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2017年12月30日土曜日

序詞再発見シリーズ(30:本シリーズおわり) … 万葉時代の高級な「衣」とは?

今回は,前回のような粗末な単衣ではなく,裏地の付いた当時としては高級な「衣」を序詞に詠んだ万葉集の短歌を紹介します。
最初は,中国や朝鮮から輸入されたものか,その輸入服の形に国内で縫製された「韓衣」について詠んだ短歌です。

朝影に我が身はなりぬ韓衣裾のあはずて久しくなれば(11-2619)
あさかげに あがみはなりぬからころも すそのあはずてひさしくなれば
<<我が身は朝の人影のようにやせ細ってしまった。韓衣のすそが合わないように君と久しく逢っていないから>>

作者の気持ちはよくわかるのですが,このシリーズとしては韓衣のすそが合わない理由が気になります。
韓衣は中国風の服ですから体をすべて覆うような服であり,錦織の技法で文様を織り込んでいたと考えられます。奈良時代には,錦織部(にしごりべ)という錦織の技術を研究,普及,産業振興する組織が大和政権にあったようです。ですので,韓衣といっても輸入品ではなく,国内で縫製する技術があったのでしょう。
しかし,すそは足の先に行くほど広く作るのが当時のデザインだとすると,錦織の絵柄を縫い合わせできちっと合わせてすそを仕立てるのが難しく,高度な技術が必要だったのでしょう。結局,すその文様が合っているかいないかで,仕立ての出来が左右され,値段も大きく変わったのかも知れません。
「高級韓衣がこんな信じられない値段で買えます!」という売り手のトークに乗って買ってしまったら,細かい部分が雑だったということを昔もあったのかも知れませんね。
さて,次は裏地がちゃんとついている衣を序詞で詠んだ短歌です。

橡の袷の衣裏にせば我れ強ひめやも君が来まさぬ(12-2965)
つるはみのあはせのころも うらにせばわれしひめやも きみがきまさぬ
<< ツルバミで染めた袷(あはせ)の着物を裏返すような仕打ちをなさるなら,私は無理に来てとは言いません。あなたが来ないことに対して>>

この短歌は,2011年10月22日の投稿で紹介したものです。
ただ,それは心の裏側を説明したものでしたが,今回は衣がテーマですので,「袷衣(あはせころも)」について考えます。裏地が付いている「袷」の反対は,裏地のない「単(ひとへ)」です。
橡で染めた袷の衣はきっと高価なものだったのでしょう。それは女性のほうから男性へ贈ったものと考えてよいでしょうね。贈った側の気持ち(逢いに来てほしいという気持ち)を無視して踏みにじる(送った衣を裏返しに着る)のは許せない。「もういいです!」と言いたいのですよね,作者は。
最後は,裏地のある豪華な衣を序詞に詠んだ短歌です。

赤絹の純裏の衣長く欲り我が思ふ君が見えぬころかも(12-2972)
あかきぬの ひたうらのきぬながくほり あがおもふきみがみえぬころかも
<<赤絹のついた裏地が直に縫いこまれた衣を私が長い間いつも欲しいと願っているのと同じほど思い慕うあなた様,この頃はお見えになりませんね>>

この短歌も2012年11月1日の投稿で紹介しています。ただ,ここも違う視点で説明します。
「赤絹のついた裏地が直に縫いこまれた衣」というのはどんな衣なんでしょうか?
まず,裏地が赤色に染められた布ということですから,相当濃い色ですよね。裏地が濃い色ということは,表地は裏地の色が透けてこないほどもっと濃い色であるか,表地の生地自体が透けないような相当厚みがあるものである必要がありそうです。
そして,「直に縫い込まれている」ということは,表地と裏地に隙間が無いように,丁寧にしっかり縫われていることを示します。このような表現が,女性ならきっと来てみたいと思う豪華な衣のイメージを表していることがわかります。 
さて,まだまだ序詞に使われている言葉はたくさんありますが,30回続きましたのでここで「序詞再発見シリーズ」は一区切りをつけることにします。
次回は2018年正月スペシャルを投稿します。
(2018年正月スペシャル‥万葉集から犬について考える につづく)

2017年12月20日水曜日

序詞再発見シリーズ(29) … 万葉時代の粗末な「衣」とは?

今回は,「」それも当時粗末と扱われていた「衣」が序詞にどのように詠まれていたかを万葉集で見ていきます。
万葉時代では,すでに何らかの染色の技術,特に草木染の技法はかなり広まっていたことが万葉集からも想像ができます。ただ,染める目的は,染めていない布や衣よりもきれいに,かつ豪華に見せることがすぐに思い浮かびます。
ただ,日常使う衣で,汚れや黄ばみが目立たなくするために染めるという目的もあったかも知れません。
次は,そんな衣庶民的な衣を序詞に詠んだ短歌です。

橡の一重の衣うらもなくあるらむ子ゆゑ恋ひわたるかも(12-2968)
つるはみのひとへのころも うらもなくあるらむこゆゑ こひわたるかも
<<ツルバミに染めた一重の衣に裏地が無いように,あの娘の心は裏表がなく純真だからよけい恋しくなってしまう>>

ドングリの一種で,その葉や実を草木染の染色材として使ったとすれば,色は茶系だったろうと想像します。一重の衣ですから,その色に染めることで,白色に比べ衣の下が透けて見えるのを防止に役立ったのかも知れません。
この短歌の作者は,裏地のある高級な衣を着ているような金持ちは心に裏表があるかもしれないが,一重の廉価な衣を着ている娘は,世間ずれしないで純真で無垢な心をもっていると思ったのでしょう。
次は,製塩に携わる漁師が着る衣について,序詞に詠んだ短歌です。

志賀の海人の塩焼き衣なれぬれど恋といふものは忘れかねつも(11-2622)
しかのあまのしほやきころもなれぬれど こひといふものはわすれかねつも
<<志賀島の漁師がいつも着る塩焼き衣が定番のように私の恋というものも常時記憶からなくならない>>

万葉時代は,製塩を漁師やその家族が,漁の合間や夫や親が漁で留守の間にやっていたのだと私は想像します。
製塩技法は,海水を綺麗な砂を敷き詰めた塩田に撒き,天日で水分を飛ばし,砂と一緒に乾いた塩を採取。それを少量の真水に溶かし,砂が沈んだ上澄みの濃縮塩水を焚火で焼いた石の上に振りかけ,水分が飛んで石に残った塩を採取するような製法だったと私は想像します。
その作業をする人たちは,屋外での作業で長く使っていても丈夫な麻などの不厚い衣だったのかも知れません。今でいうデニムのような生地かもですね。当然,長く着ているうたに,塩を焼く焚火のススやに直射日光にあたり,古びた柔道着の色のように,独特の色に変化していたのでしょう。
それが,製塩作業をする人の定番作業着として,作業を見学する人たちには映っていたのだろうと私はこの短歌から想像します。
次は,製塩作業する人の作業着として,別の呼び方の衣があったことを物語る短歌です。

大君の塩焼く海人の藤衣なれはすれどもいやめづらしも(12-2971)
おほきみのしほやくあまのふぢころも なれはすれどもいやめづらしも
<<献上する塩を焼く漁師が着る藤衣は着慣れているところを見るときっと特別に仕立てたものなのだろう>>

この短歌に出てくる「藤衣」については,どんな衣か諸説があるようです。
2012年11月1日の投稿では「藤衣はとても織り目が粗く,肌が透けて見えるほど」と私は書いていますが,今は少し違ったものではないかと考えています。
それは,御門に献上するための特別な塩田などで製塩作業をしている人を区別するため,着ていた藤色に染めた作業着のことを指したのではないかと。
藤衣は塩焼き衣に比べたら,薄くて丈夫じゃなさそうに見えるけれど,作業している人たちがテキパキとやっているのを見ると,サマになっていると作者は感じたのかも知れません。
当然でしょうね。大君に献上するような塩を作っている製塩のプロですから,漁師の片手間とは違うスピード感で作業を進めているようにも感じます。
万葉時代は製塩は漁師が片手間にやる作業という常識から,高品質な献上塩を作る専門の製塩工プロという職業が生まれ始めた時期なのかもしれません。
(序詞再発見シリーズ(30:本シリーズおわり)に続く)

2017年12月14日木曜日

序詞再発見シリーズ(28) … 「舟」の用途や形は多様だった?

