのです。この桜の名所の選手層?の厚さ(メジャー,3A,2A..)は,恐らく日本以外に見られないと私は思います。結局,桜の木の植え方・品種,背景の建物・風景,見る日の天候,開花状況,散るとき桜吹雪などの多様さを,一度日本に来ただけではとても味わえるものではありません。リピータが多くなるのも頷けますね。
<日本人でさえ桜の名所をすべて回れない>
私のようにずっと日本に住んでする日本人でも,一度は見に行きたい思う桜の名所で,まだこの季節に行けていない場所が本当に多数あるのです。是非,桜を見に来られた海外の観光客の皆さんには,ツアー会社が紹介する有名な場所以外にも,お国では見られないような素晴らしい桜の隠れた名所(例えば,このブログでも紹介した東京都中部に流れる野川の桜⇒次の写真など)が本当に多数あることをご理解いただきたいと私は思います。


そして,そういった隠れた名所(大体が入場料無料です)を見つけ,ネットで紹介してもらえるような旅もしていただきたいですね。
<本題>
さて,万葉集で「申す」を詠んだ和歌には,ユーモア,ウィット,ジョーク性,風刺性などに富んだものが多数みられます。
「申す」の最終回として,そういったものを,まず私のコメントを最小限にしてご紹介します(すでにこのブログ紹介されたモノを含みます)。
最初は,柿本人麻呂歌集から転載したという旋頭歌です。若い男女が集まって,新築祝いをしている楽しい雰囲気が伝わってきそうです。

新室を踏み鎮む子が手玉鳴らすも玉のごと照らせる君を内にと申せ(11-2352)
にひむろをふみしづむこが ただまならすも たまのごとてらせるきみを うちにとまをせ
<<新しい家の土間を足で踏んで平らにする祝いの儀式で,乙女たちが手に持った玉を鳴らしているよ。そんな玉のようなイケメン男性に「どうぞ中にお入りくださいな」を申し上げよ>>

次は,池田朝臣(いけだのあそみ)が,餓鬼のような貧相な大神朝臣(おほかみのあそみ)をからかって詠んだ短歌です。

寺々の女餓鬼申さく大神の男餓鬼賜りてその子産まはむ(16-3840)
てらてらのめがきまをさく おほかみのをがきたばりて そのこうまはむ
<<あちこちの寺にいてる女餓鬼たちが申すには大神の男餓鬼を夫にして子供を生みたいそうだ(それくらいあなたは餓鬼にそっくりだ)>>

次は大伴家持石麻呂(いはまろ)とあだ名された人物があまりにも痩せていたので,夏痩せによく効くというウナギをたべるように薦める短歌です。

石麻呂に我れ物申す夏痩せによしといふものぞ鰻捕り食せ (16-3853)
いはまろにわれものまをす なつやせによしといふものぞ むなぎとりめせ
<<石麻呂さんに私は申し上げます。夏痩せに効くと云われている鰻を捕ってお食べなさいと>>

最後は,自分が恋に浸ってしまい,仕事が手につかないことを自虐した詠み人知らずの短歌です。

このころの我が恋力記し集め功に申さば五位の冠(16-3858)
このころのあがこひぢから しるしあつめくうにまをさば ごゐのかがふり
<<最近の私の恋に対する努力と苦労を記録してその功績を申請すれば五位の称号に値するほどだよ>>

このように見ていくと「申す」は,当時においてはかなり大袈裟な行為(言い方)に使われていたように感じます。
皆さんはどう感じられたでしょうか。
動きの詞(ことば)シリーズ…尽く,尽くす(1)に続く。

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