フルタイムの本業(ソフトウェアの保守開発)の忙しさがなかなか解消せず,またこのブログの投稿が滞ってしまいました。当面引退とはいかずに,私の本業はまだまだ続きそうです。
ただ,来年の2月を過ぎるとこのブログを立ち上げて10年目に入ります。満10年に向け,来年は少し頑張って投稿を多くしたいと考えていますが,結果はどうでしょうか。
今回は,「舟」やそれに関連するものが万葉集の序詞としてどのように詠まれているかを見ていきます。
まずは,が密生しているような潟にも入っていけるような小さな舟について詠んだ短歌です。

港入りの葦別け小舟障り多み今来む我れを淀むと思ふな(12-2998)
みなといりのあしわけをぶねさはりおほみいまこむわれをよどむとおもふな
<<入港する葦別け小舟にはいろいろ支障が多いように,差し障りが多くて今そちらへ着くのが遅れても,私のあなたへの気持ちが淀んだと思わないで>>

葦が群生しているような大きな川の河岸や海の潟では,葦を刈り取ったり,葦の群生の下に隠れているカニ,ウナギ,巻貝,二枚貝などを狩猟するための小さな舟が必要となります。
舟は小さいほど奥の方に入れますが,小さすぎると刈り取った葦や採取した魚介類を多く載せられないため,小さくするには限界があります。葦原の奥に行けば行くほど,良い葦や豊富な魚介類が獲れる可能性が高いのは分かっていても,葦に邪魔をされてなかなか先に行けない。
そんな情景が障害が多いなか君に会いに来たのに,なかなか来れないといって君への気持ちが淀んだと思わないでほしいというのが,作者の気持ちなのでしょうか。
<この作者は葦原での漁が大変なのを知っていた?>
ただ,私はこの序詞に注目したいのです。一般解釈とは違うかも知れませんが,葦に分け入って漁をする舟が大変だということを作者は知っていたということになります。
万葉時代には,さまざまな職業が生まれ,職業ごとのその大変さや面白さを紹介するメディアがあった可能性に私は注目します。すなわち,今で言えば職業紹介サイトのようなものです。もちろん,当時文字はまだ発達していなかったので,職業を紹介するようなガイドがいて,相談に乗っていたのかも知れません。「若人よ,来たれこの仕事に!」というような職業紹介イベントが定期的に行われていた可能性までも私は思いを巡らせます。
次は,逆にと港をつなぐ比較的大きな舟について詠んだ短歌です。

浦廻漕ぐ熊野舟つきめづらしく懸けて思はぬ月も日もなし(12-3172)
うらみこぐくまのぶねつきめづらしくかけておもはぬつきもひもなし
<<入江を漕ぎ巡る熊野舟はいつ見ても新鮮なように妻を心に懸けて思わぬ月日はない>>

熊野舟は,紀伊の国熊野の地で作られた丈夫で性能の良いブランド舟だったと私は思います。
港周辺で進んでいる舟がなかなかお目に掛かれないブランド舟の「熊野舟」を見た時の感動を作者は経験していたとも考えられそうです。
熊野の地は大木が生えている広大な森林地帯で,腕の良い木こり製材士運搬工がいて,山深くまで切り込んだ今の熊野川水系を使って木材を運ぶのに適した場所だったといえるかも知れません。当然,河口付近には腕の良い船大工が居て,品質の良い木台を入念に舟に仕立てたのでしょう。
そんな地で作られた船は品質が良く,丈夫で長持ちがするため,舳先の形を特殊なものにするなどしてブランド化し,高価で取引がされたと考えられます。それを手に入れられるのは,一部の裕福な漁師渡し舟経営者に限られていたと考えられます。そして,運よく熊野舟を手に入れられた人たちも,手持ちの舟のすべてを高価な熊野舟にできるわけがなく,一般の人はお目に掛かれるのがよほど稀で新鮮だったのかも知れません。
最後は,舟という言葉は出てきませんが,舟のを漕ぐ音を序詞に詠んだ短歌です。

漁りする海人の楫音ゆくらかに妹は心に乗りにけるかも(12-3174)
いざりするあまのかぢおとゆくらかにいもはこころにのりにけるかも
<<魚を獲りに出る漁師の舟の楫の音がゆっくり繰り返すように,だんだん彼女が心に乗り移ってきたなあ>>

海で漁をする漁師は毎日楫を漕いで漁に出るので,一番効率の良い,疲れの少ない漕ぎ方で楫を漕ぐのでしょう。そうすると,ギコー,ギコーという楫を漕ぐ音は,海辺の宿に泊まっていた作者にとっては,心地よい一定のリズムでのどかに感じられたのかも知れません。そのようなリズムで彼女は自分の心の中に入ってくるという短歌となります。
実は,父親が海辺の旅館や民宿に泊まるのが好きで,私が子供のころ一度和歌山県の和歌の浦付近の漁港近くの小さな旅館に泊まったとき,朝沖に向かって進む小さな漁船が発する「ポンポンポンポン..」という音と舟が残す波跡が,いかにものどかなリズムと映像を幼い私も感じた記憶があります。
父が「ポンポン船の音で目が覚めてしもたわ。朝早ようから漁師はんはご苦労なこっちゃなあ。」と起きてきたのを覚えています。そして「ポンポン船はなあ。焼玉エンジンちゅうのを載せている舟で,あんな音を出して動くんや」と私に教えてくれたのです。
当時は,ポンポン船はディーゼルエンジン付きの舟に急速に取り替えられつつある頃で,父もまだ現役として残っていることを珍しく感じたのかも知れません。
(序詞再発見シリーズ(29)に続く)

2017年10月19日木曜日

序詞再発見シリーズ(27) … 「道」にはさまざまなものがあり,人はさまざまな感じ方をする?

本投稿は,一度出した「雲居」に関する(441回目の)投稿を取り消し,以下の文に差し替えます。内容が不適切であることが判明したためです。「雲居」に関しては,「序詞」シリーズとしてではなく,改めてどこかで取り上げたいと思います。

いろいろなオファーの対応に追われていて,しばらくお休みをしてしまいましたが,今回からは自然や地名を表す言葉を離れ,人工物を序詞に詠んだ万葉集の短歌をを紹介していきます。
今回は「道」「路」を序詞に詠んだ巻11と巻12の短歌です。
「道」や「路」は,人間が踏み固めたもの,獣(けもの)が踏み固めてできたものなどのように自然にできたものもあります。しかし,国が大きく変わった万葉時代では,多くは人間が人工的に整備したものを指したのでしょう。
「道」や「路」には,識別する標識や人工物(溝,石や砂などを敷き詰め舗装,道祖神,庚申塚,一里塚,垣,並木,澪標(みをつくし)など)によって,「道」や「路」とそれ以外の場所を区分けしていたと考えられます。
万葉集には,序詞だけでなく,さまざまな表現で「道」や「路」は使われています。
さて,最初は序詞で「道」を詠んだ短歌です。

玉桙の道行き疲れ稲席しきても君を見むよしもがも(11-2643)
たまほこのみちゆきつかれ いなむしろしきてもきみをみむよしもがも
<<道を歩き疲れて稲筵を敷いて休むことができたとしても,いとしい君を見る方法があるだろうか>>

「玉桙の」は「道」に掛かる枕詞ですので,今回は特に訳しませんでしたが,道には鉾のような形をした標識が立てられていたのかも知れませんね。
「道」を長く歩き続けることは大変なことで,「疲れる」というイメージが当時からあったのでしょう。
今のような道の整備技術が高くなかったことに加え,馬や荷車の車輪であちこちデコボコの場所があり,雨の時はぬかるみ,乾燥した日が続くと風の強い時は土ぼこりが大変だったと考えられるからです。
そんな道で疲れても,稲筵を用意して敷けば休めるが,恋人になかなか逢えない疲れはどうしても取れないという気持ちを表していると私は感じます。
次は,「路」でも水路を序詞に入れた短歌です。

駅路に引き舟渡し直乗りに妹は心に乗りにけるかも(11-2749)
はゆまぢにひきふねわたし ただのりにいもはこころにのりにけるかも
<<水路の向こうとこちらをつなぐ渡し船が付くと皆がすぐに乗るように,あなたは逢ってすぐ私の心に乗ってきた>>

水路」ですが,運河ようにな水路を指している訳ではなく,川の対岸の間,そして湖や海など島や陸(をか)との間などを結ぶ水路です。この水路を通って行き来する舟を「渡し舟」と呼びます。
渡し舟の営業が始まると,その便利さに多くの利用者が出て,利用のピーク時間帯では乗り切れないことも考えられ,早めに乗り場に来る人もいるかも知れません。
その勢いと同じぐらいの勢いで「あなたは私の心に乗ってきた(直ぐに好きになった)」という作者の気持ちが私にはよくわかります。
次はまた「道」に戻ります。

新治の今作る道さやかにも聞きてけるかも妹が上のことを(12-2855)
にひはりのいまつくるみちさやかにも ききてけるかもいもがうへのことを
<<新しく開墾した場所に作ったばかりの道が心地よいように,君の身の上ことを心地よく聞くことがてきた>>

田畑が新しく開墾されると種苗,肥料,収穫物を運ぶ道が必要となります。
現地の人たちが昔から田畑として使っている場所は,道の整備が計画的でなく,農家には苦労が多いのです。しかし,新しく計画的に開かれた農地では,必要な道も必要十分で効率的に作られます。
当然,その道は幅も広く,平らに作られることから,歩くにしても,荷車でモノを運ぶにしても,古い道よりも心地よく通れるのです。
それと同じくらい心地よいのが好きな相手の世間の良い評判です。
万葉時代,女性の評判はあまり外でその姿を見せないことから,「姿を見た」という人の噂話がほとんどだと思います。
しかし,恋人か夫婦(といっても,妻問婚ですから基本別居)の関係の女性に対して,「凄く綺麗らしいよ」とった評判が立つのは,かなり嬉しいものなのだったのだろうと私には想像できますね。
(序詞再発見シリーズ(28)に続く)

2017年8月27日日曜日

序詞再発見シリーズ(26) … 「雲」は空や遠くにあるものを隠す厄介な存在?

今回は,その他のを序詞に詠んだ万葉集の短歌を紹介します。
最初は,雲と月の関係を詠んだ短歌です。

雲間よりさ渡る月のおほほしく相見し子らを見むよしもがも(11-2450)
くもまよりさわたるつきの おほほしくあひみしこらを みむよしもがも
<<雲間を通る月が時より顔を少し見せるように,やっと互いに出会った乙女よ,もう見ることはできないのだろうか >>

美しい月を見たいと思って夜空を見上げても,雲が邪魔をして見られない。雲の切れ間からようやく少し見えることがあったとしても,すぐに次の雲に隠されてしまい,次にいつ見られるのか予想もつかない。
そんなイライラした状況を,好きな彼女の姿を見るチャンスがなかなか来ない苛立ちら例えているのでしょうか。逆に,なかなか見ることができないからこそ,名月も彼女の姿もより見たいという気持ちになるのだと私は思います。
次も雲と月(三日月)の関係を詠んだ短歌です。

三日月のさやにも見えず雲隠り見まくぞ欲しきうたてこのころ(11-2464)
みかづきのさやにもみえず くもがくりみまくぞほしき うたてこのころ
<<三日月のようにはっきりと見えないうえに雲にまで隠れてしまう。そのように,なかなか発見できないお姿を見たいという思いが いっそうつのるこの頃なのです>>

この短歌は,最初の短歌よりも,なかなか姿が見られず,見たい気持ちが募る思いをストレートに詠んでいます。満月だと薄い雲に覆われても何とか見ることはできますが,三日月だと薄い雲でも隠されてしまう確率が高くなってしまいます。
万葉時代,月の満ち欠けが恋の成就の確率に関する縁起モノ(満月に近づくと逢える可能性が高いなど)として見られていたのかも知れませんね。
最後は,雲が発生するはるか遠くをイメージした短歌です。

波の間ゆ雲居に見ゆる粟島の逢はぬものゆゑ我に寄そる子ら(12-3167)
なみのまゆ くもゐにみゆるあはしまの あはぬものゆゑわによそるこら
<<波の間から雲が出る場所のように遠い場所に見える粟島のように,彼女とは逢わずにいるのに,私には彼女と出来ているという根も葉もない噂が聞こえる>>

雲居」という言葉は,この場合「遠く」という意味で使われていると解釈しました。
粟島は「淡路島」のことなのか,それとも別の島なのか気になりますが,島の名称がポイントのため。ここはスルーします。
いずれにしても「雲」というものは,万葉人にとってコントロールできないものの代名詞の一つだった可能性を私は感じますね。
(序詞再発見シリーズ(27)に続く)

2017年8月6日日曜日

序詞再発見シリーズ(25) … 「くも」だけでは他の同音異義語と混同する?

今回は,「雲」を序詞に詠んだ万葉集の短歌のうち,「天雲」という言葉になっているものを見ていきます。
最初は,が出てくる短歌です。

天雲に翼打ちつけて飛ぶ鶴のたづたづしかも君しまさねば(11-2490)
あまくもにはねうちつけて とぶたづのたづたづしかもきみしまさねば
<<天雲に翼を打ちつけて飛ぶ鶴の「たづ」のように,私の心もたづたづし(たどたどしい気持ち)です。あなたがいないので>>

この短歌は,鶴が「天雲に翼を打ちつけて飛ぶ」の様子をどう解釈するがポイントだと私は思います。天雲は空に浮かぶ雲と考えますと,空に浮かぶ雲に,大きな翼を叩きつけるように上昇していく鶴を見ている情景だと私はイメージします。
鶴は身体が大きく,上昇して気流に乗るまでは,全力で翼を上下させないと上空までいけません。それは,優雅に上空で舞っている鶴の姿とは違い,鶴が飛び立つときは空に浮かぶ雲でさえ手掛かりにしたい気持ちで全力を出しているように見えたのでしょうか。
鶴の飛びたつ苦しそうな姿を自分が恋しい人を思う気持ちの強さ,そしてより相手と近づきたいとあえいでいる自分を重ね合わせて作者はこの短歌を詠んだのかも知れません。
次は,雷鳴を詠んだ短歌です。

天雲の八重雲隠り鳴る神の音のみにやも聞きわたりなむ(11-2658)
あまくものやへくもがくり なるかみのおとのみにやも ききわたりなむ
<<幾重も重なる天雲に隠れて雷の音だけが聞こえてくるように頻繁に伝わって来るのは他人の噂だけだ>>

稲妻は見えないけれど,遠くで雷鳴が聞こえ,空は分厚い雲で覆われている気象状況が良く伝わってきます。
私が埼玉県の吉川市(当時は吉川町)に住んでいたとき,梅雨の末期になるとこんな気象状況がよくありました。近くの河川敷ゴルフ場でゴルフをしているときなどは,カミナリが近づいてくるのか,遠ざかっていくのか,稲妻の方向が定かでないときは非常に気になったものです。カミナリ雲が接近したため,ゴルフを中断したり,結局途中で中止したことが何度かありました。
この短歌の作者は,誰が自分たちのことの噂を広めているのか,気になり,これを詠んだのかも知れません。というのは尾ひれがついて伝わることが多く,音だけの雷鳴のように二人の関係にとって迷惑に感じるものだったのでしょうね。
最後は,雲に隠れてわからないという気持ちを詠んだ短歌です。

思ひ出でてすべなき時は天雲の奥処も知らず恋ひつつぞ居る(12-3030)
おもひいでてすべなきときは あまくものおくかもしらず こひつつぞをる>
<<思い出してどうしようもなくなった時には,天雲のその先がどうなっているか分からないくらいに恋焦がれているのです>>

この短歌の作者は,実際に空に浮かぶ雲を見て詠んだわけではなく,自宅で恋しい人と逢ったときのことを思い出して,今逢えないことの苦しさでどうしょうもなくなったのでしょうか。
先が見えない相手との恋路を空に浮かぶ分厚い雲の向こうが全く見えないことに例えていると私は見ます。やはり,雲一つない晴天のように遠くの先が見えるような明るい恋がしたいという気持ちが伝わってきます。
<同音異義語>
さて,雲を敢て天雲と読むのはなぜか考えてみました。「くも」と発音するものに「クモ(蜘蛛)」があります。万葉集では,山上憶良が詠んだ有名な貧窮問答歌に「蜘蛛の巣」という言葉が出てきます。
和歌を文字として記録することは一般的ではなく,口承でお互い記憶していた万葉時代は,同音意義の言葉は何らかの修飾語を付けて聞き分けていたのかもしれないと私は想像します。
「雲」は「蜘蛛」と区別するために「天雲」と表現することが多かったという論理です。真偽のほどは如何?です。
(序詞再発見シリーズ(26)に続く)

2017年7月31日月曜日

序詞再発見シリーズ(24) … 万葉人は山と雲をどう見たか?

今回は,「山にかかる雲」を万葉集の序詞に詠んだ短歌を紹介します。
最初は「香久山にかかる雲」です。

香具山に雲居たなびきおほほしく相見し子らを後恋ひむかも(11-2449)
かぐやまにくもゐたなびき おほほしくあひみしこらを のちこひむかも
<<香具山に雲がたなびいているように,はっきりとは見なかったが見た彼女を,あとで恋しくなってしまうのか>>

私は何度も香久山の近辺を通っていますし,登ったこともあります。香久山は非常に低い山です。そのため,雲が山すそをたなびく姿は実はイメージできにくい山です。
富士山のような大きく高い山だとこの短歌のイメージとピッタリなんですがね。
もしかしたら,この短歌の作者は天の香久山を実際には見たことがなく,伝聞で詠んでいるのかも知れませんね。そして,雲のように見える実体は,実は春霞だった可能性もありそうです。
次は「葛城山にかかる雲」です。

春柳葛城山に立つ雲の立ちても居ても妹をしぞ思ふ(11-2453)
はるやなぎかづらきやまにたつくもの たちてもゐてもいもをしぞおもふ
<<城山に立った雲のように,居ても立っても,彼女のことだけを恋しく思う>>

「春柳」は葛城山の枕詞として広辞苑には出てきます。今回は訳しませんでした。
葛城山は今の正式名称は「大和葛城山」と呼びます。場所は奈良県御所市の西に位置付き,山の西側は大阪府唯一の村である千早赤阪村です。標高は1,000メートル近くあり,関西としては立派な山の部類に入ります。
奈良盆地の南部にある飛鳥京藤原京からは,葛城山がいつも見えて,夏になると入道雲のような雲が立つこともあったのだろうと私は思います。
次は「三笠の山にかかる雲」です。

君が着る三笠の山に居る雲の立てば継がるる恋もするかも(11-2675)
きみがきるみかさのやまにゐるくもの たてばつがるるこひもするかも
<<三笠の山にかかる雲のように,つぎつぎと湧き立ってくるような恋をさせてくれる>>

君が着る」は三笠にかかる枕詞と広辞苑には出ています。これも,無理に訳しませんでした。ただ,女性が着る(被る)笠は,当時屋外に出ることの少ない女性の美しさやセンスの良さを見るのに使われたのではないかと私は考えます。
三笠の山は平城京の近くにあるため,京人は常に見ていた可能性があります。三笠の山に雲がかかるのは,やはり雨の時や雨が降った後の可能性がありそうです。
日本の気候を考えると,山と雲が切り離せないというイメージが万葉時代からあったことが,これらの短歌から感じとれます。
(序詞再発見シリーズ(25)に続く)

2017年7月23日日曜日

序詞再発見シリーズ(23) … 川もいろいろあるよ

今回は「波」でも。川の波である「川波」を万葉集の序詞に詠んだ短歌を紹介します。
最初は,宇治川の「川波」です。

宇治川の瀬々のしき波しくしくに妹は心に乗りにけるかも(11-2427)
うぢかはのせぜのしきなみしくしくに いもはこころにのりにけるかも
<<宇治川の瀬々に寄せる波が繰り返すように,妻は私の心に繰り返し乗りかかってきたことよ>>

宇治川は流れが速く,水深の浅いでは,水流がぶつかり,できたがしきりに寄せている状況なのでしょうか。
熱い夏,奈良盆地の京にいる人にとっては,冷たい水が勢いよく流れている宇治川は避暑地として万葉時代から知られていたのかも知れません。
宇治川沿いに豪華な別荘を作り,妻を呼び,そこで周りの目を気にせず,妻と過ごせればどんなに良いかと,高級官僚の中には夢に描いた人がいても不思議ではありません。この宇治川のイメージは,後の平安時代にも引き継がれていきます。たとえば,たとえば,平等院源氏物語の「宇治十帖」のように。
次は,佐保川の「川波」の地味さを序詞に詠んだ短歌です。

佐保川の川波立たず静けくも君にたぐひて明日さへもがも(12-3010)
さほがはのかはなみたたず しづけくもきみにたぐひて あすさへもがも
<<佐保川に川波がたたないで静かなように,あなたさまに静かに寄り添っままが明日からも続いてほしい>>

最初の短歌の宇治川と佐保川はまったく正反対です。
奈良の京の中心部に流れる佐保川は,平地の川のため,水量も少なく,水の流れる音もしないほどとても静かな流れだったのでしょう。夏の避暑になるような爽快感は無かったかも知れませんが,静かに流れる水は,心を静ませる効果があったのかも知れません。
最後は,今の天理市の東部の山の中から流れ出た小さな川とされる布留川の「川波」を序詞に詠んだ短歌です。

との曇り雨布留川のさざれ波間なくも君は思ほゆるかも(12-3012)
とのぐもりあめふるかはのさざれなみ まなくもきみはおもほゆるかも
<<急に一面曇って雨が激しく降って布留川にさざ波が立っている。それが絶え間ないのと同じようにあなたのことを思っていのです>>

この短歌,布留川のことを読んでいるのではなく,単に雨が「降ったときの川」という見方が当然できそうですが,一応定説に従ってみました。
今,ゲリラ豪雨とか,線状降水帯という天気用語が要注意の自然災害の一つとして,ニュースや天気情報で出ています。小さな川は急に増水し,激しい濁流となって,川の中州や岩にぶつかって,波立っている状態が発生します。雨が降り続けば,氾濫や洪水も起き,その状態も解消しません。
日ごろはおとなしい布留川もいざ大雨が降ると激流に急変することは,当時知られていたのかも知れませんね。
(序詞再発見シリーズ(24)に続く)

2017年7月17日月曜日

序詞再発見シリーズ(22) … 荒波の音でも心は落ち着く?

今回からは「波」を序詞に詠んだ万葉集の短歌を紹介します。
最初は,勢いよく岩にぶつかり,しぶきが岩を越えるような波を序詞に詠んだ短歌です。

荒礒越し外行く波の外心我れは思はじ恋ひて死ぬとも(11-2434)
ありそこしほかゆくなみの ほかごころ われはおもはじこひてしぬとも
<<荒波の流れが岩を越えて行くように私の心はただ一筋に貴女を慕っていますたとえ恋に死ぬとしても>>

荒磯にそそり立つ大岩を越えて,大岩の向こうまで勢いよく行ってしまう波の激しさを自分が相手を恋しく思う強さとして表現しています。そして,自分が死んでもその激しさは変わらないとも。
そんな大波が来る磯とはいったいどこなのか?と,この短歌を聞いた人は思ってしまうでしょう。
次は,波で有名な地名を序詞に詠んだ短歌です。

沖つ波辺波の来寄る佐太の浦のこのさだ過ぎて後恋ひむかも(11-2732)
おきつなみへなみのきよるさだのうらの このさだすぎてのちこひむかも
<<沖に立つ波だけでなく波が海岸にも打ち寄せる佐太の浦,そのさだ(恋の最盛期)が過ぎた後も恋しい身持ちが残っている>>

佐太の浦がどこにあるか不明ですが,万葉時代「さだ」と発する名前が頭に付いた岬,浦,海,山があったことは事実のようです。漢字は佐太以外に,佐田,佐多などの字が当てられています。
また,万葉時代には「時」のことを「さだ」と呼んでいたようです。後の源氏物語には「さだ過ぎ人」=「盛りの時を過ぎた人」としての用例があるようです(広辞苑)。
序詞は当時の用語の用例や用例での用語の意味合いを明確にすることに貢献していると私は感じます。
最後は,激しい風で波も荒れている姿を序詞に詠んだ短歌です。

風をいたみいたぶる波の間なく我が思ふ妹は相思ふらむか(11-2736)
かぜをいたみいたぶるなみのあひだなく あがおもふいもはあひおもふらむか
<<風が激しいので,荒波が絶え間なく寄せている。そのように絶え間なく私が恋している彼女も私のことを恋しいと思っているのだろうか>>

これから,台風の季節に入りますが,そういった暴風が吹き荒れると波も大きく繰り返し打ち寄せてきます。
そのような強い荒波が繰り返し続くほど強く恋しているのに,相手はそれに反応してくれない(手応えがない)という寂しい作者の気持ちがこの短歌には表れている気がします。
こういった落ち込んだ心理状態を解消するために,実際に海の荒磯に行ってうち寄せる波をしばらく見続けると心理的に落ち着くことが万葉時代に知られていたとします。
そうなら,序詞には「憔悴を癒す海辺の旅」キャンペーンの効果があったかもしれないという推測が可能かもしれませんね。
(序詞再発見シリーズ(23)に続く)

2017年7月10日月曜日

序詞再発見シリーズ(21) …激しい恋愛感情は激しい水の流れやしぶきで表現?

今回は激しく流れる「水」を序詞に詠んだ万葉集の短歌を紹介します。
最初は,高い山の滝から落ちる水が岩に激しくぶつかる様子を序詞に詠んだ短歌です。

高山ゆ出で来る水の岩に触れ砕けてぞ思ふ妹に逢はぬ夜は(11-2716)
たかやまゆいでくるみづのいはにふれ くだけてぞおもふいもにあはぬよは
<<高い山の中を通って,勢いよく落ちてくる水が,岩に当たって砕け散るように,心が乱れて思うしかない君と逢えない夜は>>

この短歌,「滝」という言葉は使われていませんが,「滝」が出てくる万葉集の和歌はかなり偏っています。特に吉野の滝を詠んだ和歌が多く,単に「滝」といえば「吉野滝」というイメージが万葉時代は少なくなかったのかもしれません。
そうすると,今では「滝」と呼ばれるような高いところから川の水か落ちるような場所をこの短歌のような表現をしていた可能性が考えられます。
次は,渓谷の急流を序詞に詠んだ短歌です。

高山の岩もとたぎち行く水の音には立てじ恋ひて死ぬとも(11-2718)
たかやまのいはもとたぎち ゆくみづのおとにはたてじ こひてしぬとも
<<高山の岩の下をさかまくような激しい流れの音(噂)でも人にはけっして知らせない。この恋でたとえ死んでしまうことがあっても>>

作者は山奥の沢を見て,激流が岩の下のほうを削るように激しく流れている情景を見たのでしょう。また,その水音は地を揺るがすように大きかったと感じたのかもしれません。
その音を自分がひそかに恋している相手とのウルサイ噂話に例えていると私は解釈しました。
否定しても,否定しても湧き上がる噂話は,まるで今のゴシップ記事のようだったのかも。
ても,お互いのために,激しい恋の気持ちは消すことはできないが,外向きには否定し続けるしかない。こんな苦しい作者の気持ちが伝わってきます。
最後は,相手を思う気持ちの激しさを滝から落ちる水の激しさを序詞として表現している短歌です。

石走る垂水の水のはしきやし君に恋ふらく我が心から(12-3025)
いはばしるたるみのみづの はしきやしきみにこふらく わがこころから
<<岩から水が奔流となって流れ落ちるように,あなたのことを激しく恋うのだ,我が心から>>

実は「垂水」も「滝」と訳されることがあります。ただ,万葉集では「垂水」は3首しか使われた和歌が見えず,今でいう「滝」を一般的にあらわす言葉ではなかったのではないかと私は想像します。
いずれにしても,落ちる水の激しさを自分の恋しい気持ちの激しさに例えたということでしょう。

ただ,これらの短歌を見た,聞いた人は,どう感じるでしょう?
「この作者たちの恋しい気持ちはすごい」と感じるでしょうか?
私は違うと思います。
「どんなすごい急流なんだろう?」「どんなすごい滝なんだろう?」「どんなすごい水音なんだろう?」と思い,「一度行って見てみたい」と感じるのではないでしょうか。
そういった広い意味のモノ,場所,情景などの珍しさを紹介することが巻11と巻12の編纂目的として,もう一度見てみるのも面白いかもしれませんね。
次回は「水」に関連して,「波」を見ていくことにします。
(序詞再発見シリーズ(22)に続く)

2017年7月6日木曜日

序詞再発見シリーズ(20) …万葉時代では多様な水の有り様を意識?

今回は,「水」を序詞に詠んだ万葉集の短歌を紹介します。ところで,九州豪雨で被害にあわれた方々に,心よりお見舞い申し上げます。
日本は万葉時代においても四季がはっきりして,年間雨量が多く(時として豪雨),川,池,沼,湖,雨などで水に接する機会は日常的だったり,日常的でなくても少なくなかったと想像できます。
今年はもう少しすると梅雨が明けそうです。
豪雨の被害を受ける一方で,水不足が心配な地域も出るかもしれません。
万葉時代から,水と親しんできた万葉人。万葉集にも「水」が多くが詠まれています。
その中でも,序詞はそこに出てくる言葉の位置づけやイメージを特定するのにもってこいと私は考えます。
さて,「水」を序詞に詠んだ短歌で最初に紹介するのは,明日香川の水をテーマとしたものです。

明日香川水行きまさりいや日異に恋のまさらばありかつましじ(11-2702)
あすかがはみづゆきまさり いやひけにこひのまさらば ありかつましじ
<<明日香川が水の勢いが強くなるように日増しに恋心が強くなっていくとし分は生きていけるのか>>

当時の明日香川が今日の飛鳥川であれば,確かにさほど大きな川ではないので,大雨が降れば,あふれるほどの水量となってしまうのかもしれません。
万葉人は明日香川の水量の変化をこの短歌の序詞のように見ていたことがわかりそうです。
次は別の川を取り上げた1首です。

ま薦刈る大野川原の水隠りに恋ひ来し妹が紐解く我れは(11-2703)
まこもかるおほのがはらのみごもりに こひこしいもがひもとくわれは
<<マコモが刈れるような広い大野川の河原が増水して分からなくなるように,他人に分からないよう恋してきた彼女の下着の紐を解いている私なのだ>>

枕詞らしい部分も訳しました。なかなか,きわどい短歌ですね。
秘密の恋ほど燃えるものはないということですね。
さて,今回の最後は山間部の急流の水を序詞に詠んだ短歌です。

あしひきの山下響み行く水の時ともなくも恋ひわたるかも(11-2704)
あしひきのやましたとよみ ゆくみづのときともなくも こひわたるかも
<<大きな山の下の沢を音を轟かせて流れてゆく水のように,私の心は絶え間なく恋心を持ち続ける>>

この短歌も枕詞を訳してみました。
大きな山の沢には,水が絶え間なく流れる渓流が似合います。
この短歌の作者が,それを知っている人とすれば,仕事でいろいろな場所を旅する人なのかもしれません。
その人には都に残した妻が居て,旅先の渓流の水の流れの豊富さを見て詠んだのかも知れませんね。
この夏,どこかの渓流に行って,涼みたくなりました。
(序詞再発見シリーズ(21)に続く)

2017年6月30日金曜日

序詞再発見シリーズ(19) …万葉時代の四つ足代表格は熊,馬,猪?

今回は陸上の動物(哺乳類)を序詞に詠んだ万葉集の短歌を見ていきます。
最初は,万葉集では,この短歌以外ではあまり出てこない動物の「熊」を序詞に詠んだ短歌です。

荒熊のすむといふ山の師歯迫山責めて問ふとも汝が名は告らじ(11-2696)
あらぐまのすむといふやまの しはせやませめてとふとも ながなはのらじ
<<熊が棲んでいるという師歯迫山を強く攻めて奪取したように,強く攻めて聞いても名はあかしてくれない>>

今でも,ツキノワグマが里山の住居に入ったとか,山菜取りの人を襲ったといったニュースが流れます。
この短歌でも「荒熊」とあるように,は人を襲うことが知られていたのだと想像できます。
万葉時代は,多くの荒れ地や山林の土地が開墾されて,農地が増えていった時代だったと私は考えます。その結果,熊の生息地を狭めたと思います。また,熊が冬眠する前に多くの食料を食べる必要がありますが,その食料が結果として農地によって豊富に作られる状況が発生したと想像できます。
熊は人が開拓・開墾した農地や農家に現れ,襲ったり,農産物を荒したりする事件は当時も頻繁に起こったと考えるのは可能だと私は思います。
師歯迫山富士山の南にある愛鷹山という説もあります。攻めた相手は何なのか少し気になりますね。
さて,農地を荒すといえばも引けを取りません。そんなイメージを詠んだ短歌ではありませんが,次は猪を序詞に詠んだものを紹介します。

高山の嶺行くししの友を多み袖振らず来ぬ忘ると思ふな(11-2493)
たかやまのみねゆくししの ともをおほみそでふらずきぬ わするとおもふな
<<高山の峰を行く猪のように供が多いので別れの袖を振らないで来たけれど,あなたを忘れていると思わないで

猪が高い山の嶺を堂々と行くかというと,少し違和感がありますね。ニホンカモシカなら絵になると思いますが,それは置いといて,猪は多産であり,子供を連れて移動することは不思議ではありません。
この短歌の作者は,それなりの立場の人で,仕事で旅に出るときにはお付きの人がたくさんいたのだろうと思います。本当は,最愛の人には特別に別れを告げたいのだけれど,妻問婚の世の中では夫婦一緒に暮らすことができない事情があり,それが叶わないのです。
夫婦と子供と一緒に暮らすという現代では当たり前な生活が,当時できなかった作者は,子連れで生活している猪がうらやましかったのかもしれません。
最後は,東歌の序詞でも触れましたが,奈良の周辺で飼育されているを序詞に詠んだ短歌を紹介します。

馬柵越しに麦食む駒の罵らゆれど猶し恋しく思ひかねつも(12-3096)
ませごしにむぎはむこまののらゆれど なほしこひしくおもひかねつも
<<馬柵越しに麦を食う馬が怒られるようにどんなに怒られてもさらに恋しく思ってしまうのだ>>

万葉時代,馬を垣の中で育てるような飼育方法もあったことが伺えます。
馬は垣の中の草を食んで大きく育てようと飼育者は目論んでいると私は考えます。
しかし,狭い土地だと馬の柵の隣が麦畑であれば,馬はそちらのほうがおいしそうなので,首を柵から出して,食べようとします。
飼育者は麦を作農して売る農家も兼ねていたり,隣が別の農家の麦畑であれば,麦の育成に被害が出ますがら,麦を食べようとする馬に対して,怒ったり,鞭で叩いたりしてやめさせようとします。それでも,麦のおいしさを知っている馬は,どんなに怒られても飼育者や麦畑の所有者の目を盗んでは,食べようとします。
そんな馬を見たことがあるこの短歌の作者は,自分が恋人(周囲から見ると他人の妻であっても?)を恋しく思うことを,どう反対されようともやめられない状況をこの序詞で表現しているように私は感じます。

天の川 「これ完璧な不倫の短歌やな。やったらアカンことほど,逆にえろうやりとうなるもんやなあ。そんでな~,たびとはんがネットで買うた金霧島。たびとはんが仕事に行っているときに届いたので,我慢できへんで,全部飲んでしもてん。」

え~っ! 天の川君をきつく指導するために馬用の鞭をネットで買いますか。
(序詞再発見シリーズ(20)に続く)

2017年6月12日月曜日

序詞再発見シリーズ(18) …小さな鳥はやかましい?

万葉集で序詞に鳥が出てくる投稿の2回目です。
今回は水辺で見かけることが多い鳥を見ていきます。
最初は,定番のが序詞に出てくる短歌です。

水鳥の鴨の棲む池の下樋なみいぶせき君を今日見つるかも(11-2720)
みづとりのかものすむいけのしたびなみ いぶせききみをけふみつるかも
<<鴨の棲む池の下樋が無いほどに恋しく待ち遠しい気持ちを流し去ることができず待っていたあなた様に今日お逢いできたのです>>

下桶(したび)は樽や桶の下に付けるような桶の中に残っている水や漬け込んだ発酵液を抜く口を指します。「樋口一葉」のように日本人の姓にも桶の口は使われています。
当時,下桶があり,鴨が飛来するような池を彷彿させる大きな桶(樽に近い?)が作られて,魚醤など,さまざまな発酵調味料が作られていたことが想像できます。
この短歌の作者は恋しい人と逢えたことの喜びを詠んでいるのですが,私にとっては「桶」がどんなものかに注目してしまいます。
この短歌,鳥のコーナーでないほうがよかったかも知れませんね。
次は,千鳥が序詞に出てくる短歌です。

ま菅よし宗我の川原に鳴く千鳥間なし我が背子我が恋ふらくは(12-3087)
ますげよしそがのかはらになくちどり まなしわがせこあがこふらくは
<<宗我の川原に鳴く千鳥のように絶えずあなたのことを私は恋しています>>

万葉集では,川で見かける鳥として千鳥が多く(26首ほど)詠まれています。
その中を見ると,千鳥は強く自己主張をしているように,やかましく鳴く鳥の代表格として詠まれていると私は感じます。
千鳥と川が詠まれている場合,山奥の川もあれば,比較的人が住む場所の川の場合もあります。
とにかく,千鳥は身近でいろんなところで見かける鳥だったとのだろうと私は想像します。
最後は,菅鳥を序詞に詠んだ短歌です。

白真弓斐太の細江の菅鳥の妹に恋ふれか寐を寝かねつる(12-3092)
しらまゆみひだのほそえのすがどりの いもにこふれかいをねかねつる
<<白真弓の生える斐太の細江に住む菅鳥のように妻に恋い焦がれているせいで夜毎なかなか寝つかれない >>

菅鳥はオシドリだという説が有力のようです。細江に棲む鳥なので,水に浮く鳥であることは間違いなそうです。
この細江はどこにあるのか不明のようですが,「斐太」が「飛騨」のことであれば,「飛騨地方」では,白い真弓がたくさん獲れることで京では有名だったのかも知れません。
また,その細江には「菅鳥」という鳥がいて,夫婦仲が良いことで知られていた。
場所はどうあれ,こんな地理的背景や場所の知識からこの短歌は詠まれたと私には感じ取れます。
次回は他の動物を見ていきます。
(序詞再発見シリーズ(19)に続く)

2017年6月2日金曜日

序詞再発見シリーズ(17) …鳥の尾は時間の長さを隠喩?

前回までで植物を詠んだ万葉集の序詞をもつ短歌の紹介を終わり,今回からは序詞に動物を詠んだ短歌を見ていくことにしましょう。
今回と次回は鳥を見ていきます。
最初は尾が長いヤマドリを序詞で詠んだ短歌です。

思へども思ひもかねつあしひきの山鳥の尾の長きこの夜を(11-2802)
おもへどもおもひもかねつ あしひきのやまどりのをの ながきこのよを
<<思っても思っても思い尽きない。あしひきの山鳥の尾のように長いこの夜は>>

ヤマドリはキジ科の野鳥で,群馬県の県鳥に指定されているそうです。ただ,なかなか見かけることが少ない鳥のようです。私は実物を自然の中で見たことがありません。
この短歌から,ヤマドリの尾が長いことは当時からよく知られており,長いことの喩えとしてヤマドリの尾という表現がよくつかわれていたのだろうと感じます。
この短歌の類型として次の短歌が万葉集に出てきます。

あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む(11-2802S)
あしひきのやまどりのをのしだりをの ながながしよをひとりかもねむ
<<あしひきの山鳥の尾が垂れてしまうほど長いのと同じほど非常に長く感じるこの夜を一人で寝ることになるのだろうか>>

これ,どこかで見たことがありますよね。そう百人一首の中に柿本人麻呂が詠んだとして出てくる短歌と同じです。
この短歌は,最初の短歌に対して,ある本ではこのように読まれているとされているものです。
どの写本にこの短歌があって,いつごろ誰が詠んだか,そして,これがどうして人麻呂作として百人一首に入ったかは不明のようです。
ただ,いずれにしても持統天皇山部赤人の短歌のように,万葉集が百人一首を選ぶ際に何らかの形で影響したのは間違いがなく,この短歌もその一つかもしれませんね。
次は,万葉集によく出てくるホトトギスを序詞に詠んだ短歌です。

霍公鳥飛幡の浦にしく波のしくしく君を見むよしもがも(12-3165)
ほととぎすとばたのうらに しくなみのしくしくきみをみむよしもがも
<<霍公鳥が飛ぶ飛幡の浦に絶え間なく寄せては返す波のように君と絶え間なく何度も逢える方法はないものか>>

この飛幡の浦は,今の北九州戸畑区を指しているようです。ホトトギスとの関係は不明ですが,万葉時代,北九州にもホトトギスがいた可能性は否定できません。
もしかしたら,飛幡の浦は東南アジアから日本に渡ってくるホトトギスの経由地だったのかもしれません。ちなみにホトトギスの尾も少し長めです。
万葉時代に鳥たちもいろいろなイメージをもって和歌に詠まれたのでしょう。次回も鳥を扱います。
(序詞再発見シリーズ(18)に続く)

2017年5月26日金曜日

序詞再発見シリーズ(16) …木は隠し妻,告げ口,元カノのイメージ?

いろいろ書き物があって少し間が開いてしまいました。
さて,今回は松以外の万葉集の序詞で出てくる高木樹について紹介します。
最初は,(今はケアキと呼ばれている)が序詞に出てくる短歌です。

天飛ぶや軽の社の斎ひ槻幾代まであらむ隠り妻ぞも(11-2656)
あまとぶやかるのやしろのいはひつき いくよまであらむこもりづまぞも
<<天を飛ぶようなすごい軽の社の神聖なケヤキの木のように、いついつまでもこのように隠し妻でいるのか>>

万葉時代,各地で神を祀(まつ)るのまわりには,木が植えられていたのだろうとこの短歌から想像できます。
その木は神を守る役目があり,社のことを「もり」と発音することがあるのは,「守る」からきているためかも知れません(私の勝手な解釈です)。その木の中でも一番立派に育った木をご神木として崇めたり,しめ縄を張ったりした可能性がありそうです。
「槻」は後世に欅(けやき)という名前が付き,それからは欅の名前が広まったようです。
今も地名や苗字に,高槻,岩槻,大槻などがあるように,他の木に比べて,大きく,他の木を覆い隠すほど立派に育つことから,槻は神木として扱われることも多かったのかも知れません
では,次の短歌に移り...。

天の川 「ちょっと待ってんか,だびとはん! 隠し妻の話はせえへんのかいな?」

天の川君ね,私に隠し妻を持てるような甲斐性があるはずもなく,ここは序詞から当時の様子をイメージしている記事なんですよ。

天の川 「なんや。オモロないなあ~。『万葉時代の不倫の実態を暴く!』な~ちゅのはどや? 超ウケるんちゃうか?」

え~と。 次はが序詞に出てくる短歌です。

大和の室生の毛桃本繁く言ひてしものをならずはやまじ(11-2834)
やまとのむろふのけもも もとしげくいひてしものを ならずはやまじ
<<室生に咲く毛桃の花の元の枝に葉が繁るように、繁く声を掛けたのだからこの恋は実らないはずはないだろう>>

奈良盆地桜井市が伊勢方面に初瀬街道が伸びていますが,長谷寺宇陀を過ぎてさらに山間を進むと以前室生村と呼ばれた地域を通ります。この地は初瀬街道の宿場として栄え,伊勢と奈良とを行き来する行商人や旅人に寄ってもらうため,観光資源の一つとして毛桃の花が見事というPRをしていたのかもしれません。
そんな「毛桃の花」が綺麗という評判をもとにこの短歌の序詞は詠まれたのだと私は想像したいですね。
以前(2011.2.27)このブログで『「言繁く」の繁る対象が木の葉であることから「言葉」という用語ができた』と書きましたが,この短歌もそれを思い出させる1首です。
さて,今回の最後は(つるはみ)が序詞に出てくる短歌です。

橡の衣解き洗ひ真土山本つ人にはなほしかずけり(12-3009)
つるはみのきぬときあらひまつちやま もとつひとにはなほしかずけり
<<橡の衣を解き洗うから思い出される真土山とその麓にいる人,つまり元カノよりいいのはやはりいないよ>>

真土山がなぜ橡の枯葉で染めた衣の縫った糸を解き,洗うことと関係があるのか,その理由は想像するしかありません。
<私の序詞へのアプローチ方法>
私は序詞を見ていくとき,この関係は何か? 例えば音が似ているのか,形が似ているのか,動きが似ているのか,風習が似ているのかなどを想像するのが楽しいのです。
大万葉学者先生や超有名歌人の説はおいといて,私は感じたまま想像するのでよいと思っています。学者先生や歌人さんがやるような理詰めで論理を考えることは,私の専門分野ではありませんが,そのうちAI(人工知能)技術あたりがやってしまいますね。
私は万葉集の和歌を見て,詠まれた情景を想像するのは,これからきっと必要となる有効な直感や第六感(シックスセンス)を磨くのに良いツールだと考えています。
さて,その私の直感ですが,黄ばんだ,そして汚れた衣を綺麗に洗い,リフォームすることが,当時すでに職業としてあったのだろうと思います。
その職人が真土山の麓あたり(今の奈良県五條市付近)にたくさんいたと考えると状況のイメージができそうです。吉野川の綺麗で豊富な水も利用されていたのでしょうから。
真土山はその名が示すように,良い土が採取でき,手先の器用な陶器職人(陶人<すゑひと>)も多くいたかも知れませんね。
(序詞再発見シリーズ(17)に続く)

2017年5月4日木曜日

序詞再発見シリーズ(15) … 秘境に松はよく似合う?

今年のゴールデンウィークは,カレンダーとおりの仕事で,私にとって昨日から始まった感じです。
まったく,昨日は結局あまり計画したことができず,日ごろの疲れをいやす感じでした。
今日は,午前から夜にかけて,横浜,新宿,池袋など,久しぶりに繁華街を満喫する予定です。
さて,「序詞再発見シリーズ」は植物と万葉集の序詞を見始めていますが,2回目の今回は「松」を序詞に入れた巻11,12の短歌を紹介します。
最初は,荒波が打ち寄せる磯に生える松(荒磯松)を詠んだ短歌です。

あぢの住む渚沙の入江の荒礒松我を待つ子らはただ独りのみ(11-2751)
あぢのすむすさのいりえのありそまつ あをまつこらはただひとりのみ
<<アジガモが生息している渚沙の入江にある荒磯松(ありそまつ),(あをまつ)私を待っていてくれる妻はただひとりだけ>>

この短歌の序詞には,地名(渚沙の入江),動物(あぢ),植物()が詠み込まれています。
「渚沙の入江」は「スサノヲノミコト(須佐之男命)」の「須佐」との関係から,各地で「須佐」のつく地名や神社のある場所がありえるようです。いずれにしても,この入り江は海のない奈良地方の京からは離れた場所であることは間違いなさそうですね。
「あぢ」は「アジガモ」のことで,当時食用にしていたので「あぢ(味)」と呼ばれていたとの説もあります。
結局,アジガモがたくさん飛んでいて,荒波で洗われた絶壁に這いつくように生えている松が美しい風光明媚な「渚沙の入江」の情景が,私には絵のように見えてきます。万葉時代に「渚沙の入江」は,京人が行きたいあこがれの地だったのかもしれません。
次は,同じく磯の岩に小さく生えている「松」を取り上げた短歌です。

礒の上に生ふる小松の名を惜しみ人に知らえず恋ひわたるかも(12-2861)
いそのうへにおふるこまつの なををしみ ひとにしらえずこひわたるかも
<<人が容易に行けない磯の上に人知れず小さく生えている松、人知れずひそかに恋いしい思いが続いている>>

この短歌の作者は,人々がなかなか行けない秘境のおそらく非常に厳しい環境に耐えながら,必死に生きている小松を想像して,この短歌を詠んだと私は理解します。今でも根強くある秘境ブーム。万葉時代には,全国各地の秘境の珍しい風景の情報が風土記などの編纂で京人につぎつぎと入ってきて,秘境への誘い効果があったのかもしれません。
最後は,松の一部を序詞に詠んだ短歌です。

奈良山の小松が末のうれむぞは我が思ふ妹に逢はずやみなむ(11-2487)
ならやまのこまつがうれの うれむぞはあがおもふいもに あはずやみなむ
<<奈良山の小松が末(うれ)のように,うれむぞ(結局)は,私がぞっこんの彼女には逢わずに恋は終わることになるだろう>>

この短歌に出てくる「うれむぞ」は万葉集のみに見える言葉らしいです。万葉集でも「うれむぞ」の用例がこの短歌を含め2例しかないのです。元の万葉仮名もまったく違う漢字であり,どこまで当時使われていた言葉か微妙な感じがします。もしかしたら,ごく限られた人しか使わない当時のスラングだったのかもしれません。
松の葉先はとがって先が細くなっています。先細りしかない我が恋が切ないのはいつの時代も同じなのでしょうか。
(序詞再発見シリーズ(16)に続く)

2017年4月27日木曜日

序詞再発見シリーズ(14) ‥ 植物(スゲ)と序詞

今回から,万葉集の巻11と巻12に出てくる序詞で植物を内容に入れたものを紹介していきます。
今回は植物の中でもスゲ(菅)が含まれる序詞を使った短歌を紹介します。
実は,巻11,12でスゲが序詞に出てくる短歌が14首も出てきます。

天の川 「へ~,スゲ~やんか」

...。 気を取り直して,短歌の紹介をします。
最初は,山菅(山に生える菅)を序詞に詠んだ短歌です。

山川の水陰に生ふる山菅のやまずも妹は思ほゆるかも(12-2862)
やまがはのみづかげにおふる やますげのやまずもいもは おもほゆるかも
<<山川の水辺に生えている山菅の「やます」というよう,「止まず」あなたを恋しく思っているよ>>

ヤマスゲの「やます」から「止まず」を引いたと私は解釈しました。
スゲ属は多くの種類があるようですが,万葉集でで来るスゲは,菅笠や蓑を作ることができる大ぶりのカサスゲ(現在の分類)だったのかも知れません。
スゲは水辺を好む植物ですので,山の中に流れる川にもスゲの大群落があっても不思議ではないですね。また,山中のスゲの群落がある名所が京人に知られていたのかもしれません。
次は海の入り江の水辺に生えるシラスゲを序詞に詠んだ短歌です。

葦鶴の騒く入江の白菅の知らせむためと言痛かるかも(11-2768)
あしたづのさわくいりえのしらすげのしらせむためとこちたかるかも
<<葦辺で鶴が騒いでいる入江の白菅(シラスげ)の名前のように(あの人と私のことを)知らす(シラス)ことをしたためか,世間は煩わしいほど噂をしているようだ>>

「知らす」を言いたいためにわざわざ「葦鶴の騒く入江の」が要るのか?という疑問を持つ人には興味がない短歌かもしれません。
でも,私はシラスゲが海の近くに生えていたかも?ということに興味を持ちます。
葦が生えているのは,完全な海水ではなく,多くが海水と川の水が混じる汽水域だと想像します。
そんな場所にシラスゲが生えている場所があり,多くの人がそのことを知っていたことが私にとって重要です。
実は,琵琶湖のような淡水湖にも入り江はありますので,海とは断定できないのです。こういった可能性のある情景をいろいろイメージすることが序詞を鑑賞する楽しみの一つなのです。
最後は,スゲの根を序詞に詠んだ短歌です。

浅葉野に立ち神さぶる菅の根のねもころ誰がゆゑ我が恋ひなくに(12-2863)
あさはのにたちかむさぶる すがのねのねもころたがゆゑ あがこひなくに
<<浅葉野に立つと神々しく見える菅の根のように ねんごろに それは誰に対してでもなく,わたし自身を恋しさでもない。あなだへの恋しさなのですよ>>

スゲの根は意外としっかり張られていて,スゲを簡単に抜くことはできないようです。スゲの根はそんなイメージを当時の人々は持っていたのでしょう。
根が強くなければ簡単に引っこ抜いてスゲ笠などの材料として容易に採取できたのが,根が強いものだから当時高価だった鎌などの刃物で刈り取るしかなかったのかも知れません。
スゲはさまざまな用具の材料となりえるものだったのですが,最終の障害となる根の張りが強い特徴も「ねのころ」につながったのかもしれません。
ところで,浅葉野は場所が不明らしく,日本のあちこちで「ここが浅葉野だ」とこの短歌の歌碑が立てられているようです。
私の別の珍説は「浅葉野」は地名ではなく,スゲがまだそれほど伸びていない季節の野原という一般名詞で,それでも根はしっかり張っている状況を「神さぶる」と表現したのではないかということです。

天の川 「たびとはん。単なる思い付きやろ?」

はい。そのとおりで~す。
(序詞再発見シリーズ(15)に続く)

2017年4月16日日曜日

序詞再発見シリーズ(13) ‥ その他の地名と序詞

序詞の中に地名が出てくる万葉集の和歌の紹介を今回で終わりにします。
今まで紹介してこなかった地名が序詞の中に出で来る短歌を見ていきますが,最初は百人一首の歌にも出てくる「大江山」です。

丹波道の大江の山のさな葛絶えむの心我が思はなくに(12-3071)
たにはぢの おほえのやまのさなかづら たえむのこころわがおもはなくに
<<丹波街道の大江山にきれいな葛が絶えず伸びつづけるように,あなたと慕う気持ちが絶えるなどと私が思うでしょうか>>

丹波道(街道)は,今の京都から亀岡(明治初期までは亀山と呼んでいた),今の園部を通って北上し,日本海に抜け,西(山陰地方)に向かう街道です。大江山を過ぎると日本海の海岸まであと少しです。不安な旅人も気持ちとして大分楽に感じるようによったでしょう。
大江山のふもとでは,夏になると(カズラ:つる草の総称)がすごい勢いで伸びでいたのだと思います。
行きは早春で林野は見通しが良く,広々としたいたのが,何カ月後の帰りには,うっそうとつる草が生い茂り,蔓は木を取り巻くだけでなく,木の上まで伸びていたと想像できます。
景色がガラッと変わってしまうくらい伸び続ける葛の勢いと同じくらいあなたのことを思っているという短歌ですが,京人にとっては大江山の葛の繁茂の早さはすでに有名だったのかも知れませんね。
さて,次は今の滋賀県(近江地方)の川の名前を序詞に入れた短歌です。

高湍なる能登瀬の川の後も逢はむ妹には我れは今にあらずとも(12-3018)
たかせなのとせのかはの のちもあはむいもにはわれは いまにあらずとも
<<急流である能登瀬川の名のように後の世に逢おう。彼女と私が逢うことは今は叶わないが>>

この能登瀬川は,同じ名前川は今の地図上残っていません。しかし,滋賀県米原市にある天野川の旧称が能登瀬川とのこと殺目山らしく,この短歌に出てくるのが天野川だとされているようです。
もし,そうだとしたら,同じ名が万葉集に出てくる以上は,安易に名前を変えないでほしいなあと私は思います。
そのほか,滋賀県では少し似た能登川という地名があります。この地名は川があったからではなく名付けられたようで,地域も平野で小さく,とても早瀬をもつ川とは無縁だと考えられそうです。
能登(のと)と後(のち)の発音が似ていたということ。また,瀬(せ)と世(せ)が同じ音読みだということが当時一般に知られていたら,「後は」の意味がより限定されたものになると私は考えます。
最期は,三重県の伊勢を序詞に詠んだ短歌を紹介します。

伊勢の海人の朝な夕なに潜くといふ鰒の貝の片思にして(11-2798)
いせのあまのあさなゆふなにかづくといふ あはびのかひのかたもひにして
<<伊勢の海人が朝夕に潜って獲るというアワビの貝の殻が片側にしかないと同じように私は片思いをしている>>

天の川 「なんや。この短歌,序詞ばっかりえろ~長くて,言いたいことは『俺,片思いしてんねん』だけやんか」

天の川君の感想はもっともだと思うよ。万葉集が質の高い名歌を集めた歌集なら,こんな短歌が入っている訳がないよね。
<万葉集を文学と見るから苦しい>
万葉集を文学として高く評価する批評家さんたちは苦し紛れに「万葉集は名もない庶民が詠んだ素朴な和歌も載っている」などと説明しているけれど,万葉集を文学作品オンリーと見るから説明が苦しくなるだけだと私は思うね。
万葉集には文学的に優れた和歌もないわけではないが,情報提供(何らかの広報)を目的としたものであれば,話は全然別になるよね。情報提供が目的ならば,作者の感情の表現がうまいか下手かは無関係。その短歌がもつ情報の量や質が優劣を評価する基準になる。
<天の川君よろしく!>
天の川 「そんなら,この短歌は『伊勢では若くて可愛いピチビチの大勢の海女さんたちが,朝から夕方まで濡れたらスケスケの衣を着て潜り,身のほうは煮ても焼いてもおいしいし,乾燥させたら日持ちがして,水に戻せばそれはそれでおいしい,そして貝殻の裏はきれいに輝いて首飾りの材料にもなるアワビをたくさん獲っているから,みんなで伊勢へおいでやす』というような情報があるということやな」

おいおい,天の川君,そんな「ピチピチ,スケスケ」まではこの短歌は書いてないぞ。ただ,スケベな平城京のオジさんたちはそんな妄想をしたかもしれないね。

天の川 「なんやて! 俺がスケベオヤジやと言ってんのと同じやんか!」

天の川君,おっと,悪い悪い。
さて,これで,地名を入れた序詞がある和歌の紹介を終わり,次回からは植物をテーマとして序詞に入れた巻11,巻12の短歌を見ていきます。
(序詞再発見シリーズ(14)に続く)

2017年4月6日木曜日

序詞再発見シリーズ(12) ‥ 和歌山は和歌の浦だけではないぞ!

万葉集の巻11,巻12の序詞で地名がで来る短歌の紹介を続けます。
前回,和歌山の地名で和歌の浦にまつわるものを紹介しましたが,今回はその他の和歌山県の地名が序詞に入った短歌を紹介します。
最初は,和歌山県南部の田辺市の秋津野を序詞に入れた羇旅の短歌です。

留まりにし人を思ふに秋津野に居る白雲のやむ時もなし(12-3179)
とまりにしひとをおもふに あきづのにゐるしらくもの やむときもなし
<<家にいる人への思いは秋津野の白雲のように絶える時がない>>

秋津野は田辺市秋津町付近のこととされているようです。田辺市は和歌山市からおおよそ50km南に位置する市です。近くに風光明媚で知られる南紀白浜があります。最近ではパンダの繁殖を続けている白浜アドベンチャーワールドが有名かもしれません。
この辺りは,紀伊水道に面している和歌山市付近と違い,太平洋からの風をまともに受け,背後には紀伊山地の山々が控えているため,雲が発生しやすい地形だといえそうです。
Googleのストリートビューを見ても,比較的良い天気日に取っているようですが,そらは雲が大半を占めています。
「白雲のやむ時もなし」という表現にぴったりの場所だったことが,万葉時代から知られていたのかも知れません。
次は,万葉集でよく出てくる山「真土山」を序詞に入れた恋の短歌です。

橡の衣解き洗ひ真土山本つ人にはなほしかずけり(12-3009)
つるはみのきぬときあらひ まつちやまもとつひとには なほしかずけり
<<橡で染めた衣脱いで洗い打つ真土山ではないが,元の彼には今も誰よりも好き>>

「打つ」,「真土(まつち)」,「本つ(もとつ)」との音の近さは当時はもっと近い発音だったのかわかりませんが,かなり苦しいこじ付けかもしれませんね。
「○○商会」の「□□めーる」というオフィス用品の通信販売サービスのテレビCMに出てくるおやじギャグ程度と考えれば違和感はありません。

天の川 「『A4サイズ無いよ~。そうだ頼めば~よん。』『バインダがないよ。そうだ,頼めばいんだ。』ってやっちやな。」

天の川君,ありがとう。それ,それ。それです。
さて,(つるはみ)は今ではクヌギと呼ぶ樹木で,樹皮などは万葉時代にはすでに染料として使われていたことが,この短歌から想像できます。
それにしても,別れた後,別の異性とつきあってみて,元カレ(元カノ)の良さが分かったという経験をした人は,古今東西いたようですね。
最後に田辺市より少し北にある印南町の切目付近の山を序詞に詠んだ恋の短歌を紹介します。

殺目山行き返り道の朝霞ほのかにだにや妹に逢はざらむ(12-3037)
きりめやまゆきかへりぢのあさがすみ ほのかにだにやいもにあはざらむ
<<殺目山を行き来する道に立つ朝霧のようにせめてほのかでもあの娘に逢えないかな>>

殺目山の殺目は,今は切目とされています。万葉集では地名の音を万葉仮名に当てはめているだけなので,漢字の文字の意味にこだわる必要はありません。
殺目山は険しい山ではなく,太平洋に面して農作に適していた高台がたくさんあったのかもしれません。そのため,すでに山道が整備されていて,そこを朝行き来するとき,下界に霞がかかっていることが多かったのでしょう。
その朝霞のわずかなすき間(切れ目)や霞が薄い部分に下界の家,農地,川,池などがほのかに見え隠れしたのだろうと思います。
兵庫県朝来市にある竹田城の雲海の写真を見て「行ってみたい」と思う人がたくさんいるように,この短歌を聞いて殺目山に行ってみたいと思った京人がいたかもしれませんね。
序詞は本当に私の想像を豊かにしてくれます。
(序詞再発見シリーズ(13)に続く)

2017年4月1日土曜日

序詞再発見シリーズ(11) ‥ 和歌山県の県名は和歌の浦から?

万葉集の巻11,巻12の序詞で地名がで来る短歌の紹介を続けます。
今回は今の和歌山県の地名を序詞に入れて詠んだ短歌です。
和歌山の県名には「和歌」がついています。もっと,日本の「和歌」について詳しい県というイメージ作りを地道に醸成していけば,県の活性化につながるような気がします。

紀の浦の名高の浦に寄する波音高きかも逢はぬ子ゆゑに(11-2730)
きのうらのなたかのうらに よするなみおとだかきかも あはぬこゆゑに
<<紀の海にある名高の浦に寄せる波音のように周りがうるさい。あの子とは逢ってもいないのに>>

名高の浦」は,今の和歌浦湾の奥あたりのようです。
和歌浦湾はそんなに奥まった湾ではないので,寄せる波は弱いものではなかったというのが,当時のイメージだったのでしょう。
この短歌の作者は,「名高」で周りに知れ渡ってしまっていること,「寄する波音」で噂が広まってしまっていることを表そうとしているように感じます。
まるで,今のワイドショーで取り上げられるタレントの密会や不倫の報道が止まらない状況と似ているのかも知れません。
そして本人曰く「会ったこともございません」といえば,さらに疑惑が広がるといった状況ですね。
ただ,「名高の浦」は当時の平城京の京人にとっては,それこそ有名な場所だったのでしょうね。
もう一つ「名高の浦」を序詞に使った短歌を紹介します。

紫の名高の浦の靡き藻の心は妹に寄りにしものを(11-2780)
むらさきのなたかのうらの なびきものこころはいもに よりにしものを>
<<紫色の名高の海で靡いている藻のように,僕の心はあなたに靡いてしまっています>>

紫色の海藻といえば,海藻サラダに使われる「トサカノリ」がありますが,実際はどんな海藻を指していたのかわかりません。
でも,この短歌で当時の和歌浦湾内の海岸には,温暖な黒潮が紀伊水道に入り込み,色とりどりの多くの海藻が所狭しと生え,波に揺れている姿が想像できます。
今回の最後は,和歌の浦を序詞に詠んだ短歌です。

衣手の真若の浦の真砂地間なく時なし我が恋ふらくは(12-3168)
ころもでのまわかのうらのまなごつち まなくときなしあがこふらくは
<<袖に隙間がある「ま」と同じ音の真(本当の)若の浦の真砂子の海岸が間なく(ずっと)続くように間なく続くわが恋の苦しさは>>

枕詞も訳を省略せず訳してみました。「ま」がポイントだと分かっていただけましたでしょうか。
この短歌を文学的にどう評価するかは私にとって興味がなく,当時の和歌の浦は白い細かい砂浜が続いていたということをみんなが知っていたことを序詞から想像できる事実のほうが私にとっては興味を持てることです。
(序詞再発見シリーズ(12)に続く)